一度目は、勢いだった。

 工藤新一17歳。
 黒羽快斗同じく17歳。
 一方は偶然にも目撃してしまった犯罪組織の取引が切っ掛けになり17歳から齢7歳の姿となり、他方は、とある宝石とソレを求める犯罪組織との因縁により白き怪盗の姿となって、互いに仮初めの姿での邂逅を果たした。
 正体を隠しながら出会ったというのに、全ての眼を欺き眩ませようとする幻影と、全ての真実を見通そうとする慧眼の持ち主は、初見から互いにとって互いこそが最も拮抗する力を持ち、ひどく似通った思考をしながらも同時に相容れぬ立場で対峙し合う存在だと確信する。
 互いにしか通じぬ言葉や思考を経ての遣り取りを重ねるごとに、異なる場所に居ながらにして同じに重なる感情は、互いの立場ゆえに大きく反発しては弾け、それでいて再び引き合うことを繰り返した。
 引力が働いているかのような関係だった、と工藤は思う。
 いや、互いに譲れぬ磁界を持つ磁力か。
 ひどく引きつけられるのに、ある一定の境界域で反発を始める二つの異物。そのまま引き寄せられれば引力のままに落下して己の形がぐしゃりと潰れ変ることになるー変容する、予感。ぞわりと背筋を走る怖気に、この近く見えるくせに遠くに在る相手と交わる事は決して無いのだろうと思っていた。

―それで良い筈なのに、そう在るべきだったのに。

 数度目の邂逅の際には、仲間を助けられた。
 何度目かの現場では、その手を借りる事があった。
 幾度目かの遣り取りの際に、空へ落ちて行く身体を抱き止められた。
 ついには、今度こそ確保してやろうとした現場で、最も大事な人間を怪盗の手に託すのをよしとした。
 遠くに在るべき距離に、徐々に、もどかしいような居たたまれぬような…不可思議な心地になっていく情動がある事に工藤はー江戸川コナンは気付いていた。

 そんな関係に劇的な変化が訪れたのは、奇しくも探偵が真の姿を取り戻して少し経った頃。怪盗が、彼が見事盗んで行った宝石が、これまでと違って一切返ってくる様子がないーと俄に警察とマスコミが騒ぎ出して暫く経っての事だった。
 小学一年生サイズの小さな手足と軽い身体から一転、工藤新一が取り戻した高校生男子の肉体。
 組織の壊滅とセットで得た完成された解毒剤を手に入れた工藤は、これであの気障な泥棒に遅れをとる事はないだろうと思っていた。
 ところが、工藤がアンダーグラウンドへと潜んで逃げようとする残存する敵方の追い、その裏をかくため同じく世間から姿を消している最中、あの怪盗が盗んだ宝石を返して来ない、という話が耳に届いてきたのだ。
(まさか)
 工藤の脳裏に浮かぶ、怪盗が宝石を月に翳す姿。
(見つけた、のか?)
 俺の探し物じゃない、と言って、何の未練も執着もなくいっそただの石ころを放るように返されて来た煌めく宝石の数々。
(だとしたら、もう)
「どこへ行くんだ、ボウヤ?」ー共にアングラの世界を泳ぐ協力者の問いかけに「幻影を暴きに」とだけ返す。脇目も振らず、後ろを振り返らず。ただ『追う者』がする目を爛々とさせ他の者の脇をすり抜けて行く工藤新一。
 その後ろ姿を見て、協力者が「…そういえばキッドキラーと言われていたな、お前は」と何かを察したように呟いたが、それを工藤が聞く事は無かった。

 居ても立ってもいられず、返って来ない宝石に関する鑑定書や怪盗からの予告状、宝石の持ち主に届いていた怪盗では無い者からの物騒な脅迫状…それらの捜査資料を、工藤と標的を同じくするが故に協力体制を取っていてくれていた一部の警察からのルートを使って手に入れて、工藤は怪盗を追い掛けたのだ。

