◆幽霊洞窟の怪 *後編◆



洞窟の入口から、まだ外の光が届く場所での現場確認の最中。
磁石は利くし思いの外電波障害もなさそうだと、洞窟の内と外―足場の悪さから洞窟からやや離れた場所に停めたビートルに乗せた通信機と、あれこれ遣り取りをしていた。
そこに顕れた一人の男。

『キミ達、ここで何をしているんだい?』

青い上下の作業着にヘルメットという出で立ち。一見すると電気工事関係者のようだった。
その場の最年長者である工藤が、まず相手の身分提示を求める。
【立入禁止】と書かれた区域に未成年者がいることを見咎めた人間か、はたまた草木の生い茂る山の上に鉄塔が見えたから、その工事関係者かで対応も変わろうというものだ。突然洞窟に入ってきた男の声音が、叱責を含むものではなかったように感じたのも大きい。
工藤に「あなたは?」と問い返された男は、え?という顔をした後、簡単に胸ポケットのIDを指し示して、近くで工事してる者なんだけどね、と答えを返す。それならば、適当にこの場をやり過ごそう考えた工藤は、奥へ隠れに行こうとする子供達へ『ほら、何もないだろ?出るぞー』と声をかけようとした。

その、瞬間だった。

―突然足元と岩肌の天井が揺れた。

ハッとして工藤と男は、歪な音を上げだした場所を見上げた。
皹は光の在る方向から入ってきている―出入り口が崩れる、ならば早く外へ出なければ。
しかし、子供達のいる場所は―、工藤は咄嗟の判断で脱出を諦め危険回避を選んで『歩美!光彦!元太!奥へ走れ!』と叫んで駆け出した。

元太が素早く歩美を抱えて走る後を光彦が追い、更にその後に工藤が続くという形になった。しかし途中で光彦が足を縺れさせかけたから、工藤はその小柄な身体を素早く抱え上げ、天井に太い梁の入っている場所目掛け奥へと身体を投げだす。そこで工藤の目の端に、歩美をぎゅうと抱え込んで落下してきた瓦礫から守ろうとする元太が写った。
―『元太!』
外からの光が失われ、暗闇に幼い悲鳴があがった。
工藤は戦慄し、ウオッチライトを瞬時に点灯させ状況を把握しようとして、どぅ・・・と崩落の音がすぐ傍で上がったのを聞いた。
『―!』
目の前には土煙が上がっているのか、ライトの照射が全く意味を成さない。
『元太!歩美ー!』
叫べば、もうもうとしたザラつく空気が口に入る。
『返事しろ!おい!』
だが、構わずに工藤は再び呼びかけた。
『元太くん!歩美ちゃん!』
光彦もまた仲間の姿を求め大声を上げる。

そうして、がらん、ごろん・・・と響く音が止んで聞こえてきたのは、二人の子供のモノとは違う男の声だった。

『大丈夫ですよ』

『?!・・・誰、ですかぁ?』

光彦が驚きと不審に満ちた声を上げる。
工藤は、声のした方にライトを向けた。

『あのね、歩美も元太くんも、平気だよ!』
『おう、光彦も無事かぁ?』

大きな子供と、その一回り以上小さな子供をひょいと抱えた大人の姿―は、なんと。

『怪盗キッド?!』
『どうも・・・初めまして?になりますかね。日本警察のジョーカー、工藤新一、名探偵?』

てっきり先ほどの青いツナギの男が出てくるのかと思っていたら、出てきたのは白い衣装を身に纏った男だった。

『ええ?!なんで怪盗キッドがっ』
『光彦くん、あのね、元太くんの上に岩が落ちてきそうになった時に、大きい布がふわぁって、歩美たちの上に掛かって』
『歩美抱えたまんま、俺の身体もふわーって浮いてさ。これ被ってろって・・・なんだぁ?これ』
『・・・ズボンだな』

