ごえいのはなし


彼には、幼い頃からよく知るともだちがいる。
一人は王さまの息子。
一人は賢者の息子。
そして護衛の息子の己。
自然に恵まれ作物豊かなその国で、すくすくコロコロと育った。
本当の兄弟のように。

生れ落ちた家の第一子が、生家の家業を継いで行く国。
子の生まれぬ夫婦は近所から貰いっ子。
ここのこどこのここのくにのこ。
幼き頃は皆分け隔てのないように、同じく育つから大丈夫。

生まれながらに存在する職業差による身分差は、しかし人を卑屈にさせることのないよう、当人達の努力を励ましこそすれ、格差を嗤うことを禁じる国の律令により守られきた。第一子以外の子供達も、国の礎を支える大切な力として、田畑を耕し国を守る。
家族を愛し、隣人を愛し、国を愛し。
その土地に生まれたら、いつかその土地に還って行くことを当然として。




「服部殿、伝令書です!工藤殿宛であります!」
「おー、ご苦労さん。渡しとくわ」

手渡された、なかなか中身の詰った封筒。
確か三日前にも、コレと同じくらいのを受け取ったばかり。

「伝令持ってきたんは誰や?」
「元太くんと光彦くんですよ」
「一巡りのうちにもう三回目かいな。よく労わってやっといてな」

苦笑を浮かべてそう言えば、部下は心得たように頷いた。


 コンコン


ドアをノックする。
暫くするとくぐもった声が応えた。

『誰だ』
「俺や。手紙持って来たぞ。入んで」
『持って帰れ』
「……入るでー」

一応、扉を開く前に周囲を見渡す。
宿屋二階の一番奥、この村一番大きい宿屋の大きな部屋。
その両隣は自分ともう一人の護衛が貸しきって、交代で部屋の窓辺と部屋の前で見張りをしている。簡単だがそれなりの厳重警戒。なにせ部屋の中には、彼らの国の王の想い人。

部屋の中央のベッドがこんもりと盛り上がって在室者を隠していた。

「まだ寝てたんかい」
「村の古書屋で面白い本見つけちまってよー」
「…おま!また夜中に…!?」
「ハッハー!日暮れ前に、夜食にドーゾ、つって見張りにクッキーやったんだ。ぐっすりだったぜ」
「あんの沖田のアホが!誑かされよってからに」

笑いながらガバリと布団を跳ね除けて現れたひと、工藤新一。
その姿に、服部は瞬間顔を赤くして次いで青くして叫んだ。

「なんちゅう格好や、工藤!服着んかい!!」

あられもない白い薄布一枚の姿。覆い隠せていない艶やかな肢体。さらりと音がしそうな位美しく艶やかな黒髪が胸もと近くまで掛かっていて、その合間から白い肌が覗いているのがかえって色気を増している始末。
元の姿だったら何でもない格好なのに。それこそ、寝起きのむさ苦しい男の友人の半裸など。
元々の顔の作りと雰囲気は残っているのに、あまりに女性らしく変異している肉体に、いつまでも慣れない。
血迷っているもう一人の友人の気持ちが少し解る。
少しだけ。ホンの。

「で?手紙って…どうせアイツだろ」
「服は?!着たか?着たな?!」
「おう。大丈夫だって」

恐る恐る振り返る。ホッと息を吐いた。
近づいて、封筒を渡した。

「…またかよ」
「たまには返事してやれや」
「倍になって返ってくるだけじゃねぇか」
「そーやけど」

活字が好きだと豪語する癖に、封筒は開けずにポイとベッドの上。

「もうすぐだ。絶対、捕まえて帰ってやる」
「次の村の先の森らしいしなー。さっさと見つけないと期限が切れんで」
「あーもー、このまんま亡命してやっかなー」
「許さんぞ、それは」
「見逃せよ。親友だろ」
「ああ。お前も、黒羽もな」
「……」

些か本気の匂いのする言葉を、服部は強く咎める。
工藤はわかってるさ、と首を軽く振った。

「なぁ、アイツ、戻るかな」
「戻るのはお前や。元の姿にな」
「そしたら、戻るかな」
「…わからん」

不治の病により前王が倒れ、国王が入れ代わって半年。
不慮の事故により賢者が呪いを受けて半年。

敬愛する父親を失い、親友をも喪失する不安を同時に味わい、変ってしまった幼馴染。
賢者が呪われ、昼の間姿が変異するようになったのを良い事に、あろうことか妃になれと言い出した新王。

「だいたい、黒羽は元からお前が好きや」
「俺だってだ。黒羽も服部も大事だぜ」

違う違う、と。言いたくなるのを堪える。
知らせてやるべきかもしれない。
でも、知らせても、この賢者は受け容れないやしないだろう。
もしくは、とうに知っていてこの態度なのかもしれない。
見通す眼が、その想いに先がない事を見抜いて。
きっと、彼も、国王をも傷つけるからと。

