黒羽が医学部って色々役立つ事教えてくれるよなぁと実感したのは、高校の保健体育の教科書なんかとは比べ物にならない位、人体の神秘を解き明かさんとする色々な書物や論説に出逢えた事だ。怪盗キッドをしていた頃は自分で自分の身体の異常を把握し時に治療する為に応急処置や銃創処置の方法を学び、時には薬学関連の専門書にもぱらぱらと目を通していたものだが、あくまでも必要最低限身につけた半可な知識に過ぎなかった。 それが現在は、自身を含めた人間全般―つまり恋人の身体に関してもとても解り易く、身体構造から内臓器官やら多岐に渡り各種教科書が教えてくれる分野に身を置いているので、実に有り難い参考文献に囲まれ、日に日に様々な知識を増やしている。 特に、工藤と再会し、あれよあれよとお付き合いへ漕ぎ着けてからは、その参考書にある種の性知識のそれが付加され、お陰で仕切り直しのように抱かせて貰った時にそれは大いに役立った。…筈だ。事の最中、黒羽が組み敷いた工藤は、慣れぬ感覚やら違和感やらに大分顔を顰めていたが。それでも、過去の衝動と稚拙さだらけのアレよりはマシだったろうと黒羽は考えていた。何しろ工藤の反応が悪いものでは無かった。触れる事に躊躇など不要であると察した瞬間の喜びは大きく、その勢いであれこれ触らせて貰ったのだ。 無論、抱いている途中で、例え彼にとっては無意識でも、もし拒絶を示す反応があれば直ぐに止めるなり、身体だけを求めているのではない事を伝えようと思っていた。押し倒して来たのが彼の方であるとはいえ、男から無理矢理に抱かれた経験が―それを確実に思い出させる行為を強行する事が、これからの時間を共有したい黒羽にとってプラスに働く事は無いだろうと思っていたから。 懸念は外れ、深く深く触れようとする黒羽の手を工藤が嫌がる事は無く。むしろ、望まれている、と黒羽は感じたし、これからも抱きたいと希求する『精進』なんて言葉を使っても、それについて否定的な言葉や態度を返されもしなかった。 それなのに。 黒羽は、本日最終の全体講義の開始ギリギリに現れ、無言で隣に座って来ておいて、そのまま無言を貫いて講義を受け、今また無言でその場から立ち去ろうとする工藤を前に―その背中に向かって、大いなる決意をして口を開いた。 「待てよ、工藤、って、くど…」 「 新一! 」 *** 「新一、待って!」 その日、多くの一年生が、大講堂で受ける医学概論の講義終了後に彼の大きな声を聞いた。教壇を降りようとしていた教授までもが、講堂の出入り口を見た程だ。だが、教授並びに、同じくそちらを振り向いた学生の目には既に誰の姿も映っていなかった。声の主は、あっという間も無く、扉の向こうに消えていたのだ。代わりに、残響のように、耳にした単語を反芻する学生達の声がそちこちであがる。 (新一、って呼んだ…よね?) (やっぱ、仲いいんだー) (今のって、黒羽くん?) (知ってる!あの工藤新一と結構つるんでるよねー。二人ともイケてるし、何か顔っていうか雰囲気似てるから、揃ってると目立つよね) (どうしたんだろ?工藤くん、今日は朝からずっとちゃんと授業出てたのに) (さぁ…工藤くん、急いでたみたいだし…また事件じゃないかな。行っちゃう前に、何か用事でもあったんじゃない?あの人) (何したんだ、黒羽のヤツ…。最近工藤が捕まらないとは言ってたけどよー) (あ、やーっぱ避けられてんだ?ここんとこ講義以外一緒にいねーと思ったぜ。