「式、何時からだっけ?」

 夜明けは近いが、夜の帳は上がりきっていないまだ薄暗い時分。
 己よりも先に起きて、ベッドから降りて行った相手に、何気なさを装ってそう尋ねた。姿見の前で、身体に付けられている赤い印を確認している彼は、一体どう隠そうか考えているのだろう。
 だが、そんな事は知った事ではない。

「…九時過ぎから受付が始まって、式は十時。披露宴は大体その一時間後だな」
「昼飯には早いんだな」
「余興があるだろ。でもまぁ十四時過ぎには終わらせて解散だ」
「そっから二次会?」
「目的別でそれぞれ有志で集まるって感じだろうな」

 ふぅん、と適当に相槌を打つと、「準備するから」と言って、彼はそそくさと寝室を出て行った。一応、気まずく思ってくれているらしい。
 反省しているなら、特別に許してやれない事も無い。彼がそういう人間だということは嫌というほど知っている。
―とても、とても優しいヒト。
 そういう人間だからこそ、愛してやまないのだと己自身嫌という程解っていた。だからといって、全てを呑み込んで許容できるかと言われれば、そこまで物わかりのいい人間にはなれないのだが。

 これから彼が、白い衣装を纏い豪勢に―美しく着飾っているであろう花嫁の手を取りに行くのだと思えば尚更だった。ここに置き去りにされる男のことを、彼はどんな風に思っているのだろう。

「…未練がましいよな、大概」

全く、心底では納得していないんだな、と溜め息を吐いた。




「あれ、もう行くのか」

 階下の少しバタついた気配を感じながら、のそのそと、顔を見たらまたも不毛な会話を始めてしまいそうだったから、ゆっくりと階段を下りキッチンへ入って行くと、既に身支度を終え、外出着に着替え、手に本日の衣装の入ったケースを持った彼が出て行こうとする所だった。
 壁掛け時計を見ると、まだ七時。ここから会場までは確か電車で一時間もかからない。女性側ならともかく、男性側がそんなに準備に手間取るとは思えないし、何か他にあるのかと尋ねると、「迎えに来てくれるって、さっき連絡が…」と言い難そうに答えてくれた。不機嫌を繕えない自分と一緒にいたくないから、と言われなかった事に安堵する反面、確りとこの人を持って行こうとする相手のやり方に不快にもなる。

「悪いな」
「いや、もういいから。気をつけて行ってこい」
「…ああ」

 トン、と肩を叩いてエールを送ってやると、幾分かホッとしたように彼は笑った。

「コーヒーついでに、ココアも入れたから、さ」

 鼻先に香る匂いに恋人の気遣いを感じて、少しだけ苦笑してしまう。普段の彼は、このようなご機嫌を伺うような真似はしてくれないから、余程こっちを気にしてくれているんだな、と思う。促されるようにテーブルに付くと、逆に彼は忘れ物でもあったのか、急いで寝室へ舞い戻った後、―「行って来る」との声とともに玄関ベルを鳴らしてきた人間と家を出て行った。



「ちぇー…」

 一人取り残された家の中。
 甘い飲み物をゆっくりと口へと運んでも苦々しい思いはなかなか消えず、しん…とした空気をやけに重たく感じてしまう。
 彼が帰ってくるであろう夜の間までを、鬱々とした気分でいるのは勿体ない。…とは思うものの、今日の為に自分は他の予定は何も入れていなかったから、特にする事もしたい事も考えつかず、それならば誰の目にも付かない自分だけの場所に籠ってしまおうと、寝室へ向った。

 昨夜の名残を如実に示すシーツだの散らかった衣類やゴミには出来るだけ目を向けず、この始末は帰って来る彼にやらせようと心に決める。そう、何時間後かには「帰って」くるのだ。よもや、そのまま泊まりに行ってしまう事はない―筈だ。新郎が、式の後を抜け出すなどと普通は聞かないが、彼が滞りなく大役を遂行出来れば彼の周りにいる人間は彼が抜けても文句は言いまい。それに、大体にして…。