 結局は。最後のー最期の怪盗のショウには間に合わず、緞帳が降りきった舞台に立ち尽くしていた『彼』との対面になってしまったけれど。


***


 取り壊し寸前の、まるで廃墟のような工場跡。
 突然現れた工藤を、ほんの一瞬だけ息を呑んで凝視した怪盗は、けれど直ぐに視線を彼の標的へ戻した。

『…何してんだよ』
『ご招待した覚えは無いというのに、相変わらずは鼻が利くようですね』
『何を、している!?』
『―批評家は最後まで黙って見てろ』

 白い衣装は所々真っ黒に燃えて、焦げて。気障な口ぶりでニヒルに笑う紳士然とした姿は脱ぎ捨てられていて。足元に彼の敵対者であった誰かを跪かせ、まさにその命を奪おうと、白の改造銃ではなく黒く光る拳銃を構えていた男。
 どう呼びかけていいのか迷わせる、そも言葉を発することすら圧してくる男の殺気に、計らずも工藤の足は震えた。
ー『探偵くん』『名探偵』『ボウズ』『探偵』…綽々と笑って工藤にー江戸川コナンに呼びかけていた怪盗キッドではない、これは仮初めの姿ではなく、感情を、自身を剥き出しにしたただの人間だ、と工藤は直感した。
と、同時に。
 彼に殺人の罪を犯させる訳にはいかないと思った瞬間に身体は動いていた。

 何を言い募ったのか工藤自身はよく覚えていない。
 殺すな、と止めた言葉に止めたければ此方を殺せば良いと返してくる自暴自棄とも取れるーそれでいて銃口を逸らそうとしない男はともすれば邪魔をする工藤諸共命を奪おうとしている様に見えた。庇うのか、と聞かれ、そうじゃないと強く首を振ったのは記憶している。
 ただ、工藤が願ったのは、彼に殺人をさせたくない、それだけ。
 言い争いを意識的に引き起こし向こうの気を反らせ隙をみて強く銃を握る手を握った。銃口の前。怖かった。あんなにも人を恐れたのは初めてだったように思う。

『震えながらも、人命第一?さーすがめいたんてーだ。じゃー、死ぬ?』

 軽い軽い口調で薄ら笑いを浮かべてそう言った相手の眼は言葉とは裏腹にひどく重たい覚悟を決めている眼で工藤を見返していた。

『バーロんな真似して後悔すんのは、てめぇだろうが!』
『俺は、俺が、オメーが誰かを傷つけて、それで、その傷がオメーに返ってくる所なんか見たくねーんだよ!』
『ああ、怖いさ。俺を、誰かを死なせて、その後絶望するオメーを見るのがな』
『だったら、キッチリ俺を殺してから行け!』

 本当に怖かった。
 彼は自分がとても優しい人間だと自覚していなかったのかと。
 あんなにも頭が良さそうな暗号を仕込んだり手の込んだ犯行やらを仕組んで、ー邪魔になるはずの人間だって助けておいて。

 工藤の言葉に虚をつかれたように動きを止めた一瞬を見逃さず、銃を奪い、思い切り殴りつけて意識を落してやった。

 銃撃があったとだけ匿名で通報し、余罪があるように不審な男を警察に引き渡した。
 怪盗だった男が全身全霊を賭け憎しみ命を奪おうとした人間と、その関連組織が後々暴かれ破滅に追いやられたのは、この時の工藤の手による丹念な工作があったからなのだが、意識を取り戻した男には暫く余計な真似をしてくれたよな、と詰られたものである。警察に封殺された相手に復讐をしに行くのは流石に面倒なんだと嫌味たらしく。…それが感謝の言葉に変わるのは、彼の工藤を睨む眼が、慈愛と恋情に挿げ変わった頃になる。

 警察の眼から隠した男は工藤自身が秘密裏に引き取って、ズタボロの上着を脱がせ自身のジャケットを着せ掛けてやってから、肩を抱いてその重さに引きずりながら近くにあった安宿へと連れ込んだ。
 この男が『工藤新一』に見事に変装している姿を見た事が何度もあったから、勝手に自分と同じような体格だと思っていた。だが、実際その身体を抱えてみれば、彼の方が痩せ型に見えた癖に、工藤よりも重量があるようだった。
 受付台帳前に座って怪訝な顔をする宿の管理人に、連れの具合が急に悪くなってしまって、多分持病の一時的な発作だろうから部屋を貸して欲しい、と頼む。救急車を呼びましょうか、と心配よりも面倒ごとを避けたい空気を醸した邪険な言葉に、先ほど薬は飲んでいたからと偽りを混ぜて言葉を濁しつつ一泊分の宿泊料金をさっさと払えば、それ以上は追求を受ける事無く鍵を受け取れた。
 何とか部屋の畳の床に寝転がして、その横に座り込んで工藤もまた息を整える。部屋の灯りは点けなかった。カーテンが引かれていない部屋に、今夜の月の光が少し差し込んでいた。
 その薄明かりの中、ちらりと転がっている男を見てはー見る毎に、何とも言えない気分になって、落ち着いて行く呼吸とは逆に落ち着き無く騒ぐ胸の内側。
 知り合いの医療関係者を頼ろうか、それとも…暫し様子を見ていた工藤が、そうっと傷の具合や熱の有無を確かめようと手を伸ばした時、実に頑丈に、何より気配に聡く出来ているらしい男は唸りながら眼を覚ました。

