あたらしいくにのはなし



そこは海の近く。
木の香りよりも潮の匂いを身に纏い、森の恵みと同じくらい海の恵みを得て暮らす人々の集まる国。
自然の湾になった地形は穏やかな気候を齎し、時に高潮が塩害を起こすけれど、山間から吹き抜ける風が以前滅んだ国があった場所にある大量の灰を運んでくるから、それを撒けば、また真水を吸い作物の育つ土地になるから大丈夫。

海の国の創始者が、その滅んだ国の王様というお話はまだ御伽噺には遠く、きちんと文書で残っている。
―本人も勿論残っている。
けれど、もうこの国の王様ではない。
法と議会の整備をした後、王政を廃してしまったから、王様はもう王様ではないのだ。
彼はただの青年。
笑顔が快活で、悪戯が好きで、親友の事が一番に好きな、海の国一番の好青年。…とは本人の弁。

道行く人が気軽に彼に声をかける。海の国として落ち着くまで、沢山の出来事があって、元の国が炎に消え、国を移すと王様に告げられた当初は、愛する庭や財産である家や居心地の良い場所を守れなかった王様と民の間に軋轢もあったけれど。
最期の王として、元の国の責任は取ると、真摯に民に向かい合う姿勢は、いつしか民の頑なな心を解いていた。
喪失に悲しんでいた者に、新たな居場所を作り出す楽しさを与え。
慣れぬ世界での暮らしに戸惑う者に、以前の世界にはなかった楽しみを教え。
火に燃やされ失ったもの以上の喜びを民が獲得して行けるよう、王は心を砕き、賢者もまた彼に添った。
そうして、民がそれぞれの足で歩み出した頃。
この国において王は特別な存在ではないから、と。

王様は王様をやめたのだ。




素より身分など気にせず国中を見て回っていた彼に、民はちょっとばかり気安い。
今もまた、一人の少年が彼の姿を見つけ、タタタと寄って行った。

「快斗のにーちゃん!賢者さんが戻ってくるって本当か?!」
「おー!相変わらず伝令少年は耳が早いな!」
「あの鳥も来るのかなー。今度来たら、乗せてくれって頼んだんだ!」
「乗れ乗れ。乗って潰してしまえ」

実にふとましく育った少年に、快斗は適当な事を言って焚き付ける。
是非小鳥サイズの時に乗ってもらって、ぷちっと潰してもらいたいモンだぜ、と割と本気で考えた。
おっしゃー!と元気に腕を上げる少年がその場から去るのと同時に、彼の親友が背後から彼の頭を一つ叩いた。

「快斗!元太が本気にするだろ。バーロ」
「いってぇ、新一。だってさぁ、帰ってきたら、アイツ新一にベタベタするじゃん?スッゲェむかつく」
「重要な情報源だし、別にベタベタはしてねぇ」
「してる。新一だって、喜んでアイツに乗るじゃん…!じゃなきゃ、夜は簡単に抱かれるし!」

道の往来でとんでもない言い回しをする相手に、再び―今度は拳を見舞う新一だ。

「変な言い方するんじゃねー!飛ぶのも跳ぶのも、好きなだけだ。大体羨ましいんだろ?オメーもキッドに頼めばいいじゃねぇか」
「ぜんッぜん羨ましくねぇ…」

妬ましい、とは思いはしても、である。
しかし新一はそんな苦虫を噛み潰したような快斗の顰め面に少し肩を竦めると、「じゃ、用があるから行くな」と言って足早に去ってしまった。相変わらず忙しいんだよなー、と見送る快斗だった。

魔法の呪縛が解かれ、元の姿を取り戻した工藤新一に、あろうことかあの鳥男が「惚れ直したので、口説きたいと思います」と宣言しやがったのは快斗の記憶に新しい。
国移しをして、国中の誰もが慌ただしく、忙しくしていた時期を乗り切り、王制を廃しようとした少し前の頃だ。
まだ手にしていた王的権限で、快斗は即座に、先代付の賢者と共に交易活路や周遊学をし、自身の呪の解法探しを言いつけ、そこで役に立ち、かつ呪いが解けるならこの国の民にしてやると約束し、体よく海の外に追い払ったのである。あの新一の親で、諸外国の書物をあの手この手で蒐集していた男と行動させれば、簡単に国に戻って来れないだろうし、と算段をつけたのだ。
しかし、意外にも堅実に周辺の様子をこまめに見て回り港に戻ってくる賢者の姿があり、それは同時に鳥男が新一の周りをウロつくということなのであった。
一月に一度、数日間だけだが、鳥男が新一を独占する―むしろ新一が率先して鳥男の傍にいる光景はここ半年続いている。
ムカついたし、既に自由に生きようと決めていた快斗も、本人に向かって「諦めてないから、口説くから」と宣言したが、とても冷静に「バーロ、ンなヒマがあったら、働け。能無し元王様さんよ」と返された。大概、酷い。
けれども、それが彼なりの優しさなのだと快斗は知っている。

