910さんち事情「なぁ、黒羽。明後日あたり暇か?」 そう聞いて来たのは、俺・黒羽快斗の友人、工藤新一だった。 「明後日?水曜日だな」 「ん」 「何かあるのか?」 「ちょっと片付けたい用事が出来たんだが、…手伝って欲しい」 「ふーん?」 工藤にしては珍しい素直な申し込みに、俺は内容次第だな、と返して先を促した。行儀は悪いが伸びてしまうのは勿体ないので、手元の学食うどんをズルズルと啜りながら。 目出たく大学に入学した春の季節早々に、出会いを演出した名探偵との友人付き合いは順調だ。こうやって昼飯を共にするのは勿論、相手に別の用事がない限りは大学内では殆ど一緒につるんでいるし、大学内に限らず、講義が終わって暇があれば買い出しや映画にと肩を並べて街に出て行く事もある。 梅雨の季節に工藤に依願され海外のお遣いに付き合った際、俺の過去が工藤にバレていたと知った時は流石に非常に動揺したものだったが、工藤は大して気にしていなかったようで、友人付き合いが打ち切られる事はなかった。どころか、便利な人間だと認知されてしまったらしく、色々と頼まれたり気がついたら使われていたり。俺としても、諸々が知られていたのだと知らされた事で却って気が楽になってしまって、工藤の傍で過ごす時間が増えたと思う。 気が合う以上に気を使わないでいられる相手というのは貴重なものだ、と俺は工藤と友人になってからシミジミ思ったものである。 尤も、俺はそこそこバイトに励む勤労学生だし、工藤の携帯はひっきりなしに彼を呼ぶ事件を告げてくる(目の前に事件が出現する事も多々ある)ので、やはり大学の講義の合間に顔を合わせる事の方が多いのだが。 「水曜って結構講義が被ってるよな?代返きかねぇぞ」 「ん?ああ、別に昼間っからじゃなくていいし。多分」 似たような顔が並んでいるのは人目を引くようで、周囲がこちらをセットとして扱ってくるのも、なんだかんだで一緒にいる理由になっている気もする。どちらかしか取っていない講義に暇な方(もしくは出席数に余裕のある方…大抵、俺)が顔を出したり出席代筆をしたりは常習犯だ。逆に、揃って出ている講義の場合は少し困る。 「時間は講義が終ってからで…。そうだな、17時から手を借りたい。用事が済み次第即解散。さっさと済ませたいからオメーの手が要る」 「いや、だから内容を言えよ…。まぁバイトのシフトは大丈夫だと思うけど。即日で済まなかったら泊まりがけにでもなんの?」 工藤は首を横に振って、それはないな、と言ってから妙に小綺麗な動作で上品に珈琲の入った紙コップを口に運んだ。少しテーブルから身体を離し優雅に足を組んで、学生達が集う騒がしい学食に異空間を生み出す男、工藤。 珈琲の値段は確か120円だった。 安価なソレが工藤の手元で高級品に見えてくる。 俺は、うどんのお椀を顔を突っ込むようにして視線を下げて麺を啜る事に集中する。そうでもしないと、なんだか居たたまれない気分だった。 少し離れた席でこっちに注意を向けていた誰かが「同じような顔してるのに、庶民と貴族みたいよねー」「どっちもイイ男だから妙にサマになってるけど」等とヒソヒソ話しているのが聞こえてきた。くっそ、…イイ男だって?そこはありがとう!しかしやはり、食欲が無いと工藤が言おうが、うどんかカレーでも注文してやれば良かった。 …それでも貴族っぽくうどん啜るよね、と言われるのかもしれないが。 結局、工藤は『詳しくは当日、現場で』と言って詳細を語らず、待ち合わせの場所を当日水曜の午後ーちょうど俺の講義が終った時にメールで指定してきたのだった。 暗号で。 *** 大学構内を急ぎ足で通り抜ける。 