□情事事変・前編□



俺は男で、アイツも男だ。
変幻自在だ何だと言って、女装姿も何種類か目撃したものの、コナンだった時に海に向かって空に墜ちた俺の身体を抱き込んだ奴の身体は紛れもなく野郎のそれで、誤解の仕様がなかった。
そんな明らかな男である人間に、いくらあの時に手近に―手を繋いでいた相手だからといって、『恋人』を称させるのは全く頭がどうかしていたとしか思えない。あの時の俺は多少、いやかなり可笑しかった。そんな状態の俺から出る言葉が内実を伴わない適当極まりないモノだったことなど、最初から相手とて了承していたはずなのだ。まぁ了承も何も取らずに、睨んで黙らせたともいうが。それでも、仮面夫婦ならぬ偽恋人であることも同時に了承されていたものだと思っていたから、想い人であった幼馴染やその親友(…)に、奴との仲をどうのこうの言われたところで、大して気にはしていなかった。
何しろ男同士の恋人だ。
しかも中身は怪盗で俺は探偵だ。
一体何の冗談かと我ながら思う。

―現実感がない。

まぁそれはそれとして。
そんな冗談のような相手を行きがかり上の恋人にしてしまったのは事実だ。
黒羽は、よくも付き合ってくれたものだと思う。
ダブルデートの途中で黒羽を放置して去った後、俺としては、嘘がバレても仕方ないだろうな、という気持ちでいた。
いい加減な設定を付けられ引っ張りまわされて挙句放置。
普通なら怒る。俺なら確実にキレる。
それなのに、黒羽はあくまでも俺の恋人に徹して彼女達とのお茶を済ませ、―俺が引き篭っていた部屋の窓を叩いたのだ。
蘭がわざわざ江古田まで行っていたことも、蘭に俺のことを聞かれた黒羽がわざわざ訪ねて来たことも、色々と衝撃だった。
その時は、放っておけよとそんな気持ちしか持てなかったが。

それでも、彼が俺を気に掛けてくれているのは解ったから、失恋に大荒れに荒れた自分の気持ちだとかと色々と折り合いがついたら、何かと世話をしてくれた彼に感謝を表わして、彼との恋人関係は解消してしまおうと考えていたのだ。
黒羽とて、やっとワケの解らない役目から降りられると、肩の荷を卸してホッとすると思っていた。

ところがだ。
肝心の相手が―偽の恋人が、本物の恋人になってもいい、と言い出した。

―ますます現実が遠いと感じずにはいられない。

それなりに、敵愾心以外の、慣れのような気安いような思いを抱いていた相手の馬鹿な言い分は、いっそ一笑に付して忘れてしまいたい部類であった。
と、いうのに。
何を血迷ったのか、奴は言ったのだ「セックスしてみたい」と。

ハッキリと示されたナマナマしい行為を求める言葉に、ようやく現実に引き戻された。
そして、気がつけばスッカリと奴が日常に入り込んでいて、その言葉が妙な現実味を持って迫ってきているのだと唐突に理解した。
大分、ボンヤリしていたのだな、と自嘲する間もあればこそ。
どうやったら、この厄介な相手を追い払えるのかを急いで考えなければならない事態に―いや考えたところで、追い払うのは無理そうだとか思ってしまうほど存在に慣れてしまっている自身のおかしさにようやく気がついたのだった。



奴は時折わざと『恋人だよ』と口にする。
最初にそう言ったのは間違いなく自分だったが、あれは決して奴に向けて言った言葉ではない。大体あんなに嫌がっていたくせになんだというのか。
一体どこから奴はそう言い出した?
記憶を辿る。
曖昧だ。
自分に手一杯で、奴の様子など殆ど覚えていなかった。いや、居たのは見ていた、聞いていた、ちゃんと記憶はしている。

『おーい、飯何がいい?』
『食え。残すな』

掛けられる言葉は、内容的には母親じみていた気がするが。
キッチンに立つ後姿。どこか楽しげに、後片付けまで。
流石に片付けまでやらせてしまうのは申し訳ないと思い放っといていい、後は適当にする、と言ったこともあったが、結局次に黒羽が来るまで放ったままだったりして。ヨゴレのこびり付いた皿に、怒り呆れて、しかし結局ソレも片付けてくれた。コレ放っといてどうする気なわけ?と聞かれたので、ハウスクリーニングでも入れるさ、と答えれば『工藤ってさ…ホント、…』…溜息に消えた語尾はよく覚えてない。

そんな事が2度3度あったあと、もはや黒羽は俺の適当な言葉を一切信用しなくなった。いや、信用というのではなくて、取り合わないというか聞き流すというか、まぁ聞いていない、という状態だ。とりわけ、奴のしたいようにしたい事(例えば掃除の遣り方だったり、食べ終わった食器は水にうるかしてから洗いたいとか、食後のお茶はほうじ茶か番茶がいいとか言ってコーヒーという希望をあっさり却下するとか、些細なことから色々)は、俺の意見などお構いなく、したいようにするようになった。

