□その手で□ == == == *ゲームは松大(『青い/春』)ネタ == == == 深夜、某ビル屋上。 その日の彼はいつもの様子とは違っていた。 何が、彼をそうさせたのか。 駆けながら、今日の現場での全てを脳裏で再現して推理する。 *** *** 某国と繋がりのあるという密売専門出所不明な違法から偽造まで扱う宝石ブローカーの所持品から目的のモノをまんまと手に入れ、遅れて駆けつける形になった名探偵に『へぇー来たかよ』などと言葉を投げたのは、彼だった。 「あいにくここにゃ、名探偵を呼んでる死体はねーぜ?」 「テメーこそ、キッドキッド呼ぶ警部も観客もいねー所で何してやがる」 「怪盗を呼んだのは、美しき姫君(宝石)ですが、…まぁ成り行きだな」 「死体よりタチの悪ぃ幽霊に呼ばれて来てみりゃ、コソ泥とか。こっちだって成り行きだ」 「ほぉ、幽霊ねぇ…日本に居ない奴まで扱ってたのか」 「粉に石に人間まで手広く密売してたんだよ」 「通りで業突張りの面したオッサンだ」 「シンジケート潰しに必要なオッサンと、窃盗犯一匹オマケでゲットか。…悪くねーな」 「ちょ、名探偵まで業突張りとか柄じゃねーだろ。せっかくの綺麗な面が、欲で突っ張ったら台無しだぜ?」 「ざけた事ぬかしてんじゃねぇよ…ソレもいちお証拠品だ。返すんだな」 「まぁまぁ、一つくらい−」 互いの距離を推し量る軽口めいた会話を重ねて。怪盗がいつもするように、一つの石を月に翳して見上げた直後。 絶え間なく彼の顔に浮かんでいた優雅な―いや追う者をムカつかせる笑いは凍って、震えた白い指先。 探偵の位置からは、窓辺に立つ彼の白い姿は闇に浮かんで、驚愕している様子がよく見えた。 ―数瞬後、突如、数多の警官と手錠を掛けられた状態の宝石商が寝転がった部屋の窓を割った銃弾。 狙いは窓辺にいた彼に違いなく。 マシンガンほどの雨あられではなかったけれども、執拗に白い身体を狙い飛んできたおそらくはスナイパーライフルによる射撃。 彼は探偵が叫ぶよりも早く、寝ていた警官からいつの間にかスリ取っていた拳銃を闇夜に潜む狙撃手へ躊躇い無く放った。 高層ビル最上階の一室を襲撃できる場所は、威嚇用程度の拳銃ではとうてい狙えるものではない。 けれども、彼は幾度と無く、弾丸を闇夜に向かって放っていて、あまりの様子に探偵は「もうよせ!」と叫んだのだ。 恐らく彼の『敵』には効いていない。 判らないはずも無いだろうに、今まで彼との現場で御目に掛かったことの無い冷酷な瞳は、名探偵の及ぶ推測の外に有って、一体何を考えているのか全く理解が出来なかった。 それでも、止めなくてはならない、と強く思ったのだ。 「よせ、か」 「…キッド、そこは危ない」 探偵の叫びにピクリと腕を―拳銃を下ろした彼は、何故かまたも窓辺に立ち、その手に持った宝石をまるで窓の外側に居る者へ良く見えるように掲げていた。 そんな所にいたら、また銃弾が飛んでくる―と探偵の懸念は外れ、闇夜は酷く静かになっていた。 「もう、やめてもいい、のか?―それとも」 「キッド…?」 気障やハートフルさといった、名探偵のよく知る彼はそこにはおらず、ぽつりぽつりと自問自答のようなうわ言を呟いていた。 「餌は手に入れた。あとは、あと、は」 一体なにを言っている?と耳を欹てようとした探偵の邪魔をするかのように、バラバラ…と轟音が近づいてきた。 割れた窓から強風が入り込む。 直感的に、外から狙撃手が乗りこんでくるのだ、と探偵は理解した。 ―マズイ 先程の散弾を近距離から浴びせられれば、怪盗は探偵自信は勿論、意識無く寝転がっている者たちの命までも危ういことになるだろう。 怪盗への攻撃が止んだのは、おそらく怪盗の手にしているモノを確認したから―つまり、狙いはこの怪盗と同じモノ。 