【出逢いの風景】


監禁されている子供を発見し、元来ハートフルに出来ている怪盗が人道的立場からその子を保護するのは、割と当然の行動だった。


忍び込んだ貨物庫の最奥の部屋。
目的物がないかと、隠し通路を通り抜け、危険を冒して深部まで。

怪盗の予想通りに、侵入しやすい倉庫にあったもモノよりも、大分高価そうな交易品がゴロゴロしていた。まさか白い粉状の密輸品なんてモノが出てきたらどうしようかと思いつつ、確認作業に勤しんだが、残念ながら、怪盗の目的物もそういった品々に巡り合うこともなかった。
思いのほか健全な船でしたか?と見張りの多さと犯罪臭の希薄さのアンバランスが気になったが、まァいいでしょうと踵を返そうとした時だ。

部屋の壁を叩く音。
よくよく見れば大人の腰辺りの高さの扉。更に秘密の小部屋かと。一体何が潜んでいるのか、と開けてみれば。

―足首に鎖をつけられ、小汚いトイレとちょろちょろとしか水が出そうに無い水道があるだけの小部屋に子供、という図があったのである。
犯罪くさいどころでなく、もはや事件現場である。
怪盗が居たほうの壁にもたれて、縄で揃えて括られた手で壁を叩いていたのか。足には拘束具に鉄球付きの鎖という足枷。辛うじて用が足せる程度の自由しか無い状態だった。

(んー!?)

「おおっと、私は君をそんな姿にした人間とは一切無関係の善良な怪盗です、・・・ご心配なさらずに」

船員姿を睨まれて、怪盗は颯爽と怪盗たる姿に戻る。
その変身を見て、さらに口に厚く張られたガムテープの奥でくぐもった声を上げる子供に、怪盗はシーっと人差し指を唇に当てて、沈黙を要求した。

「話が通じますか?日本人・・・かな」
−こくり
「宜しい。事情はよく判りませんが。誘拐?」
−こくり
「今からとりあえず、自由にして差し上げますが、騒がないで?」
−こくこく

年の頃は幼児よりやや大きい位か。闇雲に脅えるでもなく突然出現した真っ白い衣装の怪盗(子供からすれば十分な不審人物)の言葉をきちんと捕らえて反応を返してくるあたり、小学生程度の認知力と判断力はありそうだ。
ここに来るまでの、眠らせたりダミー人形とすり替えたりした船内警備員もしくな雇われ用心棒と思われる見張りの中には、この子どもを監禁していた犯罪者がいるに違いない、と怪盗は直ぐに察した。しかも船の一室を使用しているあたり、内部事情に詳しい―もしかしたら組織単位の犯罪が絡んでいる可能性もある。だとすれば、いつ誰かが来るともわかったものではない。
単に客室に戻してやるにしても、このサイズを持ち運ぶのは面倒そうだったので、怪盗としては、救助されたいなら協力をしてやろう程度の考えだった。

「ちょっと我慢を・・・はい」

怪盗は、手際よく子供を息苦しくさせているガムテを取り払う。黒髪を多少巻き込んでいた粘着テープを極力肌を引っ張らないよう剥がしてやると、子供はまず大きく息を吸って―吐いた。

「は・・・っ、ふぅ」
「君は・・・こんな所で、何故こんな状態に?一体いつから・・・」
「さぁ、一ヶ月くれーじゃねぇの」
「いっ!?じゃあ、この生活跡は君のですか。・・・おや?この船が日本の港に接岸したのは今日の昼ですよ。・・・ということは―」
「御託はいい。足音が普通と違ってたが、コソ泥の類か、オメー。よく喋るなぁ。ま、丁度いい。縄抜けもやれるなら、今すぐこの手枷も外してくれ」
「へ」
「急げ、つってんだよ!ここは二時間置きに定期巡回がある。前の巡回から一時間は経過してるんだよ!オメーが何狙いの泥棒かは後回しだ」