『…起きたか』
『…っ、な…』

 意識を取り戻してすぐ、何をしてくれたんだ!と叫び飛び出そうとする男を制止し、工藤は淡々と彼が気を失ってからの事を告げた。
 怪盗が凶手に掛けようとした相手は既に警察の手に在る事を。冷静さを欠いたお前に、捕われた罪人に手を下す事は無理だろうと揶揄を含めて。
『ふざっけんな、てめぇ』
ーならば同じく檻の中へ入れば良い、だいたい何だって俺はここに居て、まだ捕まってもいないんだー工藤を睨み上げてそう言い募る男に、工藤は告げた。
『オメーは俺が捕まえたから、俺のモンだろ』と。
 怪盗だった男は、ハッと吐き捨てるように横を向いて笑った後、ー工藤の身体を埃っぽい目が毛羽立った畳の上に引き倒した。

 怒りを煽ったのは工藤だ。
 間違いない。
 あんなにも剥き出しの殺意だの敵意だのに満ちていた人間が、直ぐに荒ぶる感情の矛を収められるわけがないのも解っていた。本当は、彼が意識を失ってすぐに第三者を呼ぶなり、鎮静剤でも何でも気を落ち着かせる手段を取るべきだったのだ。
 けれど。
 大の大人を運んだ疲れで、工藤は容易く男に身体を抑えられ更に首を掴まれた。ぐ、と気道の空気が圧迫され不快な音が鳴る。

『こうして、それから奴を追ってもいいんだぜ、俺は』
『させねー、って…っ言ってる』
『出来ねーだろ?』

『それは、お前だ…っ、オメーに、怪盗キッドに人殺しなんか出来ねーんだよ!解れ、この馬鹿!』

 息苦しさに生理的な涙が滲み出した工藤の目の前で、息の根を止めようとした相手よりも、ずっと強く息を止め、怪盗キッドだった男は食い入るように工藤を見つめた。
 ゆっくり、ゆっくり、…喉に掛かる力が引く。
 漸くに取り戻した呼気でゲホっと数度咳をしてー、それから、思わず発した己の言葉に工藤もまた愕然とした。工藤新一はー江戸川コナンは、本当は、本当に、本気で、この怪盗が人を傷つけられる筈がないと信じていた事に。

『…名探偵』

 不意に、小さな声で、聞き慣れた単語で工藤を呼んだ男は、首筋に置くだけになっていた手を滑らせて工藤の頬に添えると、ゆっくりと顔を近づけて来たのだった。

 どうして『そういう行為』になったのか。
 愚問だ。
 荒れ狂う感情の吐き出しに使われたのだ、と工藤は思う。
 それにしては、男の指先は丁寧で優しげでさえあったけれど。一方的に与えられる訳の解らない感覚に堪えきれずに声が漏れ出れば、その時だけ男は工藤の顔を覗き込んだ。視線に視線を返せば、獣が獲物に対して持つような愉悦を滲ませ目を細めくいと口元を歪ませるか、時折強く工藤を睨んで。そして、その後に苦しそうに顔を伏せ肌に噛み付くように触れてきた。
ー痛いくらい掴んでくる腕に、時々震えては締め直される手のひらに、何故か拘束されているのではなく、縋られているようだと感じた。

ー本当は。
 怪盗紳士の仮面も何も投げ捨てた相手に真っ向から立ち向かうなど、してはいけなかった。
 けれど。
 工藤は、この男が見せる素顔も、生身の感情も、その全てを欲しいと望んだのだ。