工藤がウオッチライトを当てて見れば、歩美が持っているのは青い上着、頭にはサイズの大きなヘルメット。元太が持っているのは同色のズボンで、足を入れる一番広い穴に頭の先が引っ掛かって脚の部分が肩に掛かっていた。
子供達を落下物から守ろうと変装を解いて助けてくれたものらしい、と分かった。

『咄嗟の事でしたので、こうするしかなかったんですよ』

あの男が居た位置からなら、彼だけ外へ逃げることも出来ただろうに。
工藤は怪盗の行動に少しだけ肩を竦めて、だが呆れではない深い感謝の言葉を口にした。

『ありがとう。助かった、キッド』
『・・・・・・いえ』

すっと白いシルクハットのつばを目深に被りなおして、怪盗もまた肩を竦め、ではどうしますか?と探偵団と名探偵に問いかけた。

―そこで一時的な協力体制を作り、暗い洞窟を進むことになったのだった。


***


「貴方は行かないのですか?名探偵」
「そうだな」

きっと子供達が駆け出した先の事務所には最低限の設備はあるだろう。
最悪通信機器が動かなくとも、避難所を兼ねているような場所ならば、救助が来るまで待機することも可能だ。
工藤はいまだ動かぬ怪盗を目に捉えて佇む。
先の見通しがつきそうな案配となれば、怪盗と探偵(団)との先行きなど手に手を取って明るい下界へなどとは有り得なかった。
探偵たる工藤は、コイツが退場するのも時間の問題かと考えながら、例えばここで捕まえるとしたら?―と、ついつい思考を巡らせてしまう。
何しろ神出鬼没、確保不能などと言わしめる獲物を前に考えるなという方が無理だ。

さりとてこの場においては、小さき者を助けた行動に感謝を示す為、何もしない、という行動を守るべきだろう。そもそも入口が崩れた時を境にして、携帯から探偵バッチと無線機器の類は使えなくなっていた。直前まで博士らと共に念入りに準備をしていたのに。弱い光の下で目視での確認しか出来なかったが、どうやら機械自体に砂埃が入って使用不可能になったのではなく、電波に異常が発生したようだった。洞窟の中と外で起こるノイズは『なかなか安定せんのう。鉱物がある山のせいかの』と博士が言っていた事と考え合わせれば、落盤が起こった時に、磁場を狂わせる岩でも露出したのかもしれない。
もし外部との連絡が取れるのならば、いっそこの山丸ごとに捕縛の網を広げて―と、ついつい始めてしまう思考を振り払うように首を軽く振ってから、探偵はそう言えば、と口を開いた。

「ココにオメーが居たってことは・・・」

道すがら考えていた推理を口にしようとして、その時ギィイと開いた扉の前から悲鳴がした。

「キャァアアアア」
「わああああああ」
「ぅあー!?」

三つの甲高い声。ハッとして見れば、転がったライトの中尻餅を付いている子供が三人。
一体何だと走りかけようとして、視界の悪さに足元が見えず転がっていた石に躓きかけた。

「名探偵!」
「っと」

後ろから同じく子供達へと駆け寄ろうとした怪盗が傾いた工藤の体を支えた。簡単に腰辺りを捕まれて、倒れそうだった体を引き止められる。

「気ぃつけろ」
「・・・ああ、ワリィ」

「ったく。危なっかしいのは変わってねぇのか」

怪盗から端的に飛ばされた注意に、一瞬工藤の身がすくむ。
しかし、先ほどまでの子供達の前で見せていた気障ったらしい態度とは別の、まるで親しい―あるいは対等な相手へ向けるぞんざいな言葉。
探偵は、怪盗から軽口に混じる気安い気遣いを感じた。まるで、かつて小さな身であった頃にした遣り取りを思わせるような。目の前の困窮者を放っておけない『ハートフル』さ。