炎を逃れ、統べるべき国の終焉を見た王さまは、一時期全く「笑う」ということが出来なくなった。
いつも傍に在って、火傷の後遺症を案じてくれた賢者が真っ先にその事に気がついた。
―けれど、賢者は何も言わず、ただ、たくさんの仕事を王にさせて…一番、彼が心を安らがせるのが何であるかを探り出したのだ。
腐っても王さまだった男は、民を、人を、楽しませることが好きで、賢者である己の近くに居ることが一番の癒しなのだと気付いた賢者は、一言「好きに生きろ」と言い放ったのである。
結果思ったよりも早い王政の廃止と、青年の気楽な生活が始まったわけである。
とはいえ、賢者がそんな生活に付き合うわけも無い。
王が好きに行動するように、賢者もまた好きに仕事を始めたのだった。

王様に寄り添う必要の無くなった青い眼をした賢者は、議会で施政を行う方策を模索し、王制を廃止後でも国移しの頃と同じように非常に多忙だ。
彼の父親が齎す外の情報やデータを国の発展にどう活かすか考えて、議会でガンガン発言して、もはや次の議長をも、と嘱望されている。

本当は自分が外に出たいのを、王様と同じ責を負う賢者だからと身を窶して国の発展に努めているのだ、と快斗は思っている。
同じ地区に住んで殆ど毎日顔を合わせているのに、新一の多忙さにキリはない。
快斗にしてみれば、口説かせてくれるヒマもない有り様で、むしろ新一を少しでも休ませたいとせっせとご飯を作りに行くような日々である。

―王様から一転、専業主夫ってどうだろ。血税のヒモから、新一のヒモ?うわ…微妙。でも情夫って響きは何かイイ感じが…

のほほんとそんな事を考えた。
このまま婿入りして、お嫁に新一を頂きたいところである。




「あ、お帰りー」
「おー…。メシ、ある?」
「あるよ。海草スープとパンだけど」
「足りるかな?」

小さな呟きに、快斗は嫌な予感を覚えながら振り返る。
既に日は落ちて辺りは暗い。遅い時間に来訪者とくれば。

「何でも構いませんよ。新一と一緒なら」
「てめぇ…誰の許可を得て…!」
「俺だろ」「新一ですね」

うん、知ってたけどね!新一の家だし。
快斗は溜息を吐いて、スープをよそってやる事にした。
恋敵のスープ椀に、大量の香辛料をぶち込んだのは、もちろん手元が滑ったなんてことはなく、明確な嫌がらせの意思でもってしたことである。


ぎゃんぎゃんと一部煩い食事の時間を過ごし、三人でお茶を啜っていると、咳き込みが収まったキッドがふと口を開いた。

「そういえば、私の呪いが解けるかもしれないそうです」
「…重大なことをサラリと言うな。ガセか?」

新一がマジマジとキッドを見やって先を促す。

「いえ、なんでも鳥の王の石とかがあれば良いそうで」
「どこにあるんだ?」
「鳥の王がもってるらしいんですよねぇ」
「どこに住んでんだ、その王様」
「南の果てにある島らしいです」
「果て、なぁ」
「極楽鳥が年中花盛りの国を飛び回る、そんな素敵な国の高い木々が集まったその天上に、鳥の王はいるとかで」
「年中暖かいのか。へぇ」

あやふやな情報を一応検討している二人に、快斗は口を挟まずにお茶の入った湯呑みを口元に当てる。
一体どこで仕入れてきた与太話だ。
しかし続く会話に、危うくお茶を噴きそうになった。

「行くのか?」
「ええ」

「え?!」

おいおい、そんな適当な話を信じちゃうのかよ?!と快斗が慌てて二人を見れば、新一は寂しそうに「頑張れよ…悪い、俺はついていってやれないけど」と言っているし、鳥は鳥で「必ず、呪を解いて戻ってきます」と微笑んでいる。
新手の冗談か引っ掛けだろうか、と快斗は悩んだ。いや、しかし。

「あー、のさ?」
「ん?」
「どかしましたか?」

「その鳥の世界?って高い場所にあるんだろ。大体南の果てって、どんくらい行くのにかかるんだよ?いや、行きは飛べるとしてともかく、呪いが解けたら、オメー飛べなくなるだろうが。どうやって帰ってくる…いや別に帰ってこなくてもいーけどよー」
「あ!」
「そーいや、そうだな。馬…は昼の事考えると直ぐに逃げられるか盗賊にやられるか、だろうしな」

大丈夫か、コイツら。
快斗が思わずそんな眼差しをついつい向けてしまうと、新一が、だったらさ、と爆弾発言を落とした。

「快斗が着いていってやれよ」

「は?」
「え?」

「やっぱ旅は一人じゃつまんねーだろうし?」

「ねーよ、ありえねぇ!何で俺が…!大体俺が居なくなったら誰が新一(の貞操)を守って…!」
「ありえませんね。だいたい、例え二人で出発しても、戻ってくるのは一人になりかねませんし」
「俺は守られなきゃなんねー仕事はしてない。てか、オイコラ物騒すぎるだろ、キッド!?」

