1・発端

帝丹学園は、数年前まではごく普通の高校だったという。
緑地に囲まれた丘の上に建ち、自然と光に溢れた学び舎で学生達は青春の汗を流し勉学に励み、地域の評判も進学率もよく、時折文化部ないし運動部が全国に名を連ねる成績を修めることもあって知名度も悪くなかった。お陰で毎年の入学希望者はそれなりに定員を超えて応募があり、学園経営は安定していたのだ。

それが、つい数年前に学園の管理者が強引な遣り方で変わってからは、教師の総入れ替えを始めに、明らかな教育指導水準の低下、生活指導への消極性が顕著となり、偏差値は低迷し進学率もまた地を這う有り様に。
入学希望者は激減し、経営の為の生徒確保が優先された結果、成績選別どころか素行選別さえもされぬ所謂『不良』と称される中卒者が入学し、学園のそこかしこにタムロするようになった。

もっとも、その来る者拒まずの姿勢により、掬われたアウトローな学生もいて、黒羽快斗もまたそんな生徒の一人だった。
なまじ生来非常に頭の良かった快斗は、中学時代は中二病的な何かを患い所属中学で知力と暴力と威力にて番長と呼ばれる存在になり、進学した先の江古田高校にて、入学早々に暴力沙汰(他校との番長同士の諍いが発端の不良間抗争)が警察沙汰になって退学という処罰を受けた。だが、母親が帝丹学園を見つけてくれたお陰で、なんとか中卒ニートな道は歩まずに、高校生生活を継続出来る事になったのである。

学校は黒羽家とは遠く離れた場所にあり、一人暮らしを余儀なくされたが、地元を離れたことで、快斗は今度こそ普通の高校生になろうと心に誓ったものである。

―しかし、そのささやかな野望は、転入先で運命の人と再会したことで簡単に潰える事になった。

荒廃が進む帝丹学園には、その荒廃を食い止めようとする教育熱心な先生がいたのだ。
そして、その先生こそが、快斗にとっては彼の短い人生の中で最大の恐怖と畏敬の象徴であり、実は快斗が一人暮らしをしているアパートの隣人でもあり、さらには転入先の帝丹学園における担任かつ数学教科担当先生であり―なにより、幼馴染であり、初恋の人であったりしたのだ。
ゆえに。
学校を正常化させたい先生の手伝いをすると決めた快斗の学校生活は、普通とはかけ離れた部活や何やらをしなければならなくなったのである。

恐怖と外的要因(お隣さんだった工藤家の引越し直前に、鉄棒から落下した快斗は頭を打っていたらしい)により初恋の人の記憶を失くしていた快斗だったのに、出会ってしまえば後は奈落へ一直線だった。なにしろ、怖さも強さも変わってない『新一くん』は、そのまったき強さに彩られた美しさも、ふとした一瞬に見せるトンデモナイ可愛らしさも、なにも変わっていなかったからだ。

再び恋に落ちるのに時間は必要なかったのである。

たまたま同じクラスの隣の席になった帝丹学園での新しい友人・白馬を巻き込みつつ、快斗少年の直向きな努力―先生への身を尽くしは高校生活の全てとなりつつあるそんなある日のことだった。



放課後、教室に残れと言った快斗の幼馴染である新一くんこと工藤先生は、管轄している『風紀部』の面々に向かっていっそ厳かに命令を下した。


「仕事だ、風紀部。女装しろ」


『風紀部』というのは、学校の正常化を図るために結成された学内風紀を影で取り締まる=不良を締め上げる活動を主とした部活である。顧問は工藤新一。部員と呼べるのは、工藤先生に忠誠と愛を誓った黒羽快斗と、その彼と席が隣だったばかりに巻き込まれた白馬探、以上二名である。

「…し、いや工藤先生の方が似合うと思います!」

逆らわないほうが身の為だと思い知っている部員二名は大人しく椅子に座って教師を見上げていたが、ぴらんと示された帝丹学園女子用制服を見た瞬間、快斗は思わず挙手して言い放っていた。
ドゴンっと快斗の頭が机にめり込む。
椅子に座った状態で真上から踵落としを見舞われては、当然の結果だった。

「…だ、いじょうぶですか?!黒羽くん」
「へーきへーき!つぅか、前後を話そうぜ?工藤先生―」

頭からダラダラ流れている血は踵が額を切ったのか。元々勢いよく血の出る部位だが、どんどんと机の上に血だまりが出来ていく光景は、心楽しいものではない。それでもニコニコ笑って顧問を見上げている隣席の少年に、白馬は軽い恐怖を覚えた。
さらに、なにが嫌かって、生徒をそんな状態した顧問が、一切彼を意に介していない様子である。
―なんなんですかこの二人は…。と白馬は思わずにいられない。

