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06


テレビの画像が不意に切れたかのように一瞬パチパチと目の前の視界が途切れ、それからぐらり、ぐらぐらと視界がゆがむ。
視覚の揺れは急激な酔いを引き起こすような酷いもので、たまらず快斗は目を強く閉ざした。身体が引っ張られるような手足が無限に伸びていくような、いや逆に小さく丸められるような、世界の構造が変わっていくかのような感覚。
そして、次に目を開いた時。
快斗の前にあったのは、とても奇妙な光景だった。

「・・・なんだ、これ」

薄曇りの壁面から薄い光の射す快斗以外誰もいない閉鎖空間。空間は狭いようでいて、視界を巡らせば広がっているようでもあり、光がカーブを描くような曲面をしている事に気づけば、これは球体の中ではないかと想像がついた。いや、だから、何だというのだ。
先ほどまで快斗は、彼ではないような姿で恋人の傍にあったはずなのに。
あれ?と思い己の手をみる。五本の指。人の手。快斗自身の身体だった。

「元に戻った・・・?いや、でも、ここは」

もう一度、辺りを見渡す。
そして首を上へと向けたとき、快斗は球体をのぞき込んでいる目と、目があった。

「!おま、紅子だな!?」
「ホホホ、さすがね、黒羽快斗。怪盗キッドだけのことは
ありますわ」
「俺はキッドじゃねーって言ってんだろ!つぅかお前、俺に何した!?あと、どこだここ。出せ、戻せ!」
「あらあら、先ほど、光の魔神の説得をなし得た冷静沈着ぶりはどこかしら?」

快斗から見えるのは目だけだというのに、嘲笑している口元が見えるかのような揶揄する声。
クソっと苛立つままに睨めは、ぱちぱちと瞬きをした後、目のあった場所に映像が映し出された。

「新一!・・・と、あれ、犬・・・さっきの俺か!」

ソファに座っている新一の周りをウロウロ歩く黒い大型犬。ちょうどさっきまで快斗がみていた視界の高さと一致する生き物から、即座に状況を理解する。工藤邸のリビングを上から覗く映像だ。
しかし、これはどうしたことかと首を傾げた。快斗は自分自身の身体が、変化していくのを―変化してしまった後も、己の感覚として知覚していた。だが、今この変な空間にいる快斗も間違いなく快斗自身なのだ。

『快斗?おい、快斗!』
『おかしいわね・・・黒羽くん?』

映像から流れてくる会話に、ふと先ほどまでの自分自身を見やれば、落ち着きなくソファやテーブルの間を彷徨いている。
まるで、ただの犬のような。

「紅子、何しやがった」
「今宵は亡者の魂が彷徨いだす夜だと言ったでしょう。強い生にしがみつく魂を一つ、黒羽快斗の身体に押し込んでみただけのことですわ」
「魂だあ?!−犬のか。それで・・・。いや、でもあれは俺の身体だっただろ!なんで、イキナリ、ぁあ」

快斗が新一と言葉を交わし合おうとしたタイミングでの引き離し。
問題解決への明らかな妨害行為。

「お察しの通りですわ・・・。全く、犬の言葉を人語に変換する機械なんて非常識ですし、それではつまらないでしょう?」
「非常識はオメーだろーが!」
「さぁ、光の魔人はどうなさるかしら」

愉しげな声音だ。

「おい、コレ、いつ解けるんだ。ちゃんと戻れるんだよな?クラスメイトへのイタズラにしちゃ悪質すぎんだろ」
「かの怪盗が名探偵と賛辞する彼ならば、不可思議な謎を解くなどたやすいことではなくて?」
「謎ってもなぁ。非現実的解明不能なトリックでもなんでもねー謎ってのは、探偵の仕事じゃねぇんだぜ」
「でしたら、恋人の仕事と言い換えてもよろしくてよ」
「・・・?どういう」