俺としては、勝手にやらせておけば、多少の不平(前述した家の仕様や料理の嗜好が奴優先になる程度)はあっても食事は美味いし家は綺麗になるし、居心地がよい空間が提供されるわけだから特に不満はなかった。
このあたり、『江戸川コナン』だった頃の―周囲に世話を焼いてもらっても極当然と享受していた精神が色濃く残っているに違いない。
学校は申し訳程度に行って、身の回りのことは主にお世話になっていた下宿先の彼女に任せて、おっちゃんにくっ付いて時に博士を動かし時々は探偵団に引っ張られて、事件を追いまくっていた。確かに楽だった。

子供化する前は、時々幼馴染の彼女の手を借りることはあったが、それなりに長く一人暮らしをしていたはずなのに、工藤新一に戻ってみれば、大分その暮らしを取り戻すのに苦労して、精神的衝撃もあって、食うや食わずでも何とかなるもんだよな、とちょっと人として駄目な方向に行きかけていたような気はする。
あまり覚えていないが。
この、覚えていない―思い出したくない部分に、思い余っての怪盗への凶行とかも含まれているから、やっぱり、『黒羽快斗』と直に関わる事になって、なにやら奴の思考に変化があっただろう辺りは曖昧なのだ。

しかして、直接に、アカラサマにいわれては曖昧には出来ない。―ような気がする。してはいけないような。放っといて、改善する部類の話ではない、おそらく。
なにしろ、怪盗のお節介を放っといて―言われるままにその厚意を受け取って、気がつけば生活の中に黒羽快斗が紛れ込んでいたのだし。

なのに、そう思っていたにも関わらず、俺は何をするでもなかった。
怪盗が入り込めないような鍵を付けるとか。
奴がおらずとも生活に精神に不安定さはもうないのだと、心や生活態度を入れ替えるとか。
何故しなかったのだろう。
したいようにするであろう人間相手に、諦めが勝っていたのか。

(その時には全く考えていなかったけれど、傍にいてくれる存在を自分から拒絶する場合に発生するかもしれない、罪悪感もしくは欠落感、もしかしたら沸き起こるかもしれない寂しさやらを選びたくなかったのか。―なんてことを、後になって考えた。)



  ■■  ■■  ■■



大概、奴は夕飯の支度が済めば、お役御免と俺の家から辞去するのが常態であったのだが、ウッカリと寝食を忘れて本を読みふけって奴の厚意である食事を冷えた状態にしてしまい、それを発見される事数回。
とうとう奴は「お前が寝るまで面倒みてやる」と言い出した。
ガキじゃあるめぇし、と返せば、ガキなら身体の欲求にしたがってちゃんとメシ食うし、暗くなったら寝るんだから、お前よりマシだろ、と失礼な言葉が更に返ってきた。
しかし反論が出来なかった。
いや、ガキと違って今更よく寝てよく食べる必要はあるのか?と、とりあえず疑問の形で口にすれば、ガキだった奴が何を言う、あの頃と同じ体重じゃねぇの?軽いんだけど?等とのたまう。確かに標準より幾分足りない数値(いや身長は平均以上あるはず)の肉体は、軽々と奴に運ばれる事もあったが。…やはり反論の糸口が掴めない。
結局、ズルズルと私室兼寝室のベッドの上に連れ込まれて、奴とにらみ合うことになった。

「さ、脱ごうか」
「ざっけんな!」

風呂上りに、さっさと服を着ろ!冷える!と喚いていた口で、今度は脱げとかありえないだろうが。いや、問題はそこではない。とにかく、ハッキリキッパリとNOを示した。NOと言える日本人だ、俺は。しかし、対峙する相手は更にNOにNOを平気で返してくる人物だった。

「いいじゃん?こないだ予告してたし。心の準備くらいしとかなかったワケ?」
「してねぇし、ヤル気もねーよ」
「俺は、ある」
「男だろ、オメーも俺も」
「恋人だよ、工藤」

にこりと笑う相手。厄介な種類の顔だ。強引に強行に、己の意思を通そうとする、自己の欲求を何より優先させるべきであると周囲を威圧するような。

「どうしても駄目そうなら、まぁ…多分やめるし」
「多分って、おい」
「だってよ?考えてもみろって。俺だってお前だって男なんだしさぁ、イイかどうか、誤魔化せないじゃん。駄目なら行為そのものが成り立たないんだし」
「……」
「駄目だったら、恋人でいるのも無理だろうし」
「……」

