水葬恋談 | ナノ




「夕べ…と、その前にも、貴方の部屋にへんなヒトが来なかった?」

隣に住む主治医に尋ねられ、工藤は「あぁ…んー」と曖昧な返事をした。確かに来ている。窓から出入りしている白い姿の不審人物。もしかしなくても、隣の家から見られていたのだろう。来ている、と知っている上で、何か不都合は起きていないかを尋ねる視線だった。心配そうな、それ。

工藤自身の異常について、工藤以上に気遣ってくれる少女は灰原哀という。

週に二度程の定期検診。それなりの頻度だが、少し前までは一日と空けず彼女が工藤の部屋まで具合を見に来ていたのだから、それに比べれば大分工藤の状態は良くなっていると言えた。いつもなら定型の検査をした後「異常無し」の一言で終ってしまうが、今日は珍しく、首の後ろと二の腕の裏側、どちらも工藤には見えない場所を指して「水ぶくれみたいな痕…?虫…?痒みや痛みは?」と聞かれた。そう聞かれて初めて工藤もそれに気がついたのだが、特に痛みや異常はないと言ったら「そう」とだけ返された。
基本、彼女はあまり喋らない。
ただ、工藤の体調に関する事だけ、口数が増える。
健康管理ではない話を引き出したくて工藤が色々と話を振っても、梨の礫になるのが常だ。
出逢った最初に「貴方の体調を管理させてもらうわ」と言い切られた時は、幼い姿にそぐわない口調と態度何より高い教養と知識に一体何者なのか疑問は尽きずー今も尚、その謎は解消されていない。

およそ半年分の自分自身の記憶を失った上身体が脆弱化した工藤は、目を覚ましてから現在までの二ヶ月、ずっと療養中の身だった。

「…なぁ、お前は、そのへんなヒトに心当たりはあるのか?」
「よく見ていないから、何とも言えないけれど」
「けど?」
「貴方が覚えていない、知ってるヒトかもしれないわ」
「…っ」

どきん、と高鳴った音は、聴診器を宛てていた彼女の耳にはよく響いたようで、クスリと笑われてしまう。しかし、そんなことよりも聞き捨てならないその言葉に、工藤は口を開く。

「俺が、知ってた?アイツを?…確かに、知らないのは変だ、とも思ったけど。単に関わってないだけかと…でも、それにしちゃ、アイツだって、最初は俺のこと知らなかったみたいな、感じで…?」

訳知り顔の目の前の彼女に聞いているようで、途中から自問自答するように口元に指を宛て呟き始める。
二ヶ月前に、「一体、俺に何があったんだ!?」と叫んでいたという彼とは大分違って落ち着いたものだと主治医役を負っている彼女は思った。

―目が覚めたら、半年もの時間が過ぎていました。春先に遊園地に遊びに行って、気を失って。次に目が覚めたときには、夏が終って初秋の頃。その間に、身体はひどく弱って、学校は休学状態。一緒に遊園地に遊びにいった相手も、自分自身の家族も隣人も、皆心配そうにしてくれましたが、その間、自分が何をしていたか記憶にありません。―とんでもない話だ。
だが、それが工藤新一にとって、高校二年の始めに起こった事だったのだ。

工藤が目覚めた場所は、白い色が覆う病室。
普通ならば、長い昏睡状態にあったと言われ納得できる状況だった。身体を起こすのもやっとなくらい重く動き難くなっている身体に、事ある毎にズキズキと痛む頭。これは遊園地で頭に酷い衝撃でも受けたのか、と。実際最初に工藤の診察にあたっていた医師はそうとれる説明もしてくれた。

だが、工藤はその説明に、なにより自身の状態に対して烈しい違和感を覚えた。
―そしてその違和感は、自分自身だけではなく己を取り巻く世界にも存在しているのだと知る。

『工藤ー!心配したぞー!まったく…進級できなかったらお前、俺らの後輩になっちまうんだからしっかりしてくれよー。課題はちょこちょこ受け取ってやってたって聞いたけど、ホント大丈夫か?三年クラスは二年の持ち上がりなんだから、2B全員で3Bになろうぜ!』
『先輩、変な事件に関わって少し前から行方不明って聞いてたから心配してましたよ。あ、ちゃんと元気になったらまたサッカー部に顔出して下さいね。ヒデやヒゴと会ったって話楽しみにしてますから』
『ご両親にも聞きましたが、やはり高校生が探偵の真似事など…学校からもっと注意すべきでしたね。とにかく、体調を戻して復学まで頑張りなさい。出席日数についてはまた相談していきましょう。今度はご両親も交えて、学校で』
『いつも電話で助言してくれてたから元気でやってるのかと思ってたが、一体何に巻き込まれておったんだね、工藤くん。儂ら警察に相談してくれれば良かったのに水臭い』
『もう、いきなり連絡とれなくなって心配したんだからね!新一ったら』
『ホーント、何かっちゃ事件事件、って。推理馬鹿なんだからオヌシは。散々心配かけた蘭に謝りなさいよ。は?最後に連絡…は、アレでしょ。蘭と電話してたじゃない』
『電話?最後にしたのは…え、っと待って。あ、一ヶ月前だね』

