水葬恋談 | ナノ




「工藤さん、工藤さん」

コンコンと窓を叩く白い手。
やはり、夜の色彩の中で、色の無い色は実に目立つ。こんないろいろな意味で印象的な存在に対する自分の中の既視感。忘れられない筈が無いから、思い出せないということは、きっとその鳥について世間に知られている以上のことを自分は知らないのだ。ネットや録画していたテレビのニュースに混じっていただけの事。けれど、それならば、眼の前を流れて行く映像や雑多な話題の中で埋もれている存在を、昨夜までどうして気にも留めていなかったのか、その方が不思議ではあった。こんなに、奇妙な相手なのに。
ベッドで読んでいた本から目を上げて暫し、そんな事を思いながら窓の鍵を開けた。



「鳥の恩返し…」
「…鶴のように機を織って差し上げた方が良かったですか?」
「いや。こいつで十分だ」
「失礼ながら、今朝方こちらの部屋の本棚を見せて頂きまして、…ご嗜好の会いそうな物を選んでみたのですが」
「気に入った。サンキュ。で、怪我はもういいのか?」

昨夜の今夜で、白い男はかなり回復している様子だった。
結構な傷だったのにな、と彼は首を傾げる。

「ええ、もう十分に」

そう言って、男は深く頭を下げた。

「空の散歩の途中で敵手に撃たれ、こちらに墜ちた時には、この姿ももう終わりかと覚悟をしていましたが。まさか…貴方に助けられるとは」
「…?」
「まずは、昨夜はありがとうございました」
「ん?礼は今朝も、今も貰った。貰い過ぎなくらいだ。気にすんなよ」

どうぞ、と言われ男から手渡された本は、そのどれもが彼が読んでみたかった本だった。最近買い付けに行けなかった新刊や、手に入らなかった初版本。
金額に換算すれば結構な額になる。
本当にいいのかと問うと「命の恩人への返礼としては全く足りてないないのはわかっていますが、どうかお受け取り下さい」と見当はずれな答えが返ってきた。

昨夜、男の白い布地を剥がして、とにかく止血をして、鎮痛剤と解熱剤を与えてやってー男が目を覚ましたのは朝早く。傍に付いていた彼を見て、酷く驚愕し、次いで狼狽を浮かべて、慌てて身体を起こそうとしたから、彼の方が慌てて「バーロ!傷が開く!じっとしてろ」と声を上げる事になった。
それを聞いた男は、瞠目したままーけれどふっと表情を和らげて、静かに身体の力を抜いて彼を見上げた。大人しくなった様子に、「無理すんな」と忠告すれば「はい」という素直な返事。
ーそれから暫くして「水、持ってくる」と言い置いて彼は部屋にあった水差しを手に部屋を出た。
やけに熱心に見てくるモノクル越しの視線と生身の眼に、少し居たたまれなくなったのだ。色々聞きたい事が在った筈なのに。

彼がコップと水差しを持って寝所に戻ると、男は幾分か皺くちゃになった衣装を既にきちんと身につけ、それなりに身なりを整えていた。無理をするなとさっき言っただろう、と彼が叱責するより前に、「お世話になりました。お礼はまた、今夜に」と男は言うと、また窓から飛んで行ったのだった。

「つーか。ホントにまた来るとはな」
「当然でしょう」
「…警察呼んでたかもしれないのに?」
「おや。私の名前をご存知で?」

「知ってる…多分」

彼がそう言うと、またも、男はそっと口元を緩める。そして、今朝彼を見上げ、見つめてきた眼で、まるで、呼ばれるのを待ち構えるような顔をした。



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