タンテイが忙しいのかと思ってたけど) (工藤くんは名探偵だろ!) (あー、ハイハイ) (焦ってる黒羽って珍しーよな) (工藤も無表情でスッタスタ出て行ったけど、アレ、なんだろな?) (つか、下の名前で呼びやがったな) 講義終了直後は、レジュメに書き込みを行う音や教授の補足説明に聞き耳を立てている者が殆どだったから、突然の大声と早々に講堂を出て行った二人に注目が集まるのは当然だった。しかも、この二人ときたら、顔の良さと似た雰囲気と顔立ちと、それぞれ特徴的な人柄(主に人当たりの良い黒羽)やら行動(主に突発的に事件を追い掛け出す工藤)で目立つ存在なのである。 選択語学を基準とした各々のクラスメイトに当る何人かは、最近の黒羽快斗なる男の様子を揶揄しながら。あるいは工藤新一の行動の早さに感心しながら。何より、学内で結構目立つ2人組の片方が、唐突にもう片方を下の名前で呼んだ事に軽く驚きながら、一様に何があったのかと首を傾げたのだった。 「待て、って!新一!」 「…なんだよ、それ」 「へ?それって…」 「名前…で、呼ぶのか」 「駄目なのかよ!?…新一」 漸く呼びかけに応じてくれた相手が、逆に胡乱な目付きでその呼びかけ自体に対して物を申したい様子なことに、黒羽はややキレかけた。 「ずっと、呼びたかったし。もう連呼してるからな。訂正しねー!新一って呼ぶぞ、俺は」 「へえ」 講義用のノート類を小脇に挟み、両手はズボンのポケットに突っ込んだ姿勢のまま少し肩を竦めて黒羽を見返す工藤は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。 気に入らないのか、と察するには十分な態度だったが、黒羽はあえて無視する。とにかく相手の足を止める事には成功したのだ。言いたい事を言わなくてどうする。 「新一、なんで電話もLINEもメールも返事くれねーんだよ!?ガッコで顔見れたと思ったら、俺とはロクに喋ってくれねーのに他の奴と話し出したり、電話だ事件だの言ってすぐどっか行っちまうし、来月の病院の実習、被ってる時間のやつ一緒に行く約束だってしてただろ!」 「……」 「黙るな!このまま休みなんか入って、連絡取れなくなったら、って俺、すげー焦って」 「快斗」 「困っ…って、て」 「快斗。かい…黒羽、より呼び易いか?まぁ、オメーにだけ名前で呼び捨てにされんのムカつくからいいか」 「え…」 新一の顔は、快斗が呼び止めてからずっと、変な物を食べたようなとても微妙な様相だ。その癖、快斗を見ては視線を逸らしたり、そうかと思えばまたチラと伺って来たりと忙しない。 「そりゃ、…嬉しいけど。新一?」 「…なんだよ…快斗」 思わず首を傾げてしまう快斗を一瞬だけ睨んでから、口先を尖らせて聞き返し、新一は視線を彼の靴のつま先に落とす。けれど直ぐにまたキョロキョロと忙しなく周囲を見渡した。 その様子に、逃げる算段をつけようとあちこちに視線を飛ばしているのかと警戒していた快斗だったが、ハタと気付いた。 (あれ…これ、もしかして) あちこちに飛んだ視線は、必ず快斗に戻ってきている事に。 ―おそらく、新一に逃げる気はない、のだ。呼び止めた時こそ快斗に背中を向けていたけれど、『新一』ともう一度呼んだ時には、ちゃんと快斗の方に身体ごと向いてくれていたし。 もしや、と閃いた考えを確認するため、快斗はずんずんと距離を詰めて行く。 少し身体を反らしたけれど、新一はその場から足を動かさない。 近いけれど圧迫感を与えない三歩分離れた所で立ち止まって、そっと顔を覗き込んだ。 「新一…照れてる?」 「!」 途端に、新一の顔が朱に染まった。先程までの不自然な顔つきが、全て照れを押し殺していたのだ、という仮説の証明。―連鎖的に、ここ暫く連絡が取れなかった理由もまた、それではないか、と快斗は気付いてしまった。 