□貢物□
(哀ちゃん視点になります)



『もうすぐ、サイン会始まりま〜す!』
『整理券をお手元にお持ち下さ〜い!』

ざわざわとしている会場に、スタッフが拡声器越しにお知らせを告げる。

主賓用の出入り口のドアを細く開き、私と主賓アイドルはその様子を覗いていた。
私達の後ろでは、流石に場慣れしている江戸川くんの母親兼社長が、楽しそうにニコニコしている。集まったFAN層がどんなアレであれ、予定の倍以上のサイン会の整理券発行に、ソレに見合った写真集の売れ行きに大層満足ゲであるらしい。
…お金を稼ぎたいわけではないから、単なる親馬鹿なのかしら、と思う。

「あの馬鹿、遅いでやんの」
「そうねぇ…ハートフルな人だから、どこかでまた人助けでもしてるのかもね」
「…嫌味か」
「あら、そんなに寒かったかしら?それとも、彼が傍にいてくれないと不安なの?」

可愛らしく睨んでくる『作られた可愛い』顔に、からかう様な言葉を投げれば、グッと詰って「そーじゃねぇけど!」と言ってプイとそっぽを向く。
やはり、それもまた可愛い。

コレが江戸川くんだったらどうだろうか、と。中身は間違いなく江戸川くんである本人を前にして、ふとシミュレーションしてみる。
なぜかしら…あまり違和感がない。
では、工藤くんならどうか。
これまた変わらないような…いや、そんな態度を見せること自体が滅多に無いはずの男子高校生の照れ姿…ツンデレ度が増量するような気がする。
どちらにしろ、可愛らしいのは変わらないわね、と思う。

「あ、合図だ」

サイン会の進行役が、ステージ近くに移動しながら、ドアに向かって軽く手を振る。彼の紹介と共に、アイドルはFANの前に出て、お仕事をしなければならない手順になっていた。サイン。サイン会の話がくる以前から、さんざんに有希子さんに練習させられたアレを披露するのだ。影武者さんが一番模写するのに苦労していたアレ。

「彼、間に合いそうに無いわね。念の為に聞いておくけど、寒いの?」
「いんや、平気」

しかし些か元気が無いようにも見えたので、どうしたのかしら、と様子を窺う。
…ああ、いつもなら彼が苦手な場面で、彼のご機嫌をごく自然な会話で回復させるあの人が居ないからなのね、と理解した。
今度から、本当にアイドルを思いやってるなら傍を離れないようにと、言っておかなければ。

『はい、では会場の皆さんで、こなんちゃんを呼びましょう!』

『『『こなんちゃ〜ん!!』』』

予想と違う、可愛らしさから遠い呼びかけに(いや、それでも少しは子供の声も混じっているのが救いだ)、判っていたのに何か言い知れぬダメージを受けた気がしながらも、私は、そっとアイドルの背中を押した。


その数秒後だった。

サイン会場が、とんだ演劇場になったのは。


 *** *** ***


唐突に、会場の電気が落ちる。
今日は曇天で、窓から差し込む日は殆どないから、一気に会場内が暗くなった。

「なに…?!」

思わず主賓用のドアを半分以上開いて、目を凝らす。
アイドルを狙ってオカシナ事態が起こりでもしたら、と不安が沸いた。

しかし、次に場に響いてきた、聞く者を引き付ける声。
覚えのあるその声とフレーズに、一瞬私はフリーズした。


『レディース・アーンド・ジェントルメーン!…アンド、お久しぶりです、マイ・プリンセス…』

パッと、サイン用の机辺りの電灯だけが光を放つ。
光の中、浮かび上がったのは、移動中に、ステージ上で立ち止まっていたアイドルと、その前に跪く、白い怪盗の姿だった。

突然の事態に、ざわついていた会場は水を打ったように静まり返った。
エンターティナーの声だけが、その場を支配する。

(何してるの…アレ…)

「先日は、私のお願い事を聞いてくださいまして、ありがとうございます」
「あ…ああ」
「今日はそのお礼を、と思いまして…お手をよろしいですか?私の姫君」

(姫…私の、ねぇ?)