苛立った声も露わに睨まれて、怪盗は絶句した。

「・・・うわー」
「おい、外せないのか?コレ」

子供が示す手の縄と、ついでに足首を拘束する金具を、怪盗はとりあえず言われるままに外してやる。この程度は彼にとって何の造作もない。

「でも、歩けますか?足が萎びてらっしゃるようですが?」

よくよく見れば、部屋の様子以上に、子供の身体自体が監禁生活の長さを物語っていた。青白さのある肌は一切日の光を浴びていなさそうだったし、足枷と素肌の合間に詰まっていたタオルは結構な量で、足首も骨が浮いていて、簡単に折れてしまいそうな枯れ木のような足をしていた。
自由になった足をしばらく動かして、よしと子供はうなずく。

「動ける。ここから出る」
「とりあえず、いまこの船が停泊してるのは日本です。一ヶ月前ならヨーロッパあたりから・・・?日本の警察?それとも、大使館に・・・」
「どちらも却下だ」
「?では、どこに」
「この船の通信室から俺のファミリーに連絡を入れる。下手にこの国のポリスだのに介入されたくない。俺を監禁した礼は俺が手厚く返礼してやるってことだ」
「家族のお迎え、ですか」

いやに堂々とした態度。
強い意志を宿す瞳は青くて綺麗で―美しすぎてやけに寒々しく怪盗の目に映った。
知らずブルリと背筋が震える。

「どうにも、・・・ただのボウズってぇ感じじゃないですねぇ?私もこの船にとっては招かれざる客ってモノでして。送って差し上げられるのは一般客室の通路までになりますが、宜しいですか」
「来い」
「は?」
「オメー・・・縄抜けに開錠術と、変身?いや変装術と、ほかにも何かありそうだし。使えそうだ。こい」

いっそ尊大さすら感じる高飛車な口調でそう宣う子供に、怪盗は肩を竦めた。

「なにを言って」
「いいから、来い」
「・・・あのですね」

言いなりになって遣る義理など無いはずだ。
それなのに、何故か言うことを聞かなければならないような気分になってくる。
強く真っ直ぐな眼が全くそらされずに怪盗を捕らえているからだろうか。

「通信室ぐらいまで、なら・・・」

子供を家族の元へ届ける手伝いくらいはしてやろうという気になった。




そして、なんやかんやで近くまで来ていたらしい子どもの祖国の家族(とかいてファミリーと呼ぶ)は、件の船を乗っ取り占拠し、周到な手段で何も知らぬ一般客を別の船に移した後、ハートフルな怪盗が眼を背けたくなるような武力行為で制圧―そのまま―怪盗を乗船させたまま、彼等の国へと航路を取ったのである。
洋上で気付いたときには、手遅れだった。
なにせ、船上のドタバタで、怪盗までもが捕らわれたからだ。違います!私は誘拐犯じゃありませんよ!と叫んでみたが後の祭り。いや、後から思えば、他の誘拐犯らと別室に監禁されたことから、おそらく確信犯的誘拐だ。
誘拐された子どもを助けたら、己が誘拐され監禁される羽目になるとは、奇天烈を地で行く怪盗ですら、予想の範囲を超えていた。

なんてことをするのかと、子どもを問い詰めれば、アッサリと彼は言ったのだ。
「気に入ったから、お前、俺のな」
と。

怪盗には怪盗たる目的があって、易々と誰かのモノになどなれませんと丁重にお断りを入れたのだが、一体どんな情報網を使ったのか?子どもは―コナンと名乗った少年は、怪盗の欲しがるものを幾つか提示しては、揺らがせようとした。

およそ航海の一月の間、コナンは怪盗が置かれた部屋に何度も何度も訪れて。

日系人やその二世が国民の半数を占めるコナンの住むその国は、怪盗が得ていた情報にあったように稀少な鉱石を産出する国だった。
交易として、石と石とを交換する事が多く、怪盗キッドの狙う獲物がある可能性がある―というのが最大の誘い文句。
優先的にそういった石に引き合わせてやる、と言われた。
監禁の際に見てしまった怪盗の素顔が、側近によく似ていて面白いんだ、とも。