はしっとひとまず新一の荷物を持っていない方の手首を捕まえる。新一のもう片方の手は荷物を抑えていて動かし難いだろうことが何とも幸運だ。ここで逃がしてはならない、と直感が促すままに、がっちり確り捕まえながら、快斗は思わず呟いていた。というか口から漏れていた。 「…か、可愛い…っ」 「は!?ふざけ、」 「ああ!?ふざけんなはコッチの台詞だろうが!ンな可愛い理由で避けられてたって分かったら、もう、そんなん怒れねーじゃねぇか!」 「ばっ、バーロ!…おい?か、快斗…ばかよせ離せ!」 「誰が離すか。おい、今日はさっきの講義で終わりだよな?事件の依頼は?」 「…入っては、ねぇけど」 掴んでいた新一の手首からするっと手を滑らせて、快斗はその掌を握り込む。もう指と指を絡めて恋人繋ぎでもしたい気分だった。新一の名前を叫びながら講堂を出て追い掛けていた時の焦りや怒りはどこか星の彼方だ。 新一は、快斗に握られている手をチラチラ見ては、慌てて辺りを見回す動作を繰返した。幸いにも二人がいる大講堂から教養棟へ繋がる渡り廊下を通りがかる者はいない。だが、上階の窓ガラスには人影もあるし、外を行き交う学生の姿も遠目に見える。いつ誰に見られたものか、あるいは声を掛けてくる某かがやって来るか分かったものではない。 「おーし、んじゃ俺んち行こう。アレだな。俺とお前の間にはまだまだ深い溝がある。俺はそいつを早々に埋めるべきだと感じた。だから埋めに行くぞ。いいな?」 「はぁ?!」 落ち着きなく周囲を気にするくせ、能動的に手を離そうとはしない新一の態度に快斗はウンウンと頷いて一方的な提案をし、それを実践すべく新一の手を引いて歩き出した。 *** 初めて入る嬉し恥ずかし恋人の私室ーという気分にはなれぬまま、逆に憮然とした面持ちで、新一は快斗のベッドの上で胡座をかいて部屋を見渡す。ベッドの他は壁際にクロゼットと本棚が並び、スチール製の机と回転椅子が置かれ、床に丸形のカーペットが敷かれている簡単すぎる簡素な部屋。その部屋の出入り口から見える隣はキッチンで、冷蔵庫とストッカーがあるのが見えた。 アパート特有の手狭な玄関を上がり、短い廊下の右手にバスルーム、左手にトイレと収納棚。廊下の突き当たりにダイニング兼キッチンがあって、その右隣が主寝室という1DKだ。トイレと風呂が一緒くたではない所が気に入って借りたと言う。部屋自体も結構広い。 都内に自宅があるのに、わざわざ大学近くに借りたというアパートの一室。鉄筋コンクリートの二階建て。その二階の一番階段に近い場所が黒羽快斗の部屋だった。 ベッドに座る新一に向かい合いつつ、あえての距離を取って回転椅子に腰掛け、それから背もたれを抱えるような体勢になった快斗は「そんじゃ、話すっけどさ」と早速口を開いた。 「こないだは、あんなにグイグイ来たくせに、なんで恥ずかしかったんだ?」 「…別に」 見透かされている居心地の悪さに、新一は、無駄だと解っていながら『そんな事実はございません』という風を装う。快斗はジットリした眼で新一を暫く眺めていたが、ややあって、ニッと口の端を吊り上がらせ、ふぅん?と愉しげに頷いた。 「何だよ」 「いやぁ、俺、よく工藤新一なんて真似出来てたなーって思ってさ」 「それは、アレか。怪盗の猿真似のことか」 「さる?!それはヒデーよ。俺、オメーの真似して不審がられた事なんか…多分、そんな無いぞ。オメーの幼馴染みは誤摩化しきれなかったけどよ」 「俺の目だって誤摩化せねぇぞ」 「うん、まぁ俺がお前の変装してる場面でお前の目を誤摩化せてたら、俺は別の意味で心配してたがな」 「そんなん、俺以外の誰かに成り済まそうとした変装についだろーが!