ことだ、と問いただす前に、映像に異変が起きた。

『とにかく、元に戻す手段だよな』
『この異変を引き起こした人物をについて心当たりは?黒羽くん』
『快斗?』

犬はしっぽを振って歩き回っている。

『ばうばう』

『?快斗、そっちに何かあるのか』
『ホラ、言いたいことはコレに向かって言えばいいんじゃぞい?』
『黒羽くん?』

三人が不思議な顔で犬を見ている。犬は我関せずといった風にウロウロしている。
だぁああああああ!と快斗は頭を抱えた。
今、快斗の精神はこの妙な球体に閉じこめられているのだ。あの紅子の弁によるなら、快斗の身に起こったのは、彷徨う犬の魂を無理矢理押しつけられたが為の身体変化。身体は魂の入れ物であり乗り物だというなら、現在、あの犬の中にいる精神は犬のものに違いない。つまり完全に、犬、だ。
普通の犬があの高性能のバウリンガルで一体なにを喋り出すかと思うとドォンと頭が重くなった。

『ばうん』
『・・・【しっこ】・・・ってオメー。まぁ仕方ねぇか。でもトイレってもなぁ・・・。庭でいいか?あ、テラスの扉開けっ放しだ。・・・ほら』

新一が(快斗だと思っている)犬を促しながら窓辺へ向かう。大人しく後をついていく犬の姿に、家の中で粗相をしないで済みそうな事に胸を撫で下ろしながら、頼むからおかしな真似はしてくれるなと願うばかりの快斗である。
せっかく、あの犬が快斗だと信じてもらったというのに、その直後にやっぱり犬でした、などと言う事が知れたら、恋人はまた大混乱を起こすに違いない。

『レディの前よ、黒羽くん』
『まぁまぁ、哀くん。変換機が犬語を最適化しとるんじゃよ』

最適化。ついさっきまでは素晴らしい機械だったというのに。精神が肉体を離れている今、それが良いことなのか悪いことなのか快斗には判断がつかなかった。
とにかく一刻も早く元の姿に戻るのが一番手っとり早いだろう、という事だけは確実だ。

「なぁ!どうしろってんだよ!?」
「・・・あのコの求める想いを、光の魔人が汲み取って下されば、貴方もすぐに戻れますわ」

先ほどの揶揄する声音とは違った静かな口調に、快斗は睨む目を緩める。一体なんだ。

『わ、快斗!?』
『ばううう』

「新一!?」

映像が切り替わっていた。工藤邸のリビングではない、庭だ。
犬がぐいぐいと新一の服の袖を引っ張っている。
快斗が湯冷めや夜の冷えから恋人を守ろうと先日贈った秋物のガウン。薄手で軽いながらふかふかの手触りが心地よいと笑ってくれていた一品だ。

「わぁ!涎かけんな!噛むなよ!絶対ぇ新一噛みつくなよ!?」

向こうには聞こえていないとは思いながらも、耐えられずに快斗は叫ぶ。
当然聞こえていない向こう側では、犬が庭で拾った棒きれを新一へ押しつけようとしていた。

『??快斗、なに・・・ちょっと博士ー』
『なんじゃい、あまり夜に騒ぐでないぞ。新一も快斗くんも』
『博士、あれ、貸してくれ。バウリンガル』
『ん?さっきの鳴き声かの。・・・おや?』
『あ、出てるな。って【あそんで】だぁ?!そんな場合じゃねーだろ、快斗』

呆れる新一の目も気にせず、犬は再び同じ調子で吠えた。
首をひねりながらも、新一は犬から受け取った棒きれを庭の端っこに投げる。犬は大喜びでそれを追いかけた。
それから、犬が求めるままに、相手をし出す。
全く優しい恋人の姿に快斗は泣きたくなった。
ちょっと、そんな場合じゃないよ、新一さん?!と思わないでもなかったが。
複雑な快斗の心情などおかまいなしに、同じ映像を見ているらしい魔女がふっ・・・とため息とも笑いとも取れる息を吐いた。

「・・・深い悲しみにとらわれた子犬の魂。魔のモノへはなりたくないと言うのですもの。使い魔にしようにも、力はなく放っておけば闇に飲まれるだけ。今宵は魔が強い夜といったでしょう?避難場所ついでに、光の魔人ならあの子の魂を昇華できるのではないかと思ったのですわ」
「は・・・」
「もっとも、それはあくまでもついで。貴方へかけた魔法は最初に宣言したとおりの理由からですけれど。悪戯から逃れる方法は今朝方提示して差し上げましたのに」
「おい。だから、お菓子はオメーが巻き上げたんじゃねぇか!」
「母犬から早々に引き離され、新しい飼い主に慣れ始めたところでの黄泉への旅立ち。もっと遊びたかった、甘えたかった、あのコの求めはそんなモノですわ」

