□夕暮れに再び□



触れた手を離して、また掴みに行くから待っていろ、と探偵自らが切った期限は一週間後の日没まで。
同じ東都内に住んでいるらしい(何せソイツは明くる朝に「学校あるからそろそろ出るわ」と言って去ったのだ。米花町から朝に出て登校出来る学校に通っているとなれば、どう考えても都内在住者)、同じような体格の、似たような声質で、一見するととてもよく似た素顔を持っていた、その男。
人口密度がこの国で一番高いと言われる都市での人探しが始まった(多大なヒントはそこかしこにあった)。


(『待ってる』)
あの男は笑いながらそう言った。
探偵がその気になれば、きっと簡単に見つけるのだろう?と確信した上で。


人探しは、探偵を名乗る上で上手くこなして然るべき調査内容である。基本調査法に則り、起点を彼がよく出没し逃走経路に使う場所に置いて、そこから渦巻く円を描くように、まずは簡単にて判りやすく『よく似た高校生』を見たことはないかと己の足と顔を使って地道に聞き込みを開始した。勿論、文明の利器を使い(一般人を装って、彼とよく似た輪郭のみが強調して写されるようにして撮った写メを添付し『コイツ知らない?』とチェーンメイル)顔の広い友人の侮れない口コミ能力と友人自体の『良い男』情報の集積メモリに探りをかけて(なにしろあのお嬢様のそれはかなり高精度であり、とりわけ特徴的な相手を一度見ていれば直ぐに記憶の棚から引っ張り出してくれる、ある分野において非常に切れる頭を持っているのだ)。また日常に怪盗である事が触れてくる部分へのアプローチ―例えば、マジックに精通している高校生がどれだけいるか、とか。アレだけの仕掛けをやりこなすにはそれ相応の練習や下準備が要るはずだ、が―はたまた計算尽くしが可能なくらいのIQの持ち主でもあるのか、とか―探れる要素全てにアンテナを張り巡らせて。

そうして。

ずっと、ずっと。

探して、探して。






「見つけた」

思ったより、してやったぞ、というような意気揚々とした気持ちにはならなかった。
夕暮れ。
大きな川を挟んで、その向かい側。
少女と歩いている少年の姿。

走って追いかけようか。
それとも、今ここから大声を張り上げて、そこを動くな!とでも叫んでやろうか。

一瞬、少年の姿を目に捉えたその一瞬だけ、そんな事を考えた。

けれども、少年の肩を叩いて笑いながら走り去る誰か。(笑っている同じ制服の二人組。きっと、彼の同級生なのだろう)
少年を時々振り返りながら、話しかけている少女。(髪の長い。同じ高校の女子の制服。お隣の幼馴染という少女に違いない)
転んで泣いた少年に膝を折って、話しかけている姿。(日常においても彼はハートフルであるらしい)
そんなものをホンの数分の内に目にして、探偵は上がっていた息が妙に収まっていくのを感じていた。
走っていた足は完全に止まってしまっている。
動かなければ、彼には近づけないのに、縫いとめられたかのように動けない。
タイムリミットはもうすぐそこまで来ている。

歩いている彼らの向かう進路とは逆になるが、橋はある。今からなら橋を渡って追い付ける。間に合う。

「黒羽、快斗」

小さく調べの付いたかの少年の名前を呟いた。
呼びかけるものではなく、単に、自分に聞かせるように。

対岸に立ったとき既に彼は新一の正面を通り過ぎていたから、彼が振り返りでもしなければ、きっと気付かれることはないだろう。それに、かなりの距離もある。探偵自身が己に向けられるかの怪盗の気配に聡いことを棚に上げて、無遠慮に、遠ざかって行く学ランを着た背中を見送っていた。
例えば橋を渡って行ったって。
白い翼をつけていなくたって。
やっぱり捕まえられはしないのだろう、とそう思った。