最初の一週間、怪盗は完全に子どもを無視した。
助けてやった恩を仇で返されたようなモノだったから仕方ないだろう。
しかも怪盗のトップシークレット(素顔)に触れて、似た人間がいる、なんて話をされても面白いはずがない。
怪盗の無反応に子どもが飽きてくれれば、と期待したのだが、コナンは構わずに遣ってきては、そのうち、怪盗の部屋で勝手に寛ぐようになった。
殆ど、読書ばかりだったが、時に欠伸をしながらも懸命に文字を追う姿。
そんな姿に気を張っているが馬鹿らしくなった怪盗は、彼もまた勝手気ままに部屋で過ごすようにした。
何も言わず、ただ子供を睨んでいても状態に変化はないらしい、と悟ったのだ。
そのうち船が陸地に着きさえすれば―。という思いもあった。

だから、次の一週間、怪盗とマフィアのドンは同じ部屋に居ながらして、相手に構わずに過ごしていた。

そして、その次の週も。

だが、その間の事である。
怪盗は本ばかり読んでいると思っていた子どもが、時折怪盗の手元や手飼いの鳩を見ていることに気がついた。
手慰みにトランプをシャッフルしているだけでも、怪盗が何かを始めるとそっと大きな眼鏡の奥の青い瞳が見つめてくるのだ。そう知ったのは、偶々怪盗が子どもに背を向けて、鏡に映った彼を見て居た事があったからで、最初は気のせいかな?と思ったものだ。
だが、どうにも、見られている、気がした。
怪盗は職業柄人の発する気配をよく読み―読み間違える事は殆ど無かった。

怪盗は少年に気付かれないよう観察を繰り返す。

(面白い、んですかねぇ)

子供らしさの無い子供が、怪盗が何かを始めるとソワソワする姿は実に子どもらしい様子で、なんとなく怪盗もまた楽しくなる。彼は天性のエンターティナーだった。観客が一人っきりでも、彼を見る者が在るのなら気など抜いていられない。

―そして、とある日、怪盗は子どもに賭けを持ちかけたのである。
「見破ってご覧」と。

怪盗は奇術を扱う人間で、当然、賭け勝負に正々堂々もクソもない。怪盗の仕掛けを見破り、必ず怪盗が勝つように出来ている勝負に挑んで、怪盗を出し抜いたら、少しの間なら子ども傍に身を置いても良い、という取引だった。
最初渋面を作った子どもは、しかし直ぐに怪盗のマジックに夢中になった。
船で過ごす最後の一週間は、怪盗の監禁された部屋から、ささやかな、けれでも監禁場所とも思えぬ笑い声が見張りの人間の耳に届いた。

結局、子どもが―コナンが怪盗に勝つことは無かった。
コナンは負けた回数だけ、怪盗の質問に答えねばならず、―負けて不機嫌な子どもをからかうつもりで投げた言葉へ返って来る言葉に、怪盗は「コナン」を、知る事になった。

―年に似合わぬ傲慢さは、子どもの強がり。
―尊大な物言いは、素直になれない照れ隠し。
―不遜に笑う顔とは別の、怪盗のマジックに目を輝かせる、無邪気な顔。
―真剣な眼で祖国を語るのと同じ口元で、トリックを見破れないと唇を尖らせて愚痴を。

小賢しく生意気で尊大我侭なクソガキなイメージを壊されて、見せ掛けに捕らわれずにその子を見れるようになった怪盗は、コナンの持つ知能の高さとはアンバランスな、時に垣間見せる見た目通りの子供らしい素直さや、ファミリーの中心にいると肯けるその人を惹き付けるカリスマに、スッカリと心を奪われていたのだった。

小さな某国を縄張りとする少年が君臨するマフィアは、国の自警団のようなものだという。廃人と犯罪を増やす薬物の侵入を許さず、不審な武器の密輸にも眼を光らせ、時に政府に対峙する勢力。外部からの移植民が多く、政府の搾取と戦ってきた過去を持つ、ある種レジスタンスが変形した組織。
コナンは幼くしてその組織の象徴足るべき位置に付いた。
長い歴史の中、分化していた組織を取り纏める者として。

普通、子供にさせませんよ、と言えば、じっちゃんの遺言だったんだ、と不本意そうな声。
―無理だと言わなかったのですか。
―じっちゃの名に懸けて、俺にしか無理だって、言うし。
笑い事でもないのに、肩を竦めて簡単に言う。
素っ気無い言い方だったが、彼の言葉はいつだって諦観ではなく、覚悟を秘めていた。