魂の昇華―要は、未練を無くして成仏させてやればいいということなのか。
綺麗で優しい新一の傍にいれば、きっと犬だろうが極悪人だろうが、改心して生まれ直すことぐらい簡単に決意してくれるだろう、と快斗は思った。だが、その間、快斗が傍にいられないのは納得がいかない。

「・・・やはりひれ伏すなら、人間の姿のままの方が愉しいですし。もっともこのまま本当に犬のままでも面白いとは思いますけど!・・・簡単な示唆ぐらいは与えてさし上げましてよ」

映像が再び切り替わる。
一頻り遊んで満足したのか。犬は満足そうに、全身を奮わせ、身体を伸ばしたり毛並みを整えたりしてる。
こんな秋の夜冷えしやすい時期に、大事な恋人を外の運動に引っ張り回すなどと!ムッと苛立ちも沸くが、紅子の言葉に、この状態からの開放のキーワードを感じ、じっと我慢する。

『ホラ、快斗。マジで犬化しちまう前に、あの魔女の事か、どうすれば直りそうか、考えねーと』
『もう本当に犬になってそうだけど・・・。夜中にお疲れさま、工藤くん』

【おもしろかった】との表示の後大人しくなった犬に、博士と新一が庭から戻ると、哀が呆れながら労いの言葉をかけてきた。

『不吉なこと言うなよ。どうせ、せっかくだからこの身体で遊んでみてーってやつだろ。おい、快斗』

犬の方を覗き込む新一の顔が見たい、と快斗は強く思った。すると写し出される映像の画面いっぱいが、快斗の恋してやまない相手の顔になる。真実を見抜く青き慧眼に射られて、快斗は一瞬息をするのを忘れた。いつだって、そうだ。ふとした瞬間に、何気ない仕草で、言葉で、視線一つで、いつだって快斗の心を奪うのだ。

「わん」

球体の中で思わずそう声にしたのは、見えている視界が犬のモノだったからだ。
少し、目を見開いた新一は手に持っていたバウリンガルに一瞬視線を投げてから、頬を染めてまたじっと映像の向こうから快斗を見つめてきた。

『ばーろ』

『なんじゃ、新一?』
『・・・おおかた、遊んでくれてありがとう、の後に愛してるだの何だの歯の浮く台詞が画面に浮かんだんでしょう』
『なっ・・・おい!』
『あら、当たりみたいね』
『全く。快斗くんが犬になっても君たちは変わらんのう』

先ほど快斗の思いを込めた鳴き声は、どうやら正確に映像の向こうへと伝わったようだった。
なるほど、一時的に精神的なモノはこの球体に閉じ込められてるとはいえ、元々は間違いなく快斗の身体である、という事か。
これなら事情を説明出来るかも、と思ったが、視点が変わる。
部屋の中を見渡す【観る者】の光景になった。

「あ、あれ?おい紅子」
「ほんっとうに、貴方がたときたら!まぁ、いいですわ。ではその愛とやらが、相手の姿が変化しても持ち続けられるモノかどうか試してみましょう」
「!?なにする気―」

問いただす前に、快斗でない「犬」が吠えた。


「ばうばううううん」

『・・・どういうことだ?』
『【アイヲシメセ】ですって?』
『どういう意味じゃ?』


「な!?」
「簡単なことでしょう?どんな姿になっても思い合っているらしいのですし」

ホホホと高笑いをする魔女の様子からして、その言葉が解放の為に必要な事なのだろう。
寂しい魂に、隣人愛を注げ、という事なのか。
だが、そんな原因(犬の霊)を知らぬ新一にとっては、その言葉は一体どうとられるものなのだろうか。些かどころでなく嫌な予感を抱かずにはいられない快斗の前で、工藤邸での推理は進んでいた。





07


「アイって愛だよな。・・・愛ってもなぁ」
「博士、そろそろ遅いし、私たちはお暇しようかしら」
「ん?しかし」
「いいから!もし明日になっても戻ってなければ、また考えましょう」
「え?!何のことかわかったのかよ、灰原!」
「あら、わからないの?探偵さん」