「黒羽快斗」

もう一度だけ呟いて、探偵は踵を返そうとした。
―だが。

「くーどーおーーーー」

対岸から己を呼ぶ声。振り返る。その時には、もう先程までいた場所に少年の姿はなかった。
目を凝らせば(快斗ー?!)と呼ぶ少女の先、既に橋を渡り始めた彼の姿があった。
(悪ィ、じゃあな!)と少年は少女にそれだけ言って、呆然とする新一を睨んだ。少しばかり遠目でもハッキリと分かった。

「ん、だよ」

何故か後ろめたくて、探偵は少しばかり後ずさる。
どうしようか、と思ったが、川面が夕日に赤く染まっているのを見て、いや、コレで探偵としての面目は保てるじゃねぇか、とそんな事を考えた。


*** *** ***


感じたのは視線だ。
探るでもなく、ただ通行人がふと目を向けて見ているような。それなのに、妙にコチラの気を引っ張ってやまない、独特の気配。見過ごしてしまえるくらいの小さな警鐘…いや、高鳴り。それは学ランの黒い服ではなく、白い服を着ている時に感じる、これから何が起こるのかと不安と期待とをない混ぜにした観衆という存在が放つ視線に似ていた。
観衆、傍観者、ただ視る者。
川べりを歩きながら、一体誰がそんな目を向けてくるのか、とふっと左右に首を振って見る。
犬を連れて散歩をしている者、自転車で通り過ぎる者、ジョギング中の者…いや、進路方向を見る際に視界に入れた程度の視線ではない。先程助け起こした少年が、川の対岸にいる友達に手を振っていた。何事か大声で遣り取りしてコッチを指差す―アレだろうか?偶々コチラを見ていた?そんな気もしたが、何かが引っ掛かって足を止めた。
―今度は感じない。
気のせいだったのだろうか。いや。

「お前、か?」

期待しすぎてはいけない、と思いながら完全に立ち止まってぐるりと360度周囲を見渡した。
そして、直ぐに見つけた人。
かなりの距離があって、彼は何故か既に背中を向けていた。向こうには橋がある。やっと来たのか、と心臓がどくりと鳴った。だが。

「ちょ、おい?!」

あろうことか、帝丹高校の制服姿は川べりを離れて―橋の方にも向かおうとしていなかったのだ。
慌てて、彼の名前を呼び、駆け出した。

―いつもの帰宅道。
―あの夜から丁度七度目。
今日の夕日が落ちきったら、約定どおりに怪盗は探偵を攫いに行くつもりでいた。
あんなに近くで触れ合った後にまた顔も見れない日常が訪れて、怪盗は約束自体を反故したくてしょうがない―待ちきれない、直ぐに会いたい―気持ちを抑えるのが大変だったのだ。
思い出すのは、手の熱さとか触れた先の滑らかさとか、衝動的な瞬間とか、そんなものばかりで、いたく怪盗の平静を奪った。そして思い知る。たった一夜で、あの探偵に、工藤新一という男に惚れきってしまっていて、もう、どうにもならない所まで落ちているのだ、と。

それなのに。

大声で呼び止め、駆けつけてみれば、酷くばつが悪そうな探偵の顔。
てっきり鼻高々に『ほぅらよ、見つけてやっただろ』とでも嫌味ったらしく笑いながら現れるのだと思っていたのに。

「なんで、てめ、ギリギリまで待たせたくせに、声も掛けないって、どういう了見だ!」
「…見つけた、から。もう、それでいい」

平坦な声に、ザワリと背筋が慄いた。
やっと、やっと。
待って、待って。
期限まではコチラから動くのはルール違反だろうと、我慢していたのに。
怪盗である少年は険しくなる目元を隠せない。
探偵の姿を認めて高揚した心が、そんな言葉を投げつけて一切コチラを見もしない探偵の態度に、じわじわと冷やされて行く。

「それで、って何だよ。素顔見て、正体暴いて、それで満足したってことか」
「……っ、そ、うだ」
「それが、工藤の答え、か?」
「?答えって」
「言っただろ。会いに来るなら、その時は、工藤の気持ちを言えよって」
「……」
 