彼を選んだ人間達の眼は確かだったのだろう。

いったいどんな教育を受けてきたものか。怪盗でさえ舌を巻く知識量と教養の豊かさと鋭すぎる観察眼に、マジック勝負の最中冷や汗を掻いたのは一度や二度ではない。彼の透徹した青き瞳は、そこに映るもの全てを見透かすようなモノ。
その一方で。
冷たく見えた青い瞳が、怪盗の手飼いの鳩に頭を摺り寄せられて、優しく細められたのを見た時など、これまで見てきたどの宝石よりも綺麗だ、と本気で思ってしまって。そう、思ってしまった事に動揺しないでもなかったが、怪盗は己の欲しいモノを素直に求める事に躊躇いを必要とする人間ではなかった。なにせ、怪盗で、ある。



そして、船から小さな港が見え始めた頃。
不意に怪盗のもとを訪れたコナンはポツリと呟いた。

「・・・そこそこ、楽しかったぜ、怪盗キッド」
「負け惜しみですか」
「うっせー」
「せいぜい「お兄さん」や「綺麗な従兄弟」に叱られなさい」
「あんだよ」
「不注意で誘拐されたり、不用意に誘拐するもんじゃありませんよ」
「ちっ、オメー連れて行けば、あの二人は何とかなるのによー」
「私に似ているという?」
「そ。俺よりも顔とか知れ渡ってるから、色々動きにくそうでさ。今回もお迎えに来るつもりだったの、お留守番だったから、絶対機嫌悪ぃんだ」

不貞腐れる顔を見て、怪盗は苦笑いだ。

「あー、ソックリな影武者になれそうなお前、手土産にしたかったのによ」
「私こそ、君を―コナン、を手土産に向こうへ戻りたいのですが」
「は?」

勝負に勝てなかったコナンが、諦めを含んで怪盗にサヨナラを言いに来たのだと察したとき、怪盗は心を決めた。幾らだって、更なる強硬手段を取れる立場にある子供の、潔い態度。子供染みた我侭で怪盗を連れ出し海上の牢獄に放り込んだくせに、この子供がしたことと言えば、ちょっとした勧誘だけ。
怪盗の身辺を調べ脅しつける材料をチラつかせるでもなく、怪盗を騙し本気にさせる餌を用意するでもなく。
少なくとも、怪盗の前では、コナンはちょっと変で妙に気になる少年だった。
面白い子供で、可愛いな、と思えて。それだけで、十分だった。

世界のどこにいたって、怪盗は彼自身だけで怪盗足りうるから、しばらくこの子の国で探し物をするのも悪くない、と決めて。
ただ、簡単に想い通りになったと思われるのも癪なので、ささやかな条件を加えた。

コナンは決して肯かなかった。
ただ、欲しいなら勝手に持って行けばいい。出来るのならな、と言ってニヤリを笑っただけだった。
怪盗には、やはり、それで十分だった。



「いつか、私に貴方自身を下さるなら―」


鮮やかに盗んでみせましょう








【帰り道風景】



車道側を歩き、時折鋭く辺りを見回して警戒を緩めない男の手は、暖かかった。
いつもは白い手袋で隠されている不可思議な奇術を生む長く器用そうな指が、今はコナンの手のひらを包み込んでいる。
デート、デートと浮かれていたその手の持ち主に、半日かけて沢山の荷物を押し付けて遣ったのに、気がつけば、その手はいつでもコナンの為に空けられていて、まったく奇術使いというのは謎である。


◆◆◆ ◆◆◆


不覚を取って隠密に輸送された先で出会った男。
味方が一人も居ない状況で、何かと使えそうだと判断し巻き込んでやったら、思いの他便利な人間だった。
あっという間に状況に合わせて変装なんてものをして、自前の喉と手先だけで姿形を替える。身のこなしは常人とは掛け離れており、体術の心得もある。自作したというワイヤーや硬質トランプの飛び出る武器は面白くて、どうやっているのか今だに不明だが、身体に相棒達だという白鳩を潜ませていて、まるで全部がびっくり箱。
錠前破りもお手の物。いとも簡単に無線も通信機も思い通りに操る腕も持っていて。
更には―出会いの最初、囚われたコナンを救うべく乗船してきたファミリーの中でも、とりわけ荒事が得意な漆黒の者達を前に―銃を突きつけられなお、飄々とした態度で嗤う強靭で捕えどころのない『怪盗』の姿は、コナンの眼を奪った。