示された文字をつらつら考えるにつけ、相手が黒羽快斗であることを考慮すると、どうしてもある一つの可能性しか浮かばない哀である。だからこそ、さっさとこの邸から退出しようとしているのだ。しかし、精力的に愛を働きかける恋人を持っているくせに、そちらの方面には今なおとんと鈍いらしい隣人に、ふぅとため息を一つ付いた後、ヒントだけは与えておくことにする。

「異類婚姻憚・・・のたぐいって事でしょう」
「へ」
「何でも試してみればいいのよ」
「は」
「じゃ、おやすみなさい工藤くん。一応、犬の病気へのワクチンは準備しておくわ。怪我をしたら恥ずかしがらずにちゃんと言うのよ」
「え」
「行くわよ、博士」

哀が博士の背中を押すようにして、工藤邸を辞去していった。
部屋には新一と犬だけが残される。
犬は遊び疲れたのか、リビングの隅っこで寝そべっている。「快斗ー?」と呼びかけてもわんともばうとも言わない。意思疎通が出来るはずなのに、先ほどは突然遊びをせがんで、その後も実に犬らしい行動をとる恋人の姿に些かどころでなく不安が沸く。精神と肉体の繋がりは殆どが解明されていない謎だ。幽霊と何ら変わらない。いくら人としての思考や記憶を垣間見せても、肉体が犬である以上そういった影響がでているのか判ったものではない。
出来るだけ早急にカタを付けるべきだ、と新一は思った。
唯一の手がかりは、液晶にある通りなのだろう。

愛、示す、異類婚姻?

一体なんだと思いながら、新一は階段を上って書斎にあがることにした。
まずは、異類婚姻について試せることとは何か念のため調べようと考えたのだ。
―が、階段の途中で、ハタと足を止めた。

「愛って・・・まさか」

異類だろうが同類だろうが、婚姻といえば、要は誰かと誰か、もしくは誰かと何かによる契りである。
契る―端的に言えば、性交渉を持つことだ。
非常に不自然な動きで、新一は快斗(犬)のいるリビングの扉を振り返った。

「嘘だろ・・・!?」

だが、そうだとすれば、あの言葉を見た後の哀の様子は当然のものだ、と新一は思った。いくら同性同士で仲睦まじく殆ど同居状態で暮らしているのを知っていたとしても、閨事へまで干渉したくはないだろう。しかも、隣人の相手は現在、なんとも言いがたい姿になっているのだし。
必要とあれば協力はするけれど、後は当人同士で解決方法を見つけてくれと突き放してくれて本当に助かった、と新一は心の底から思ったのだった。

これは、さて。書斎で探すべき本は異類婚姻ではなく―?
そこまで考えて、否、そこまで考えている自分自身に頭を抱えたくなりながらも、新一は書斎に向かった。






08


「あああああぁぁぁぁ新一―!ちょっ、何読んでんの――!?」

さすが工藤邸立図書館ともいうべき書斎には、多種多様な蔵書が所狭しと並んでいて、普通なら御目に掛かれないジャンルの本まで豊富であるようだ。
だがしかし。今だけはそのごく一部にしか必要とされないであろうマニアックな趣向まで網羅する本があることが恨めしかった。

「南総里見はわかるよ?アレって犬が求婚してるしさ。でもさ、でも、なんでそんな実践的な本を・・・!」

つぅか何でそんな本があるんだ!?彼の父親は一体何の小説を書いているんだっけ、と深く疑念を抱かずにはいられなかった。
一見なでもなさそうで、その実某国の言葉に飾られたあやしげな本を手に、新一が微かに呟いた言葉を読唇した快斗はうんうんと肯く。

『無理・・・』
「うん、無理だから!冗談でもやめて、新一!」

「?犬の写真集なんて、光の魔人は一体何を・・・犬種が好みではなかったのかしら」

現世の語学には弱いのか。魔女は首をかしげたようだ。
解説してやる気にはなれず、快斗はオメーは見なくていい!と素っ気無く応えた。

「そういう問題じゃねぇ」
「あら。可愛らしい外見の方が愛されやすいのではないかしらね」
「愛さ・・・うるせー!どんな姿でも新一なら俺は愛せる」
「聞いてませんわよ」
「あれ。そういや、俺の犬になった体って・・・子犬ってもんじゃねー気がするが」
「大きくなりたいあのコの願望が半分と。貴方の影響が半分くらいですわ」