んじゃ、だったらどういう―」 「こんなに、工藤新一が照れ屋でヤキモチ焼きですっげえ可愛い野郎だった、ってこと。知らないで、よく何回もドヤ顔で変装してたなーって」 快斗の言葉に新一は目を点にして絶句した。 ―誰が、何だって? 「………っば、バーロ!何が可愛い、だ」 「俺の個人的感想だから苦情は受け付けねー!」 絶句したまま息を止めてきっかり三秒後、慌てて異を唱えようとした新一だったが、その言葉を遮り、快斗は続ける。 「新聞に載ってたり、話に聞いたりしてた『工藤新一』って奴は、自信満々でデキる人間ってイメージだった。なんつーか、この場は俺に任せろとか言って先頭に立ってるみてーな?スゲーアタマ良さそうな事さらーっと言ってみたりして?」 「どういう人物像だよ、それ…」 「よっぽど親しい人間が相手じゃなけりゃ、そんなイメージで演じるだけで騙せてたんだから、そう思わせてたお前の問題じゃねぇ?大体ちっこかったオメーだって、そんな感じであのガキンチョどものボスしてたと思ったけど。でも…」 「……」 「俺が演じられたのは、オメーのそういう解り難さがあってこそ、だったんだなー」 快斗は何とも感慨深く溜め息を吐いた。 そして、知らなかったー想定していなかった工藤新一という人間の持つ意外さを知る度に、きっと自分はこの相手に夢中になっていくだろう、と確信する。今だってそうだ。素っ気なく、時に呆れを滲ませて快斗の話を聞いていた新一だが、それはそんな風に見せているだけで、その内心はちらと快斗を伺う視線に顕われている。思い返せば、連絡は取れない状態だったが、顔も見れないような、あからさまな拒絶のある態度は取られていなかったんだよな、と快斗は自分の余裕の無さに苦笑した。 「解り難い、か…?」 「ポーカーフェイスじゃないんだよなー、新一のって」 「オメーみてぇにへらへら笑ってる訳じゃねーしな」 「…そーやって、毒吐いて隠してるつもりなんだろーけど、誤解しか生まねぇって忠告しとく」 「隠してるわけじゃ…」 「んじゃ、誤摩化してる」 「…だったら、距離を取りたいとか、暫く顔を合わせたく無いって返してたら、オメーは納得したのかよ?」 「あ、それは無理」 聞きようによっては最悪の別れ話である。いやいや他に言い方があるだろ、と思わないでもないが。しかし、身体を重ねた後にそれを言われたら、確実に自分が失敗したと思い込むには十分な威力ある台詞だ。 快斗が唸ると、「だろ。つっても、別に…俺は、オメーを見たくねぇってんじゃねーし」などと新一が言うものだから、これはつまり、言い難いことだから言わずに行動で示しまくってくれていたという事に他ならない。何とも不器用な示し方だ。 可愛い。 胸の内に湧き上がってくるむず痒いような心地に快斗は声を出して笑ってしまった。 「っ…く、はは、ごめ、でも」 「笑うな!」 解り難い態度の内実は知ってしまえば「何だそんな事か」と肩を落とす解りやすさ。解りやすいのに、解り難い。幾多の謎を解き明かさんと思考を巡らせ走り回る探偵は、探偵それ自体もまた謎に包まれているように見える。彼は相対する事象をトレースしてそれを追い掛けるのに最適な形を選び、至ってシンプルに行動しているだけなのに。 快斗はギィと椅子から立ち上がる。そのまま数歩、恋人の近くへ。ベッドに座る新一が身体を若干後ろに引いて快斗を見上げた。切れ長の綺麗な蒼い目は、彼の目に映る誰かの真実を明らかにしようとする鏡だ。反射を受けることなく鏡面に覆われたその中身を知るには、一体どうすればいいのだろう。反射角の違いだけで読み取るには限界がある。 