■番外*葉っぱの悪戯■


くらりくらりと揺れ動く視界の中、心配そうな大好きな人の顔。
そんな顔しないで。
大丈夫、大丈夫。
そう思うのに、どうやら上手く笑えてはいないようで、目の前の綺麗な顔が顰められる。
変だな。

『かいと』

綺麗な顔の、とても美しい唇が名を呼ぶ。
呼び返したい、アナタの名前。
ひとつひとつの音に、想い全部が入りますように、って。
気を引きたいから、振り向いて欲しいから、俺の全部注ぎ込んで、いつだって。
いつも、そう願って。

『しんいちくん』


 *** *** ***


水を汲んだバケツを持った白馬が教室に戻ろうとした時、教室の近くで漂ってくる匂いに気がついた。これは、中に居る友人が水を待たずに火をつけたのですね、と簡単に予想がつく。人の好奇心をよく笑うが、彼とて物珍しい事には身を乗り出す人間だ。

「においは…まぁ悪くないですが…」

くん…と嗅覚に訴えてくる香り。

「少し、甘すぎますね」

女性向けと渡し主が言うだけあって、確かに女性向けに違いないと白馬は思った。自室で使うのは止めて、今度帰省した際にでも、白馬の家で帰りを待つばあやに持っていこうと決める。
半開きだった扉をガラリと開けると、そこには、なんともいえない光景が現れた。

「なに、してるんですか?先生、…黒羽くん!」
「おー、いいところに来た。白馬。コイツに水ぶっ掛けて遣ってくれ」

何故その状態で、この先生は平然としているのだろうか?
白馬は激しく疑問を抱くが、冷静な声を掛けられれば、一人パニックになるのは癪である。

目の前では黒羽が工藤を押し倒していた。
仰向けに倒れている工藤の脚をまたいで上に乗り上げ、胸下方腹上方の丁度鳩尾辺りにぐりぐりと頭を押し付けている。
腰辺りに両腕を回して思いっきりホールドしているようだった。
くぐもってハッキリとは聞き取れないが、「…ちくん」「しん…ん」と何かを繰り返していた。

「一体、これは」
「いやー、さっき灰原が持ってきた、ヤベー葉のほうに火が少し移ってな」

吸い込んじまったコイツさー、いっきなり力強くなったみてーで、退けって言ってもきかねーし。
かんらかんらと笑って言う工藤の姿に白馬は違和感を感じた。
はたしてこの教師は生徒にこんな真似をされて、笑って眺めているような優しい人だっただろうか?

「先生も、その煙吸いませんでしたか…?」
「ああん?俺が非合法なモノに手ぇ出すとでも?」
「そうではなく、多少…そのヤベー葉の方を嗅がれませんでしたか」
「窓開けたし、口元は押さえてたぜ?途中でコイツにちゅーされたけどよ」
「…は?」

思わず、マジっと工藤の顔を見つめる白馬だ。工藤はその生徒の顔を不思議そうに見返して、数瞬見つめあう状態になる。しかし直ぐに、工藤の胸元から上がった大声に二人の視線が向く。

「駄目だって――!」
「な、黒羽く、」
「俺の!俺のなんだからな!見るな、喋んな、触るなああァッ!」

ぎっちりと工藤の腰に回した手はそのままで、顔をパッと上げて白馬を睨む姿に、白馬は頭を抱えたくなった。

「俺の、俺の、もうこの人は俺のンなんだ!」

この級友の『工藤先生』へ向ける少々どころでない熱視線だのアレな言動だの、時折先生を苗字ではなく下の名前で呼ぶような場面を垣間見た事もあって、おそらく旧知の仲であり、また級友が何某かの想いを寄せる相手なのだろうと推測していたが、こうまでアカラサマに独占欲だの執着を示されると、白馬としては掛ける言葉も浮かばない。
普段は抑えているだろう本音がだだ漏れだ。アヤシイ葉のせいで、アヤシイ状態になっている。