「文句言いたいのはこっちだってぇの…」

 呟いて、自分の為に誂えられた扉をそっと押した。


***


「まさか工藤くんがなぁ」

 ニコニコと黒地のスーツに白いネクタイを締め、トレードマークの帽子も黒にした目暮警部が笑いながらそう言った。
 ガヤガヤと人の姿が多くなって来た会場の入り口。
 本日の段取りを確認する集団の中の一人が着替えを終えた工藤の姿を見つけて、男ばかりの談笑の中に今日の主役を引っ張り込んでいた。女性陣に囲まれて揶揄われるよりは大分マシだなと若者は素直にその中に身を置く。

「いやぁ、よく似合っとるじゃーないか!優作くんが見たら喜びそうだな!」
「はは…、服に着られてるぞ、って笑われるのが関の山ですよ」
「なんのなんの、格好良いぞ、工藤くん。そう思うだろう?白鳥くんも」
「ええ。学生服や、黒やグレー系のスーツばかり見てましたが、白もなかなかですね」
「汚してしまいそうで、着替えてからは水も飲めませんよ」
「ああ。それは…」

 似合うね、これなら花嫁の隣にいても相応しいな、などと感心してくれる年配者に、お褒めに預かり光栄です、と苦笑しながら頭を下げる本日の主役の片割れである工藤新一。全身に纏う白地の服は、今日のこれからの会場で男性では彼にだけ許された色だ。

「…そろそろ、時間かね?」
「―では、後ほど」

目暮がそっと袖をずらして腕時計を確認したのを汐に、工藤はその場の者達に一礼した。背筋の伸びた綺麗な仕草に、年配者達も、襟を正すかのように軽く頭を下げた。

「よろしくお願いします」
「―ああ」


***


 十字架が見下ろす祭壇ーその前に立つ聖職者を見遣りながら、工藤はふぅと息を吐く。ここはまだ前座だというのに、場所が場所だけに、静謐な空気を重たく感じて胸の奥がざわついて仕方なかった。理由はあまりに簡単で、今朝方、家に置いて来てしまった男の事が引っ掛かっているのだ。もっと責められるか、下手をすれば監禁でもされるかな、と考えていただけに、妙に物わかりの良い態度を思い返せばちくちくと胸の奥あたりが痛んだ。
 祭壇に飾られている神様という人は、そんな工藤が抱える罪悪感や隠し事を見抜いているのだろうか、とふと思う。

「工藤くん、大丈夫かね?」

 小声で聞いて来たのは、媒酌人としてベストマンをも務める事になった目暮だった。先程はいつもの余裕ある顔つきで談笑していた彼も、さすがに緊張しているのかと心配げだ。

「ええ。…いえ、やはり少し緊張しますね」

完全に否定することもないな、と素直に答える。そうしてから、「でも、大丈夫です」と慮る視線に少し笑いかけた。

「…手順はちゃんと覚えてますよ」

―小さな声を遮るように、オルガン演奏が始まった。

 入場してくる花嫁。ヴェールの下に美しい顔を隠しながら、ゆっくりと祭壇に向って歩いて来る。彼女の入場を工藤はじっと見守った。それは他の参列者も同じで、ほぅ…と列席の合間から漏れ聞える感嘆の溜め息。しかし、それが花嫁の美しさに対するものか、はたまた彼女を見つめ、青き慧眼を光らせ毅然と立つ工藤に対するものかは判断がつかない。幾ばくかして、新婦の後ろでゆっくりと扉が閉められた。
 そうして、祭壇前の神の使徒、誓いを立てにきた新婦・新郎、それを見守り祝福する列席者。全ての持ち場が埋まり―賛美歌が会場の中に響き出した。

(順調、だな)

 片耳にかけた小さなイヤホンには異常はない。
 やはり、問題はこの後の披露宴になるのだろう。一体どんな余興が飛び出して来るものやら。
 挙式開始の宣言を終え、誓いの言葉・指輪の交換は難なく済ませた。結婚証明書のサインをする時は、やはりその紙面に大いなる違和感を覚えたが、事情が事情なので仕方ない。求められる場所に記名をすれば、聖職者がそれを確認して頷いた。