あまり新一が持っている本についてツッコミがきても困るので、快斗はもう一度犬の中へと戻れないか意識を集中した。いくら引き離されていようとも、あれは快斗の肉体なのだ。
―ぶわんと映像が変わった。
それだけで、肉体を持たないはずの快斗の額に汗が浮かぶ。肉体の支配権を巡り、己の意思と、己で無い何かが鬩ぎあっているのを感じた。

リビングの皮張りのソファの脚が見える位置。―床に伸びているのか。

(いい調子だ)

「往生際の悪い宿主ですこと」
「ただ貸ししてやる義理はねぇっての」

軽口を返しながら、精神の集中を切らさない。
「映像」が完全に快斗の「視界」となった一瞬の手ごたえを離すまいと更に手足の感覚も同調させようと試みる。
―立ち上がる 
視点が少しだけ高くなる。
イケル、と感じ、快斗が手足を動かすイメージを浮かべれば、視界がゆれ、動き出した。
―階段、のぼる 駆け足
段数の多い階段を、二段飛びの勢いで駆け上がっていく。

「新一?」

書斎へと入る。しかし、そこに新一の姿は無かった。あれ、と思いながら、クンクンと鼻で嗅いでみる。
その瞬間―

「ぅわ、犬の嗅覚って」

想像を超える様々な臭いを知覚し、あまりの凄さに快斗はパッと、意識がズレたのを感じた。不味い、と思ったが、既に視界は【観る者】の―第三者が部屋の中を見ている状態になっていた。
もう少しだったのに、と思っていると『快斗?』と新一の声が聞こえた。

「新一ー!」

呼びかけるがやはり向こうには聞こえていないのか、新一は『追いかけてきたのか』と呟いた。手に何か持っている。先ほどの小型機械とは形状が違う。

『な、本当に・・・元に戻るには、アレなのか?』

お座りしている犬の前に片膝をつく格好でしゃがんで新一は犬に話しかける。

「アレって、いやいやいや」
『快斗、・・・好き、だぞ?』
「え・・・」

焦る快斗は上手く精神集中が出来ない。(アレって何のこと!?まさかさっきの本!?)
その上、愛する恋人からの突然の告白に完全に意識を奪われる。

「新一」
『・・・言葉じゃ無理か。ちゃんと、本心なんだぜ。愛、はまだよくわかんねーけどさ』
「・・・俺だって」
『お前といると、落ち着かな・・・いやドキドキ、すんだよ。笑ってる顔見ると、安心するし、大事にしてぇって思う。んで、お前が、俺のこと大事にしてくれてるのも、知ってる。判ってる』
「新一、新一」
『お前だったら、別に何でもいいけど。犬も可愛いし。でも、奇天烈なカッコしてるのも、学生服も好きだし。出来れば、またお前の作った美味いメシ食いたいから』

『元に戻るのに、いくらでも、何だって協力してやる』

「光の魔人は何を・・・」
「・・・紅子。俺は向こうに戻る。戻せ」

思い詰めた様子の水晶玉の向こうの光の魔人と、水晶玉に取り込んだ怪盗という正体を隠し持つクラスメイトに、魔女は首を傾げて怪訝な眼を向けた。
特に、光の魔人が手にしている小さな平たい袋とチューブは何なのだろう。
それにだ、「戻せ」と水晶球の中の彼は言うが、先ほどは勝手に戻ったし、やはり怪盗なんてモノをしている男の精神力は半端ではない。そもそも肉体が変異した衝撃で、魔女が呼ばなくとも、弾き飛ばされていたはずなのに。

「光の魔人が何をする気かわかりませんけど。貴方は恋人を信じてもう少し待ったらいかが?」
「冗談じゃねぇ!俺は、俺以外が新一に触るのは絶対に許さない」
「まぁ、心の狭い男は嫌われますわよ」
「新一は嫌わない。大体、俺じゃなけりゃ新一は許さねーよ!なぁ、別に俺の意識が共存してたって、犬は愛を示されれば勝手に成仏してくれんだろ?」
「・・・あの人の待つ溢れる光を少し分け与えてもらえれば良いのよ?」