気配だけで人の波を避けながら、俺の目は手にした携帯の液晶画面の文字をもう一度確認した。 【ホテルにて薬を飲みし博士は退場。ディナーを一品奢る者。】 メールの差出人は工藤だ。 工藤がよく口にする工藤家のお隣に住んでいる博士は、些か糖尿の気があるらしく薬を服用していると聞いた。つまり、その博士と会っていた工藤は、博士が具合が悪くなって帰ったから、代わりに俺に夕飯を御馳走してくれると言いたいのかーなどと全く思いはしなかったが、どうせならメシを集ってやろうかな、と考えた。 大学最寄り駅から電車に乗り、一つ二つと乗り継いで、目的地がある駅に降りる。結構馴染みある街。どちらかと言えば、工藤の地元に近い。なにせ、もう一つ先の駅は米花町だ。ただ、目的のソレは確か帝丹高校に近い米花町との境にあった筈なので、こちらからの方が近くなる。 俺の推理ーいや、謎解き通りに、ホテルの一階に構えられたレストランのガラス窓の向こうに工藤がいた。 「17時…5分前か。簡単過ぎたな」 「あのな。謎解くのはそっちの専門じゃねぇの?」 「だよなー。も少し捻れば良かった」 とりあえず、腹ごしらえしねぇ?という言葉に異論はない。 二人用のテーブルは円形で、すでに工藤の前には空のティーカップが置かれていた。 椅子を後ろに引きながら、俺は、おっとその前に…とテーブルに片手を付いて工藤の前で「さあ、答え合わせを、名探偵?」と作った声で片手をスイっと差し出す。 意識的に出した『怪盗キッド』の囁き声に、工藤は少しムムッと眉を顰めた。 「ここに来た時点で済んでるようなもんじゃねーか」 「まぁまぁ。では、私から。ー薬を飲んで退場する博士…それは意識が切り替わって消えてしまうジキル博士を擬えたもの。と、すれば。その代わりに出てくるのはハイド氏ーで、杯戸」 「探偵気取りの怪盗っての、ルブランも書いてたよなぁ…」 「一品は【ひとしな】と読み、その読みから【一階】を指す。奢る者とは傲慢な者ー【プライド】を示す言葉。ディナーはそのまま、以前お約束していた17時にはその営業を開始している店…」 「そうそう」 簡単な肯定の言葉に芝居が崩れそうになるのを我慢し、俺は続ける。 「つまり…あの暗号文が示しているのは、一階に今からディナー営業するレストランが入っているホテル杯戸プライド… ってことだ!」 『ってことだ!』だけ声音を気障なモノから、いつか散々に聞いた小学生男児の高い声に切り替えて、ビシッと指先を工藤の鼻先に突きつけてやった。 「いで!ヤメ、工藤さん!それ俺の命なの!商売道具だから!ゴメン、ふざけた、っていででで」 工藤は無表情で目の前に差し出された俺の人差し指を上へ上へと押し曲げてきた。 あの探偵坊主を見習っただけなのに。 「んでー?肝心のご用件は」 何とか工藤の機嫌を取って、奢って頂けることになった夕飯の〆のデザートに口をつけながら再度俺は工藤に尋ねる。 んー、やはりチョコアイスは美味い。 「場合によっては暗号を解いたり、あと鍵を開ける…まぁドアだな」 「…へぇ」 「暗号があれば俺が解くからよ。やっぱ作るより解く方が性に合ってるし」 「すると…」 「俺がオメーに期待してるのは、解錠技術だ」 「…わぁ」 名探偵の期待なんて重いモン、(元だけど)怪盗の翼に乗せないで欲しい。というか、俺に頼む時点で、違法的な技術を求められているのだと、流石に気付く。 いいのか、探偵。…まぁコイツが過去子どもの姿にかこつけてトンデモ捜査やらどう考えても違法な行為を仕出かしながら怪盗だの犯人だのを追っていたのは知っている。今更すぎるな、と思って、むしろ保身について聞くことにする。 