 そして、落される暗幕。

 そっと消される室内灯。
 
 教会の頭上一部のステンドグラスを残して、明るい外界の光が遮断された。
 昼間の時間の挙式は、このように人為的に暗闇を作ってユニティーキャンドルの火を灯させるのが、この教会のやり方なのだそうだ。初めに説明を受けた時は、暗くする必要があるのかと、明るいままで良いのでは?と提案もした。だが、やらない方が不自然だと言われて渋々了承することになった。
 暗闇の中、新郎と新婦が灯したキャンドルだけが仄かに明るい。頭上から降りて来るステンドグラス越しの明かりは、暗闇に幻想的な雰囲気を落すだけだ。

 工藤の前では、聖職者が神の愛と隣人の愛を説いている。聞くとも無しに耳に入って来る言葉の羅列。昔の神の使徒が書いたという聖書を、解り易く噛み砕いて教えてくれているようだが、かれこれ10分ほど話は続いていて、段々と眠気が湧いて来た。
(校長センセーの話みてぇ…長くねーか)
 そっと隣に立つ美しき花嫁に目を向けたが、神妙に聞いているようだ。
 工藤は、(信者って、こういう催眠状態っぽい感じにされて、信者になるかもなぁ)などとどうでも良い教会効果について考えてみる。そうでもしないと欠伸の一つも出てきそうだった。大体、昨夜の閨事のせいで工藤はとかく睡眠不足だったりしたのだ。

「―では、誓いのキスを」

 なので、聖職者の目と、そう話の矛先とを向けられた工藤は、思わず目をぱちぱちさせて―反応が遅れてしまった。

「新郎、誓いのキスを」
「は、はい」

 再度そう言われ、工藤は慌てて、既に工藤に身体を向けている新婦に向き合う。口許をブーケで隠し、目元で笑っている花嫁に、気恥ずかしくなった。
 それをどう取ったのか、列席者のいる方向から「照れてるー!新郎クン!」と揶揄する声が飛んで来た。勘弁してください、と内心で焦る工藤だ。
 とにかく、この式は、神の前で永久の愛を言葉と指輪と文字で誓い、その後神の使者である聖職者の話を受け入れ、それに沿う形で口付けを交わし、それを確認した聖職者が「結婚成立」を宣言しなければ終わらないのだ。

「失礼します…」

 口許だけで囁いた言葉は、花嫁以外には聞えまい。そっとブーケを持つ手に工藤自身の手を添えて、ゆっくりと顔を傾けようとした―その時だった。

― カシャン

 頭上から聞こえた異音に、ざわめきが起こる。
― その数瞬後。

「!?」
「え!?」
「おい、キャンドルが消えたぞ!」
「なんで、上(ステンドグラス)まで真っ暗に?」

 小さく金属の擦れるような音がしたのを、工藤は聞き逃さなかった。仄かな幻惑的な薄明かりがすぅと消え、次いで、次々と、祭壇前の蝋燭の火が消えて行くのが見えた。
―落ちる暗闇。

 そして、聞いた覚えのあるフレーズが、教会の中に高らかに響いた。

「レディース…アンド、ジェントルメーン!」

(嘘だろ…)
 ぽぅ、ぽぅ、と白い光が教会の天井付近で光り出し(―鳩、に塗料か?)、バッと空中に浮く白いマントとシルクハット。しかし、それらは地に落ちる事無く、教会にいる者達の頭上を舞うばかりだ(…鳩に吊らせてる?いや、ラジコン?)。

「な、何ぃ!?」
「キッド!?」
「怪盗キッドじゃないの?!」

 騒然となる参列者たち。
 おい、今日って二課も来てたか?!と現状確認する声が飛ぶ。

「ここに、キッドの予告なんてあったのか!?」

 誰かが叫んだある意味もっともな疑問に、突如、教会の祭壇ー不敬にもそこに祭られている巨大な十字架に腰をかけた怪盗が、あっさりと答えた。

「ありませんよ。大体、私は今日は盗みに来た訳ではありません」
「何だとぉ!?」

 現場責任者である目暮が、怪盗の対話に出た。

「では、一体、何が目的だと言うのかね!」
「返してもらいに来たのですよ」
「…返す?怪盗に、我々が?」

 目暮は、怪盗を見上げながら、首を傾げた。
 大体にして、まんまと盗んだ宝石だのを返してくるのはこの怪盗の方ではなかったか。それに、返却先だって、一課じゃなくてニ課だのあの怪盗キッド追い掛け番の警部や警察高官の息子である探偵の所だろう。
怪訝な顔をする目暮に対し、同じく怪盗を見上げていた花嫁が「あ!」と声を上げた。