***


 気を失う事だけはしないと決めて、痛みや違和感や言いようの無い屈辱も必死の想いでやり過ごした。無理に身体の中心の熱を責め立てられた時だけは、一瞬白くなる頭に堪らず、唯一その場で手を伸ばして掴める存在に爪を立てた。工藤が触れた男の身体は一瞬大きく震えたが、工藤の手を振り払うでも無く、より一層指先に力を込め工藤を追い詰めた。
 そうして―
 工藤の中で果てた男は、ジッと見つめ続ける工藤の眼を避けるように、工藤の隣に寝転がる。
 すぐ傍で聞える荒い呼吸の音。軋む身体に隣から放たれるその音や気配は妙に響く。
 工藤は、すり…と億劫ながらにじくじくと痛む肩を手で摩った。軽く押すだけでも痛みが走る。事の最中にこの男が噛み付いて来たのだ。強く吸われた場所はきっと鬱血しているだろう。なお、腰から下の感覚については考えたくもなかった。

「気は、…済んだか」
「…なんで、大人しくヤラれんだよ、男に…俺、なんかに…名探偵ともあろう奴が」
「さぁな」

 お互いに、天井を見上げたままで、ノロノロと言葉を交わす。沈黙して、それきりになってしまわぬように。ただ、静かに、月明かりが射す部屋で互いを行き交う言葉の応酬。

「…痛い、か?」
「ったりめーだ、バーロ」

「…オメーが悪いって、そう思うから…謝んねぇぞ」
「そうか」

「お前…『目当ての宝石』見つけてたんだな…ぜってぇ邪魔してやる筈だったのに…遅くなって、悪かったな」
「ーっ、そうじゃ、ねーだろ…?」

 なんでお前が謝るんだ、と呻く声に、ではどうしようかと考える。
 工藤は、とりあえず「そういや、お前、名前は?」と聞いた。

「は…それ、今聞く事?」
「だって、不便だろ、名前無いの。お前は…怪盗は、『見つけた』んだ。返って来ない宝石がその証拠。アイツはイレギュラーな犯罪もしやがってたけど、狙ってたのはたった一つのビッグジュエルだった筈だ。だとしら、ー怪盗はもう現れない」
「ああ…そうかも、な。…でも、キッドはキッドだろ」
「はあ?!巫山戯んな!…っ、あ、のなあ、キッドは誰かを殺そうなんてする奴じゃねぇし、こんな真似だってしねぇんだよ!」
「……」

 怪盗キッドからほど遠い行為をして人を怖がらせてー痛い思いをさせておいて、なおキッドと名乗ろうとする男に工藤は心底ムカついた。起き上がって抗議してやろうとしたが、生憎とそれは叶わなかった。痛みにクソ、と毒づきながら「図々しい野郎だな」と呟いた。
 するとどうした事か、天井に向けていた顔を工藤に向け、男はぽかんとした後、肩を震わせて笑い始めた。

「た、探偵がイメージでキッド語って本人否定するってスゲーな、おい!」
「うっせぇ、笑うな」
「だって、おかし、…あ、無理、これ無理」

 男の笑いはなかなか止まらず、もう一度深く眠らせちまおうかな、と工藤が本気で思い始めた頃、ようやくヒーヒーと笑い過ぎに息を切らしながら「俺さ、くろば かいと …よろ、しく」と男は名乗ったのだ。

「くろば かいと、か。俺は工藤新一だ」
「…知ってる。本物、だ」

 ぽつぽつと言葉を交わす。

何で勝手に最期の予告状出すんだよ、と言う工藤が詰れば、名探偵こそ、何で勝手に大きくなってんの?と妙に拗ねられた。

俺ちっさい探偵君に貸しあるんだけど、それってオメーが貸し付け分払ってくれんの?と問われ、こんなに寛大な心で通報しないでいてやる俺に更に払わせようとかあり得ねー、と答えた。

工藤やせた?
オメーが変装してた時の数値よりはな。
ダイエットしないともう無理かな
まだ俺に成り済ます気でいんのかよ

…くろば って黒い羽?
うん。
黒羽…盗一って、もしかして…
俺の親父ー。
…そっか。ああ。何か納得した。その人、俺の母親が変装術習ってたマジシャンなんだ。
マジ?!
うん。