変なコソ泥、妙な特技の多い泥棒野郎、いや、劇場型犯罪向きの、まさに『怪盗』たる人物。小説や空想上にしか存在し得ないような者が現実にいようとは。
しかも、萎びた足で途中で身体を崩しそうになったコナンを、ずっと片腕で抱きかかえる紳士ぶりまで発揮されては―心奪われるな、という方が無理な話。
船上で、そのまま別れてしまうのが惜しくて―まるでただの子供の面倒を見てやっただけとでも言うような態度が面白くなくて、頑強な鍵の掛かる部屋にブチこんでやった。

どうにか手飼いに出来ないかと、ヘリを差し向けるから今すぐ帰れと言い募る祖国に置いてきた幹部に、『疲れた。養生ついでに船旅を楽しむ。邪魔するな』と連絡を入れ懐柔を試みたのだ。
といっても、どうしたらいいのか全く判らなかった。
とりあえず、怪盗キッドなる存在の調査結果から、彼が求めているモノに当たりを付けて取引を持ちかけた。しかし、彼は少し肩を竦めてスイッと視線を逸らすだけ。
餌としての弱さは承知の上だった。
怪盗は、派手に犯行を繰り返すくせ、折角盗み取った品々を後から返却していると言う。恐らく宝石蒐集家やブローカーの類ではない。そもそも予告状なんてモノを出すあたり、犯行自体を楽しんでいるとしか思えない。
正体不明、神出鬼没、確保不能―、彼を彩る言葉に興味は尽きず、もし彼が活動の拠点としている日本に居たままだったら、野に放ったまま何が何でもその中身を暴こうとしただろう。だが、何故か―彼を拘束しているという好機に、それをするのは憚れた。
調査データにあった動画の一つには『キッド!キッド!』と怪盗を呼ぶ民衆の声。
彼の犯罪は、そのまま観客を楽しませる「芸術」だった。
白い羽を広げて飛び立つ姿は、籠の中に納まるような―簡単に繋いでおけるような存在に思えなかった。

怪盗を説き伏せる方策は簡単に手詰まりになって、それでも、何か掴めないかと怪盗を禁じている部屋へ行く。
頑なに睨んでくるのに、大人げねーなと少々呆れて、静かならこれ幸いと読書部屋として使うようになった。
―そして、本の陰から、こっそり観察。
怪盗の指先が動き出すのが眼に入ると、文字を追っていても、勝手に眼がソチラを追う。空中に放られたカードは、まるで糸に操られているかのように(どんなに目を凝らしてもピアノ線もなかったのに)白い指先に踊って、その手に収まる。鳴き声も音もしていなかったシルクハットから、何匹も飛び出してくる白い鳩。
見ぬフリをしながら、その日に見れた奇術を思い返して、自室で少し笑って、トリックの構成を推理するのが、密かな楽しみになった。
―そんな船旅を続けて、何故か、いつの間にか、彼はコナンに向かって笑いかけるようになっていた。

それから持ちかけられた「勝負」。
数多の勝負事に打ち勝ってドンたる立場に在る人間に舐めた真似をしやがって、と思ったが、イカサマを前提にした勝負では、頼れるのは勝負運ではなく観察眼と動体視力。そのどちらにも自信があったのに、気付けば怪盗のマジックに見蕩れて暴く事を忘れてしまっていた。
代わりにコナン自身についての情報を差し出せと怪盗は問いを投げかける。
捕えても、繋いでも、追えば追うほどに怪盗は逃げるだろう。勝手に居付いてくれれば儲けもの。そんな気分で問われるまま言葉を返して。



◆◆◆ ◆◆◆


「コナン、疲れましたか?」
「少しな」
「車、呼びましょう」
「平気だって」

人影の少ない路地に入った所で、キッドはそっとコナンに囁く。全く見事な変装で、傍目には仲の良い兄弟が歩いている場面。・・・なのだが、時折丁寧な口調がその口から出てくるのは、「キッド」を意識して欲しいから、とか。そんな事を出掛けの初めに言っていたなぁと思い出す。意識も何も、コナンからすれば実兄とキッドは全く別モノで、似ているのは間違いないが、傍に居る時の感覚がまるで違っていて、コナンとしては見間違いも勘違いも何もしようがない。