「あのー、俺、捕まったりしませんかね…」 「大丈夫、大丈夫。俺の知ってる泥棒にスゲー奴がいてな?錠前破りがあった痕跡毎無かった事に出来るって言ってたんだ」 果たしてそんな大言壮語をこの探偵の前で吐いた事があっただろうか。 じとり、と音を出す勢いで工藤を見つめると、「ま、どっかの三世なんだけど。二代目にだって出来るんだろ?」と付け加えられた。その声音に面白がるような響きが籠っていてー俺はイラッとした。 三世って、それ、以前怪盗キッドの名前を騙りやがった赤ジャケットのオッサンの事か。 『スゲー奴』ね?へぇ。 怪盗キッドを騙った返礼に、向こうの獲物を奪ってやった事、ありますけど。 出掛かった言葉は幾つかあったが、俺は、アイスと一緒にそれらを飲み込むことにした。何か、それを言うのはみっともないような、無駄に張り合ってるみたいな気がして。いや張り合うも何も俺としては『怪盗キッド』が『ルパン』の名前に負けてるとは全く思っていないけど。 目の前の探偵が、そっちを「スゴい」なんて言ったのが、少し気に喰わなかった。勿論、スゲーの後に「厄介な」という言葉が隠れているのに気付いていてもだ。 「だったら、そっちに頼めよ」 「どこにいるか知らねーし。あの人たちに借り作んのは流石になー。報酬高そうってか色々面倒そうだ」 「俺はいい訳?ルパンよりキッドの方が女性人気から言って、少なくとも日本じゃ高値が付くと思うんだけど!」 「もう、払ってる」 そう言って、工藤は俺を見て笑う。正確には俺が口に入れたスプーンを見て。 確かに「頼み事」をしてきた相手と解っていて「奢り」をせがんだのは俺だし、確りバッチリ工藤の依頼を聞く前に彼からの供宴を受けてしまっている。やっぱ割り勘で、って言った所で却下されるのがオチだろうな。言わないけど。 「成功報酬は別だからな」 「ダッツの箱入りにしてやろう」 「マジ!?やった!」 素敵な申し出に現金にも喜んでしまった。 まぁどのみち俺に工藤の頼み事を断る気は無い。こちらに頼んで来た手前、もしもの事態には事件のもみ消しを手伝ってくれる筈だ。…多分。 最後のアイスをぱくりと口に入れ、ゆっくりと口内で溶かして味わってから、「んで?このホテルの何号室の開放をお求めで?」と話を進める事にした。 *** 聞けば、工藤はこのホテル杯戸プライドには何度も来ているらしい。正確には「江戸川コナン」くんが来ていたようだが。曰く、当時(コナンくんだった時)の帝丹の同窓生が一時的にここでホテル暮らしをしていて、そこを訪ねたり、ホテル内にある屋内プールにも遊びに来て…そこで起こった殺人事件を解いたりしていたと言う。 ああ、馴染みの現場か…という感想を内心抱きつつも、「縁深いなら、顔が利くんじゃねーの?」と聞くと「前の事件で経営者が変わってさ。園子に聞いてもあんまり繋がりが無いっていう外資系。このレストランも結構新しいんだよな。メニューの食材輸入元見ても海外部門の派出所っぽい感じ」という返事だった。つまり、あまり名探偵の御威光が及んでいないらしい。 それどころか「俺が入りたい部屋主に味方してて、むしろ顔パスならぬ顔シャットアウト?」等とサラリと言う。 なるほど、だから他人の手がー顔が必要なのか。変装して潜り込むほど段取りに時間をかけていられない、というのも理由らしいが。 昨今のホテルのその多くではカードキーが用いられている。その日その日、その部屋その部屋毎に暗証番号を設定できて、セキュリティ管理がし易いのが一番の理由だろう。高機能マネジメントシステムを入れているホテルであれば不審な解錠行為に対し警告だって出してくれる。