「・・・名探偵?」
「わり」

怪盗は、くくっと笑いを零した工籐に訝しげな気配を向けた。
だが工籐はソレには何も応えずに、「どうした?大丈夫か?!」と小さき者達のほうへと駆け出し、ひとまず彼らを立たせる。

歩美、元太、光彦は我先にと彼らが目にしたモノを工籐に訴えた。

「あのねあのね、扉の向こうが光ってたの!」
「人の形みてーな大きさでよぉ」
「ゆらゆら変な動きを…!」

か細い光しかない闇の中、キィ・・・と鉄製の扉が軋む音が、奇妙なものを目撃したらしい子ども達の不安と恐怖を煽る。

「ヒッ!やややっぱり幽霊がいるんですよ!」
「うおぉマジかよ!?」
「いやー!」

甲高い声が洞穴に木霊する。
工籐は肩を竦め、「幽霊なんざ存在しねぇよ」と小さく呟いて子供たちの前に立つ。
砂利や踏み固められた泥道とは違う、玄関マット程度の狭く硬いアスファルト敷きの足元を確認して、無言のまま扉を開いた。確かに暗い部屋の中にボワッとした明りが揺れている。一体何だ、と工藤はむしろ明りが在るのを幸いと中へ進んだ。

(机、椅子、まぁ事務所・・・だろうなぁ・・・棚、物入れが多い)

部屋の隅々までは光は届いておらず、ぼんやりと輪郭から推測しながら奥へ進む。机の上をサッと見渡し、白い電話機があるのを確認した。―赤いランプが点滅している。

「く、工籐探偵・・・大丈夫ですかぁ?」

背後から大人の動きを心配げに見つめる気配と不安げな声音。

「平気だ」

「だ、そうですよ・・・お嬢さん、そろそろ手を離してください」
「駄目だもん!」
「一人で逃げようたってそうはいかねーぞ、キッド!」
「見逃してくださる約束だったでしょう?」

(なにやってんだか・・・)

怪盗を捕まえてやる!というよりも怪盗に縋っている小さな探偵達。振りほどかない実にハートフルな怪盗。大きな塊になった影を尻目に、探偵は受話器を上げた。

「わ!また!」
「・・・通電すると壁のライトが点灯する。それから」

ぐるりと部屋の中を見渡す。出入り口近くの壁際の棚上に工藤が手にしている電話機の子機があり、その小さな液晶画面が光っているのが見えた。その傍に歪な光を放つセンサーライト。子機が親機からの信号を受けるのと同じに光るようになっている。もしもの時に備え、手元を照らす為の仕掛けだろう。

「え?わかったんですか工籐探偵!?」
「で、ライトの前の位置に掛かっちまってる破れた…カレンダー?かな、その破れた隙間を通った明りが形を変えて」
「あ。ホント。上の方が光ってるー」
「向こう側の壁に照射して、変な形に見える、と」

工藤が受話器に耳を当てると、トーン信号の音が聞こえた。
ついでにチカチカしているランプを押してみるが、すぐにツーツーという音がする。ー安否を気遣うような留守電は入っていない。
―生きている、外部とのライン。
ならばやはり、先ほど子供らが見たのも、同じ光の形だったのだろう。しかし、と。工籐は首を傾げる。

「・・・音がしなかった?」

小さな物音に過敏だったはずだ。とりわけ、自分はかなり気を張っていた。おそらく、あの男も。
音も無くこの電話に連絡が入り、子供達が部屋を覗き込むのと同じタイミングで光った?