「今度、寮祭があるんだが、不良のたまり場になってる第二男子寮で気になることがあってな。寮祭にまぎれてちょっと調べてこい」
「寮だったら、白馬寮住まいじゃん」
「いえ、僕は第一寮生で、第二のほうは入ったことがありませんね…。悪そうな風体の方々がいつも寮の入口やロビーにいて」
「いつも?」
「ええ、大体は」
「寮の面子ってのは顔見知りなんだよ。毎日同じ場所で生活してるわけだからな。つまり第二のほうの奴らにも面が割れてるから、侵入したら直ぐバレるだろ。しかもいつもは見張りがいるワケだ」
「寮祭…だと、多少不良の眼が緩む?女装してれば迷いましたーで、なお良し?」
「そういうわけだ」

ほうほう…と言いながら、快斗は早速女子生徒の制服を手に取る。「血ィつけんなよ」とおざなりに先生が言う。

「気になること、とはどういった種類の事でしょうか?」

あまり心楽しくない予感―悪寒を二着の女子用制服に感じつつ、白馬はもう少し情報を、と問いを重ねる。曖昧に潜入しても目的が不明瞭では無駄な行為になりかねない。

「…植物。種子もしくは乾燥状態のモノがあったら、何が何でも持って来い」
「……まさか?」
「こないださぁ、先生、繁華街で生徒指導してきてたよね?そういう馬鹿、いたの」
「持っていたのは無職少年だったんだが、ソイツに売った奴ってのが近隣高校の制服着てた学生らしくてな。コナだったら、流石に精製がいるだろ。それが乾いた葉っぱだったからな…。栽培さえ可能な環境があれば、日当たり良好なこの学園内でも可能だろ?」
「近隣高校…具体的には―」
「どこかで見たような、制服っぽいカッターシャツとズボンらしい、って事なんだが、色がなー、ココのでもそう見える色でさぁ」

何もなけりゃ、それでいいんだぜ?でも、オイタもすぎると笑えねーんだよなぁ…と物騒な眼で口元を歪める先生はそれはもう恐ろしかった。

第二寮は、学園を乗っ取って荒廃させた学長側が雇った教頭の、その息子が寮監すら叩き出して寮内の権限を握っていて、第二寮生以外は教師でさえ近づくのに教頭以上の許可がいるという状態にあるという。確かに色々とやりたい放題な状況だろう。が。

一体ドコの馬鹿だ。元から恐ろしいこの人を更に恐ろしくさせているのは!

なんだかんだで勘の良い生徒二人は、もしかしたら校内にヤバイ代物がありそうだと、流石に事の重大さに顔を顰めた。

「葉っぱの栽培かぁ」
「その程度なら、確かに…可能、でしょうが」
「先生の権限で寮監査とか出来ねーの?」
「バーロ、大々的に見つかったら学校ごとアウトだ」

ああ、なるほどねーと快斗は肩をすくめた。確かにそんなモノが見つかった挙句に、警察沙汰にマスコミ沙汰になれば学校のイメージダウンどころの話ではなくなる。要は内々で処理して処分してついでに不良駆除までしたい、という事なのだろう。工藤先生のことだ。おそらく学園内で調べていないのが、第二寮だけという状態で、しかし下手に教師が立ち入るわけにもいかずに、風紀部を使うことにしたのだ。

―もっと早く言ってくれれば学内捜索だって手伝ったのに、と快斗は些か不満に思う。が、繁華街の生徒指導がつい先日の週末のことだったから、一人で遣ったほうが早いと判断したのだ、とも直ぐに思い至る。確かに、入学して1年も経っていない快斗達が、無駄に広い学園内を当ても無く、見慣れぬ何かを探すのでは能率はすこぶる悪い。もっと頼って欲しいと思っているのに、役に立てない。不意に苛立ちを感じた快斗だったが、今はそんな思考をしている場合ではないと首を振る。

「向こうの寮は、入口付近はそれこそ目つきの悪い不良がウロウロしているんですが、番長達や他校の不良と悶着を起こしたりはしてないようです」
「そーれが!週末はよく街中をウロついてんだよなぁ…。ただ繁華街ってよりは電気街によくいるんだけどさ、何が目的なんだか。この間捕まえられなかったのが残念だ。妙に頭の回る人間がいる臭い」
「んー頭脳派不良ってことか?」
「その、植物の話が本当なら、荒事好きな不良よりもタチが悪いです」
「頭良すぎて馬鹿になる奴っているよな!」
「馬鹿は馬鹿だろ。…知らないで使われてるなら、多少は同情してやらないでもないが。―知ってて噛んでるなら、相応の報いは受けさせる。どこの誰だろうがな」

