![]() とりのはなし 森で見つけたコドモ。 夜空を駆け家路を辿っていた途中で聞こえた叫び。 静寂を破り、鼓膜に響いてきた甲高い声。 興味を引かれて、高い木の上に立って見下ろす。 眼下には、闇の獣たちに囲まれた小さな身体。 時を待たずに、その柔肉は彼らの牙によって蹂躙されるに違いない。 血の臭いは嫌いだ。 しかし森の均衡に手を加えることは憚れる。 弱きものが強きものの餌になるのは摂理だ。 さて。 一匹の獣が前に出る。 一番にその肉に喰らいついたものが最も腹を膨らませる事が出来るから、群れの中でも最も体躯の良いソレが、コドモとの距離をつめていく。 「!くるなッ」 高い声。 後ずさる小さき身体の背中には大きな木。 それ以上は下がれない。 しかし、逃げ道を探すために、にらみ合う目を逸らしては、その瞬間に命は無い。 本能で理解しているのか、コドモは威嚇の大声を放ちながら、強く強く獣を睨みつける。 さて。 「ま、いいか」 摂理など、そもそも知ったことではない。 端から、そんなものを無視している存在なればなおの事。 軽く、木の枝がしなった後。 その上には誰もいない。 しかし、その数拍後。 再び木の上には、二つの影。 「どこのお子さんですかー」 「…な、おま、と」 「何なら送って差し上げましょうか?」 「何で飛んでる?!」 「質問に質問を返さないで頂きたい」 「だって、オメー、聞くなって無理だろ」 「…とりあえず、麓の村の子ではないようですね」 「おう。俺は旅人だ」 「…コドモが無茶をいう」 「うっせー、俺はガキじゃねーよ!」 さっさと村の入り口あたりの繁みに置いてくればいいと思っていたのに、ちょっと困る。 いや、旅人というなら―別に村でもいいのか。 「とりあえず、村に連れて行っても?」 「それって、南の村だろ?なんで、戻んなきゃいけねーんだ」 「…村を通ってきた、と。誰かに止められませんでしたか?この森に入らないように」 「さぁ?誰とも話さなかったな。」 「…?」 極普通のコドモに見える。 あの村の住人は外部の者への警戒心は強いが、か弱き存在に石を打つような人間はいないと思ったが。こんなコドモがこんな時刻に森に入っていくのを誰も見咎めなかったのだろうか。あるいは昼の間に森へと入り込んだのか。 「…森で夜を越すのは危険だと知っているでしょう?旅人だというならば」 「ああ。でも、早く行きたくてさ」 「この森に用が?」 「変異種の白い鳥を捕まえに来たんだ」 「白い…鳥?」 「魔力を持ってるっていう」 「―…」 辛うじて舌打ちを抑える。 なんだ、放っとけば良かったのか。 しかし、がっちりと首元を掴まれている状態で相手を落下させるというのも、なかなかに無理がある。 いっそ川まで飛んで、投げ落としてしまおうか。 「オメー知ってるか?誰もが欲しがるのに、誰も手に入れられない白い鳥」 「欲しがる者などいるのですか。この森にそういう狩猟者が来た事はありませんよ」 「…そうか、別にこの辺じゃそういう話じゃないのか」 「ドコから来たんですか」 「―・・国」 「それは、はるばる遠方へ」 「で、そこの国王が欲しいって言っててさ」 「献上物にしようと?」 はやくこのコドモを捨てたい。 「いや、取引材料だ」 「…?」 「俺さ、ちょっと呪いを受けてて。王権持ってる奴しか解けないってのに、王が解こうとしねーの。解いて欲しかったら、その白い鳥もってこいって」 「気安いのですね」 「幼馴染なんだ。なのに、呪われたままでいいとか言って」 「仲悪いんですね」 「昔は良かった。今も別に悪くはない。わざわざ従者だの護衛だの付けてくるし、心配だって手紙はひっきりなし!ま、護衛は鬱陶しかったから撒いたけどな」 「…それで、獣に襲われていては世話はない」 「うん、助かった。ありがとう」 にこり、と。 音がするようにコドモの顔が笑いを浮かべる。 ちょっと捨てるのに躊躇するくらいには、良い顔だ。 「ワケ在りなのはわかりましたが、それでも鳥はアナタのモノにも王のモノにもならないでしょう。諦めなさい」 「諦めたら、俺は呪われたまま、こんな姿のまんまだ」 「…命に関わる?」 「…沽券もしくは、股間に関わる問題なんだ」 「コドモの股間に…?変質者が王とは難儀な国ですね。それとも王女様?」 「野郎だ。残念なことにな」 「それはそれは。しかしこちらも残念ながら答えは同じ。帰りなさい。送りましょう」 「オメーが白い鳥?」 高い木の天辺。 千切れた雲から落ちる月光が腕に抱いたコドモの眼を光らせる。 夜の闇より深く、暗き蒼さは沈思を秘めたる賢知の塊。 射抜くような、鮮烈さをもって白き姿の者の目を奪った。 