水葬恋談 | ナノ




どうやらこれは、文字通りこれからの夜を含め三日三晩、新一は考えなければいけないらしい。

「こんばんは。…御邪魔しても宜しいですか」
「なぁ…オメーって、犯罪者じゃなかったのか?怪盗キッド」

今夜も新一の部屋の窓を叩いてきた怪盗について。





「オメーに警戒心とかねーの?」
「そんな事は、初めまして、のご挨拶が済んだ時点で消えましたね」
「…オレは、むしろ警戒心増してきてるところなんだが」
「心外です。私はこれでも怪盗紳士。況してや命の恩人である貴方を害するなど有りえません」
「恩人…って、その言い分自体が段々怪しくなってきてるってんだよ!だって、オメー全然元気じゃねーか!」
「私は怪盗ですので。基本的に不死身です」
「怪盗が不死身の代称なんてのは初耳だ。…だったら、もしかしてさ、オレ、放っておいて良かったのか?」

軽口を叩きながらも。
無論、どう考えても不審な人物への警戒はまだあった。

けれども、少なくとも新一の前では、「怪盗キッド」と名乗る男は至極マトモで行儀の良いー何より緊急手当を要する相手だったこともあり、その回復ぶりに安心するのも本当で、いっそ身ぐるみを剥いで、残っている筈の傷跡を確認したいくらいだった。一体どう鍛えれば、あの様子からここまで元気に空を飛べるようになるものなのか。
それに昨夜、「恩人」への感謝の他に、妙な事を告げてきた怪盗の言葉も気になっている。―感謝を述べた後、片手を胸元へ、もう片手でシルクハットを脱いで、更に腰を折って深く頭を垂れた怪盗。


それで今日は何の用だ?と新一は怪盗に尋ねる。
すると怪盗は白いスーツの合わせ目に手を入れ、懐から大粒の光る石を取り出した。きらきら月を背にして窓辺に立つ彼の手の中で、それは余りにも眩しい煌めきを放っていた。
新一は、思わず眼を見開いて凝視してしまう。
次いで目元を険しく歪めた。

「それ、新聞に載ってた…東都美術館の展示品だろ…」
「ええ」

盗品を見せびらかして飄々と笑う怪盗に、新一は身構えた。
所詮相手はー… と、怪盗に対する己の認識の甘さに舌打ちしたくなる。
だが、怪盗は一度それを今夜もまた明るい月に翳して輝石の中を覗き込むような仕草をして、それから、それを静かに新一に差し出したのだ。
再び新一は瞠目して、今度はぱち、ぱち、と幾度か瞬きをして「え?」と間の抜けた声を出してしまった。

「どうぞ」
「は?」
「こちらは、本来の持ち主が既にこの世界に居ない、主を失った石になります。貴方のお手元に置くも、盗品を買い入れた展示主にお返しするも、ご自由に」
「…なに言って」
「もし、貴方の具合に差し支えがなれば、もう少しお話を」

怪盗はチラと新一のベッドサイドにある小さなデスクの上に眼を走らせた。新一もその視線を追う。そこには、昨夜受け取った本が、栞を挟んだ状態で閉じて置かれている。そして、その横に丸い盆に乗せられた薬袋とコップと水差し。昨夜も、その前の夜にも、ずっと以前からそれらはそこに置かれていた。
怪盗に与えた頓服も、本当は新一が必要な時に用いる為の物だった。

「問題は、ない。ぜ?…でも」

気遣われている、と察した新一は、一瞬眼を伏せ、ふぅと息を吐くと、窓辺からベッドへと歩いて、その端に腰を下ろした。

「突っ立てるのは少しシンドイから、ここでな」
「では、私はこちらを拝借致します」

身体を冷やす夜の風を遮る為に窓をそっと閉じてから、怪盗は軽やかに書棚の前に置かれている足場が三段分の物取り台へと移動した。



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