「外部と連絡がつきそうですか?」
「・・・あ、ああ」

面白がるような声音。
もう一度受話器に耳を当てる仕草をしながら、こっそりと探偵団バッチを確認する。
つい先ほどまで、ざぁざぁと無情な音を発するだけだったモノだ。

「本当ですか!助けを呼べるんですねっ」
「良かったぜー!なぁなぁ、俺気がついたんだけど、アイツが見た『幽霊』ってよぉ」
「あ!歩美も思った。きっとあの明りのせいだよね!」
「まさに幽霊見たり枯れ尾花…って事だったんですね」
「はぁ?かれ・・・カレンダーだろ、光彦」
「違うよ、元太くん」
「そういう意味じゃありませんよ」

光明の見えた状況に万歳!と喜ぶ子供達に、工籐は鋭く『探偵』として声を上げた。

「元太、光彦、歩美、キッドを捕まえろ!」

「え?」
「へ?」
「はい?」

躊躇は一瞬。
小学生にして、日本警察及び各界から名探偵と絶賛された彼の愛弟子とも言える彼らの行動は素早かった。
―しかし、怪盗の速さは洋々とその上を行く。

「あ、」
「きゃ」
「うわ、煙(けむ)ぃ」

暗がりの中を照らしていた小さな明りは、ポンと軽い爆発音の後に広がったもうもうとした煙に弾かれ、辺りを更に見えにくくする。
―煙幕。
ここでヘタに子供らを動かすのは危ないと判断した工籐は、素早く状況の回復の為の手立てを捜す。
(電話と連動して明りがつくなら、その光源のそばに―)
非常事態に備えるための機能ならば、という予測を裏切らず、丁度壁の明りの傍にある赤いボタン―非常電源を入れる。少し大きなモーター音がしてから数秒後、パッと広がる部屋の明り。
土埃で真っ黒になった顔を見合わせる少年探偵団。
彼らの様子に異常はないか目を走らせ、その無事を確認した工籐は、彼らに告げた。

「あの電話の内線を外線に切り替えて、外と連絡を取れ!探偵バッチでもいい、使えるはずだ!」

それから、単身、暗闇の中を駆け出す。
―白い姿の者を追って。



暗い道を微かな明りを頼りに走る。途中携帯のディスプレイを確認すれば、漢字二文字が消えていて通信可能を表すラインが復活していた。

ー安穏と探偵団と共に歩いていた姿。
ーシルクハットの奥でにぃと笑い、姿を消したあの行動。

「あんにゃろ、くっそ」

工籐にとって不本意な事に、身体は早々に軋み、息が上がっていく。
十分とは言えなくとも、そこそこ隣人達に強がりを言える程度には体力を戻していたと感じていたが、それが単なる過信でしかないモノだったと自覚した。
(ちくしょう)
それでも、足は止めない。
高揚する心が彼を動かしている。
彼がもう一つの名前に正体を隠していたときに、その仮初となる小さな身体を使い、時にその身を投げ出すような手を用いても捉えたかった白い翼を隠した獲物がこの先に居るのだ。

もっとも、彼が姿を消してから追いかけ出すのに既に3分足らず掛かっていた。
あのファントムの影は、とうに消えているかもしれない。
それでも、追うことを辞めるなど『キッド・キラー』という異名を付けられた事まである名探偵には到底出来る筈も無かった。

先ほど探偵団をけしかしけた瞬間から「一時休戦」という口約束は完全に無視した形になっていたが、工籐自身に約束破りという意識は低く、お人好しを気取っていたあの男は一体何をしたかったのか?それを、知りたくて仕方なかったのである。



***


洞窟内通路を使って赴く米花銅山山頂付近。
洞窟内の事務所とは別方向に伸びていた通路。
それは、かつてトロッコが走っていた痕跡が残るソコソコ幅の広い路になっていた。途中から上り坂になって、ある地点で下り路と狭い登り道とに分かれる。
―逃走するなら、当然下の―物資を運び山の下山口へ繋がる道だろう。
しかし、探偵は追う相手があの男という前提から登る道を選らんだ通路を進んだ。

森の木々の草葉を越えて聳える鉄塔が三本ほど並ぶ、米花町が見渡せる場所に出た。
まずは眼下の光景を見渡す。垂れ下り役目を終えた電線がぶら下がる電柱が山並に沿って街へ向かって下っている。同じく山の左手から空と陽の輝きを反射させている川が流れて遠目にもきらりきらりと眩しく見えた。
風は弱い。
白い翼が飛んでやしないと目を凝らした。―無い。