見合った時間は永遠のような一瞬。 もしくは永遠を織り成すための一瞬。 「困りましたね…」 「困ったな…」 「貴方は賢者だ」 「オメーは人だ」 「その幼さが呪われた身だというなら」 「人であるお前が白い鳥だというなら」 「些か興味はありますね」 「俺はそれを確かめたい」 「…朝が来れば解るでしょう」 「…朝が来たら解るだろ」 図らずも条件は同じようだった。 ならば、出会うべくして出会ったのだろう。 人であって人為らざる者は住処へとコドモを連れ込んだ。 「意外に、鳥の巣っぽくねーんだな」 「ベッドは藁敷きですよ。寝ますか?」 「いや、見たいし、起きてる」 「では、お話をしましょうか」 夜っぴいて話すこと。 ―呪いの理由。 賢者の癖に探究心で身を呪われたコドモ。 奇術から魔術へ手を染め失敗した奇術師。 ―これまでの旅路。 昼も夜も元のモノと違う姿に、ひと目を避けて進んできたという。 昼の記憶を持てず知らぬ場所で目覚める夜に懲りて巣を作った。 ―森での暮らし。 村の者と一定の境界と協定を持つことで、鳥と人を行き来しながらも、穏やかに生活していた変異種の生態はいたくコドモの心引いたようだった。 ―困ったこと。 元の姿に戻れぬ辛さ。 周囲の人間の眼。 鳥になると人でなくなる意識。 ―面白かったこと。 違う顔を使い分けて、ちょっと人を驚かす。 人になっても、翼を意識すれば飛べる肉体。 そんな風に、分かる者にだけ通じる話しを、少し、少し。 少しずつ知った事から、また少し、話を広げて行く。 それから、もう一度空を飛んでみたいと望むコドモを、白い者が夜の散歩に連れ出した。 ー広がった視界。 ー誰かと眺める一人きりではない夜の世界。 風の強さか寒さか。身震いしたコドモに慌てて住処に戻る。 コドモの潤んだ瞳に白い者は慌てたが、「風が当ってたから」という言葉に胸を撫で下ろした。 「俺、オメー好きだな」 「奇遇ですね。私も貴方が好きなようだ」 ポツリとコドモが零した言葉が嬉しかった。 見殺しにしなくて良かった。 捨ててしまわないで良かった。 「もう、いっかな。呪い解けなくても」 「困るのでしょう?」 「いや。昼に困らなくて、夜が楽しいなら問題ないさ」 「では、私と居てくださる?」 「オメーが良ければな」 「もちろん」 簡単に決めていいことなのだろうか。 でも、コドモが居てくれたら嬉しい。 「ああ、朝です。暫しの別れを」 「ああ、朝だな。また夜にな」 諦観し変化に逆らわず目を閉じるのが常。 けれど、思わず眼を見開く。 外に近い場所に居たコドモの姿が先に変化していた。 コドモから、大人の女性へと。 確かに雄だった匂いが、雌のソレへ。 柔らかそうな丸みを帯び、蒼く美しい目はそのままに、しなやかな肢体、幼さを残ししかし気高く整った顔立ちは恐らく誰の眼をも奪う。 「きれい。…呪い?」 「元は男だぞ。でも、朝が来ると変る。夜は辛うじて戻れるけど、子供だ。王が妃になれって煩くてさ」 もっと見ていたいし、話したいし、触れてもみたいのに。 差し込む光に反応して、身体からは羽が伸びていく。 「…キレイだな。真っ白だ」 目を細めて優しそうに笑う声が最後。 意識は闇へ、思考は散る。 でもせめて、次に己を取り戻した時に、どうかこの人が傍にいてくれますように、とだけ願った。 目覚めた夜にあの人は―コドモはいなかった。 書き置き一切れ。 『ゴメン。迎えが来た。国に帰るよ。さよなら』 「此処に居たいって言ったのに」 くしゃりと紙を握って、気がつく、腕の傷。 手当てをされていたが、矢で深く射抜かれた痕。 「彼か?そうだ、彼しかいない……ちくしょう」 手ぶらで帰るのは、王との取引を諦めたからだろう。 では、あのコドモの昼と夜は全て王のモノ。 冗談じゃない。 はじめて、夜が待ち遠しかったのに。 朝日に絶望を覚えなかった、あの瞬間。 『また夜にな』 己を―生命を失う恐怖はいつだって夜明けと共に。 人としての感覚を失う時、いつも次の目覚めが訪れぬまま、一羽の獣として死すことを覚悟していた。 腕の傷に手を当てる。 見た覚えのない布地は、あのコドモの服の一部。 「鳥だって、目的に向かって飛ぶことくらい出来るだろ」 嗅覚や思考が他の動物よりも劣っていても。 地を駆ける他のどんな動物よりも速く高く羽ばたける。 きっと見つけてみせよう。 諦めていた呪いを解こう。 全てはあの人との未来へ。 絶望よりも希望を選び飛び立ったとりの話。 ![]() ×
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