冷えた口調の奥に漂う激怒は、苛烈な視線がハッキリと物語っていた。
逆らえない、と直感した二人は大人しく制服と変装用具を受け取らざるをえなかった。


   ◇  ◇  ◇


白馬が変装道具に少々心引かれて内容物を探っていると、そういえばと黒羽は首をかしげた。

「んん?つぅかさ、寮生同士は知り合いなんだろ?普通にバレねーか」
「ああ、その点は心配いらねーぞ」

二人の前に二枚のプリントが示される。―顔写真のついた学生データだった。
一枚目には、柔和そうな優しげな顔のなかなかの美人さんの写真と『宮野明美』という名前。
二枚目には、金髪の大分大人っぽく見える凄い美人さんの写真と『ベルモット』という名前。

「その二人は、この学園に在籍していながら、入学以来学校に来た事のない三年の女子寮生だ」
「はァ?!」
「金儲け重視のどっかのお偉いさんが、多額の寄付金と引き換えに受け入れた帰国『してない』子女でな?入学試験を受けてから一度も登校してない、というか日本にさえいねー海外暮らしのお嬢様だ」
「…フリーダム経営だな。一体幾ら積むと出席日数って買えるのさ」
「姿が無いのに、在籍名簿に名前のある帰国子女がいるとは噂には聞いていましたが…」

つまり、この二人に成りすませ、という事なのだろう。変装モデルがいて、尚且つ多少の誤差があってもOKな人物がいるなら確かに遣りやすい。生徒二人はふむふむと肯いた後、ハッとして視線を交し合った。

「白馬、どっち希望?!俺、英語って苦手なんだけど!」
「僕は、口数の少ない大和撫子希望です!」

「ちなみに、ベルモットの方が背が高い。見ての通り英語圏の人間だから、日本じゃ無口でいいかもな」
「じゃ、白馬が、金髪美人さんで!こないだの身体検査で俺より3センチも!たった3センチだけども!俺より背が高かったし」
「ちょッ!」
「ま、いっそ国籍偽るぐれーでないと、寮生の白馬はバレそうだしなァ。実際この二人を見た人間はいないらしいが、一応念のために適当に似せろよ?」

女装だけでも一苦労なのに、無駄にキャラの濃い役をやらねばいけなくなった白馬は、頭を抱える。
その姿に、ゴメン!マイベストフレンド白馬くん!などと適当な事を思いつつ、憐憫の視線を投げた後ホッと胸を撫で下ろす快斗だった。が、教師が冷たい目で見ているのに気がついて、冷や汗が浮かぶ。

「…な、ナンデスカ。先生?」
「テメェ…、英語も苦手なのか?俺が教えてやってる数学でさえアレなのに、他も馬鹿なのか、ああ?」

ぐいっと険が含まれてなお秀麗な顔が寄ってくるのに、快斗は胸がドキリと波打つのを抑えながら、言い訳を探す。正直、帝丹学園に転校してきてからの、心を入れ替えた快斗には、教科の苦手も不得意もない。数学が苦手というのも、この担当教師に構ってもらいがための演技が10割だったりする。頭が良すぎて馬鹿をやらかしていた時期はあったが、取り戻そうと思えば大した苦も無く授業に追いつけたし、英語など映画の数本も見れば会話が出来るようになっていた。
しかし、ここでペラペラ英会話出来ます!などと言おうものなら、折角回避した美人外人さんの真似をしなければならない。快斗の見立てではアレは巨乳タイプだ。詰め物とか面倒そうだし、何より間違いなく他の生徒の眼を引くことになるだろうから、可能な限り避けたかった。違和感無く混じれるという点では、変装するのはまぁ良い。ただし隠密行動を取る上で、動向が注目される人物というのは問題だ。
快斗の中では半ば、白馬を囮にし彼に注視が向いている隙にオシゴトを済ませてしまおう!という計画が出来つつつあったりした。

「俺、英語見てると眠くなる病気みたいで!」
「…お前の病気は馬鹿と阿呆とどっちかだろ」

呆れられた?!と快斗は不安げな視線を敢えての上目遣いで窺う。
冷酷非道な人なのに縋られる目には弱い、という殆ど唯一とも言える弱点を突く作戦だった。
予想通りに、うっと詰った後、教師は「…テスト前になったら個別指導だからな」と快斗にとってはこの上なく喜ばしい事を漏らしてくれて、とりあえずこの場では不問になった。

「寮祭は1週間後だ。―二人とも、しっかり研究してこいよ?前日に打ち合わせするから、完璧に化けてこい」

代わりに、ニヤリと笑った顧問の先生が風紀部の活動予定を宣告した。



   ◇  ◇  ◇



続く

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