不意に正面から吹き抜けて行った風が、何かを揺らした気配を感じて、工籐は鉄塔へと目を移した。

果たして、そこには、白いマントをたなびかせる白い姿が停まっていた。

「鳥にしちゃでかいな。・・・やっぱここに居やがったか」
「意外に早かった・・・ですねぇ」

フムとワザとらしく覗き込んでいた丸い懐中時計をくるっと手の中から消失させながらの上方向から呟き落ちてくる声は、工籐の耳にもよく聞こえた。
実に、全く、ワザとらしく、感心してみせる声音にカチンときた工籐は、その気持ちのまま怪盗を文字通り睨み上げる。だが怪盗はニヤリと口元を歪めるだけ。とっくに探偵がやってきそうな場所から逃げ出せていたのに、待ってやっていた、と言わんばかりの態度。―実際その通り、なのだろう。
舌打ちしつつ、怪盗を追って鉄塔を登る腕力は現状の己には無いなと判断した工藤は、手をズボンのポケットに引っ掛け怪盗を振り仰ぐ姿勢を取った。

「なーんのつもりだったんだ?オメー」
「何が?でしょうか」
「はん、白々しいな。・・・ハートフルっつってたのは灰原のヤツだったが。怪盗にしちゃお人好し過ぎねーか?オメーが此所と外部を遮断してたんなら、いくらでも逃げるなり何なり出来ただろ」
「怪盗紳士たるもの、幼き子供に手を差し伸べるのは吝かではありませんよ」
「それは感謝してるっつの。その後だ。どう考えても、オメーが此処にきたのは今回が初めてじゃねぇ。ってことは、端から救助手段については解ってたってこった」

あの通路の奥に事務所があることも非常用の連絡手段や発電機があることも。
ーなにより、怪盗自身の逃げ道も。
情報だけを与えて、早々に姿を消していてもおかしくなかった。

「・・・それが?私の見た所、工藤探偵は以前新聞に「日本警察の救世主」と囃し書きたてられていた時の面影薄く、か弱き幼子と同じく扱うのが当然に思えたからですよ」
「なっ?!」
「ご自覚がないんですねぇ」

やれやれと肩を竦めて見せる怪盗に、探偵はカッとなる。
体力が戻りきっていないことはつい先ほど確認したことだ。

「うっせぇ」

とりあえずいくらか衝撃でも与えられないかと、工藤は彼のいる鉄塔を蹴ってみたが、足裏からジーンと痺れが登ってきただけだった。
ケケケと笑う声。
みるみる渋面になる工藤に、ふと笑う声を止めて、怪盗は静かに声を落としてきた。

「私がここにいたのは、少し、貴方にお尋ねしたい事があったからですよ」
「・・・なんだ」

顰め面のまま、工藤は問い返す。

「貴方が、江戸川コナンだったならー」
「・・・」
「真実を押し隠さねばならない相手の前に立つのは、どんな気分なのでしょうね?」
「・・・オメーが言ってる『真実』ってのが、俺自身についてのことなら、・・・今更だ。オメーの知ってる通り、江戸川コナンだった俺は、工藤新一だったんだからな」

だが、それを工藤は誰にも告げる気はない。ーだが、それは工藤だけの都合であって、怪盗には一切関係が無いのだと今更に気づいて内心で狼狽した。
洞窟の中で工藤と子供らの遣り取りを静観していた怪盗に、勝手に彼が探偵にとって不利なー弱みとも言える大きな秘密を言う訳は無い、と思っていた事に気づいたのだ。