虚をつかれたような顔をした探偵に、快斗はもしや、と疑念を抱く。

「お前、いったじゃねぇか。怪盗を自分だけのにしたいって」
「それは」
「それは、お前の、ドコからくる気持ちなのか、って話だよ」
「どこって」

探偵なのに。
人の心理を見抜いて動きを読んで、真実を暴く人間が、己自身の真実に疎いなどとは有り得るのだろうか。
(いや、ちょっとあるかもとは思ってたけど)

快斗は待つ。
期限はギリギリまだ猶予があるからだった。
だって、陽は落ちきっていない。


*** *** ***

じっと見られている。
やっぱりさっさと立ち去るべきだった、と後悔した。
(気持ちって、そんなの、見つけて、捕まえて、そんで)

「分かってるよ、俺がおかしい!」

会いに来なきゃ良かった。
なんだ、隣に可愛い子が歩くような、ごく普通の生活をしているんじゃないか。
友達に囲まれて、楽しそうに笑っているんじゃないか。

見つけてしまった怪盗の―怪盗でない少年の生活の場に、真実を見抜くだの、罪人の咎を暴くだの、そんな無粋な真似をする探偵なんぞ必要ではないのだ。(まして、野郎の身体に触りたい男、とか)
そう思ったら、胸の辺りがキリキリするような痛みが沸いて、その奥がキュウッと締め付けられる心地がした。
物理的な攻撃を受けたわけでも、内臓疾患を発症した覚えも無いのに、涙が滲んできそうな妙な痛みだった。

「会いたくて、欲しくて、手に入れられないのが苦しくて、だから、もう要らないって思おうとしたってのに、なのに、あんな風にオメーが来たりするから。でも、すこし近づいたって、結局無理なんだ、わかってんだよ」
「くど…」
「俺のになんかなるわけがねぇ。していいもんじゃねぇ。お前に俺は必要ない」
「?!なに言って」
「もうお前の現場には行かない。お前も来るな。探偵なんかに近づくな!お前は、お前を大事にしてくれる奴といろ」

欲しいのに、自分のにしてやろうと思って来たのに、それがどれだけ驕慢な事であるのか、漸くに思い至った。人間一人を簡単に手に入れたりなんか、そもそも出来やしない。犯罪じみた発想だ。いや子供の我儘と大差がない。
そう思ったら恥ずかしくて仕方なかった。
言うだけ言って、もう二度と怪盗には、目の前のコイツには関わるまいと工藤は帰路をとろうとしたが、何故か少年のほうは工藤の前を退こうとはしなかった。
勝手な工藤の言い分に腹を立てているのか、と思って見遣れば、そんな表情ではない。
怒りどころか、嬉しげでさえある。

「な、」
「いいから。ココだと、ちょっと人目あるから」

不意に手を取られ、工藤の全身が緊張する。それに少年はクスリと笑うと、工藤の手を引いて橋げたの下へ連れて行った。

「名探偵、正解がまだだ」
「なに…」
「一週間で俺の全部を調べ上げたんだろ?ホラ、せめて呼べよ」
「…何を」

言うまでもない。
だから、怪盗は言わずに名探偵と唯一彼が敬する者の言葉を待つ。
赤い日差しは段々と陰りを増して、仄かな闇色に変わっていっている。

「呼べ」

川の水面を滑って吹く風は冷たい。
しかし今はそれが工藤にとっては僅かな助けだった。
夕日に照らされ熱せられていた―それ以上に内部から湧き上がっていた熱を冷やしてくれる。
呼吸を整えて、今度は呟くのではなく、宣告するためにその名を呼んだ。

「―…黒羽快斗」
「正解」


*** *** ***


「でもさ、残念!名探偵…タイムオーバーだ」
「な、に」

ハッとして工藤は黒羽の視線の先を追う。
夕日は残照だけを置いてその身を地平に沈めてしまっていた。

「約束だ、名探偵。…お前が俺のモノになれよ」
「…っ」

黒羽の手が工藤の手をひっぱって、その甲に口付けた。

押し当てられた唇の熱さが、あの夜を思い出させて、工藤の体温を一気に上げる。
拳を握って振り払おうとしたが、しかし、更に強く手を引かれて今度はもう一方の手が工藤の腰に回された。