「この後、会食があります。実は、その・・・服袷をうっちゃて出てきましたもので」
「で?」
「良かったら、こちらの服を合わせて欲しいかな、と」
「・・・って、?」

彼が手をくるりと宙で滑らせると、ポンっと紙袋が一つ顕れる。

「先程寄った店に、可愛らしいスーツがあったのでつい。・・・吊りモノ、駄目ですか?」
「あー、園子とか、怒る、かも」

ドンを着飾る部門を一手に握って、イタリアからフランスまで直雇いの仕立て屋に号令を飛ばす女性の顔が不意にチラつく。一張羅とは即ち戦闘服なのよ、完璧に隙なく合わせなきゃ駄目なの!と常々口にする彼女は、衣装袷をすっぽかした事を怒っているに違いない。けれど、コナンはちょっと寄越せ、と高級店のロゴの入った紙袋を覗く。

「・・・、これ、さっき」
「新一さんにと、コナンがお見立てたしたタイと同じ色柄です」
「だよなぁ。サイズ、うん・・・大丈夫」

コナンに甘い従兄弟は「ちょっと御揃い」が良くて、と言ったら密かに喜ぶだろう。そうなれば、きっと園子も渋々ながら文句は言わない。それに新一が気に入っているこの色と柄は元は新一の自称恋人であるコナンの兄が贈った物が始まりだと聞いているし。
まったく、ソツのない男である。
それにしても一体いつの間に購入して、隠し持っていたものか。
ずっと傍にいるように見えて―そう思わせておいて、人の気が逸れている隙を上手くついて行動するのだ、コイツは。と、コナンは何となく、苛立つ。
贈り物が嬉しいのに、少しだけ納得出来なくて、むぅと眉を顰めた。

勝手に、傍にいると寄ってきて、誓って。
嬉しかったのに、それなのに、「怪盗」として好きに夜を動き回っていたりもする。

「・・・気に入りませんか」

黙ってしまったコナンに、キッドは内心慌てながら、表面上はあくまでそっと問いかけた。

「着る。・・・だから、その顔、「快斗」っぽくねーぞ」
「・・・はい」

嬉しそうな顔に、もう一度言ってやった。

彼が彼らしく笑う顔は決して嫌いではないのだけれど。
その笑顔に弟らしい反応を返せているか、コナンは自分では判断出来なくて困ってしまう。


コナンは脇に抱えている画集をチラッと見て、コイツ用にも何か作ってやろうかな、と考える。

どうせだから、ちゃんとキッドの時にくれてやれば、どんな顔を見せたってそれはキッドで。コナンも、弟でもドンでもなく、彼らしい反応が出来る筈だ。

−下手くそと笑ったら蹴り飛ばそう。
−お世辞でも褒めるのなら少しばかり鼻を高くして笑うかもしれない。


楽しいお出掛けの終わりに次の楽しみを見つけて、コナンは目深に被り直した帽子の影でそっと笑った。





いつか素顔でもデートしたいね。きっと今日より恥ずかしくて、でももっと幸せになれる気がするんだ。








【面接風景】



「そんな得体の知れない奴ファミリーには不要だろ」

あの子によく似た青い瞳が綺麗で顔立ちも出で立ちも極上に美しいのに、本能が騙されるなアレは危険だと訴えかけてくる男性はコナンの従兄だという。実兄の方は美人というよりやや男臭さが強い印象だが、こちらも秀麗な顔をして、何者とも伺わせない気配で傍観していた。柔和な笑顔を見せてはいるが、これはこれで厄介そうな相手だなとキッドは思った。絶えず微笑んでる人間なんぞ内心ロクなコトを考えていないものだ。−ソースはキッド自身、である。
確かにこの二人は、傍目からすればよく似ているだろう。多少雰囲気の違う双子程度には。
そして三つ子程度には確かにキッドにも似ていた。
世の中には三人のそっくりさんが存在するというが、大して長生きもしていない人生早々にそんな人間に巡り逢えるというのは、果たして幸運と不運のどちらを引き寄せるものなのだろうか。

