□お年頃事情・中□ 意味が全く理解できないことを言われ、隣家を辞した少年は呆然としたまま青年と共に帰宅した。玄関で靴を脱いで、ご飯を食べて、お風呂に入って、…それでもまだ呆然としていた。外界をシャットアウトして完全に思考を停止している少年を、青年は大変心配した。 しかし、大人しく少年が落ち着くまで待つことにした。 少年がやっと脳を働かせ出したのは、あくる朝、学生服―当然少年が着るのだから、男子用の学ラン―を着ようとした時だった。 手にしているのは、男子用の制服だ。それはそうだ、彼は、男なのだから。そのはずなのだから。 しかし、昨日、あの少女は何と言っていた? 着替えかけの状態で、少年は隣家に走った。 少年を見守っていた青年も追いかけた。 「どーいう事だ灰原ァ!?」 「ちょ、朝から一体なによ?!」 「朝ァ?知るか!ってか、俺が何だって?!何になるって!?」 「…あら、やっと目が覚めたみたいね?」 「あーうん、その…とりあえず、女の子に乱暴は駄目だぜ?名探偵―」 灰原もまた少年と同じ学校の、こちらは女子の制服を着ていた。 しかし訊ねてきた少年の様子に、今日の学校は諦めるべきね、とさっさと白衣を羽織ったのだった。 「じゃ、もう一度いうわよ?」 *** *** *** (身体全体の成長の遅さもあるけれど、生殖器が元の身体のモノへ成長していない、と思ったことは無い?) (せ、…って、オイ!) (照れる話じゃないの。確認よ) (あー、まぁ。でも、副作用のせいで遅れているんだと) (私も思っていたわ。でもね、昨日ホルモンの数値の話しをしたでしょう―・・・) (…つまり) (生殖器が今以上に男性型として生育することは無いと思うわ。むしろ退化していくと予測できる) (退化、して) (女性体に近づいて行くと推測されるのよ) (それは―) (変化が著しく出るのは生殖器や、胸や全体の丸みあたりかしら?) (マジなのか。治す方法は?!) (…ホルモン注射を試す、という手はあるわ。でも―) *** *** *** どうやら、少年の中にある変質している染色体の一部が異常を補正しようと女性化し、女性体にある特性を利用して生命維持を図ろうとしているから、自然に任せ様子を見たほうが良い、と担当医は締めくくった。 「自然に任せて…って、それで女になったらどうすんだよ!?」 「それが、貴方が生き続けるためにベストな形なのだとしたら、全面サポートするわよ」 「そういう問題じゃねぇー!!」 生きることを選んだとき、確かに一度、少年は工藤新一には別れを告げた。 しかし、今度のは一体なんだろう。 生きることを選ぶのなら、男であることを捨てろ、というのか。 「どういう問題?何が問題?」 「俺は、男だぞ?!男子高校生だったし、今は男子中学生!生まれてからずっと男だったってのに、イキナリ、んな」 「あら、一般的に言われる精巣性女性化症候群は普通に起こり得る事だわ。ただそれは先天性が殆どだけれど、貴方の場合、後天的にそうなった、というだけよ」 「なってたまるか!」 「けれど、現に貴方の身体は、そうなってきている。おそらく、この先急激に変化が起こるかもしれないわ」 「?哀ちゃん、それは」 「やっぱり一般的なモノとは違うから。もし遺伝子の伝令系統に強く影響するホルモンの作用が強く出た場合、きっと、もっと確実に身体は女性に近づくでしょうね」 「…治すぞ。困る。今から女になれって、そんなの」 「治す、という認識は違うわ。貴方の身体が、生きるために選んでいる変化だから。無理にその変化に逆らうのは、好ましくない、と思う。上手く作用していない分泌物を人工的に増やすのは、命が危険に晒される因子を増やすという事よ」 慎重に言葉を選ぶ主治医に、少年は途方にくれた顔をした。 傍らに立っていた青年が、ゆっくりと力なく握られていた少年の拳を開いて、手を繋ぐ。 「俺は、いるよ?どんな姿になったって。別にこのままでも、女の子になっても、また小さくなっても、―工藤に戻っても」 「…快斗」 「オメーがどんな姿になったって、今更、離してなんかやらねぇよ」 だから、ずっといるから、とりあえず、自然に任せてみよう?と青年は提案する。 青年にとって何よりも大事なのは、彼と共に生きることだった。 そうして、『変化』は徐々に―確実に少年の身に起こり―約1年後には、ほぼ完全に少年は少女となったのである。 *** *** *** 耳から聞こえる音声の感度は良好。 雑音が多少あるのが気になるが、快斗の耳の性能はとてもよく、必要な音とそうでない音を振り分けて行く。 『コナンちゃん、今日誕生日なんだってね!』 『あーうん』 『じゃあ、ケーキ食べに行こうよ!』 (ええー!?) 快斗は手元のボウルを見遣る。 コナンが好きなレモンパイを作成中なのだ。 『あ、わる…ごめん、家の人間が、多分ケーキ作って待ってると思うから。それにコレ終ったら用事があって』 『ええー?!』 (うんうん) にんまりと笑うのを止められない。『家の』人間、っていいね。家族みたいで、でも、ちょっと違うニュアンスもあって、などと肯く。 『あ、あのカッコイイお兄さん?!』 『…ぇ』 『この間、駅前で見たよー、ちょっと似た感じの顔の男の人と歩いてたの。お兄さん、なんでしょ?…まさかお父さん?!』 『違う、違う』 『だよねー!若かったし』 (お兄さん、でもないけどね?) 違う、の二つは兄と父の両方の否定だろうが、彼女の友人は気が付かないだろう。まぁ、それでもいい。 どうやら、彼女の周りには女の子の友達が居てくれるようで、若干ほっとしながらシュルッと耳のイヤフォンを外した。 あまり盗み聞きをしているとポロリと己が知りえないはずの会話を把握している発言が出そうになるから、程ほどにしなければならないのだ。少年は少女になってもやはり名探偵だから。 「じゅうななさい、かー」 丁度、工藤新一が江戸川コナンという少年になった年だ。 アレから10年。 彼は、いや今や彼女であるあの子は、元の己の年齢になった自分自身をどう思っているのだろうか。 それに。 「花も恥らう乙女十七ってやつかね…」 言ってみて、余りにあの子にそぐわない言葉だったもので、ややゲンナリしナイナイと首を横に振った。 見た目だけなら、大変可愛らしく綺麗でもあるのに。粗野で乱暴な仕草はあまり改善されていないし、口調だって油断するとすぐに男言葉だ。仕方ないことではある。しかし、身体の変化が彼を彼女のままにしていくのなら、やはりTPOは弁えて処世していくしかないと思うのだ。―どれだけ不本意でも。 それに、快斗には多大なる悩みがあった。 「そろそろ、ちゃんとしたいよなー」 ぽつりと呟いてみる。 想像以上に自身の声音が切実だった気がした。 飢えているのだろうか。そりゃ飢えてるだろう。毎日顔を見て身体のチェックもして、―勿論、我慢できないときは、一緒に仲良くして口や手を使ってイかせて貰うときもある。昨夜もそうだった。 だが、やはりソレでは足りないのだ。 なにしろ快斗はコナンと14の年からいわゆる性行為もしてきた仲なのである。 内部的女性化が進んでいたここ半年間は、主治医の厳命もあって、殆ど手は出さないで我慢していた。 ひとえに、コナンが心配だったから、己の欲望などそっちのけだった。 それ以前でする時だって、「まだ男として機能してるか」を確認したいコナンに付き合って、が多くて。その都度、彼の心情を慮って最後まで致さないで終らせた夜も多い。 大体最初に少年の身体の異変に気付いたのは快斗なのだ。 話には聞いていたが、徐々に身体が柔らかくなったな、と抱き合うたびに思っていたし、性器もまた、主治医の予想していた退化も始めていた。 そして、ソレにともなって―ありえなかった部位の発達。 最初は本当に、うっすらと薄いラインが男性器の後ろに現れだしただけだった。だが―精嚢が後退し小さくなって行った代わりに、そのラインはくぼみとなって、ついには穴が開いたのだ。 流石に心配になり、隣家の女史に尋ねて、少年が寝ている間に行われた局部の精密検査。 結果は女性器が形成され、内部的には卵巣までも作り出しているという事だった。 本格的な性転換だった。 ソレラが落ち着いたのが半年前。落ち着いた、と分かったのは女性の象徴ともいえる生理現象が始まったからだった。とはいえ、無排卵が多かったり周期が安定しなかったりで、ここ三ヶ月くらいでようやく安定してきたところである。 まさか男に生まれながらにして『セイリツウ』なんてものに悩まされる日が来るとは思っていなかったコナンはあの特有の期間を非常に鬱陶しがっていてその期間の前後はピリピリしているのが良く分かる。尚更、手は出し難いまま現状に至る。 