促され、姫君呼ばわりされた『こなんちゃん』がおずおずと手を差し出す。
恭しくその手を取ると、怪盗がその手の甲にそっと唇を寄せたのが見えた。

チュッ、とそんな音までもが響いて聞こえる。

「な!…にを」
「これから、寒い季節になりますからね。どうぞ、お使い下さい」

一瞬の隙にキスだけではなく、怪盗はこなんちゃんの手に手袋を嵌めていた。

「姫君が、寒さに震えぬよう、不敬な輩に汚されぬよう、私が望むのはそれだけです」

言いながら胸に手をあて、これまた気障に―優雅に立ち上がって、今度はこなんちゃんの首にも、白の、手袋とお揃いらしいファー素材の小ぶりのチョーカーを巻く。

「では、失礼致しました…」

最後にクルリと返した手からポンと出した赤い薔薇を一輪こなんちゃんに捧げ渡すと、怪盗はお得意の煙幕を張って姿を消したのだった。


 *** *** ***


「で、何がしたかったのかしらね、あの怪盗さんは」
「…だって…」
「まぁ、お陰で握手が手袋越しで楽だったけどな。なんか、妙な臭いさせた手ェ出す奴もいたし。事前に拭けって指示してあるの無視すんな、っつの!もっともサインは書きにくかったけどよ」
「でも、せっかくの怪盗さんからのプレゼントが…もうくたくたじゃない」
「あ、コレ…。色違いもあるし。勿論同じのもあるから…」

事務所(というの名の工藤邸)に戻ってから、リビングのソファの裏でゴロゴロモゾモゾしていた黒羽くんが、どこからともなく大き目の紙袋をススッとソファ越しに差し出してきた。
ようやく口を開く気になったらしい。

怪盗さんの出現で、あの後サイン会場は混乱したけれど、アイドルが『せっかくだから、このまま、サインするね!』と言えば、何とか予定の運行を取れるようになった。鶴の一声だったと思う。その場で通報されて警察が入り込んできたらとても厄介だと思ったが、何故かそんな事態にはならなかった。前回の、写真集の宣伝に便乗させてしまった騒動のお陰かもしれない。あの怪盗がこなんちゃんの元に来るのは不自然ではない、と。

(世の中、何がどう動くのかわからないものね…。もっとも、一番不可解なのは彼のようだけど?)

時間は延長したもののサイン会を無事終えて控え室に戻ると、膝を抱えてパイプ椅子に座っていた半怪盗さん(メイク係とは違う、青いシャツに白いズボン姿でモノクルがつけっ放しだったので、そんな感じに見えた)は、一言「ゴメン」と言ったきり、ずっと無言だったのだ。様々な役を不自然なく遣りこなす彼のポーカーフェイスの下の思考は測りかねた。
こなんちゃんも、控え室に戻るまでは『何考えてんだ、あのバ怪盗は!』と大層ご立腹だったけれど、無表情のような、しかし項垂れている様子がアリアリと判る相手に、結局文句を言うのは止めてしまったようだ。

「…随分、たくさんあるのね」
「こなんちゃんに似合いそうだって思ったらさー、ついつい。兎柄のとか、可愛くねーか?」
「ふぅん…」
「あ、小学校の登下校には、こっちのな!」

もう一つの紙袋と共に、ようやくいつもの黒羽くんの顔が現れた。
ソファの背を軽々飛び超えてきて、そのままソファに腰掛ける。

「…へ?」
「男の子用もいっぱい種類があったんだよなー。コレとかさ、指先出るから、探偵して現場検証してても邪魔にならなそうじゃね?」
「…そりゃ、ワザワザどーも?」
「…良かったわね、江戸川くん」
「あ、勿論、哀ちゃんのと、有希子さんのは、ちゃんとレディ専用のブランドもの探してくっから!」
「アラ、催促したみたいでゴメンナサイ?」
「いーえ、全然」

少しだけ、調子を取り戻した怪盗さんに、偶にはこちらがハートフルに対応してあげるべきよね、と考えて。

私はココアを入れてあげることにした。




 ***終る?***



彼が貢物を忘れないなら、あんな真似をした理由について、あえて追求はしないでいてあげようかしら。






やっちゃった!的な。

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