水葬恋談 | ナノ




「こんばんは、工藤さん…と、お嬢さん?」

「違うわ」
「そうか」

この部屋に部屋主である工藤以外の人間がいたら、普通自覚ある不審者は入ってこないのでは?と主治医は意見したのだが、「今夜はよく晴れてるし…開けておいたら、多分、入ってくると思う」との工藤の予測はどうやら正しかったらしく、その夜、怪盗は姿を現した。しかしながら、幼い相手とはいえ家主ではない存在に一応の警戒はあるらしく、怪盗は降り立った窓辺を背にしたままそっと頭を垂れ、部屋主と彼女に向かって挨拶をする。

彼女はそれに返答することなく、静かに首を横に振って否定の言葉を述べた。

「私の知らない怪盗さんね」
「全然?」
「格好は…ほとんど同じのようだけど」

聞こえた遣り取りに怪盗が一瞬眼を細めて彼女を見たのが、工藤には見て取れた。
それから怪盗の視線は静かに工藤へと移動する。外から来る者を招き入れるかのように開けられていた窓の中へ、工藤以外の気配を感じながらも飛び込んだのは確かに怪盗だったが、一体これはどういう趣向であるのか。
疑問を孕んだ視線には答えず、まずは工藤が確認する。

「お前、怪盗キッドだよな?」
「ええ―今は、私が」
「今は、か…」
「いつの間に交代したのかしら」

『交代』という単語に、スッと視線を鋭利にしてくる様に、どうやらそれはこの怪盗にとって大きな秘密にあたるのだと工藤は推測する。逆に言えば、怪盗にとっても、この奇妙な少女は大きな秘密を握っている謎の相手になるということだ。
一体何が明かされるのかと、工藤は彼らの遣り取りを一瞬たりとも見逃すまいと眼を細めた。

「失礼ですが、お嬢さんは…」
「灰原哀。俺の主治医。隣に住んでる。んで、何かオメーの事知ってるみてーだから、会わせてみたんだ」

帽子の下の片目がパチパチと何度か瞬きして「…主治医?」と唇が疑問を囁いたが、工藤はそこには触れず、開かせる情報だけを提示して口を閉じた。

「はいばら、さん。…貴女は、怪盗キッドをご存知なのですね?」
「…以前、少し、お世話になったわ。貴方じゃないみたいだけど」
「『彼』はどのようなことを?」

小さな歩幅で、彼女は臆する事無く怪盗に近づいて、しげしげとその姿を見上げた。不審者に対する疑問と一応の警戒はあっても、そこに怯えや敵意の見えない平然とした態度。

「聞いてないのかしら?やっぱり、衣装は同じみたいね。…貴方、遠目からなら雰囲気も以前と同じだった。顔はしらないけど、『彼』って多分、貴方に似ている御身内じゃなくて?」
「…それは―」

「それは、私のことかな?お嬢さん」

言葉に詰まる怪盗の背後で、再び大きく窓が開き、部屋に居る怪盗の声よりも低く、この場の誰より楽しげな声をさせた何者かが侵入して来た。




「黒いな」
「黒いわね」

工藤がとりあえず追加の珍客についてざっくりとした感想を述べると、灰原もまた同意を示して頷いた。
窓の向こうにちょうど月が見えていて、それを中央にして、工藤の前には右に白い衣装の怪盗と、左に黒い衣装の怪盗が立っていた。似ているのに明確に存在の違う白黒の対比は、不可思議な眺めだった。どちらもシルクハットを被りマントを靡かせ片眼鏡をつけている。身長、体格はやや黒い方が良い。白い方はその纏う色の効果かはたまた黒い方には顔のパーツとして存在している髭が白い姿の彼には無いせいか、黒よりも白の方が歳若く見えた。

「白い衣装は彼に譲ってしまったのでね。キッドの名前も今は彼のもの。…私は、怪盗コルボーと言うのですよ。リトル・ドクター」

『ドクター』という単語一つで、彼女の既知である怪盗は黒い方なのだと工藤にも―もう1人の怪盗にも理解できた。更には、小さなドクターに膝を折り、頭を垂れて一礼し今の名を告げる怪盗は、その態度で彼女への敬意を表していた。

「そう。怪盗さんの事情はよく知らないけれど、…貴方、もう『この人』には関わらないって言っていなかったかしら?」
「『私』はアレをお渡しして以来、『この方』にお逢いするのは今が、…初めて、になります」
「…驚いた?」
「ええ、とても。『この方』がこのような姿を隠していたとは」
「でもね、『この人』はその事を知らないの」

しげしげと工藤を見つめる黒い怪盗の視線を制するように、灰原はそっと人差し指を唇に宛てた。

「…知らない?」
「覚えてない、でもいいわ」
「―それは、それは…」

柔らかな笑いを浮かべていた顔が、『リトル・ドクター』と呼んだ彼女の言葉を聞いて一瞬固まったのが工藤には見えた。ほんの一瞬だけの変化。注視していなければ簡単に見過ごしてしまうくらい微かなソレは、直ぐに黒の帽子の下に隠されて、彼が何を思っているのかまでは読み取れない。
代わりに、主治医の口から出て来た言葉に、今度は工藤がぎょっとした。

「ねぇ、隣の家にお茶を呑みに来て下さるかしら?怪盗…コルボーさん」
「ご招待お受け致します、リトル・ドクター」

一体どういう仲だというのか。
素っ気ない彼女の姿しか知らない工藤にとって、気安く不審人物をお茶に誘うなどということを主治医がするとは大変な驚きだった。

「なぁ…」
「工藤くんは駄目よ」
「何でだよ」
「秘密の話をしなくてはいけないから。だから、貴方も遠慮してね、怪盗キッドさん」

黒い怪盗と主治医の遣り取りを工藤と同じくじっと見ていた怪盗は肩を竦めて「ご招待頂けなくて残念です」と呟いた。



それから、怪盗コルボーは主治医を腕に抱えて窓から隣家へと飛び去って行ったのだった。




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