「警部!あのキッド、いつもの白いジャケットを着ていません!」
「何だと、佐藤くん!…本当だ、マントはひらひら浮いてるが、…いつもと格好が違うな」

(やっべー)

「先日の私のショウの際、まんまと私の服を奪って行った探偵がいましてね」
「…探偵って」
「おいおい、そりゃあ…」
「警察に届けられているのかと思えば、…まさか探偵ご自身がご利用中とは!」
「…くくくく、工藤くん?」
「この間の衣装合わせの時と違うなぁって思ってはいたけど、まさか…?」

 驚愕と疑惑の目を向けられた探偵は、これはもう観念するしかないな、と彼が秘めていた真実を語り出した。

「あの、家で今日の所持品の確認をしていた時にですね、うっかり、その…コーヒーを零してしまって…」
「「「……」」」
「染み抜きは無理そうでしたし、朝早かったので貸衣装屋も開いていない…ここは教会のみで代替品も置いてないと聞いてましたし」

 まさか、まさか。
 新郎新婦の友人知人ご親戚に変装した警察官ばかりが占める教会に、大きな衝撃が走った。

「いやいや、だからって、おいおい工藤くん…?」
「ウソだろう、工藤くん…?」

 我ら警察の救世主とも呼ばれる名探偵の凶行。

「どうしようかと思ったとき、丁度白い服があったなって、思い出して」
「え、思い出すタイミングおかしいわよ!工藤君!?」
「…あの、先日のキッドの現場の後、騒乱に乗じた傷害事件があったじゃないですか」
「あ!ちょうど現場近くでキッドを追ってた工藤くんが怪我人を助けて…で、犯人を追い掛けて…私たちに連絡を…」
「ええ。そこで、僕は一旦手に入れた怪盗の服を物陰に隠しておいたんです。あっさり彼に取り返されても困りますしね」
「それで…」
「その後も事件が立て続けにあったので、僕自身、忘れていたんですが」
「いや、着る前に証拠保存をしてくれないと!」

 もっともな言い分をぶつけられ、チィッと舌打ちしたくなるのを堪えながら、工藤は精一杯の「申し訳ありません」という顔をして続けた。

「それが、念のため検分しても毛髪一つ付いていませんでしたし、妙な仕掛けも見当たらず、ああコレは彼ー怪盗キッドが着なければただの服なんだと思ってしまって…」

 粛々と項垂れ、「そもそも僕が今日の大事な服を駄目にしたことが一番いけなかったのですが…」と今まで見せた事が無い程の年相応のしゅんとした様子を見せる工藤新一。年配者が多いその場で、一人叱られている若者の図。
その姿に、本日彼の伴侶役をしていた佐藤が、一番最初に追求の手を緩めた。

「…工藤くんが見ても「普通の服」だったなら仕方ないかもね」
「今日のお役は、いつもお世話になっている高木さんから預かったものですし。穴はあけられない、と思って…」
「そうか。怪盗の衣装云々よりも、今日の予告された犯行を防ごうと…」

 うん、じゃあ、仕方ない。…かな?

―満場一致の結論は、工藤新一の華麗なる猫かぶりによって見事導き出された。
 その様を上から見下ろしていた怪盗は、ジャケットが無いせいではない寒気に身震いする。大事な約束の日に、突然の予定を割り込ませ、あげく怪盗がとても大事にしている初代怪盗から引き継いだ服を奪っていった数々の蛮行を復讐しに来たというのに。精々味方の筈の警察関係者から白い目で見られればいい、と思ったが、怪盗が最後の情けでかけた『今朝方怪盗の秘密部屋から奪っていった服』ではなく『先日の犯行時に無くなった服』という逃げ道部分を完全に利用しきって追求を逃れたのだ。

―警察も、いくらなんでもこの探偵に甘過ぎだろ。

 寒気が通り過ぎると、やはり彼とー彼を受容し頼りにする組織に対して怒りの熱がぶり返す。
 意外と埃の溜まっていた十字架から腰を上げて、軽くぱんぱんと埃を払いながら怪盗は立ち上がる。
 ―ぱちん、と指を鳴らした。
 バババ…っと大きくなった羽音に、教会にいる一同が再び彼を見上げた。

「それで…探偵殿の弁明ショウは終わりですかー?」
「キッド!悪いけどジャケットは諦めて!」
「いえいえ、いくらお美しい花嫁さんの頼みでも、それは出来かねますね」
「おい、中森警部には連絡したのか!?」
「いいえ、それが携帯の電波が悪く、外部と連絡がつきません!」
「悪いな、キッド。次の犯行の時にでも手錠付きで返しに行ってやるから、さ?」
「ご冗談を。今直ぐお返し頂きます」

 ポーカーフェイスの裏にある怒りにとっくに気付いているだろう探偵は、怪盗の冷静で有無を言わさぬ言葉に身構えた。
(今更遅ぇよ。覚悟しろ)

―ぱちん

 再び、指を鳴らす。と、同時に怪盗の周りに集まる白い光の玉ー。その中で揺れていたマントを掴んで、怪盗は祭壇前に飛び降りた。

「貴方が私の服を脱がないのなら、貴方共々頂いて行くまで」

 朗々とした声でそう宣言し、ファサ…と怪盗は探偵を巻き込みながらマントを大きく翻して―

「工藤くん!?」

― ボン 

「―うああぁ、目が!」
「きゃ、まぶしっ」
「閃光弾か!」

 周りの人間が、探偵を守ろうと怪盗に飛びつく前に、彼らの眼を眩ませる眩い光。白くなった視界を正常に戻そうと瞬きを繰り返して、漸く探偵の方を見たが、時既に遅し。

「しまった!工藤くんがいない!」
「なんて事だ!」

 まんまと怪盗はその場から探偵付きの白い衣装を取り戻し、いずこかへと去って行ってしまっていたのであった。


***


 自分の考えを整理したり、発想の転換を計りたい時―あるいは、もう一人の己になる準備をする時に訪れる秘密の小部屋。
 それは黒羽快斗だけの場所だ。

―しかし、その場所に、あるべきものが無いことを知る。

「…嘘だろ!?」

 愕然とすると同時に、瞬時にそんな所業をした人物が脳裏に浮かんだ。
(何、考えてやがんだよ!?)
 黒羽快斗が、その全てを暴かれてもあるいは晒しても構わないと思ったのは唯一彼だけだ。この部屋に招いた事は流石に無かったけれど、いつだって彼が望むのなら全部差し出しても良かった。勿論、密かに此所へ入り込んでいたって、彼が全てを知った上で笑ってくれるなら、それだけで良い。
 だが。

「あり得ねぇ…。さーすがに、コレは…いくらオレでも…『貸し』にはしてやれねぇな!」

 走り書きのメモを見つけ、ああ成る程ね、と我ながら酷く冷えた声が出た。
 それからクシャっとソレを握り潰した。

「ゼッテー、取り戻す…!」

燻っていた怒りに再び火がつくのは至極、当然のことだった。


***



「バッカ!どーすんだよ!?これからが本番だったのに!」
「はぁ?これから?ああ、佐藤刑事と誓いのキスするトコだったもんな、へー、それが本番なんだー?ふーん」

 怪盗が探偵を降ろしたのは、教会の屋根だった。教会正面の三角形部分と十字架により、彼らのいる場所は下から見えない位置である。それでなくとも、居なくなった人間を捜して教会の外へ出て来た人々の目は、彼らがいる方とは全く逆の空を飛んで行く白いダミー人形を追っているので、そうそう気付かれる事もなさそうだった。
しかし、事態は悪化していると探偵は顔を青くするばかりだ。
(やべぇ…これじゃ、この式が偽装だって犯人にバレる…!?)
 中で起こっていた電波妨害用の品らしい小型のアンテナを次々片付けて行く怪盗の背中を蹴り付けたい衝動を抑えながら、探偵はどうしてくれるんだ!と怒りを込めて問い詰めた。