「ならば、新一も行ってはどうかな?」

不意に戸口から聞こえてきた声に、三人が振り向けば、新一の父親である優作が、にこにこと笑っていた。
よからぬ笑顔だ、と新一は瞬時に眉根を寄せて反論する。

「俺は忙しい」
「私が変わろう。そろそろ長老達が若造にやり込められすぎて、アタマが沸騰しそうらしいし」
「あんな硬い頭で、外洋で交易見据えた段取りなんか―」
「いや、あの硬さに国の頑強さを見出す人間もいるようだからね。そろそろご機嫌を取ろう」
「…なに、企んでる―いや、母さんか」
「港ごとに女でも作っているのか、などというあらぬ疑いを払拭しないといけないぞ、新一」
「俺がかよ!」
「…旅に出たくないかい?」

笑い顔のまま、新一が押し殺している望みを焚きつけるもう一人の賢者に、新一は唇を噛んだ。仕事にひと段落をつけ、港に戻ってくる二人を―知らぬ世界の話を、待ち望んで楽しみにしていることなど、とうにバレていることだけれど。
けれども新一は決めていた。この新しい国が軌道に乗るまでは、この場を離れるまいと。

「なんでも面倒を見てやるのが、お前の仕事じゃないだろう?大体、それでは一人の人間任せの国と言うスタイルは変わらないじゃないか」
「……俺、は」

「いーんじゃねぇ?賢者が一人残るってんなら」
「そうですね。三人寄れば文殊の知恵というどこかの国の諺もあることですし」

躊躇う新一に、似たような顔と声をした二人が、柔らかく新一に言葉と眼を向ける。
旅の話をせがむ新一が、自らも行きたいと思っていることをキッドは知っていた。
賢者と鳥男の持ち帰る品々や書物を―たくさんの話を楽しみにしてた新一の本当の願いなど、幼い頃から快斗はとっくに理解していた。それに、今はあの頃とは全く違うことがある。

「一緒に行けるんだ、新一。…俺と行こう」
「快斗…」
「正確には、私の用事につき合わせるのですが?新一が一緒なら、快斗はご遠慮下さい。行きの翼が重くなります。ああ、そうだ新一。魔女のご招待に貴方を連れて行くと約束しているんです」
「キッド」
「ああ、あおこ君か。快斗くんも暇なら寄って欲しいと言っていたし丁度いい。あかこ君も一緒にいるそうだよ。それに遠山さんがあの森の辺りで名産品になるものがないか見たいと言っていたし、…彼女が出向くなら、警護の服部くんが馬車を引いてくれるだろう」

淡々と遠出の計画が立っていく。

あっという間に二人旅を却下されたキッドがむぅと眉を寄せるが、あの青い魔女が楽しいお茶会をしたいなら、人は多いほうがきっと彼女も嬉しいだろう、と思うとソレを優先させるべきかと思い直す。ついでに、南の果てへ快斗が付いてくるなら、旅路の不慮の事故は何かと起きやすいものですしね、と深く肯いてニコリと笑った。

彼女達に会うのかー、新一が嫉妬とか、してくんねーかな無いかなー、だったら凹むけど、でも、ちょっと魔法力とか借りたら、鳥男の一人の始末くらいつけられないか、と快斗は考えてニヤリと笑った。

そんな両者の思惑はさておき。

新一は快斗を見た。
本当に自分はここを出ても良いのかと。
快斗は視線を受け、俺のほうが外って初めてだ!新一色々教えてくれよ!と笑った。
キッドは、それでは彼女のお茶に合うお菓子を作っていきましょうか、と提案する。どこかの国の厨房で何か覚えてきたらしい。新一も一緒に手伝ってくださいね、と話しかける。

二人とも―無論、おそらく父親もまた同じように、己を慮ってくれているのだ。彼らは。ただ、新一の望みを叶えようとしてくれている。新一は、くすぐったいような、むず痒いような想いが溢れてくるのを止められず、その想いに促されるままに静かに彼らに笑い返す。

そして言った。

「俺、オメーら、好きだな」

「……」「……」

「ッの、…新一のタラシー!!もう発言と顔が詐欺師より性質悪ィ、ホント、好きでたまんねぇー!!」
「なんで、複数形なんですか!?新一、酷いです!!でも、大好きですーッ」

新一の言葉を聞き、新一の心からの笑顔を見た二人は、両者各々の思いを叫びながら、戸口に立つ賢者の脇をすり抜けて駆け出していってしまった。
新一は慌てて追おうとするが、賢者である父に肩を捕まれ止められる。

「おい?!」
「その意気で、貞操を守り抜いて旅をするのも良い人生経験になるとおもうぞ、息子よ」

「?」





『王さま』のいない、皆で作るあたらしい国の話。


【完】


そして、みんな幸せに暮らしました とさ?



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