見た目だけはかなり前から少女めいた風になっていたから(女性ホルモンの増加に伴ってか、身体や顔の丸み、骨格が華奢なまま等)、高校への入学を機に江戸川コナンは『女子』になった。 散々にどう『在る』かを快斗とコナンは悩んだが、この先も女性体で江戸川コナンとして在るのなら、隠さないほうが良いだろう、と結論をだしたのだ。 かなり周囲は驚いたものである。 特に少年探偵団の驚愕振りといったらなかった。江戸川コナンを初恋の相手とする少女など、見ているほうが可哀想になる動揺ぶりだった。 しかし、医学的に無い話ではないと知れば、親しい者たちは理解してくれたし、高校は中学とは別の学区に通うことにしたから、思ったほど混乱は酷くなかった。―最もそれらは、江戸川コナンを巧妙に存在させながら、同時に世間から遠ざけていた親しい者たちの功績だったのだが。 工藤新一の両親は、彼らの息子が江戸川コナンであり続けることを笑って受け容れた。生きていてくれるほうが嬉しいと。付けた名前が変ったって、親子であることに変わりはないもの、と。 それから、ずっとコナンに寄り添って生きていくことを決めていた黒羽快斗に頭まで下げたのだ。 『不束者というか、ウッカリ者だが、宜しく頼んだよ』 そして、息子が娘になるに至っても、一瞬言葉は無くしたものの、相変わらず笑っていた。それどころか母親は、また子供の新ちゃんで遊べるだけじゃなくて、娘とのお買い物とか女の子ならではのお楽しみまで出来るのねぇ!と大層喜んだものだ。 ただ、『江戸川コナン』の戸籍を作ろうと思っています、と快斗が告げたときだけ、『そうねぇ、いい加減、その方が便利だわね』と頷き合いながらも、二人とも遣り切れない悲しい顔を一瞬だけ覗かせた。彼らの息子として出生した、確かに存在するはずの『工藤新一』の席は永遠に空いたままになるから、当然のことだったのだ。それでも、『必要なら手を貸そう』と書類作成から裁判所への申し立てに関する専門知識を要することに協力してくれたのは本当に有難かったと快斗は思う。 手早くかき混ぜた生地のもとを捏ねて、ねかせて。 冷蔵庫を開けたついでに、レモンクリームの準備をしておこう、と思って今度は買っておいたクリームの箱を取り出した。 工藤新一の、27回目の。 江戸川コナンとしては、10回目の。 世間的に見るなら、17回目の。 快斗にとってただ一人大切な、その人の生まれた日を祝う日。 一緒に迎えられること―もう直ぐ快斗の待つ場所に帰ってきて、同じ時間を過ごせること、それを何よりも嬉しく思う。 (プレゼント、になるといいなぁ) 折角の誕生日だし、どこかレストランでも予約しようか?と提案したが、外食=おめかし、という図式を脳裏に浮かべたらしいコナンは大きく首を横に振った。 それよりも快斗の手料理が好きだ、という言葉の真意はさておき、快斗はコナンの意向を最大限に汲んで、『うまい』とポツリと言ったことがある物を沢山作って、ケーキはコナンが最も食べやすい物を喜んでもらえる甘さに抑えて、コーヒーはとっておきの豆を用意していた。 そして、もう一つ。 一番大切な人の、大切な日に捧げるに相応しい贈り物も。 時計を見る。 昼前だ。 昼に件のボランティアは解散になるけれど、午後はコナンを祝いたい主に女性陣が控えているので、帰宅は夕方になるだろう。 わざわざ一週間前に隣家の主治医が『江戸川君、借りたいんだけど』と言いにきた。 別に江戸川コナンを暖かく迎えてくれる隣人に友人やお世話になっている知り合い、勿論ロスにいる家族も招いて誕生日パーティーをしても良かったのだ。けれど、GWの途中の日であるし、彼が彼女になっても相変わらず傍に居る快斗の存在に遠慮してか、皆が皆、当日少し借りるわね、という態度だった。快斗は別に彼が彼女になる以前とは何も態度を変えていない、と思っているが、端から見るとそうではないらしい。 コナンの両親からは大量のプレゼント―当然のように女性物の服飾だった―が昨夜のうちに贈られてきていた。中身を察したコナンは、片付けてくれ、と一言置いて殆ど見ていないが。丁寧に梱包を解いていた快斗はその中にある気の早い衣装の一つに苦笑を浮かべた。見られなくて良かったなぁ、と思った。快斗が少しばかり彼らに予め話をしていたせいだろう。頼んでいた用紙もちゃんと同封されていて、胸を撫で下ろした。 続く |