見知らぬ人間が雑多に出入りする大きな建物の一室に命も荷物も預ける行為は、実はとても危険に満ちているものだ。妖怪『枕返し』は、夜陰に忍び込んで枕元に隠した財布を探りにくるコソ泥がモデルになったとか、ならないとか。現代では高度な防犯力を備えた機械仕掛けの仕組みが人間を守ってくれている。 ー逆に言えば、招かれていない人間は侵入が困難なのである。 ならば、関係者を装うのが簡単だ。 「ルームサービスに見せかけて、オメーを運んで中に入れこんだら良いのか?」 「開けない。アイツは絶対に扉を開ける気は無い」 言い切る工藤に、俺はそれなら火事でもつくろっか?と提案する。流石に非常事態ともなれば、引きこもりの客だって自分から部屋から飛び出してくる筈だ。規模の大きいホテルだから結構大仕事になりそうだが。発煙筒何本くらい要るだろう?火災警報システムと監視カメラの場所及びその定点観測位置を確認しないとなぁ、と算段を考える。 だが、探偵の顔は渋い。 「騒ぎに乗じて消えられると困る。此所を特定したのも今日になってからなんだよ。それまでは居場所を突き止めた時には蛻のからでさ。そんで、代わりに次の場所が暗号で残されてるんだ」 「…なるほど。機を逃さないタイプ?なんだな。追われてるのが解っていて、いつでも逃走準備は万端ってヤツか」 「今日の昼過ぎの時点で、アイツは携帯を使用し、肉声を聞き間違えそうにない相手と通話している。その携帯GPSが指し示した場所はここで間違いない。そして、今までこのホテルから出て来ては居ないし、位置も動いていない」 キリっと探偵らしく宣う言葉に俺はギョッとした。 携帯を部屋に置きっぱなしにして本人が既に居ないーという想定し易い可能性を否定しているということは、確実性を持ってそう言っている訳で…つまり、ここで監視していたということにならないか。昼に会ったときは、今日はどこに行けば良いんだ?という問いかけに、ウンともスンとも言わず流したくせに。 「おっま、昼飯の後から!?だったらもっと早く呼べよ!つうか、昼に一緒にメシ食ってんだから、そのまま俺も連れてけよ!」 「はあ?オメーより一コマ早く終ったから先に来てただけで、別にサボってねーぞ?ああ、違う違う。ここで張り込んでた人間は別にいるんだよ」 「ああ、そう…って誰?そもそも誰がその部屋に居る訳?」 微妙にはぐらかされ続けた基本的情報をいい加減明らかにしてくれないかと俺が言うと、ようやく工藤はターゲットの名前を吐いた。 何となく、予想していた相手の名前だった。 *** 近しい人間に変装するという常套手口が、そもそも工藤が顔シャットアウトされてしまう時点で無理な手段だ。それに、ホテルの管理者と件の人物が繋がっているのなら、予定に無いビルメンテナンス業務や実体の無い煙を上げるのは、相手に包囲網が迫っているのだと知らせる事になる。結局のところ、『人目を盗んで素早く扉の鍵を開ける』という陳腐で何の捻りもない手しか残らなかった。 つまらない。 が、仕方ない。 階数を勘違いした宿泊客を装った俺は、工藤が特定している部屋の前を行き来した後、レストランで拝借して来た少し固い紙ナプキンに懐から取り出したボールペンで、廊下と扉の間隔と監視カメラの位置と角度を書き込み、死角となる場所を確認した。 後は、再び俺が別の人物を装って人目とカメラを避けつつさり気なく鍵を開け、すかさず其処へ帽子を被り俺と交換した上着を羽織った程度の変装をした工藤が突撃する、という作戦である。 別に部屋が分かってるなら、一つしかない出入り口を張り込んでいても同じじゃないのか?