「警戒されてんの?俺。こないだの、嫌だった?確かにがっついてたけど」 「違うって。だから…ただ、あんまり、顔合わせたくねぇって言っただろ」 「…んん?さっき、俺の事が見たく無いってわけじゃないって言ったよな」 「………」 どういうことだ?と伺った先、ベッドの端に腰掛けた快斗から、思い切り半ば身体を捻るように顔を背けた新一のあからさまな態度。目線の次は発言の矛盾を解かねばならないらしい。顔を合わせ難いと思っている相手を、けれど「見たく無いわけじゃない」という―そして彼は意外な事にとても恥ずかしがりやだ。 「…俺が、新一を見るのが駄目ってこと、か?」 「ああ、そうだ!見るなよ、気まずいんだよ!でもどっか行くんじゃねぇぞ!」 壁に向かってそう怒鳴る新一に、快斗は(あ、死ぬ)と思った。思わず胸のー心臓の上辺りを掴んで前に屈み込んだ。 「…快斗?…おい、だいじょ」「新一」 新一が叫んだ後、突然沈黙した快斗を不審に思いそろりそろりと首を彼のいる方に向ける。するとそこには背中を丸め、小刻みに身体を震わせている快斗の姿。持病の類いがある話は聞いていないが、某かの急な発作でも起こしたのかと慌てて声を掛け―瞬間、新一は快斗に抱きしめられていた。 「どこにも行かない。行けねーよ、なんで、こんなホント」 「離せ!」 「イヤだ。新一の気が済むまで待って、そんで、また三ヶ月もお預けされたら堪んねぇ。しよ…いや、する」 「……」 新一の胸元に埋めていた顔をむくっと起こした快斗は、目の前に在る新一の顔を見つめる。新一は直ぐに顔を背けてしまったけれど、真っ赤な耳や首筋、先程まで耳を当てて聞いていた騒がしい彼の鼓動が如実にその気持ちを語っていた。きっと無理矢理進めても本気で拒絶されることはないと快斗は確信している。突き飛ばして、蹴り倒して、そうやって逃げる事もできるだろうに、新一はひたすら唸って居心地が悪そうに快斗の腕の中でモゾモゾしているのだ。 一方で、現状、既に快斗の理性を瀕死にさせている恥じらう恋人の可愛らしさは殆ど凶器に近いものがあり、このまま先に突き進めば行為をする上でどうしても負担を掛けてしまう相手に、労りも何もかなぐり捨てて喰らいついてしまうだろう危惧も感じていた。 無茶な行為を強いてまた逃げられるのでは芸が無い。―エンターテイメントを提供する側だと己を認知している快斗にとって、恋人となった探偵と共有する時間が、相手にとって気恥ずかしさを押し殺して諸々を我慢させるものになってしまうのは不本意過ぎる。 「そんなに、恥ずかしいなら、目隠しするから」 「…は?」 「俺が」 妙な申し出に新一が快斗を見返した時、新一の身体はころんとベッドに寝転がされて、その上に覆い被さって来る快斗の目には、一体どこから取り出しのか見覚えのある芥子色のネクタイが巻かれていたのである。 *** 「ホントは見えてるだろ!?」 「見えませーん。だから、違ってたら教えろよ新一」 「嘘だろ!」 *** 文字通り手探りで触れてくるその手は、掌が広く指先が長くて、けれどその大きさに比べて非常に小器用に動く。さっと翻す白い手袋の向こうで手錠の鍵を数秒で解錠してしまっていた怪盗が持っていた手だ。それで的確に新一を煽って来るから、新一は本当は見えてるんだろう?と何度も疑う声を上げた。答えは「見てない。見たいけど、我慢してる。だから、新一は見られてないんだから、素直に触られててよ」だった。 快斗は唇を軽く啄むキスを繰返す。口先を吸われ薄く開いた新一の唇に浅く舌を入れては、くすぐるように赤い表層を舐め水気を与えて、ふっと吐息をかけた。温められ冷やされるぞわりとした感触。