「どーもしねーよ。式は中止!」
「ふざけんな!犯行予告は『観衆の前で血塗れのショウを』だったんだ!だから教会から出てライスシャワーとかブーケトスの時か、あるいは披露宴で、ってのが一番あやしいって―」
「…それを何で一般人のオメーがやるんだよ」
「だから、それは」
「危険だって解ってるのに」
「それは、もう話しただろ?!オメーだって呑んだ筈だ」

 話した、どころか。
 かれこれ何度目かのデートの約束をご破算にする詫びも込めて、昨夜散々に『ご奉仕』だってして来たのだ。先約を破って要求を通したいのなら、『オレが新一のおねだりに負けたら、この件は不問にするから、身体で口説き落としてみろよ』と言われ、散々に恥ずかしい思いをさせられたのに。今朝だって、身体に残る痕の始末をするのが大変だった。

「…そうだったな。でも納得はしねぇって言っただろ」
「だったら!」

 不貞腐れた様子の怪盗ー恋人である黒羽快斗に、工藤はこれは約束違反だと主張しようとした。―が。
 黒羽がちろり、と異様に冷めた目で工藤を見返す。
―主に、工藤がいまだ着ている白い服をジッと見る。

「でもな?」
「……」
「オレの服持ってくっておかしいだろ!!」
「……えーと」

 ぎこちなく、工藤は黒羽から顔を背けた。
 そも原因は、工藤の足腰にダメージを遺したこの恋人にだってその一端はあるのだ、と主張したい工藤であるが。
 いや、しかし。
―本日この式で綺麗に着なければならない衣装が皺にならない様、キッチンと居間の間の付け鴨居に吊っておいたのだが、まさかまさか、その衣装に向って眠気覚ましのコーヒーをぶちまけてしまったのは確かに工藤の不覚だったと言えよう。
 その後、どうしたものかと悩む間もなく警察からの迎えは来そうだったし、足がよろけたのは、絶対に恋人のせいだ!という確信もあり…。キッチンの傍に貼られていた黒羽家の家族写真を目にした工藤が、あ、そういえば確かこの家には白い衣装が有った筈だと思い出したのだ。彼の父親が遺した品では、おそらくサイズが合わない様に思ったし、探偵と怪盗の体格が殆ど差がないは解っている。―という事で、こっそり拝借したのだった。『悪い、借りる』というメモ如きは一応残して来たが、それは、まぁ余計な怒りを買った(売った?)だけのようだ。

「いっくら何でも無いわ。新一見送った後、部屋行ってビックリだぜ?オメーなんてことしてくれてんの?」
「えー…、それは、…悪かった、かな?」
「悪過ぎだろーが!ったく、こういうのはしねーつもりだったのに」
「…?」

 怒りを含んだーそれでいて酷く呆れを混じらせて、吐き捨てる様にそう言った黒羽は、一体なんだと怪訝な顔をする工藤に、教会の屋根中央ーちょうどステンドグラスの上に被せた黒い布を―中に何かを包んだまま―「これだ」と言って指し示した。

「証拠品になると思うから、見ても良いけど揺らすなよ。ちょっと待ってろ」
「…さっき中で聞えた変な音は、コレがガラスにぶつかった音か」
 
 黒い布を慎重にめくれば、昨今、巷で宜しくない行いをしていると批判されている空飛ぶ玩具ードローンが一機。黒羽は、手早く先程の小型のアンテナを今度はカチャカチャと組み合わせて、ソレが嵌り込むような台座を作って、そこに機体を乗せた。

「死角を狙って飛ばそうとしたんだろうな。どうせ警察は、逆上した犯人が直接手を下しに行くんだと思って、ああいう警備体制だったんだろうが。甘ぇよ」
「いや、念のため、外にも車で不審人物が居ないかチェックする体勢を敷いてた筈だぜ」
「態勢が敷かれる前に潜ませてたんだろうよ。大分熱烈なストーカーだったみてぇだし?オレがここに飛んで来たから、気付けたんだ」