俺の、と壊れたレコーダーのように繰り返す姿に脱力のあまり頭を抱えてしゃがみこみたくなったが、そういった行動は白馬の美意識にそぐわないので、辛うじて、指先を額に充てて目を瞑って現実をやり過ごそうと試みる。彼の姿もアレなのだが、何が嫌って、そんな状態の快斗をニヤニヤ笑って見ている教師の姿だ。やはり、これは教師のほうも少々おかしい。白馬はどうしたものかと思案する。二人まとめてバケツの水を被ってもらおうか。いや、しかし教師の方はまだ多少はマトモなはずだ。後で、俺まで巻き添えにしてんじゃねぇよ、と怒られるは嫌だ。

「バーロ…、誰が誰のだってんだ?」
「俺の。しんいちくんは俺のなの!会った時から決めてたんだ。俺の嫁にするって!」
「嫁……男子高校生掴まえてンな事考えてやがったのか。やっぱ馬鹿だな、オメーは!おもしれっ」
「最ッ高に見る目あるだろ?!」
「さぁなーつぅか、もう離せよ」
「いやだ」

快斗の手がズボンからシャツを引っ張り出して、直接肌に触れようと蠢き出す。ひやり、とした手の感触に工藤は笑いを引っ込めて、む…と眉を顰める。簡単にいいようにされるのは、年上としてプライドが許さない。
―水掛けてやろう。いい加減重いし。
腰のベルトからシャツがはみ出し胸元にぐりぐりと頭が押し付けられたせいで、大分乱れた有り様になっていた。
そんな状態に更に目を逸らして動かなくなった白馬に焦れた工藤が、なんとか動こうとしてまず上半身を起そうと試みる。肘を立てて少し頭を起こした事で、目の前に快斗の収まりの悪そうな髪のとつむじが見える。ふわふわと鼻先をくすぐられる感覚に…ふっと息を吐くと、快斗が顔を上げた。
なんだか非常に、目を背けたくなるような、蕩けた顔をしている。
甘すぎる。こんな奴だっけ?と思う工藤だ。
何時もなら阿呆面で片付けてしまう顔のはずなのだが、目元を緩ませて嬉しそうに笑って「しんいちくん、俺の」などと言う様子はカワイイな、などと思えてしまう。
嫁だの何だのと言ってることはオカシイが、まぁ好意でもって慕ってくれているのは解る。好かれて悪い気はしないものだ。

工藤には、自分の思考が少々生徒が吸い込んだものと同じ何かに侵されている自覚はなかった。

「ホラ、どーけ」
「嫌だ。離れねぇ」
「このまんまオメーに水掛けたら、俺まで濡れるじゃねぇか」
「え?濡れてんの?」
「は?」

緩んだ思考の自覚の無さから―工藤は快斗の動きへの対応が、遅れた。
腹辺りから上へと探っていた快斗の手が下に伸びた。

「ばッ!ヤメロッ!!」

「へ、…ッ!?な、何してるんですか、黒羽くん!」


 *** *** ***


直ぐ目の前に、恋しくて焦がれて、どうしようもない人がいる。
その人に触れている箇所はジン…と熱くなってきて、言い知れぬ熱が胸のうちを苦しいほどに満たしてくる。
でも、それでは足りなかった。不足ではなくて、この胸中で暴れる狂う憧憬や愛しさや執着や、自分のモノになってくれないつれない相手への不当な子供の染みた怒りや上手く伝えられない苛立ちが、出口を求めて溢れそうだったのだ。いっそ溢れさせてしまいたい。
そうすれば、総ての想いを捧げるたった一人のひとも解ってくれるだろうか。
そう、足りないのは同じ熱情を返してくれる相手だ。この持て余す程の気持ちをどうしたらよいか。受け取り手が不在では、行き場ない想いはより一層己の内部を荒れ狂わせる。
たった一人しか、受け取って欲しい相手はいない。その人にだけ向かって沸く熱と、キモチ。彼に、ソレが伝われば良い。
少しでも、解って欲しいから。