賢者は国を愛し、守護していく存在。
国王は国を繋ぎ、繁栄を齎す存在。

子を為せる賢者であったら、寄り添う事も出来たろうに。
しかし子孫を与えない存在が王の傍に在る事を最も許さぬ者が、彼らの国の賢者だ。
国の為に王が要ると考える、王にとって誰よりも怜悧で冷徹な存在。
歴史が物語る、賢者の役割。
それを継ぎ、賢者となった工藤は、己が王と共に在ることなど考えない。
例え一時身体が女性のモノとなったとしても、精神は身体に引きずられる事もなく誤魔化しようもなく、工藤そのものだったから。

「しっろい鳥 こ鳥〜」
「大きいかもしれへんで」
「ま、そうかもな」

小さく音程のおかしな歌を口ずさみながら、一つ息を吐いて。
それから、やっと封筒を開いた。
大きな紙束と、一回り小さな封筒。
またか…と呟いて、工藤が今度はそれを護衛に渡す。

「オメー宛だ。ったく、一緒にしなくていいのに」
「…おおきに。ついでなんやろ」

またか…と思いながら、服部は受け取る。
きっとまた同じ内容。
本当は、護衛宛のコレは、この賢者が開封する事を期待して同封されているに違いない。
けれど、結局今まで賢者はその賢しさからか、その中身を知らず。
また、受け取った護衛も中身を知らせずに、胸元に仕舞う。知らせぬまま旅が終われる事を祈る。

「―逃げないでくれ、な」
「そん時は、賢者の通行証は置いていってやるから安心しろ」
「アホウ。お前抜きで国に入れるわけあらへんやろ。入った途端縛り首や」
「物騒な」
「そんぐらい、大事なんや。お前が」
「だったら、呪いなんかさっさと解けばいいんだ。そうすれば、旅なんかしない」
「…せやな。もっともだ!」
「だろ。…ま、いくら馬鹿になってても幼馴染のオメーにそんなに怒らねーって。怒りを向けるなら、テメーが悪いって言っておけ」
「あかんで。一緒に帰る。で、戻る。王さまのアイツ助けながら、また仲良く暮らす!やろ」
「だな。…ありがとな、服部」

にこり、とこの姿になってからは滅多に見れなくなった笑顔を不意に向けられて、護衛は騒ぐ心臓の激しさに慌てる。思わず眼を逸らしてしまう。
確かに、元に戻ってしまうのは惜しいかもしれない。

でも、元の姿のほうがもっと自然に笑って、己も笑い返せるから。
手伝うのだ。彼を。



そう、思っていた。







「…やめろ!服部!!」

またも人知れず抜け出していった者を探し、見つけた森の中。
大きな―怪鳥と言うべき真白の巨大鳥の傍らにいた賢者。

「あかん!離れろ!!」
「大丈夫だ、コイツは―」

大きな嘴が彼を狙って攻撃しようとしているように見えた。
あんな、牙のようなクチサキが頭に当たっては命は無い。

肩越しに振り返った賢者の手元に果実があったなどと護衛は知らずに。友の命を守ろうと、躊躇うことなく弓を引いた。


 ― ピィィィィ・・・・


怪鳥は大きな鳴き声を上げて、どうっと倒れる。
翼から血が流れていた。
駆け寄りながら、万一に備えもう一つ弓矢を構えておく。
しかし、賢者が両手を広げて、更なる攻撃を止める。

「駄目だ、コイツは」
「どかんかい!」
「駄目だ!!」

叫び。
庇うように立つ賢者の姿に、ようやく冷静さを取り戻す。
弓を下ろした護衛を一瞥し、賢者は鳥に駆け寄る。

「…血が、こんなに…っ!」
「コイツは何や。…まさか、コレが白い―」

我が身が赤く染まる事を厭わずに、賢者は己の服を裂いて、傷口を手当する。

「こんなデカイの連れて帰るんか」
「しっかりしろ、オイ!」
「工藤?」
「目、開けろ!ごめん、ごめんな―」

まるで、知り合いの―人間相手に話しかけているかのよう。
その可笑しさに服部は眉を顰める。
一体、昨夜この森で彼の身に何があったのか。







「じゃ、コイツ人間なんか…」

ぴぃ…キィ…と小さく速い呼吸をする鳥を撫ぜる賢者の傍らで、護衛は不思議な話を聞く。

「そら、悪い事したわ」
「…悪いですむか!」
「でも、丁度ええやろ。連れて行くで」
「良くねぇ」

そうは言っても、旅の目的がコレならば取る手段は捕獲だろうに。
変異する鳥だったとは驚きだが、なにしろ身近に変身してしまう友がいるから、難なく事態を受け止める。

「でも。白い鳥の心の臓が必要なんやろ?」
「…駄目だ。言ったろ、人だって」
「でも。献上せんと、呪い解いてもらえへんのやろ」
「別に解くのに、心臓が要るわけじゃない…と、思う。いや、どのみちコイツは諦めるさ」