と疑問はあったが、俺の不可解さを察した工藤の「…前の前の場所からはヘリで逃げやがったんだぜ?窓に非常通路が無いと俺は思わねぇ」という一言に肩を落とした。 フロントからロビー、廊下にエレベーターの中に外。非常階段、非常口。そして各部屋前が定期監視出来るように設定された防犯カメラは常時作動中だ。なかなか目の行き届いたホテル。鍵も専用のモノでなければカードキーを通す金属板の傍のランプが赤い警告色を出し、それが複数回点灯すると警備室から人が飛んでくる。…部屋の主が特に気にしている旨が警備にも通達されているなら、開ける前に内線で相手に連絡が行くかもしれない。なにせ奥まった部屋だ。『人目を盗んで素早く』開けたい鍵の前に行く事のほうが気を使いそうだった。そしてそこからが、自分の腕前とシステムとの時間戦。 芸がない所業の前に、少しだけ楽しくなって来た。 「っしゃ、んじゃ行きますかー」 「非常階段も監視されてるから、時間差でエレベーターで行く。ー何分いる」 「一分もあれば十分」 「…オーケー」 ニヤッと工藤に一つ笑ってから、「お先に」と言って俺はエレベーターに乗り込んだ。 チン、と軽い音を立てて止まったエレベーターのドアが開いてすぐ、俺は直ぐにカメラに写らない位置を選んで目的の部屋の前へと移動を開始する。耳元で聞いているのは、先ほど下見の際にカメラの下に取り付けた簡易な盗聴器の音。カメラの向きが変わる際に発生する微量な音を拾って、姿が映らないように自分の動きを制御した。 ーここまで40秒くらい、か。 扉の前にかがみ込み、この先は余分な音になる盗聴器を外し、次に廊下の向こうーエレベーターへ意識を向ける。ーチン…と停止を告げる音。 俺は指先を踊らせた。 ー カチリ ジー… 扉の解錠を示すように、ランプの色が変わる。 俺が身体を起こすのと同時に、風のような早さでやってきた工藤が扉を開けた。ーそして俺は、工藤が部屋へ入るのを目の端で確認して、駆け足で非常口へ向かった。 *** 怪盗を辞めた身とはいえ、使い慣れた得物はなかなか手放せないものだ。いざという時とても役に立つし、何より心強い。 例えば、ホテルの外壁を伝い歩くワイヤーが欲しい時、とか。 工藤も多分そうだろう。 たまに、人気のない所で伊達眼鏡をかけているのを見た事がある。鋭い目付きで眼鏡のツルをいじったり、時には携帯で誰かと通話しながら。俺の知る限り工藤の視力はかなり良い。大講堂の一番後ろの席に座っても、教授の文字を見逃したりはしないのだ。知り合いになった当初は、なーにファッション眼鏡で色男になってんだよー!…なぁんて揶揄っていたが、俺は当然その眼鏡がいわゆる探偵七つ道具だと知っていた。ついでに時々やけに太いーバックル部分がガッシリした感じのベルトを身につけている日など、凶悪犯でも追い掛けに行くのか?ボールか?それとも花火がでるのか?と思った見ていたものだ。俺が向けた視線に、なんだよ?と怪訝な顔をされては、「工藤…腰、ほっそー!」と気になっている事とは別の事実を言って誤摩化した。ついでに無理矢理工藤の行く先に着いて行って嫌がられたり、勝手に役に立って警察の皆さんに御礼を言われてまた工藤にイヤな顔されたり。 しかし、今回は工藤の依頼あってこそだから、多少予定に無い行動をとっても怒られはしない筈だ。さっさとケリをつけたい様子だったことだし。 だが、俺の行動は杞憂に終わり、俺が窓の外から部屋の中を見た時、その部屋の主は黒い細めの革バンドでぐるぐる巻きにされていたのだった。 …あ、これも探偵の七つ道具じゃねーか。 確か小さな名探偵坊主がズボンを吊るのに使っていたサスペンダーだ。 