「きっとあの女の子は、江戸川コナンくんとお別れした時に、泣いたんでしょう?」
「・・・てめぇ、何が言いたい」

脅迫でも企んでいるのかと工藤は猜疑の目を怪盗に向ける。
だが、怪盗はあくまでも淡々を問いを重ねてきた。

「それとも、これからは工藤新一が、少年探偵団のボスになるのですか?」
「黙れ」

それも面白そうですけどね、と薄く笑う台詞に、工藤は顰めた眉を吊り上げる。
工藤新一として、江戸川コナンの居ない世界に戻ること。
取り戻した工藤新一の世界に新たに加わる「江戸川コナン」を知る人間たち。
それが、元に戻った工藤にとって一体どんな存在になるのか、考えなかったわけではないのだ、工藤とて。しかし、頭に浮かぶ「コナンくん」「コナン―」「がきんちょ」「コナン!」・・・呼びかける子供たち、幼馴染の少女とその父親や友達、解毒剤を飲むときに意図的に排除していた彼らがコナンと別れるときの顔。

「うるせぇ」

もう一度そう呟いて、不意に脳裏に走った映像を振り払うため首を振り、そうして工藤は怪盗を睨みあげた。脅迫?取引?怪盗の問いの先にある某かの目的を計る事などどうでもいい。
考えなかったわけじゃない。
考えて、考えて、その先に選び採った真実。
工藤新一を取り戻そうと追い続けた江戸川コナンという己自身。

そして、探偵は断言する。

「オレは、コナンで工藤新一で、ついでにキッドキラーでもあるんだよ!」
「・・・ほう?」
「テメーがここに来たのは、次のショウの下準備。こっから仕掛けを施すためだな。この下の配電が活きてるなら、廃線になってる筈の電線が使いたい放題ってこったろ。大阪でやったみてーに、今度は東都でブラックアウトを起こす気か」
「・・・」
「かつてはこの銅山から偵無津川に資材や鉱物を送る為のルートがあったはずだ。丁度ここから偵無津川の河川敷越しに郷土博物館が見える。数日前の新聞に載ってたぜ。今度あそこで大規模な鉱石展が始まることになってるってな」
「・・・」
「そこにこの山に入っていった人間が幽霊を見たって変な話がきたからな。何かあるんじゃねーかと探りを入れたら、あの鈴木財閥が展示会に協賛してるって言うじゃねーか。ここでの仕込みが済んだら、次郎吉のおっさんか新聞社宛に『予告状』でも送りつける算段だったんだろ」
「・・・」


「・・・おい?」

自らの名を宣言し、怪盗がここに居ることへの推理を披露していた工藤は、睨んだ先に居る怪盗の様子にふと言葉を止めて怪訝な顔をした。



工藤が仰ぎ見たのは、白い服の中のタイの締められた青いシャツから伸びる首と顎の先。片方の白い手袋で顔を覆って、思い切り空に向かって顔を上げていた。
すわガスマスクを装着し、眼下にいる工藤に向かって催涙ガスの類でも巻いてくるのかと身構える。
だが、違った。
怪盗はしばしそのままの姿勢で固まり、工藤がこれは様子がおかしいな?と構えを緩めたところで仰々しく上げていた顔をそのまま下へ向けた。工藤は首を傾げる。

「どうしたんだ、オメー」
「・・・」

それから下にいる工藤の耳にも届く程に大きな溜め息を吐いてー怪盗はマントからグライダーを出す事無く、鉄塔から軽々とその身を踊らせ、工藤の前に降り立ったのだった。


「全てを暴こうとする無粋な青き慧眼は相変わらず、と。本当に、貴方は貴方、なんですねぇ」
「はぁ?」

「・・・お久しぶりです、名探偵」

恭しく頭を垂れてお辞儀してみせる怪盗紳士。
それを目の前に工藤は先ほどまでとは全く違う戸惑いを覚え、目を瞬かせた。

「お、おう?つーか、さっきから」
「私が『工藤新一』に直接お会いするのは初めてです、がー」
「・・・」
「江戸川コナンであった過去を持つ『名探偵』には何度も辛酸を舐めさせられてきましたので。最近お姿が見えなくなって、どうしたのかと思っておりました」
「いや、え?」