「でも、使えるんだよ、こんなだけど」
「だいたい、泥棒なんだろ?ソイツ」
「怪盗です」
「黙れ、テメェに聞いてねー」
「……」
「コナン、お前が気に入ってるのが問題だって言いたいんだよ新一は」

『怪盗』を組織に引き入れたいと提案した子どもがムッとすれば、その子の兄だという男性がポンポンと小さな肩を叩く。

「なんでだよ」
「ボス自らのヘッドハンティングでもだ。他の奴等は納得しない。相手のお前への忠誠がなけりゃぁな」
「・・・って」
「コナンに応える気があるかどうか」

そう言って、子供に向けるのとは全く違った眼差しで怪盗を見た。

「いちお、恩人だぞ、コイツ」
「生憎と?そちらの組織の事など知ったことではありませんが・・・私はこの子が気に入りました。そうでなくては、そもそも此処にはおりません。忠誠が必要だと言うならなら、幾らでも」

言い様に膝を折って、傅いて。
小さな手を取りその甲に唇を落した。

「貴方の為に忠誠と愛を誓いましょう」

うっとりと見上げれば、頬を少し染めてグッと睨む愛らしい少年。
くくっと笑う声が、傅いた男の背後から聞こえると、少年は目を細めて言った。

「・・・あのさ、後ろに居る癖っ毛のほう、俺の兄貴なんだけど、消せるか。俺が許してもファミリーは許さないだろうから、命狙われる事になるけど」
「お望みのままに」

優雅に、ニッコリと笑いながら懐から取り出したトランプ銃のレベルを最大にして、振り向き様に放った。躊躇い無しの素早さに、射程近距離に居た男も素早く―辛うじて身体を捻り、一撃を避ける。目標物がいた場所を通り抜けた硬質トランプは、そのまま背後の壁に深く突き刺さった。

「!」
「へぇ。面白い得物だな」
「・・・ひどくね!?あっぶねーな、ソレ」

「避けないで頂きたい。次は外しませんよ」
「うっわぁ、躊躇い無しー。俺も本気で応戦していいの?これ、コナン」
「駄目だ!止めろ、キッド。悪い、快兄」

しなやかな身のこなしでコナンの前に立つその男の手を、コナンが慌てて引っぱれば、怜悧な殺気は一瞬で霧散した。振り返り、もう終わりかと首をかしげるキッドに、今度はもう一人が声をかける。

「ふぅん・・・俺に撃てよ、今度は。俺も撃つけど」
「ちょ!あー、あのさ、新一狙ったら問答無用で俺も撃つよー」
「邪魔すんな、快斗」
「します。ったくもーコナン救助隊に加われなかった鬱憤溜めちゃって」
「うっせぇ!」

「・・・コナン?」

どうしますか?と問いかける視線に、コナンははぁと息を吐きながら聞いてみる。

「・・・分が悪いが、やれんのか?新一、ここでは俺と同じ・・・つか、俺以上に大事にされてる奴だから、後が凄まじい事になるぜ」
「貴方のお望みのままに」

即答する怪盗に、子どもは幾許か逡巡した後・・・ゆっくりと首を横に振った。

「なんだよ、今度は即撃ちしねーのか」
「マテの気配くらい、わかりますよ」

肩を竦めて言う怪盗に、勝負を放棄された新一は、ほぉと眼を細めた後、面白そうに笑った。
待てを感じないまま銃を向けられた方は、ガックリ肩を落として「コナンちゃん・・・お兄ちゃん嫌いなの」といじいじと呟いた。

「いいぜ、オメーは確かに使えそうだ。俺たちの死体の代打ぐらいは確かに出来そうだしな」
「新一は、勝手に動きたい時の身代わりにしたいだけだろ・・・。まぁ、新一がいいなら、俺はいーよ。変装面白ぇし、他の特技ってのも気になるしな。アイツら(幹部連)に、新米秘書辺りの席一つ用意するよう言っておくさ」
「!ありがと、新一」
「気にするな。おかしな真似をしたら粛清するだけだ」


トントンと話は転んで、どうやら怪盗の一時的就職先が決定されようとしていた。
怪盗を見上げて、子供は笑った。


「精々、働け、新人」





面接官はソックリさん
上司は可愛い眼鏡っこ












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