□お年頃事情・前□



江戸川コナンとなった工藤新一が、『江戸川コナン』の戸籍を作成し、それをかの魔術師が人生最大の奇術めいた禁忌的手法を使って、正式な公的事実として母国であるこの国の法律に認めさせて2年近くの年月が経過した。

それは同時に、江戸川コナンが工藤新一に戻る事を諦めると決意し流れた時間でもある。
工藤新一として生きていた時間に比べたらあまりに浅く短い。

しかし、あのしぶとくも諦めの悪い名探偵としても、元の姿に戻ることを諦めざるを得ない事情があったのである。





「コナン、そろそろコレ持って行けよ」
「え、あ、ああ。もうそんな時期かよ」
「28日周期らしいからなぁ。ズレなけりゃ二三日以内だろうし。薄いの付けといたら?」
「あーそうすっか。いきなりなったら面倒だ」
「…あのね、そこで何故スカートに手を入れる?!」
「付けるんだろ?」

つまり、この見た目だけは大層可愛い女子高生は、男の目の前で下着を下ろして生理用品の装着シーンを見せてくれるというらしい。生着替えかくやのショーだな、と男―快斗は思った。実に、はしたない。

「トイレでしてこい」
「…なんだよ、今更だろ?!」
「『コナンちゃん』?君、今すぐ犯されたいのかな?!」

裸など見慣れた仲ではある。確かに今更だ。しかし快斗は引かなかった。江戸川コナン、という女の子に、女の子たる自覚を持たせる役目が、彼にはあったからである。

「…洗面所ならいいだろ」
「急げよ。そろそろ家を出ないと遅刻だ」
「わぁったよ!」

パタパタとスカートを翻し急ぐコナンの薄い背中を快斗は見つめた。それから、コナンがスカートに手を入れたときに垣間見えた色の白い太ももとか、本気で襲い掛かりそうになった衝動を忘れようと、目を閉じた。
どんなに見慣れていたって、見れば心臓はドキドキいうし、欲しくなるし、ましてや制服のスカートからあの華奢な足が伸びている、という光景だけでも快斗の理性は削られていたりするのだ。

(やっぱ行かせたくねぇ…って、ワケにもいかねーし)

先月の終わり頃から快斗は個人的事情で殆ど外に出ていない。早く忌まわしい期間が終るように祈っている最中の彼女の登校日。
何より、本日は彼女の誕生日だとういうのに!どうして彼女が連休中にまで学校行事に借り出されないといけないのか。ちょっとした地域行事をお手伝いするイベントボランティアだと言うが、GWの到来に浮かれた馬鹿な野郎だのに絡まれたり誘われたらどうしようと気が気ではない。

(念の為、やっぱ発信機つけっか)

声をかけるのを遅らせて、ギリギリで玄関を出る時に、そっと付けてしまえば焦る彼女にはバレやしまい。元怪盗の得意技である。
快斗は己が、こと彼女に関しては並々ならぬ執着心を持ち嫉妬心が強く、そりゃもう大変心が狭いのを自覚していた。10年ほど彼女が彼として在った出会いの時からの付き合いではあるが、いっかな想いが薄らぐことはなく、日々増していくばかりだ。

彼が彼女になってからは一層、酷い。


 *** *** ***


江戸川コナンが工藤新一に戻れない、と彼の特殊事情とその肉体の変遷に関わってきた女史が宣告したのがおよそ10年前。丁度同じ頃、怪盗が世間から姿を消して、江古田高校の制服を着た少年が一人、帝丹小学校に通う少年の近くに現れるようになった。


それから5年目、大学生になってもなお小学生の傍に居た少年が青年にさしかかった頃、彼はいまだ少年だった彼に求愛した。
いたくごく普通の会話の中で、いともアッサリと「好きなんだけど」と青年は言った。
それから、今何か言ったか?と本から目を上げた少年に、お伺いを立てた。

「お前、俺のもんにしていい?」

12の少年に、22の青年が。
なんとも性犯罪臭い上、同性同士である。
しかし、少年の方は割りとアッサリとこの求愛を受け容れた。
軽くなく驚愕する青年に、そもそも、とっくに受け容れていた事だったろう、と少年は語る。
月夜に怪盗だった彼が訪ねてきて、探偵だったくせにソレを捕まえるでもなく、抱き締め返したときに、決めていたことだと言われ、怪盗だった青年は首をかしげた。
そんな話をした覚えは無い。

「だって、なぁ。オメーが言ったんだろ。いらないなら、くれって」
「…まぁ、それはそうだけど。でも、悪いけどさ、あん時には、まだそういう気持ちは自覚してなかったよ、多分」
「…そういう?どういう?俺か、それとも『工藤新一』に変装したい用でも出来たんだろ?」
「…変装って、なんだよ。どういうって、…こういう」

どうにも理解に大きな齟齬があるようだ、と青年は思い切って抱きしめた。
少年は嫌がるでもなく、大人しくしている。
ついで、そうっと口付けなんぞを青年はしてみた。

思いっきり殴られた。

「な、てめ、何の真似だ?!」
「あー、うん、なんとなくそんな気はしてた!」

今度こそ驚愕して青年を見つめてくる少年の前に、青年は正座した。
少年はソファの上に腰をかけて本を読んでいたので、自然、会話は青年が少年を見上げる形でなされる。

「お前の姿とか借りたいんじゃなくて、俺が欲しいのは、お前!工藤も江戸川もだ」
「やるって言ってあるだろ?変装でも扮装でもないなら、整形して戻ってきたとでも言うつもりか。黒羽の方を消すのかよ?それともなんだ、臓器でも寄越せってのか?!」
「違うってんだ、バーロぉおお!」

正座した膝に頭を埋めかけながら、青年は泣きたくなって呻いた。
少年曰く、彼は既に青年のものであるらしい。好きにしろ、とか。使え、とか。もしそれが青年が求めるものに対する答えだとしたらかなり酷い。
そりゃ最終手段として好きにさせてもらうかもしれないけど、できれば合意の下が良い。
正確な理解を得られなければ進展は望めないと見切った青年は、気を取り直して、一つ一つを確認していく。

「5年前、俺はなんて言った?」
「…工藤新一になれない江戸川コナンがいらないなら、寄越せ…いや、預かっておく、だっけな」
「うんうん、大体間違いねーな。それと?」
「『お前が要らなくても、俺には要る』…で、だ。お前、怪盗は辞めたくせにキナ臭ェ奴らとドンパチしてるだろ?」
「……」
「情報収集に工藤を使ってる」
「一応、聞いてるじゃん、『借りていい?』って…」
「構わねーよ。んで、ついにヤベーことにでもなって、『黒羽快斗』を一旦世間から消したい事情でも出来たんだろ?だから」
「違う。そこ、違う!俺は消えるつもりも無いし、それに預かりはしてても、工藤も江戸川もお前のだって思ってる」
「じゃ、何で今更」
「だから、こういう事で。そういう意味で、俺のにしたいんです」

すっくと正座から立ち上がり、青年は怪訝な顔をする少年の顔を両手で捉えた。年の差というより、元々の作りなのか、簡単に手中に収まる小さな顔は、非常に青年にとって魅力的で色々堪らなくなる。大体小学生でこの色気は何なんだ。大きな青い瞳はきらっきらだし、すぅっと通った鼻梁と野郎にしては小ぶりなのに赤く色づいた唇は悩ましいばかりで、散々に青年を惑わせている。
少年は眉根を寄せていたが、警戒も薄く、青年の動向を見守っている。
さっきの今で、そんな反応だということは、一切コチラの告白はスルーされているということなのだろう。

 ―ちきしょう、思い知れ!

青年はこれ八つ当たりかな、と思いつつ、少年の口に吸い付いた。
少年は、まさかまたそんな行為をされるとは、と慌てて抵抗しようとしたが、青年はその一切を封じた。
上から少年の唇全部を覆うようにして青年はその唇にむしゃぶりついて最初から舌を使った。現状を把握しきれない少年が割りとアッサリと口を開けてくれたから、あとはもう青年の思うがままだ。

本を読んで居る時に不意に口元に手をやる仕草とか、考え事をしながら時折指に歯を立てる癖とか、生意気な言葉を吐くこの唇に一体どれだけ意識が奪われたか知れない。
唇だけではない。鋭いのに、時に酷く優しく、見ているほうの胸を締め付けるような眼差しに、そんな目を向けられる誰かが、それこそ愚行を犯した犯罪者すら羨ましくて嫉妬した。どうせなら、コッチを見て欲しいのに、と何度も思った。平均よりも小さめながらに、着実に伸びて行く背丈、少し肩幅が出たせいか顔が小さくなって見えて、バランスは良いのに頼りなげな肢体。けれども未成熟とはいえ身体のラインは子供らしく伸びやかで、それを綺麗だと思って、そして触れたくなった。