確かに、昨夜野犬から命を救ってくれた恩人(現状鳥)を王に売るのは気が引けるだろう。夜が来れば人になるというし、今とてかなりの大きさだし、なかなか運ぶにしても面倒な話である。

「じゃ、手ぶらで帰るんか?」
「……」
「オイ?工藤…」

ふっと沈黙した賢者を不審に思い眺め遣る。
白魚のような細く白い美しい指先が白い羽を撫でていた。

「なぁ…あのさ、俺、此処に残ったら駄目か」
「駄目だ。アカン!」

護衛が密かに畏れていた事態。
国に帰らない、と言い出す賢者。

それだけは、決して許す事は出来ない。

「駄目だ。黒羽と約束したやろ?必ず戻るって」
「戻っても、な」
「そんなにアカンのか、黒羽と居るんわ」
「…そうじゃねぇ」

賢者が憂うのは、国の繁栄。
あの王は、彼を―彼女を愛すだろう。
ほかの誰にも目をくれぬ程に。

王になった、幼友達が大事で大好きなのに、それだけでは、賢者である彼は満たされない。

賢者を苦しめる、賢知ゆえの予見視。

いっそ本物の女性であれば良かったのに。
孕めない身体に、国の未来は宿らない。
王だけが絶対血族として在る国。
王の血に付く守護が、あの国に豊穣を齎し外敵を遠ざけている。
王と賢者だけが知る、国の秘密。

とおい とおい 紅い約束。

王たる権威者の血を捧げ続けねばならない祭壇。
連綿と紡ぐべき守護の糸に綻びが生じれば、いつか礎さえも壊す結果になるだろう。あの国は滅ぶだろう。
国の繁栄を最も考えるべき者が、滅びを導くのだ。
そうして苦しむ賢者に衰えていく国に、いつかきっと王も苦しむ。

王の心を占めているらしい己が消えれば、あるいは。
ずっと、賢者が旅路の中で考えていた事。

「国に戻って、お飾りの妃になって?それで、どうなる」
「少なくとも、国は―アイツは安定する」
「束の間だ。いつか壊れる」
「賢者ってのは厄介なモンや。意外に、アイツかて今の間ぁに、他にイイ女掴まえてるかもしれへんやろ」
「本気でそう思うか」
「……アイツ阿呆やモンなー」
「ああ、とんでもねー馬鹿だ」

一途とは言ってやらない。
幼馴染の、しかも男に懸想するような奴。
女になったのをこれ幸いと求婚するような。

「俺は、傍にいないほうがいいんだ」
「駄目だ」

護衛はきっぱりとそれだけは堪忍や、と言って首を横に振る。
賢者は、彼の態度に不審を覚え、一体なんだときつく問う。示された手紙。
いつも、賢者宛の中に紛れていた護衛宛の。

「…人質?アイツが?」
「そうや。ま、釘刺しやな。出立の前の夜には、ウチんトコと遠山んトコに兵がおった」
「…なんで。和葉さん、まで…」
「悪いな。本当は、俺かて逃がしてやりたい。でも」

そんなにも、アイツはおかしくなっていたのか。
寂しがりの、けれど心優しいクセッ毛をした、おうさま。

賢者は逃れられぬことを知る。
友の家族や彼の大事な女の子、壊れかけている友を見殺しには出来ない。
賢者であることを捨て、心のよすがなる国を捨てでも、あの国が、暮らす彼らが、正しく幸せになれるならば、と覚悟だってしていたのに。

出血の落ち着いた傷跡に、もう一度別の布地を当てて巻きなおす。
護衛とともに、他の動物に襲われない様に、巣穴に運んでやる。
高い崖っぷちに乗せ上げるのはとても骨が折れた。
賢者の誉れ高い頭脳で、運ぶ台と滑車を手早く作って、何とか作業が終ったのは日暮れ近く。

最後に書き置きを一枚だけ。

藁のベッドで静かに眠る白い鳥。
どうか、傷が直ぐに治りますように、と祈りを込めて。
賢者は、そうっと白い羽毛に覆われた頭を撫ぜた。

「ごめんな、…居たかったけど。駄目みてーだ」

護衛は何も言わずに、賢者を促して、森を立ち去った。








そして、国への戻り道。

視界の端、青い空の中はためく白い翼を捕えた時、護衛は自然と弓を張っていた。

ほんの一夜のうちに賢者の心を捕えたあの鳥は、きっと災厄を運んでくる。

そう。

きっと。









護衛が、守りたい者の為に矢を射った話。




×