魔女は、いつもは飄々と笑う男の非常に焦った無様な姿に、本当にどんな姿でも想い合っているのなら簡単な事でしょう―と嘲笑おうとしたが、会話が噛み合っていないような気がして、正しい解法を口にした。
クラスメイトはポカンとした実に間抜けな顔を晒す。
これも、とても珍しい顔だった。

「・・・分ける?」
「古来より、呪いを解くのは愛する者の口付けと相場は決まっているでしょう」
「・・・え」

一瞬絶句した後、快斗は叫んだ。

「そんな事でいいのかよ!?」

あああ、だったら、新一が抱きしめてくれたときにヤッておけば良かった!と快斗はチャンスをフイにしていた事実に頭を抱えそうになった。が、そんな場合じゃねぇ!ともう一度大声を上げる。

「今すぐ、戻せ!」
「ですから」
「ああ、判った、もういい。さっきみたいにすりゃいいんだよな。でも、紅子、覗くなよ?!」
「何を―」

魔女と捕らわれた者との遣り取りの合間に、映像の方は、何かが進行していた。

「ちょ、しんい」

ボタンを外し、スルっとガウンを脱ぐ快斗の恋人の姿。
夕飯を済ませた後でランタンを吊るしに庭に出たので、まだその下は普段着だ。カチャリ・・・と腰のベルトを外す音がして、新一は緩ませたジーンズを脱ぐ。白いシャツが覆っていて見えないが、おそらく下着ごと脱いでいるに違いない。

「うわ・・・ぁ」

眼福だ。
自ら服を脱いでくれる恋人は滅多に見られるものではない。

「って、駄目新一、手順大事にー!!」

見蕩れかけるが、慌てて、映像に向かって両手を振った。キスだけでいいのだ。脱ぐ必要も、手に持っている潤滑剤だのコンドームを使う必要はないのだ。
だが、当然向こうからは見えてないだろう。新一は、うーん・・・?と悩んだ様子を見せながらも、犬の腹辺りに手を伸ばす。
一体、今何を!?と思うと、胸の鼓動が煩くて、精神集中なんてとても出来ない。そして目も離せない。しかし。

「まぁ、何をなさるのかしらね?」

快斗の耳に、好奇に満ちた声が落ちて来る。
そうだ、このままではあられもない新一の姿が快斗以外の人間に見られてしまう―という危険にも気付く。だが、いや、それよりも何よりも、このまま新一が即物的に事を進めでもしたら、と。焦りの余り、何だか、泣きたくなった。

「何を、じゃねー!オメーが判り難い事あの犬に言わせるからだろう!?」
「童話程度の謎掛けも解けませんの。名探偵の名が泣きますわね」
「相手が俺じゃなけりゃ、そもそも新一だって、こんな真似」
「あら、光の魔人が何をしようとしてるのか解りますの?」
「だーかーら、」

魔女とはいえ、一応、女子を相手に言うのは憚れる。だが、今はそんな事に構っていられなかった。

「えっちしようとしてんだろ、犬の俺と!」
「・・・は?」
「愛を示せ、って言われたら、俺だってヤルぜ?勿論、新一限定でな!」
「えっちって・・・」
「だー!セックスだよ!セックス!」

やぶれかぶれである。
とにかく快斗は犬でもいいから、何だって構わないから、新一の所に行きたいと切に願った。
水晶玉を覗きこんできた眼は、大きく見開かれ一瞬見えなくなった。

「おい、紅こ」

呼びかけの途中で、またも快斗の視界が揺れる。いや、球面全体が震え、立っている位置や映像が浮かぶ位置がおかしくなる。上と下が入れ替わり、右も左もわからなくなって、まるで転がる球体の中で転がっているような有り様だ。
実際、快斗を封じ込めていた水晶玉は持ち主の動揺により、赤い敷き布の上を転がっていた。

「な、なんですって・・・?」

髑髏や悪魔像といった怪しげな調度品が並ぶ一室の卓の前で魔女は顔を紅くして震えていた。確かに、『ソレ』は愛を示す行為だろうが、なにぶんまだまだ女子高生でもある彼女にとっては刺激が強すぎたのである。しかし、水晶の中から訴えかける声はまだ続いていた。