言われた意味を考える。
…まぁ、確かにそうなのだが。もし駄目なら、いや多分駄目だろうが、そうと分かれば厄介な問題だと思っていた「恋人」問題も片が付く。ホンの少しばかり検討の余地があるのかもしれない、などと考えていたのが不味かった。
思考の動きを読んでいたらしい奴の―黒羽の手と、顔が近づいて、首の後ろに回った手が顔を固定して、もう一方の手が顎を掴んで。―唇に、柔らかな感触。目の前に細められた深い藍色の瞳。
口付けをされていた。

「今日のところは少しでいいし、ちょっとだけ、な」

軽く押し当てていただけの唇を離して、窺うような提案。
世話好きのお人好しの女好き、という俺の中の奴のイメージと、最近随分と世話をされてスッカリ緩んでいた相手への警戒が、その提案を受け入れさせた。
ちょっとだけ、がドコまでか不明ではあったが、どうせ途中で出来なくなるだろう、と考えもした。
―少し、思い返すなり、自分側の感覚を見返せば気づいたハズだった。
してみたい、などと言い出す相手がそういった性衝動を「本気で」持っていたことに。
なにより、柔らく最初に触れてきた唇に、嫌悪も何も抱かなかった自分自身に。

結果だけみれば、多分、今度誘いかけられたら大変に不味い―どころでなくヤバイ事態になりそうだ、と確信するには十分な有り様。

触れてくる手に、指先に、唇に、アタマのナカが煮えるような身体が燃えるような熱を灯され、その奔流に呑まれた。コレはオカシイと抵抗をしようとした時は既に遅く、身体の中心に熱が集まってしまっているのを知られて、挙句ソレを丁寧に扱かれた。滅多に自分でも触れない部位への刺激は素直に―抵抗したい意思に身体が抵抗するように、残酷なまでに快楽を脳に伝えてきて、またも波に呑まれる。制止を聞いてくれない相手に、ただ縋って、促されるままにその手を濡らした。
整わない荒い息を吐く口を、またも唇に塞がれて、中を嬲る舌。求めるように俺の舌を探ってくるから、仕方なく絡めていた。やはり、嫌悪は無かった。
むしろ。

「どう?」

なにがだ、この野郎。
唇を離し、そう囁いてくる相手に俺が出来る事はせいぜい睨むくらいのことだった。しかし黒羽は動じない。それどころか、目を細めてフッと笑う。

「睨まれると、逆に、…そそられる、かも」
「ざっけんな!」
「なぁ、オメーだけそうなってんじゃねーし、さ。んな照れるな」
「何言っ」

手を取られ、ぐっと引かれて触らされた先の昂ぶり。
俺は全裸にさせられていたが、黒羽は上半身だけ服を脱ぎ捨てただけだったから、直接触ったのは布だったが、ソレ越しでもハッキリと解る体積を増し硬くなった部位。

「おま…ッ」
「やっぱ、クルなぁ工藤の顔。慌てるところとか面白いってだけじゃなくて、感じてるトコとか、なんだろ、カワイイ?」

楽しげに言いながら、ホラ握ってよ、と手のひらを上から押さえられて、掴まされる。

「ヤローに言う事か」
「確かにな。つまり、恋人だから言えることだろな、コレは」
「…何言ってやがる」
「だってさ、ちゃんと相手の行為に感じてるじゃん。なんなら、このまま最後まで出来るよ、俺。していいか?」
「…それ、は」

しないって言っただろうが!と主張するのは、逃げたい気持ちを見透かされそうで―敵前逃亡、という情けなさを味わう事になるような気がして、口にするのを躊躇ってしまう。こんなところで負けず嫌いな性分を出してどうする、とも思うし、早くこんなことは止めたほうが良いとも焦りもあるのに。流されて、これ以上おかしな事態になるのは、困る。しかし、自分だけが気持ち良さを味わい、このまま相手を放置してしまう、というのは同じ男として罪悪感もあった。

―いや、男なんだし、出して遣れば良いんだろうか。少なくとも、そうすれば黒羽言うところの『最後まで』の行為は免れるような気がする。

それに、だ。直接的刺激に弱いのは、そういう年頃でそういう反応をしそうな部分を探られれば、衝動のまま欲に従ってしまうのは仕方ない事なんじゃないのかとも思う。
いや、確かに。確かに、野郎が相手でそうなるのは多少おかしいことではあるが、間違いというのは往々にしてあるものだ。
すり…っと押し付けられる黒羽の欲のカタチ。
腕がヒクリと掌から伝わる熱と感触に震える。
落ち着かない俺の態度は色々と駄々漏れだったようで、黒羽はアッサリと逃げ道を提示した。

「じゃ、今日のところはお手伝いで我慢すっから」

そう言って、触ってて、と囁いてまた俺に覆いかぶさってきた。





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