怪盗にとっては、警察や探偵から宝石を奪うという一幕が終わり、今度は同じ宝石を狙う者どもとの対峙する第二幕の幕開けか。 これはとんだ事態だと、戦慄したのも束の間。 探偵は、ヘリの照射してくる烈しい閃光の中で、妙に緩慢に動く怪盗の動きを見た。 いや、実際は素早い動きだったのだ。 けれども、一瞬だけ。 目を焼く光の中、刹那、怪盗は探偵と目を合わせた。 瞬きの後、怪盗は既に探偵を視界に入れていなかった。 気のせいで済ませてしまえる程度のホンの一瞬。 だが、確かに繋がった視線。 ひたすら眼前の光景を探っていた探偵の目には、怪盗の全てがコマ送りのように映っていた。 「欲しいか、こんな、石っころが」 心得ている読唇術で彼の横顔が噤む言葉を聞く。 「こんな、モンが」 唇をかみ締める。何かを堪えようとするかのように。 「ほぅら、よ!」 掲げていた手から一瞬彼の評する石っころが宙に浮き、ダラリと下げていた腕が素早く上がって、その手にしてた銃から放たれた弾丸は、躊躇い無く石を貫き―砕いた。 そのまま、石を、飛礫を、更に砕くように、近づく鉄の鳥を威嚇するように、更に銃弾は飛んで、そして。 「!? キッド―!」 白い姿が、窓の外へと消えた。 (まさか、馬鹿な!いや、これは恐らく) 第二幕の観客を守ろうとした退場 (ちくしょう、どこのモンだ、アイツ等) 鉄の鳥は落ちた鳥を探し急降下 (いや、そんなのはいい、アイツは) 窓辺から覗き込んだネオンの咲く闇夜 (…―!) 真実を射抜く慧眼は、鳥の行方を見切った *** *** そして、屋上。 「なぁ!ゲームしねーか、名探偵」 追いかけっこの終着点らしき場所で待ち構えていた怪盗の楽しげな笑い。 その妙に軽い声音に潜む何かに背筋につぅと冷たい嫌な怖気が滑った。 「―どんな」 「やり方は至って簡単!」 この外側に立って、ビルの手すりから手を離して、何回手を叩けるかを競うんだよ。 提案されたゲームは非常に心臓によくないものだ。 度胸試しに分類されるような。 怖くなって手すりにしがみ付くまでの間に味わう恐怖は死へのソレだ。 「どう考えても俺が不利だろ」 落下しても構わない装備を持っている奴と、落ちたら死ぬ奴では勝負自体が成立しない。 「大体、ビルの壁に垂直に立つような奴なんか、それこそ死ぬまでそこで立ったまんま手を叩いていられるだろうしな」 「そう?じゃあ、これなら?」 白いマントが翻って一瞬後。 「な、お前?!」 学生服姿の少年が一人。 「まずはこれ」 シルクハットをことりと床に置く。 もしや白い衣装やあの空飛ぶ道具がそんな小さな入れ物に入ってしまっているのか。 「そんで、これ」 からん、と投げ出される見たことのある改造銃。 「…さすがに全裸は厳しいから、身体検査でもするか?」 ばさりと脱ぎ落された黒い学生服。 さらには、靴と靴下をも脱いでいた。 「こいよ、俺と同じ場所に立ってみろ」 そうして、軽々とフェンスを乗り越えて、その、外側へ。 「なにを、考えてる」 「・・・なにも?」 初めてみる顔の少年の歪んだ嗤い。唇の端のつりあがり気味なところとか、放つ気配とか、確かに怪盗であった彼のはずなのに、さっきまで追っていた相手は全く違う存在に見えた。 付き合うべきではない。 これは探偵が追うべき相手には思えない。 それなのに、足は勝手にフェンスへ近づく。 「先に始めちまうぜ?カウント、しとけよ」 手を伸ばせば触れられる場所まで来たところで、少年はそう言うと、おもむろに手を離した。 広げていた手を ぱちん ぱちぱち ぱちぱち ぱち ぱち ぱち ぱちぱちぱちぱち 少年の笑い顔が闇とネオンの混じる世界に浮く。 「―ッ?!」 フェンスを乗り越えるべく、慌てて金網を掴む。 ―同じタイミングで、向こう側からの手が、金網を掴んだ。 「何回、だった?」 