「よう、確保おめでとー」 「おう、ご協力感謝」 入ってこい、のジェスチャーに外側から窓を開けて中に入った。 「少し見ててくれ。依頼主に連絡する」と俺に言うと、工藤はどこかに電話をし始めた。 ベッドにライティングスタンド、小さなクロゼット。特別客と言う割に簡素な部屋。一番大事なのはデスクに置かれた彼の仕事道具だろう。沢山の原稿用紙。 その部屋の真ん中でぐるぐる巻きにされた状態で腰を下ろしている人物に、俺は同情の目を向けた。 だが、さすがというか、その人は特に哀れな様子でもなく、むしろ俺を見て面白そうに目を細めた。 「おや、君は」 「え…っと、工藤くんと同じ大学に通ってます。黒羽って言います」 なんだろ、此の度はご愁傷さまで…とか言うべきか。いや何か違うような。 でも、実の息子にぐるぐる巻きにされた父親に、一体何と声を掛けるべきなのか。 「ウチの不肖の息子がお世話になっているようだね」 「いえ、その…、そんな」 いくらニコニコと挨拶をされても、「とんでもない、素敵な息子さんですね」とは返せない。さすがに。ほんと。 「部屋のセキュリティロックを外したのは君かな?」 「…はい。スイマセン」 「さすが、稀代のマジシャン黒羽盗一氏の息子、と言うべきか」 「え」 「それとも、怪盗キッド復活おめでとうと言うべきなのかな?」 「!?いえ、あの」 全く、工藤なんて、息子が息子なら父親も父親だ。 親父の名前に動揺を誘われ、あっさりと俺の人生のトップシークレットを暴き立てて、ありえないー『復活』なんて単語で切り込んでくる。冗談じゃない。 ええい、さっさと電話を切れ、工藤!と俺が思わず工藤を見ると、丁度通話を終えた工藤が、俺を見返して「ん?」と首を傾げた。こんな状況に巻き込んでおいて、なんでそんな無邪気な仕草を出してくるのか。もしやワザとじゃあるまいな。 「新一…、いくら親しい友人だからと言って、足を洗ったはずの子の手を、また犯罪に染めさせるのは感心しないねぇ」 「どっかの作家先生が、こっちが手を染めちまう前に観念してれば問題なかったんだろーが!」 「立派な不法侵入だ」 「おう。立派に依頼は果たした。今、下から編集さんが飛んでくっから、もう観念しろよ」 「ということは、少し前に電話を掛けてきたのは、お前か」 「台詞は母さん作だ」 「そうか…。つまり有希子はパーティーに行きたいんだね?」 「新しいドレスを買ったから、着ていく場所が欲しいんだとさ」 「だからといって、語呂合わせにちなんだパーティーなんてねぇ…。私は好きじゃないんだが」 「どこの出版社もノリノリだって聞いたぜ」 「…それでお前と有希子は、どこの依頼を受けたのかな?」 聞くともなしに目の前の微妙に殺伐とした親子の会話を聞いている内、以前少し羨んでいた工藤とその父親との関係だったけれど、結局のところウチはウチ、他所は他所なんだよな…隣の芝生を青く見るのは愚かな事だと俺は思い至った。 ガッチリ動きを封じられながら飄々と息子を揶揄する父親と、喧々しながらも身柄確保に悦に入る息子の会話を遮ったのは、ドアのノック音。すたこら、とその場を逃げ出したい俺がそれに出る。 ドアの向こうに居たのは、くたびれたスーツ姿で、しきりに汗をぬぐう小太りのオッサンだった。 「先生!工藤先生は!?」 扉を開けて押さえている俺を押しのけるようにして、部屋に入って行く。 「ああ、先生!御元気そうで何よりです!ありがとう、新一くん!さすが息子さんだねぇ!」 御元気そうに見えるのか。 一体オッサンは普段どんな『先生』を目にしているのだろう。