「お久しぶりです。そして、初めまして。名探偵、工藤新一。お目にかかれて光栄です」


重ねて述べられた丁寧な挨拶に、工藤は只管困惑し固まるしかなかった。
今更何言ってやがんだ、バーロー。とか。だいたい怪盗が自分を追いつめる探偵相手に光栄って、嘗めてんのか、にゃろう。とか。
工藤の脳内でグルグル回る言葉は、どれも上手く出てこない。
だって、それはそうだろう。
探偵の目の前の怪盗は非常に紳士然としていて、その前で無粋な振る舞いをするのは憚れたし、そして何よりも。

怪盗は、とてもとても嬉しそうに笑っていたのだから。




***

「結局、怪盗には逃げられちまったのかー。だらしねーぜ?高校生探偵!」

遠慮のない子供の言葉は、高校生探偵の耳に大層痛かった。
いっそ聞こえないふりでも決め込むか、と工藤が思った所で探偵を擁護する声が上がる。

「仕方ないですよ!工藤探偵は病み上がりという話でしたし。それに、」
「キッドさんも、工藤さんも、あたし達のこと助けてくれたんだよ!」

そうそう、と頷く光彦に「それに今回の謎はちゃんと解けたし、探偵団の仕事は完璧だもん」と続ける歩美。探偵への非難を嗜められ、元太は「わかってるって」と慌てて工藤に向かって「すんません…。あと、助けてくれて、あんがとな!」と謝罪と謝礼とを述べた。

「とにかく無事で良かったわ。大きな音がしたと思って博士と洞窟へ行ったら、大変なことになってたから」
「地元の消防と警察に連絡しようにも、電波が悪くなっておってのぅ。慌ててビートルで救助を頼める所に着いたら、そこに君らから電話がきて・・・いや、本当に驚いたわい」

すっかりと日の暮れた道を、乗車人数をオーバーしているビートルがのてのてと走っていく。

「ちゃんと緊急連絡先にかけたんだな」
「当然です!」
「つっても、電話機に書いてあった番号押しただけなんだけどな!」
「山の麓の管理事務所だったんだよね」

洞窟入り口付近の大きな梁が老朽化していた為に起きた崩落は、一見大きな災害が起こったような様相だったが、重機で大きな岩と梁をどかせば比較的簡単に補修出来そうな様子だった。それでも、人がその崩落に巻き込まれていたら無傷では済まないだろう。

「…工藤君の指示とはいえ、先にこっちに連絡をくれても良かったのに」
「哀ちゃん…心配かけてゴメンね。博士も、ゴメンなさい」
「無事だったら良いのよ。それに、そうすべきなのは、一番年長の彼のはずだし」

恨みがましいー拗ねた台詞だった事に気づいたクールな少女はそれを少し恥ずかしく思いながら、きっちり年長者の対し厳しく一言放った後、しゅんとしてしまった少女に小さく笑いかけた。

「…ぼくの監督不行き届きのせいで、ご迷惑をおかけしました…」

「歩美ちゃん!」「工藤くん!」「円谷くん!」…救助要請を博士に任せ、その場に残った灰原は彼女の大切な友人達の名前を呼び続け、その間懸命に探偵バッジや携帯への連絡を繋げようと手を動かしていた。逸る心に最悪の事態すらチラついて、呼びかける声も作業する手も震えるのを抑えるのを精一杯。不意に音を鳴らし振動を始めた携帯から連絡が入ってようやく震えは治まり、無事に洞窟から出てきた彼らを見て、やっと安堵の息を吐く事が出来たのだった。
あの探偵がついているのだから大丈夫、と思いたい反面で、その探偵の不安定さを把握していた主治医として不安は大きく、本当に心臓に悪い想いをさせられた。