 ドローンの機体上部には細工が施され、中に赤い液体の入った薄いガラスケースが設置されていた。これが犯人の仕掛けだというなら、これを新郎新婦が教会を出た後に落すだけで、確かに予告通りの事が起こせていたに違いなかった。
 工藤は、式用の手袋をさっと嵌め直して、台座ごと機体を手にする。ゆっくりゆっくり―中の液体を揺らしてみた。妙に粘性があり、赤い―赤黒い、ように見える。

「…なぁ、これ、中身は…」
「少なくとも絵の具じゃねーな」

 劇物か薬物かーはたまた、『血塗れ』の言葉通りのモノであるのか。
 確認するには鑑識の力が必要になるだろう。

「…で、操縦者は?」
「オレと工藤のデートを邪魔した祝100人目の犯人ってことで、盛大に飾ってやった」

 カツン、と白い靴が叩いた先はステンドグラス。教会内に不可思議な光を落していた、ちょうど工藤の両手の指先と指先を合わせた腕で作った囲い分程度の大きさがある楕円の天井窓。
 工藤は目を凝らしてそこから中を覗き込んで絶句する。

 扉を開き、暗幕も除けられ明かりの回復した教会内部の中央。
―そこには、両腕を祭壇の十字架に広げる形で固定され、足首からワイヤーで天井から吊り下げられた男が、滑稽な姿を警察関係者に晒していた。下衣だけは適当に纏わせて後は裸にしてある。思い切って遥か昔に磔にされた神をオマージュし、黒羽にとっての重罪人を逆さ磔に見立てたのだ。
 何て罰当たりな真似を、と工藤は黒羽を軽く睨むが、視線の先の彼の様子に言葉は出なかった。

 目を細めー全くその奥の光は冴え冴えとして恐ろしいくらい冷たい光を帯びていてー怪盗がショウの最中に観衆に見せる時より余程ニヒルに口の端がつり上がった嗤いは、紳士とは言い難い、いっそ下卑た雰囲気すら醸している。

「探偵のテリトリー侵犯はしたくなかったんだけど、さ」

 怪盗の衣装を勝手に持って行った探偵への意趣返しは、始めは悪戯心のほうが勝っていた。せっかくの恋人の正装もやはり見たかったし。それが、白い翼で降り立ったここであんなものを見つけてしまったものだから。
―あの白い衣装が血塗れになる?
―しかも自分自身よりも余程大切な人が着ているそれが?
 そう考えただけでもう駄目だった。

「悪いが、今後は遠慮しねぇよ。旧態依然の遣り方で、日々進化し的確に犯罪に応用される技術に対応出来ない集まりに、オメーを混ざらせるのは後悔しか生まねぇって確信した」
「快斗…」
「オメーが鳴いて強請って頼んだって、オレとの約束は破らせないし、横槍は全部阻止するし、なんなら、その為だったらオメーより先に犯人見つけて締め上げる」

 事件優先の恋人を、そういう人だからこそ惚れているのだと無理矢理自分を納得させて、疲れた彼が己の腕に帰って来てくれるのなら、と全部許して来たのが、彼を取り巻く警察並みに甘過ぎたのだ。
 怪盗に探偵役を許すような遣り方では、今後もどんな危険に恋人が見舞われるものか解ったもんじゃない。
―独占欲の強い黒羽は、工藤が彼自身への傷を許すのも、本当は許す事が出来ない人間だった。

 工藤が黒羽の発言の意図を察し、物騒な気配を纏って行くのを、(あー、やっぱ怒るよなぁ)と思いながら見つめて、そうして今度は…ー優しく優しく微笑みながら小さく囁いた。


「オレだって、怒ってるんだ」





げきおこプンプン怪盗キッド!






リクエスト:本気で喧嘩っぷる快新。

本気で喧嘩するとしたら、やはりお互いが大事だからかなぁ、と。しかし、それがあまりにも快新的で、具体的な話に繋げるのが難しく結果このようなフワっと感にまみれた話になりました。
頂きましたリクエストは私には難しかったです、すいません!



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