接触を望むのはそこに欲望が存在するからだ、と直ぐに理解した。それでも、そんな感情は駄目だろうと、本能の欲動にストップをかけようとする理性はまだあったはずだった。
しかし、普通ならばなんでもないはずの光景に沸いた己の感情に、これは決定的だな、と降参する羽目になったのだ。偶々彼の学校に寄った時に目にした、この少年が他の者達と触れ合う姿。単にソレは、肩を組むような、おふざけの範疇にある、もしくは友情を確かめ合う子供らしいスキンシップのようなじゃれ合い。大人ならば、見守って微笑むのが普通だろうに、青年は少年に無遠慮に触れる手に殺意を覚えた。余りに簡単に、唐突に、人がしてはならぬ禁忌的行為を選択するのに躊躇いを感じなかった激しい衝動。

―誰にも触れさせたくない、自分だけが触れたい。

かくして、青年による少年を口説き落とす為の猛攻が始まった。

ついにそのしつこさとか粘りとか、なんやかんやに陥落したのはそれから2年後。
性的に色々気になってくるお年頃を狙われた、と少年は思っている。
それでもまぁ、相変わらず青年が傍にいることは嬉しかったし安心もできたから、予定とは違ったけれど受け容れもした。



―しかし。
更なる異変はその1年後に訪れたのだ。
少年は15歳の半ばを超え、青年は25歳になっていた。


 *** *** ***


最初の異変は主治医である灰原女史による新一の身体定期検査だった。
いわく、数値が妙に変動している、と。

「何の?」
「簡単に言えば、ホルモン数値ね」

それから灰原は非常に難しい顔をして、普段の定期検査以上の検査を行った。

検査に同行していた青年はそりゃもう心配した。少年の身体は―本来の形とは違っているのだ。それは少年が本来の姿よりも生きることを優先した結果なのに、まかり間違ってその生命を脅かすような事象が起きていたら、と、当事者である少年よりも真っ青な顔になった。
しまいに、少年の手をぎゅうと握って言ったものだ。「…やっぱり医学部受けなおす。俺もちゃんとお前の身体を診れるようにしておかねーと駄目だ。俺ぐらい頭よかったら、絶対何とかしてみせる、から。でも…もしも、もしも、だぜ?もし、何か駄目だっていうなら、俺は、絶対に一人でなんか逝かせない」泣きそうな顔で俯いてそんな事を言う青年に、少年は呆れた。
「バーロ、俺はしぶといんだぜ?それに、院まで終ってマジックステージの特許までとったマジシャンが何言ってんだ」
あまりに悲壮な顔をされるから、少年は落ち込み損ねてしまった。―青年といると、そんな事になることがよくあって。そんな瞬間が、少年にとっては堪らなく愛しいものだ、とこの頃には思うようになっていた。
力を込めて繋がっている手は暖かい。
青年が、少年が必要だとこの世界に繋ぎ止めた手だ。
少年が好きな、青年の魔法を紡ぐ手だ。
だから、どうなっても大丈夫だと、安堵しながら女史の検査結果を聞いた。





―だが、結果は余りにあんまりなものだった。




「解毒剤の副作用で、染色体に軽い異常があるモノがある、というのは以前にも言っていたわよね?」
「ああ」
「染色体上は間違いなく、46XYの男性型なんだけど、アンドロゲンレセプターに異常が出ていて、男性ホルモンがうまく作用していないみたいなの」
「あんどろ…?」
「えーっと…精巣から分泌されるテストステロンを受容する機能だっけ?」
「そう。彼の身体は例の薬が大きな原因だから一般的な病気とは違うのだけれど、…一番近いのは精巣性女性化症候群、かしら」
「…それ、って哀ちゃん、まさか」
「ええ…まさか、みたいなの」
「なんだよ?!」

訳知り顔の二人に、少年は焦る。
青年は口元を手で押さえて、妙な事を口走る。

「通りで、いつまで経っても可愛いと思ってた…!量も少ねーし!」
「…あまり聞きたい話じゃないわねぇ」
「なにがだよ!?」

探偵的知識は豊富でも医学系―死亡推定時刻や殺害手段や致死原因を特定する以外の―知識が少ない少年は蚊帳の外に置かれ、面白くない。

「それって、さ。命に別状は」
「無いわね。むしろ、命を守るために、そうなってきているんじゃないかって思うわ」
「なるほど。確かに、女性の身体の方が、ずっと丈夫だもんな」
「ええ、皮下脂肪を貯めたり、体温調節や身を守る体毛の点からいっても元来生き延びやすいのは女性体だわ」

「…おい」

低い声を出す少年に、慌てて二人が振り返る。
しばらく二人でどちらが話をするのか視線で押し付けあっていたようだが、最終的に担当医である灰原が重い口を開いたのだった。

「簡単に言うとね」
「ああ」
「貴方の体は」
「…からだが?」


「女性化しつつあるの」





続く




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