「想定外の事態だったのだから、仕方ないこともあるわ」

悄然とした態度で後部座席に座る子供達に向かって頭を下る探偵に、灰原は(ああ、また…)と自省する。これでは先ほど少女に気を使わせてしまったのと同じだ。彼らのせいではない、と分かっていながらついつい八つ当たりのような言葉が出てしまうのは、安心して甘えているようなものだった。
これはいけない話題を変えようと、そういえば、とちょうど気になっていた事を口にする。

「もう一つの想定外の、あの白い怪盗さんはどうしたのかしら?」

子供達を連れて戻ってきた高校生探偵は、事後処理を行う救急隊や警察に事態の説明やらをしていたが、最後まで洞窟を同行していたもう一人については口にしなかった。事前に口裏を合わせていたらしい探偵団も同様に。

「工藤探偵が洞窟奥から山頂付近まで追い掛けたそうですが」
「私たちも追い掛けようかなって思ってたら、工藤さんが一人で戻ってきて」
「ま、今回は見逃してやるって約束してたしな!」

最後に怪盗を目撃した工藤ということだ。結局どうなったの?と前座席に座る工藤に水を向けると、どうしたことか探偵は「ああ…うーん…?」と口籠る。
どう伝えたら良いのかを悩んでいるというよりも、その中でまるで咀嚼出来ない何かを持て余しているかのような顰め面を横目に見た博士が、不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんじゃ?新一」
「いや。アイツは、・・・いつも通り飛んで逃げていったんだ。上からパラボナアンテナ積んだ車が走ってくのも見えたし、あそこで起こった電波妨害はアイツと仲間の仕業で間違いない」
「やっぱり・・・」

低く呟く灰原の声音に籠る「すぐに連絡が取れなかった恨み」に戦きつつ、博士はいやぁ大したモンじゃないか、と笑った。

「それじゃ、君たちが怪盗キッドの企みを阻止したということじゃろう?」
「幽霊を見に行って怪盗を追い払ったわけだから、スゴい事だろうな」

博士と工藤ーこの場の大人二人に褒められた小さな探偵達はえへへ、と満面の笑みを浮かべた。

「「「少年探偵団、大勝利!!」」」

とんだ災難に見舞われても元気なままの子供達に全くなぁと肩を竦めて苦笑して、工藤は車の窓に頭を凭れかけさせてそっと目を閉じた。

(ホント、何だったんだろな?)

脳裏に浮かぶ、優雅な一礼。
コナンだった頃によく見上げていたタチの悪い笑い、ではない。
やけに嬉しげな笑顔。
全くもって貌一つ、身の振る舞い一つで探偵の度肝を抜いてみせた怪盗は、去り行く時すら紳士ぶっていた。

『それではまた、名探偵。ー今度は淡い月の光の下でお会いしましょう』

(バーロ。なーにが「また」だ。今度は絶対ー)

探偵の真実を知っていて尚再戦を望むのなら、怪盗を掴む事の出来ない幻影のままにしておく事など出来る訳がない。江戸川コナンにとっても工藤新一にとっても、怪盗キッドは好敵手のままだ。

「捕まえてやる」

颯爽と風に乗って退場していった相手に言えなかった言葉を一つ、工藤は今更のようにそっと呟く。
その口元が微かに笑っていた事を知る者はいない。







***終



幽霊洞窟の怪(盗)






・怪盗と名探偵と探偵団
・工藤は江戸川
・探偵団と大きな名探偵のいる所じゃお得意工藤変装も出来ず敬語にならざるをえない怪盗キッドの複雑胸中
↑以前より書いてみたかった要素に重心が行ってしまい、肝心のリクエストして頂いた敬語キッドの方が付けたしのような内容になりましたこと深くお詫びいたします・・・。
本当にすいませんでした!
ただただ、楽しく書かせて頂きました。リクエストありがとうございました!

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