「犬の中で良いから、戻せって!どうせなら」
「・・・なら?」
「(犬の)俺が新一とセックスする!」


「ふ、不潔ですわーーー!」


魔女の叫びが球体内いっぱいに木霊した後、快斗を閉じていた世界が壊れた。




09


「わん」
「?ん、大丈夫・・・多分、な」

ずっと大人しかった犬の鳴き声に、新一は笑いかけてやった。
一応、やり方は調べたが、コトがコトである。実際は全く大丈夫どころではない。
それでもだ。相手が快斗だと思えば、なんとでもしてやろう、してみせよう、と思えるから不思議だった。
犬の頭と鼻頭を撫でてから、長めの毛に隠れている脚の間を探ろうと、手を伸ばし身体を寄せる。しかし犬のほうは、新一の胸元に潜り込もうとするように、逆に身体を寄せてくる。これでは準備が出来ない。

「おい、快斗」
「わんわん」

これは何か言いたいことがあるのか、と新一は書斎に置いておいたバウリンガルを手に取る。見れば、【キスして】と出ていた。

「・・・そっか。それも、そうだな」

色々すっ飛ばして、アレな行為ばかりに頭が行ってしまっていて、大事な事を忘れていたようだ。
新一は、犬を正面から見据えた。

「好きだ」

はっはっと舌を伸ばしていた口元が閉じている。
キスを待っているように見えて、新一は少しだけ笑って、首を傾けた。


  ぽん


「うあ!?煙!?何だ、これ」
「・・・ぁ」

犬に口付けた瞬間、新一の目の前で何かが爆ぜたように煙幕が張った。煙を吸い込まないよう、衝撃を避ける為に腕で顔を覆う。眼を薄く開いて、煙が晴れるのを待つ。すると。

「快斗・・・?」
「し、んいち・・・」

煙の向こうに現れたのは、人間の、黒羽快斗の姿だった。

「良かった!間に合った!戻ったー!!」
「か、快斗?!だよな、」
「あああもう、ホント、新一、新一って―」
「快斗?」
「好きだ」

元に戻れた嬉しさと安堵とその他諸々で胸を一杯にしながら、快斗は抱きしめている新一へと囁いた。

「ありがとう。新一、好きだ。大好きだ。愛してる」
「・・・俺だって」
「うん、ありがと。好きだよ、新一」

ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕は人間の、いつもの快斗のもの。翻訳機がなくても、ちゃんと伝わる想いを形にした言葉の数々に新一は嬉しくなる。一体全体何が何だったのか、聞きたい事は山ほどあったが、とにかく変身が解けてホッとした。しがみ付くように抱きついてくる相手の背中に、新一からも腕を伸ばそうとした。―と、不意に窓辺が光ったような気がした。
快斗、と背中を叩いて、書斎の窓辺へ促す。

「何?新一・・・」
「今、何かピカって」
「ん?アレって、カボチャ・・・、か?燃えてるってワケじゃないよな」

二人で見下ろす先は工藤邸の庭である。
大きな木―夕方ジャック・オ・ランタンを吊るす予定だった木の根元で何かが光っている。
目を凝らして見ていると、その光の球はふわんゆらんとして空中に上がってきた。

「・・・おい、快斗これ」
「生憎タネも仕掛けも用意してねーぞ、俺」

浮遊する笑うカボチャ。
なかなかハロウィンらしい光景だった。いや、らし過ぎだなぁと二人は思いながらじっと見つめる。
そうして、そのカボチャは見守る二人の前でクルンと一回転すると、『ばうばうばう』と鳴いて夜空の向こうへと飛んで消えていったのだった。

「・・・カボチャって鳴くんだな」
「・・・そうだな」

ありえない光景も、恋人の身体変異を見た後では、きっと今夜はそういう夜なのだろうと納得するしかない、とリアリストの名探偵も考えた。



それから―最後にバウリンガルに残った文字が【ありがとう】であることを知るのは、恋人達が仲良く夜更かしをした次の日の朝のことになるのである。








ハロウィンにご用心!





魔女さまが「不潔!」って叫ぶ所が書きたかったんです。ええ。


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