そういや、コナンくんはどーなったの?
海外留学。帰国は未定。
…そりゃ東都も安全に、は、ならねーな。オメーが戻って来たら。
フン。



 ポツポツとした会話が間遠になって、時折静かな空気が部屋に満ちる。だが、先ほどまで感じていた静寂に支配されることへの焦燥を工藤はもう感じなかった。音が消え、声が途絶え、気配が消えた次の瞬間に、彼が再び誰かを殺めに行くのではないかという懸念の消失。殺気が削がれ、諦観したように工藤と言葉を交わす男。演技をしている可能性もあるけれど、この男はギリギリの一線でちゃんと踏み留まれる人間だという妙な確信があった。
―代わりに、意識が多少己の状態に向いて来た。
 身体はひどく怠いし、どこかがズキズキと痛んでもいて、もういっそ眠ってしまいたくなってくる。
ー工藤が眠りから覚めた時に、きっと隣にいるこの男は―黒羽は姿を消しているだろう。
 そう確信していながら、『今は』それでも良い、と工藤は思った。

 工藤には、黒羽なる人物との関係を、これきり、一晩きりだけで終らせるつもりはなかった。男としてあるいは人としての尊厳を蔑ろにされて、まだ追うつもりでいるのかよ、と自嘲する気もない。噛み付くような口付けに、射殺すような剥き出しの激情を湛えた目に、いつも、いつでも工藤をー江戸川コナンだった探偵を翻弄し時に救って来た、思っていたよりもずっと高い体温を持った手のひらに、…怪盗が向けてきた全てに、歓喜していた自分自身を、工藤は自覚してしまっていた。
 何をされても、結局自分はコイツが欲しいのだ、と。
 たとえ今夜逃げられたところで、身体に残った残滓は消しきれないだろうし、皮膚片だって爪の間に残っている。もっとも、怪盗が彼の本当の名前を工藤に明かしていることは疑っていないから、それはあくまでも保険にすぎないのだが。

 身体の回復はもとより、工藤が今だ拘っている例の組織の残党処理、あるいは今夜警察に引き渡した別の組織の壊滅にも、暫く時間はかかるだろう。どうせなら心置き無く、一心にこの男を捕まえに行けるよう身辺整理をしておきたいものだ。更に付け加えるなら、探偵業の為に疎かになりがちな高校生活も三年目の中盤を迎え何かと忙しくなってくる所でもある。

 手放したく無いと訴える心に、今は駄目だ、と無理矢理に蓋をする。
 夜が明けたら、無理を言って抜けて来てしまった場所に戻らなければならない。

「…寝る、だりぃ」

 小さく宣言して、工藤は目を閉じた。

「マジかよ。風呂…とか、その、身体は」
「俺は、起きてからでいい」

 俺は、と言った言葉が含む「お前はどうする」という工藤の問いかけに、相手は一瞬沈黙し、しかしすぐに「そ、…だな」と呟きながら身を起こした。

「俺は…帰る。寝てていいぜ。布団敷いたら転がしておいてやっから」
「……」
「ー会いに行く」
「…いつ」
「約束は出来ない。今も…名探偵にひでぇ真似したって解ってる。けど、謝れないし、…諦めてもいない」
「おい」
「別に、殺そうとは思ってねぇ…本命はお前の手に落ちたからな。ただ、見過ごしたままにしておけねー組織があるんだよ」
「俺がやる」
「本気で言ってるならもう一度抱くぞ。ヤリ殺すつもりでな」
「やってみろよ」
「……ほんと、お前、最悪」

 はああぁ…と盛大な溜め息が工藤の隣、すこし上の方から落ちて来た。しかし、目を瞑った工藤には、相手がどんな顔をしているのか解らない。
ー解ろうとも思わない。

「だったら、半年後」
「長い」
「怪盗キッドの執行猶予にしちゃ短すぎんだろ?ーちゃんと、行くから。少しだけ待ってくれ」
「……捕まえた、のに」
「ああ。腰縄の先は預けてやるよ。…期限が切れたら、もう一度捕まえにこい」
「……」

 どうせそのつもりでいるんだろう、という言葉に当然だ、と頷く動作だけで言葉を紡ごうとはしない。それすらも、本当に億劫になっていた。

 工藤?…名探偵?おーい…伺う声に、もう返事はしなかった。



 翌朝、工藤が目を覚ますと少しばかり埃臭い布団の上にそれなりに清められた身体が乗せられ、枕元に一枚のメモが残されていた。

『緊急時連絡先:×××ー××××ー×××・黒羽快斗』

 素っ気ない、斜めに崩れた走り書き。
 指先で摘んだそれを暫し眺めて工藤は呟いた。

「きんきゅーじ、な」








続く


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