「俺は、好きだよ」
「…なにいってやがる」
「好きだ、工藤新一」

日が落ち急速に辺りは暗くなって行く。けれど近接している者同士の顔は互いにハッキリと見えた。見えてしまった。
怪盗が、いや黒羽が真摯な目で工藤を見ていた。

「お前の、気持ちは?俺を追いかけて、俺が欲しくて、俺が、誰かと居たら苦しくなったりしたのか?…そしたらさ、その気持ちは何かって、いい加減わかるだろ?なぁ…。ホントにわかんねーの?」
「…うるせぇ」
「わかってるだろ。俺にわかるくらいだ。工藤が気がつかないはず、ない」
「嘘だ」
「何が」
「何で、お前、なんだよ?!」

真っ直ぐな目を見返して、とっくに気付いている真実が暴かれて黒羽の目に映っているのだと思ったら、もうとても居た堪れなかった。確かに欲しいのに、どうしてコイツなんだろうと、納得できない気持ちがまだどこかにあって、彼に真実を差し出すのを嫌がっている、いや怖がっているのか。

「…恋ってのはロマンチックにするもんだぜー?」

俺だってお前がいいのに、理由なんかちゃんと言えねぇよ。でも、俺はお前がいい。

ジタバタする工藤の心裡を嗜めるように、黒羽は言葉を紡ぐ。

「好きになったんだからしょうがねぇだろ?怪盗だってのに、お前から逃げなくちゃなんねーのに、会いに行くわ、捕まるわ、追いかけるわ、ホント、なんでなんだか」
「…ばーろー」
「探偵だってのに、怪盗に追われて、暴かれるってどう?」
「うるせぇ。分かったような事言うんじゃねぇ」
「うん、言わない。だってそれは、俺が自分に都合よく考えてるだけのことだからな。工藤が言うまで、真実なんかわかんねーまんまだ」

だから、言って。
暗くなっても、こんなに近くては誤魔化しはかなわない。
そして、工藤がちゃんと口にするまで、きっとこの体勢のままだというのも黒羽の様子から言わずとも見て取れた。
ならばもう観念して、本気でコレを手に入れてしまおうと工藤は決める。
ぐい、と両手で己によく似ているらしい顔を掴んだ。この顔の相似性のおかげで、実際調査に要した日数など3日程度だったのだ。所属している高校まで割れれば後は簡単だった。ただ、ギリギリまで本人には接触せずに、ただただ彼を取り巻く周囲とか、普段の行動とか、帰宅経路とか。…スカートめくりが趣味の女好きとか、幼馴染とは夫婦のように周囲には扱われているだとか、マジックが得意で女子に人気があるとか、そんな事ばかりを調べて。
そうして行くうちに、勝手に彼を遠くに思ってしまっていた。
一度は、この手に捕まえていたのに。

「好きだ。怪盗だろうが高校生してようが、俺はお前が欲しい」

そう言って、唇を奪ってやったのが、怪盗に対するせめてもの意趣返し。

「おー熱烈。でもさ、タイムリミット切れたし。お前が、俺のになれよ」
「?だから、それは、」
「どういうことかは、今から教えてやるよ。気持ちいいことしてぇし、お前ン家行っていい?」
「?!てめ、どういう」
「そりゃ、好き同士なんだし。俺もう一週間我慢すんの大変だった!」

あけすけだ。
若いんだし、好きな相手と居たらどうしようもなくなるじゃん、と既に硬くなりつつある部位を黒羽は抱きしめている工藤の腰に押し付けた。しかも、キス気持ち良かった。もっとしよ、の囁きつきだ。
つまりは、早速そういう流れにしたいらしい。

「ちょっとまて、なんで、俺、ホントにこんなのがいいのか?!」
「いまさらだぜ、工藤!」

恋はロマンチックになどと言いながら、生々しい触れ合いを求める似非ロマンチストに、工藤は、いまさら、いまさらか、そうか、と何故か今更色々と探偵としても男としても道を踏み外したことを思い知ったのだった。












オチを探して三本目。
多分オチたんじゃないかな!(いつものフワフワ)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -