おうさまのはなし#2


欲しいモノを我慢することはないと囁かれた。
それだけの権力を生まれながらに与えられたのだから、と。
『あなたはこの国の王子なんですもの』
『この国において貴方の望みは何よりも優先されて然るべきなのですよ』
では、己よりももっとこの国を愛し必要とされている、父の姿は?
強く意思を通し時に傲慢に見えて、しかし決してそこに驕りはない。

王として優先されることよりも、国の為民の為にすべき事を優先し―その姿勢と施政こそが王の証なのだ。
だからこそあの子も、思慕と憧憬を宿して同じく敬愛してやまぬ父を見つめていた。
羨ましかった。
出来るなら己にもその眼を向けて欲しかった。
向けられる自身で在りたかった。

―でも、もうそんな存在にはなれない。

だって、彼を選ぶということは、この国を捨てることだ。
いや、その選択はとっくにしている。
先代からの指針を快斗は理解した上で王を継いだ。
この国の最期の王として立つと。

けれど、先代が望んだのは、出来る限り何も誰も傷つかない方法でこの国から魔法を消していく―いや、魔法の蔓延る国自体を静かに解体して、不安を抱く民の想いを受け止めながら『外』へと移住させて、そっと閉じてしまう事。

国も民も道連れにして、訪れるであろう滅びも、壊れた後のことも全てを思考の外に追い遣ったまま、たった一人だけを求める事じゃない。

大好きな人達の想いも期待も、全部を裏切って。
それでも。


   ◆   ◆   ◆


扉の向こうには、きっと姿を変えた綺麗なひとがいる。
姿が変わって殊更に、美しさは増して、眼にする度に思い出すたびに快斗の胸を掻き毟った。
濁ることのない済んだ青さは、恋に落ちた時のまま何も変わらずに在って。
丸みを帯びて柔らかな線を描いた肢体は、触れたくて堪らないもの。

この国を愛する賢者は魔法に守られた世界を捨てられずに、結局はその魔法によって永遠にもとの姿を失うのだ。
だったらどうして、その姿だけでも、この国のある限り命ごと縛られている己が手にしてはいけないのか。

―真実を隠した詭弁だ
きっと新一は、そう言うに違いない。
―気付かないで どうか
彼を手に入れるための名分になるなら何だって良いのだ。本当は。




一応、ノックをして在室者の様子を窺ってみる。

「新一?」

しかし返事は無く、快斗は不安にかられた。
まさか、と思う。この部屋に出入り口は鍵の掛かったこの扉だけだ。部屋の窓には嵌め殺しの鉄格子が付いて、いくら子供の身体でも通り抜ける事など不可能だ。それに、新一をこの部屋に連れ込んだ事を知る者は自分しかいないはず。それに、この隠し部屋を知るのは王にのみ付き従う魔法使いと、お城に住まう王の一族―快斗だけだ。

―まさか。夕べのアイツが?いや、例え飛んで窓に気付いたところで…

奇術師と名乗ってはいたが、大体にして奇術は魔法とは全く違うものだし、むしろ魔法ならなおさらこの国の中で奇異な力を揮えるとは思えなかったから放置したのだ。―求めるものが何かは解っていたし。

「新一!」

扉を開く。
瞬間、視界一杯が白い―布で覆われた。
そして一瞬の隙を突いて、身体に強い衝撃を受ける。
だが、辛うじて背中を背後の扉に押し付けて予想される襲撃者の退路を塞ぐ。しかし相手の狙いは快斗の想定していた行動とは違って、素早く快斗の片腕を掴むと前方へと引っ張り、思わぬ力の掛かり方に快斗は腰をかがめ身体が腕を突き出し前傾姿勢になる と、―がちゃり と 音がした。
ズン…と重くなる腕の先。
引き摺られて片膝を床についてしまう。
自由なほうの腕で白い布を取り去れば視界が開かれた。

「やってくれるよな…!」
「甘ぇーんだよ、オメーは」

一体どうやって外したものか、快斗の手首には新一の足首につけたはずの重い重い枷。

「で?どうするんだ、新一。ココから逃げて、それで」
「さぁな」
「逃げたって…こんなモノよりももっと新一にとって重い枷はあるんだぜ?」
「…だろうな。まったくオメーには手を焼かされんぜ」
「…何を」

てっきりこの部屋から―快斗の前から去っていくとばかり思っていた相手が、目の前にしゃがんで快斗の目を覗き込んできた。所詮は片腕が動かし難いだけで、はめ込んだ枷はその気になれば直ぐに外せるというのに。逃げるなら、今しかないのに。綺麗な顔、綺麗な瞳、そして綺麗な指が呆けた快斗の顔を掴んだ。

「何を、隠してる?」
「―…なに、を?」

声が擦れる。動揺を悟られてはいけない。と、いうのに。

「俺の知ってる黒羽快斗は、意味のないことはしないんだ。例えば、俺が欲しいなら、元に戻れる可能性なんか示唆しない。あんな鬱陶しい手紙だの出して旅に出す事もない。つまり俺が不在だった期間はオメーにとっても必要な時間だった。…何を迷っていた?何をしていた?」
「……」
「黙秘か。それもいいだろう。じゃあ次だ。この国に戻ってから確認したが、賢者(俺)が不在の間、親父はこの国にはいなかったそうだな?おかしいな?即位したての王の近くに、その補佐役として在るべき人間が居ねぇなんて、…俺は親父に言って旅に出たんだ。俺が戻るまでオメーの面倒は頼むって。あの親父は何だかんだで王が大事だからな。ソレが居なかった。居ないように出来る人間なんか、オメーか…オメーの親父さんだけだろう」
「…あの人は、外せない仕事があったみたいだよ?息子…いや娘なのに聞いてなかった?」
「笑うな。誤魔化されねぇよ。だったら次だ」
「まだ、あんのかよ…」
「ああ。一番大事なことだな」
「…何だ」

「快斗、お前はこの国をどうするつもりだ」

最高位に立つ者の両肩にかかるのは国全ての重み。
荷を降ろしたいと思った事は無い。
快斗とて、この国が大事だった。だった、のだ。
手を繋いで傍に在ってくれていた人が、この先もずっと居てくれると思っていたからこそ。
いや、それは今も変らない。
…己が崩れるのに合わせて、崩落していくだろう、とは思っても。
いっそ、その脆さが愛しいと思えるくらいに。可哀想に、と愛しめる程に。
快斗にとって賢者の最大の枷になるこの国はとてもとても大切なものだった。
一緒に滅んでも構わないくらい。


(―快斗くん、君はどうする?)
目の前の人と同じく青い叡智に満ちた賢なる者の問いかけ。
(―最期の王に、なります)
返した言葉は真実だった。


「新一こそ、どうする気なんだよ?俺は新一を嫁さんにして、これからもこの国の繁栄と存続の為に―」
「嘘をつくな!」

怒った顔は朱を帯びて、青い眼の対比からか更に鮮やかに。眼を奪う美しさ。
けれどそれ以上の怒りと詰問とを向けられるのは御免だから、快斗は素早く自由に動く片腕だけで新一の身体を床に転がす。
縺れ合いの勝敗はあっけなく男に軍配が上がった。

「嘘?賢者に向かって偽り事なんか言えるかよ。一体、何がおかしいって言うんだ」
「―子を為す気なんかねぇんだろ」
「……」

愛執の先にある崩壊を正しく読み糾弾する青い瞳に返せる言葉は無く、ただ、快斗は不利な状況にある眼下の相手にワザとらしく優しく笑いかける。

「この枷の鍵は俺が持ってんだぜ?…付け直すのと、大人しくヤラれんのとどっちがイイ?」

倒した身体の脚を抑えるようにして快斗はその上に乗り上げ、枷をつけたままその重さを用いて片手で新一の肩を押さえている。掛かる重みに新一が顔を顰め、その重さに自由を奪われた片手は拳を握り、もう片方が快斗を振り払おうとした。だが、その細い腕が身体に届く前に快斗の手が捕えて床に縫い付けてしまった。

「朝まで待った。…もう、待たない」
「快斗!」

話は終ってねぇっ!と叫ぶ声なんて、聞かない。聞いてやらない。
だが、快斗のしようとした行いは、思わぬ闖入者により、阻まれた。

―ピィ・・・
「?!」

軽い羽音が聞こえ、一体何だと思う間もなく、白い何かが視界を覆う。
いや、襲ってくる。
先程の柔らかな布地などではなく、顔を振って、思わず新一を拘束していた腕を解いて手で払おうとしても纏わり付いてくる、白い―羽根…翼を持つ―鳥だった。

鋭い嘴が、明確に快斗を目掛け、その白い身を礫のように飛ばしてくる。硬い切っ先を避けて―だが、空を裂く鋭利さは快斗の頬に赤い筋を残した。さらに、羽根の間から伸びる爪先を、新一に触れている方の快斗の腕に向けて、『攻撃』を仕掛けてくる。

「何だ?!コイツ―」
「バーロ、キッド!」

同じく驚いていた新一が、白い何かに向かって呼びかける。
鳥を追う青い眼差しは、既知の相手へ向けられるもので、それを見た瞬間、快斗の中で―直感が働いた。

白き翼を持つ献上物を探しに行った賢者。
適合物らしき存在を発見しながら、持ち帰れないという報告。
新一を探していた、白い―オバケ。
闇に消えた白い―飛べるモノ?

―こいつ、は

「白い…鳥、だな。アレ?もしかして、さ。新一…見つけていたんだ?」

ひやり と背筋に悪寒を走らせるには十分な、冷えた口調で問いかけてくる相手に、新一はハッとして快斗を見遣る。

「もしかして、…姿が変ったり、しない?この―」
「! 快、と」
「鳥」

昨夜は獲物を逃がした短剣で、今度は正確に射止めた。

ピピィ―…

片翼の先を床に縫いとめる。直ぐに赤い染みが床に広がっていく。

「やめろ!快斗!!」

跳ね起きた新一が、翼をバタつかせてのた打ち回る小さな動物に手を伸ばす。
快斗は素早くその手が届く前に、手が赤く濡れるのも構わず、ソレを掴み上げた。

「何だ、見つけて、持ち帰ってたんじゃないか」
「…違う」
「どうして直ぐに言わなかったのさ?―元に戻りたかったんだろ?」
「それ、は」
「親父の代からの探し物。魔力を帯びて―新一に掛かった魔法にも対抗できる力を秘めた特異なる白い鳥」

小さく首を横に振って、震える可憐な唇は「やめ、ろ」と掠れた声を紡いでいた。その様子と―手にした赤が斑に滴る白い物を見比べて、快斗はより眼を細めて笑った。

「『コレ』があれば、新一は元に戻れるよ」

どうする?

首を少し傾げて、選択肢を提示してやる。
判りやすく、迷いの無いように。

「白い鳥の命と引き換えに、元に戻るか?新一」

心配げに鳥を見つめる愛しい相手に苛立った心のまま。
手に入れられぬ彼の青い瞳が、決して己を見ないだけでなく、既に他者に奪われているのなら。

泣いて縋る代わりに
笑って全てを終らせてしまおうか







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