『お前の携帯かい?…あれは、どうせ使わないから、処分したよ』
『新ちゃん?どうしたの、怖い顔してー。何か隠してないか?って…、そりゃ、あんまり脳に負担かけたく無いから、私も優作も色々考えてるのよ?少し位おかしくたって、新ちゃんがおかしかったンだから仕方ないじゃない』

工藤がひたすら半年間病院で眠っていたのなら、知人や友人達の話す内容はとても奇妙だった。また、中学の頃からずっと離れて暮らしていたとはいえ、肉親である両親の息子に対する腫れ物を扱うかのような、あるいは妙に傍観しているような態度もひどく奇妙に思えた。

工藤は、見舞いに現れる相手に対し、慎重に記憶の無い半年間の己の姿について探っていった。
 ―結果、どうも彼らは工藤が昏睡していた筈の期間に、工藤と連絡を取っていたらしい、と結論を出すに至る。特に電話でだのメールが着ただの。
無論全く覚えがない。
これはどう考えてもおかし過ぎるだろう。昏睡、ではなく記憶障害あるいは喪失の方がまだ話が通る。そうでなければ、工藤の偽物が出現していた、とでもいうのか。

これらの証言と推測を元に、工藤は次に記憶の無い期間について明らかに何かを隠蔽していると思われる両親を問いただした。
対する答えは『意外に早かったわねぇ』『いやいや1週間も掛かっているじゃないか』『優作が携帯取り上げちゃったから、遅かっただけじゃない?』『…まぁ、その点のハンデは認めよう』という何ともヒトを食ったような、しかし工藤にとって非常にしっくりくる両親の態度だった。
ただ、正確なところを彼らは教えようとはせず、あくまでも工藤自身が思い出すべきことだと言った。曰く、寝ていた事にしても問題はないし、むしろその方が良いかもしれない、と。

工藤はこれに強く反発した。
半年もの期間を覚えていないからといって、無いものにして良いワケはないだろう。父・工藤優作は、息子の抗弁を笑顔で受け流しながら、さらりとこう述べた。

『直近で関わった事件で深手を負って、記憶に障害が出ている、という事にしたら良い。というか、学校や警部にはそう言ってあるしね。…それに恐らくこの半年間、君に直接会った人間は殆ど居ないだろうし、多少様変わりしていても不審がられることもないさ』
『会ってない…?誰にも?メールや電話はしてもか?』

考えるまでもない、更なる謎掛け。
目元を険しくする息子に対し、ふむ、と父親は譲歩案を出した。
とにかく体調が戻るまで絶対安静を厳守するのなら、記憶を取り戻す手がかりになるであろうサポーターをつけようじゃないか、と。

―その結果、引き合わされた奇妙な少女。

彼女は、工藤の記憶の無い半年の間に知り合い、そして工藤に助けられた人間であると言った。事情があり、本来なら彼女の身を護る為の『保護プラグラム』を受けて所在から存在まで隠さなければいけないのだという。だが、工藤がどうしても消えた記憶を取り戻したいと言うのであれば、無理の無い範囲で手伝っても良いと、主治医の役を引き受けてくれる事になったのだ。
互いの事情を考慮して、彼女は工藤家の隣にある阿笠家に居候し、工藤と、少々糖尿の気がある隣人阿笠博士の体調を管理してくれている。

尤も、彼女もまた工藤の両親と同じで、特に工藤に何も教えない。
あくまでも、工藤が思い出した事や、気掛かりになっていることについてヒントを提示するだけだ。
だから、能動的に『不審人物』を聞いてくるのは、意外だった。

「…アレについてなら、教えてくれんのか?」
「もう、貴方に関わらないって言ってたから、迷う所ではあるわね」
「アイツが?」
「そう」
「関わらない、ねぇ…?」

どうにも、工藤が偶々助けた怪盗なる人物と彼女が気にしている不審人物には隔たりがあるように工藤には感じられる。だが、ここは情報を引き出す事を優先させるべきだな、と素早く頭を巡らせて、「なら、さ」と工藤はある一つの提案を口にした。




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