*** *** ***


慌てて快斗の手を止めようとした工藤だった。が、「離せ、ば…」抗議の声は途中から、唇を唇で覆われることで塞がれる。
起こしかけた頭の後ろに手が回されて、グッと掴まれ上に持ち上げられた。それに、覆いかぶさる相手の顔が殆ど距離ゼロの位置にくる。反射的に殴ろうとした工藤の右腕は素早く肘下を取られたことで力の向かう方向を変えられて、その一瞬ちからの抜けた腕は、そのまま押さえ込まれた。とはいえ、頭と右腕とで快斗の両腕が使用中となれば、工藤は左で攻撃を仕掛け直すだけだ。
それなのに、右手の拘束は直ぐに解かれて、あろうことか、指と指とを絡めるようにして手を握ってきた。
キュッと軽く力を込めるだけの、恋人繋ぎである。
おお、ロマンチックじゃねーか!などと感心しそうになった工藤である。口付けは決して悪いものではないし、柔らかく触れようとしている相手を、暴力でねじ伏せるのは可哀想な気もした。とりあえず下半身への侵攻は止まっているし。

―しかし、第三者の声に我に返る。

「いい加減、離れなさい!黒羽くんッ」
「!」

どうやら、自分も少々イカレかけだったらしいと漸く認識が沸いた工藤はぱちぱちと瞬きをした。

そのすぐ先にはうっとりした目。夢うつつでもあるのか、そんなに―気持ちがいいのか。ぬるっと舌の裏へと廻る快斗の舌先は妙に器用だ。気持ちいいかもしれない。だが、理性を取り戻した工藤に、公的空間な教室で、ましてや他生徒のいる前で流される、という選択肢は無かった。口中をまさぐる舌先を噛み切ってやろうと思ったが、殺人とか血みどろは面倒だし嫌だなァと思い直して、空いている左腕で腋の下に手を入れる。

「!?ひッ…!へ、ひゃははは」

色々と感度が上がっているのだろう。すぐに身体を丸めて笑い出す。
工藤は、色々醜態を晒しそうだった己の事については黙殺し、極めて冷静な声で、先程から顔を赤くしている白馬に命令した。

「ぶっかけろ」


 *** *** ***


「そんなオイシイことがあったなんて…!」

どおりであの時、先生の腹チラとかが目の前に…!ちくしょう、殆ど覚えてねぇ!!

白馬から事の顛末を聞いた快斗は、工藤にやらかしたらしいことに後悔と懺悔と後悔と反省と後悔と、あと後悔とをしていた。ほとんど記憶が無い事への後悔である。ちゅうだと!?押し倒していただと!?覚えが無いのが、本当に悔しくて堪らない。
大体、そんな大それた事をしていたらしいのに、正気を取り戻した快斗の前にいた工藤の反応は睨む程度で、あとは溜息ついて、むしろ心配してくれていたくらいで。
白馬の見立てでは、工藤もちょっとおかしかったと言うし。
僅かな記憶を思い返すだに、ますます勿体ない。
気分がまだ悪いとか何とか言って、そのまま保健室あたりに先生を連れこんで続行したかった…!

ズゥウウウウウン・・・と落ち込んでいるように見えて、その実、「もっと…、出来れば最後まで…!」とか呟いている級友(まかり間違っても親友ではないことにしたい友人むしろ知り合い)に、白馬は彼と出会ってから時折思っていた言葉をしみじみと漏らした。

「まったく、…君くらい、僕の常識と想像とを超えようとする人間は初めてだ」

あの恐ろしい人に、自発的ではあるとはいえ半ば脅されては言う事を聞かせられているような状態(風紀部命令)だというのに、その実、いずれあの人を己のモノにしようと考えているなどと、無謀も良いところ。
けれど、彼の諦めない様子と、尊大ささえ潜む恋心に忠実な姿は、もしかしたら?と思わせるには十分なもの。
本当に、もしかしたらもしかする事もあるのかもしれませんね、などと白馬は考えるのだった。

何しろ恋愛に絶対はない。全てを左右するのは、想いの強さなのだ。




   ■■ 終 ■■






コレにて終了!


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