離して、そしてまた触れる際、少しズレた場所に唇を落した時は舌先で頬を顎を下唇の窪みを辿って、再び薄く開いている新一の唇へと戻り、今度は咥内へそのまま舌を侵入させて口中を舐め回した。 身体の重なりがズレてしまわないように、下肢はずっと触れ合っていた。快斗は新一に体重を掛けすぎない様に気遣って、時折重ねている部分を動かして、それはそのままお互いの性感を煽る行為だった。 「嘘だ」と言いながらも、新一は口付けの時に、以前に感じていた視線は確かに存在しないと―自分が言い掛かりをつけている気はしていた。おそらく、ネクタイの下の目は閉じている状態に違いない。快斗の片手は彼が唇を寄せる場所の近くを這い、もう片方の手は新一の身体の形を確かめるように忙しなく動き回っている。そうして、身体がぴくりと震える場所を執拗に指先や舌で嬲ってくるのだ。 (つぅか、コイツにとって、見えるとかそういうの、関係ないんじゃ…?)ふと新一はそう思った。 だが、新一の服を脱がす時に、快斗は幾分かやり難そうな様子を見せた。ボタンは上から下へと簡単に外したのに、シャツを脱がせようとした際、新一の腕がちゃんと抜けていないまま服を引っ張ったのだ。 「おい…ちょ、快斗!」 制止した声に、快斗は肩を震わせ大仰に「ごめん、どっか引っ掛かったか?!」と新一の状態を心配する声を上げた。新一は「違う…から、服が…」と言いながら、少し上体を持ち上げて、自分でシャツから腕を抜く。それから、新一の脚を跨いで腰を下ろしていた快斗に「快斗、そのまま」そう言って、今度は新一が快斗のシャツを脱がしに掛かった。 最初は口を引き結び、眉を少し寄せて怪訝そうにしていた快斗だったが、新一の指先が己の服に掛かっていると察すると、「ぇ…うわ…」と、たじろいだような戸惑いを吐息と共に漏らした。綺麗な形の眉が上に跳ね、おそらくネクタイの下で目を開いてー目の前で新一がしている事を見たくて堪らなそうな顔をする。それに「オメーが見ない、って言ったんだろ。外すんじゃねぇぞ?」と新一が忠告すると、今度は、悔しそうに再び眉を顰めた。 見られる事は拒否しても、相手を観察し探りたがる性分である新一は、見られていないのを良い事に、じっと快斗を見ていた。視覚を自ら奪っているくせに、新一が漏らす吐息や言葉を聴覚を鋭敏にして拾い、手や唇や舌で―触れる全てで伝わって来る新一の反応を知ろうとしている相手。もとより気配に聡い人間が、一つ欠けた感覚器を補うために他の能力を最大限に使い新一に集中している。それは、新一が触れても顕著に示されていた。 シャツをたくし上げる新一の指が快斗の素肌に触れる。特に意図のない接触にも、快斗が反応しているのが解った。上を脱がし、さて、下はどうしたものか、と新一は見えるからに膨らんで窮屈そうな部位を覆う布地に手をかける。すると快斗が慌てて、新一の両手を掴んだ。 「待て!自分ですっから!」 「…ふぅん」 頬を赤くして、微妙に新一の顔がある場所とは違う空間に向かって叫ぶ姿は少しばかり滑稽だったけれど、新一を抱いた時に見せたものとは種類が違う余裕の無さだった。ギラギラした眼が隠されているせいなのか。それとも、新一と同じように、相手に触れる事への照れや気恥ずかしさがちゃんと存在しているという事か。 新一は「んじゃ、そーしろよ」と言って手を放し、快斗に敷かれている足を引き出して、代わりに自分のズボンを下着と一緒に脱ぐことにした。 「新一?」 接触している箇所が減った事で、快斗が怪訝な声を上げて手を伸ばす。 新一はすぐにその手を取って、今度は自分から快斗を抱き寄せてベッドへと身体を倒した。 続く |