締め切り明けでも焦燥も切迫も脱力も見せず悠々と笑って原稿を渡していそうなイメージなのに。 大仰に喜んで、オッサンは工藤の手を取ってブンブンと振った。まぁ工藤先生とその息子がいたら、ついでに昔から顔見知りなら息子を名前で呼ぶのは妥当なんだろうが。 どうせなら、さすが名探偵!でもいいんじゃねぇの?ー何となく、面白く無かった。 「では、先生。お約束通り、ウチのパーティーにご出席頂けますね!?」 工藤に依頼してきたのは、顔馴染みの『作家・工藤優作』氏の担当編集者だった。彼は(俺の聞いた話を俺的に纏めたところによると)工藤氏が作家として世界的な賞を受けるもっと前、駆け出しの推理小説家だった頃からの旧くからの付き合いだそうだ。駆け出しの編集者でもあった彼は、氏の息子である工藤新一とも仲が良く、子どもがお小遣いで買うには高い本を、ボクはもう読んだからと言って譲ったり、よくよく身辺が何かと忙しなくて本屋へ行けなかった工藤にお目当ての本を送ったりと、それはそれは手懐かせていたものらしい。 作家に複数の方面から打診された、同じ日に行われる出版社のパーティー。この日に有名作家を招待できる事は会社の勢力を示すには打ってつけとの思惑があったようだ。その全てを断ろうとした作家だったが、本人を置き去りにして周囲が作家獲得に白熱し、いつのまにやら、雲隠れが得意な作家を期限の日までに見つけられれば、その出版社に顔を出す、という事にさせられていた。各社に機会が均等に与えられる様、また作家の側からのえこひいきがあってはならないと協定が結ばれ、この数日間、日付けが変わる毎に探す鬼役が次々変わっていく奇妙な隠れんぼが行われていたという。 「あ、編集長!やりました!ええ、横断幕GOです!工藤の日決行です!」 オッサンの順番がくる前に鬼役が当っていた他社の編集者は、何とか本人が宿泊中のホテルを探し当てたのだが、彼がホテルマンに頼んで部屋の鍵を開けて貰う頃には次の移動先を指し示す暗号が書かれた紙が一枚残されていた状態だったらしい。他の出版社も同様の有り様。俺は駄目だったが、…お前は頑張れよ…!等という戦友を送り出すような遣り取りが編集者同士にあったかどうか俺は知らないが、なんでも土下座して幾つかの暗号文を得たオッサンが、まず工藤夫人に相談し、丁度パーティーに行きたかった彼女は、息子に暗号を解いてついでに捕まえてこい、と命じたのだ。 編集者である彼が長年作家だけでなくその家族とも良好な関係を築いて来た結果だろう。 それにしても。 ー親父の御遣いの次は母親か… 少し遠くを見ながら、憮然とした面持ちで先ほど事の次第を語ってくれた工藤。 俺は精一杯協力してやろうと思ったものだ。 とはいえ、個人的に俺の中には「父親」という存在に対する、もの凄く憧れとか尊敬する気持ちがあるので、息子の手によって身柄を拘束されている工藤氏を目にし続けるのは非常に心苦しい。とりあえず、工藤の親父さんが観念したならもう解放してもいいよな?と思い、次は母親と連絡を取っている工藤にジェスチャーで了解を取り、拘束具を外す事にした。 「解きますんで、ちょっと失礼します」 「ああ、ありがとう。…それにしても、私が思うに、君たちは特技を使う所を間違えているね?」 「…かもしれない、ですね」 苦笑いを浮かべて、確かにそうだと頷く。 解放された身体を軽く動かしながら、工藤の親父さんは、ふと俺を見据え「それでは、せっかくだから相応しい場所に立ちたまえ、黒羽快斗くん」と、そう言った。 あくる9月10日。 どういうわけか、俺は『工藤の日』を祝う謎のパーティーで、マジックショウを披露することになっていた。 【終】 910の日! |