低い位置から見上げてくる眼は、面白がるような。軽い興奮を滲ませて。 「バーロー!」 フェンスから半身を乗り出して、手を掴んだ。 「違ぇよ、こっち、こい」 引き上げてやろうとしたのに、そうじゃないと逆に引っ張ろうとしてくる手。 腹が立って、更に強く引いてやる。 ああ、わかったわかった、とか、そんな事を呟いて、少年はフェンスの向こうにしゃんと立った。 探偵はフェンスを乗り越えず、一端床へ降りて金網を隔て対峙した。 「ゲーム、しようぜ?お前が勝ったら、その辺にあるモン、くれてやるよ。なんなら俺ごと」 「…怪盗キッドの廃業をかけた勝負ってか?」 「そ!…それならどう?やる気ンなんねーかな」 「なんねーよ、アホか」 ええー、とフェンスの向こうに不満顔。 「……」 「……」 手にした獲物を撃ち抜き砕いた今夜の怪盗。 返却先が不明の流入品とはいえ、持ち主が不在ならば警察へ盗品を返却していた怪盗の、返却を拒んだ真実怪盗らしい振る舞い。 きっと、怪盗が欲していた最初で最後の品だったのだ、と探偵は推測する。 「もう、いいのか?」 「…ああ」 怪盗を脱いだ彼は一体何者なんだろう。 ふと、そう、思って。 慌てて、その顔かたちや体型や、先程と変えていない音声を勝手に記憶しておこうとする探偵の―己の感覚に歯止めをかけようと試みる。 きっと、知れば。 知ってしまえば。 「一緒に、落ちて欲しいのか」 「・・・さぁね」 もう遊べなくなるのが、つまんないなぁって思っただけだよ。多分。もう、アレも使わなくなるし、…要らなくなるしさぁ。 うわごとの様に呟いて、少年は眼下に広がる光景を眼に映す。 ぱち ぱち ぱちぱちぱちぱんぱんぱん… 「…なに、何のつもり」 気を引きたかっただけだった。 しかし流石にそんな理由を述べるのは言い難かったし。 「お疲れさん、怪盗キッド」 適当に口にした言葉は、言ってみてそれなりに悪くないような気がした。 もっとも本当は、怪盗が怪盗足りうる時点で捕まえ切れなかった探偵への、負け越したまま終ること事への、慰めだったかもしれない。 「…探偵に労わられるとか、死にたいよな」 「そうか、好きにしろよ」 強い風が吹いた。 眼を細めながら、それでも視線は向こう側から外してやらない。 背後で何かが転がって行く気配。 シルクハットだろうか。 「捕まえる気になんないなら、他の奴に代わるか、帰れば?」 「そうだな」 「…行かねーの?」 「……」 背を向ければ、きっと彼の姿が消えた場所から、終らない手叩きが耳に聞こえてくることになるのだろう、と直感した。 こちら側にひっぱって少年を捕まえても。 むこう側に去っていく少年を見過ごしても。 追いかけていた怪盗キッドはもう、二度と誰の前にも顕れる事は無いのだ。 だったら、少年を知らないままでいても、知ってしまっても。 結局は、同じような気がした。 だったら―そうなのだとしたら、知るほうを選ぶのが、工藤新一という探偵だった。 『怪盗』が不可視になったとて、『彼』は『彼』なのだ。 探偵は、彼の謎が好きだった。 「怪盗のままじゃねーの、残念だけどさ…せめて、お前は残れよ」 「…残念?」 「俺だって、居なくなられたら、やっぱつまんねーんだ」 「―ホント?」 「ああ」 「結構、好き、だった?」 「ああ」 否定することも無い。 それなりに、やはり。好敵手への想いは、あって。 きっと、そんなどうでも良い感情が、今はこの少年に必要なのかもしれない、と思った。 「それに、お前はお前だろ」 「―ありがとう」 染み入るような、悪寒を刺激するものとは間逆に響いた声。 フェンスの向こう、頬を伝って行く雫が柔らかく光って見えた。 怪盗のものではない、少年の、泣きながらの、笑顔。 彼がこちら側にきたら、その肩を叩いてやろうと、そう思った。 |