水葬恋談 | ナノ




あるところに、綺麗な物が大好きな少年が居りました。

彼の両親は、世界各地を巡り珍奇で美麗な蒐集品を集め交易をして、それを足掛かりに、より広い世界へと足を伸ばし、沢山の『世界を見る』事を生業にしていました。だから、少年はいつも一人きりでお留守番。険しい道や荒れ狂う海をモノともせずにその足で踏み締めていく父や母とは違って、一緒に行くには彼は幼くて、そしてとても恐がりでした。少年の両親は無理に彼を連れて行こうとはせず、交易で得た財で屋敷を建て、少年に沢山の世界中の綺麗な物を与えたのです。

ある日、海の周りを巡って帰って来た両親が、大きなまぁるい透明な水鉢に、とても美しい青く煌めく生き物を入れて帰ってきました。それはそれは美しい生き物。海の底知れぬ青さを身に宿しながら、きらきら跳ねる水面の中に浮かぶ姿はまるで生きた青いろの宝石に見えました。
少年は生きているお土産はあまり好きではありません。どんなに美しく咲く花もいつか枯れて散ってしまうのだと知っていましたし、美しい歌を奏でる小鳥も閉じ込められた籠の中にあっては悲しげに見えてそっと空へ還してしまう事もありました。
けれども、この生きた宝石には一目で心を奪われました。
少年の両腕でやっと抱えられる大きな水鉢が、ソレが生きる世界の全景に思えました。とても貴重な種であるというソレは、他の同族と共に住まわせるのは難しいと聞いたので、一匹きりの水鉢に置く事はソレを護る事だと思えば、孤独ではないのかと心配になることもありません。
それどころか、ソレの世界を独占している事が嬉しくてー誇らしくてならなかったのです。

少年の両親は、今までに無いくらいに眼を輝かせ、頬を染めて美しいソレに夢中になっている我が子に、分かり易くソレを世話をする方法を教えました。海水と淡水両方を行き来する種らしいので、水質にはあまり気を使わなくても大丈夫。けれど、十分に新しい水草を与えて、何より水温に気をつけて陽光と月光に宛てておあげなさい…ソレは光の中で生きる生き物だから、と。

少年とソレの生活は穏やかに流れていきました。少年は水鉢の傍で本を読み、時には朗読してソレに聞かせてもやりました。歌を聞かせることもあれば、両親が贈ってくれた楽器を奏でて音の波をソレに与える事もありました。
少年が水面に手を伸ばせばそっと身を寄せ、水鉢に顔を寄せれば、くるりとその目の前で鱗を煌めかせて回ってみせるソレは、言葉がなくとも少年と心を通わせてくれているようだったのです。鉢の水を取り替えるから、少し我慢してね、と小さな容器に移す時も嫌がって逃げることもせず大人しくしてくれますし、逆にソレが必要だという光が足りない時は、閉じられたカーテンにある方向の水鉢の側面を口先でつついて少年に訴えかけます。不思議な生き物でした。そして、その不思議な生き物を、少年はーとてもとても好きになったのです。

幾つかの年が過ぎてもなお屋敷に籠りがちになる少年を、両親はそろそろ外へ出てみないかと誘いました。少年の両親は、世界を歩き回って沢山の珍しい物を目にしながら、そこで大変なモノを探しているのだ、と大きくなった少年に明かしました。
彼らが探しているのは『いのちの石』。
ヒトの願いを叶え、ヒトに永劫不滅の生を与えるとも、不老不死を齎すとも、生命の神秘を覆すとも謂われる月に翳すと赤い光を放つという謎の石。沢山の物珍しい物品のなかに、その石やその石に辿り着く為の情報が無いかと世界を回って歩いていたのだというのです。そんな事を言われても、少年にはよくわかりません。けれど、気になったのは『生命の神秘』の言葉。それは人間じゃなくても生きとし生ける物全てに掛かるのかと尋ねます。人間も動物も大差ないと言われ、そこで初めて少年は、その石に興味を示しました。

―少年は、綺麗な綺麗な青いソレに、永劫の命を与えたいと願ったのです。

両親の血族は連綿と続く生の中、その石を探し出し、砕いて地に還す事を使命としていました。身体を突き動かす衝動のままに、何かに呼ばれるようにして、世界を歩き回って『いのちの石』を探していたのだ、と教えます。そう言われても首を傾げる少年に、両親は自分たちの代には出現しないのか、と項垂れました。心を呼ぶ声が無いのなら、築いた財でのんびり暮らすのも良いだろうと両親は考えました。
けれど、少年は旅に出ました。

長い長い旅路。

今度は老いて来た両親が屋敷に残ってソレを愛でながら彼の帰りを待つようになりました。

そして。
ついに、ある国で彼はいのちの石の欠片を手に入れたのです。
呼ばれたような気がして、彼が手を伸ばした先にそれはありました。
あくまでも欠片にすぎない石は、地に還すべき赤い何かを含んではいないようでした。うっすらと平たく薄く、けれどとても硬質で、向こう側が透けて見える石でした。
持ち帰った彼は、その石の加工を試みました。
その薄い石を通して見る世界は、とても面白いものだったのです。地を眺めればその奥に流れる水の道が見え、空を眺めれば風の道が見えました。

とても固い石を削るのは大変な作業でした。けれど少年―いえ、青年になっていた彼は楽しげにそれを行います。削って曇りを落す毎に、石を通して覗き見る水に棲むソレが美しく見えていたのです。それに、屋敷に帰って、ずっと会いたかった青いソレの傍らで行う作業はとても青年の心を落ち着かせました。

それから、削った石の破片を水鉢の敷石に混ぜてみました。
ソレにいのちの石を与えたくても彼がソレに食べさせる事は難しかったので、単なる思いつきでした。

長命種と云われていたソレは、ソレの種の中でも類いが無い程長く青年の傍にいてくれましたが、段々と水を動き回るのは億劫だとでも云うように、水草の影に隠れる時間が増えていたのです。少しでも良い効果があれば、と願っての行いでした。

あるとき、片眼鏡分のレンズに使えそうなくらいに加工したその石を通して水鉢を眺めてみました。
すると、そこに不思議な人影が見えたのです。
彼と同じような年頃に見えました。
一目見て、彼はそれが青いソレの姿だと思いました。
生けるモノの不可思議を見せてくれる石を通して、ソレを心寄せる友と感じていた己に、同じ世界の住人の姿を与えて見せてくれたのだ、と。

昼の陽の中では、周りの光が強くて揺らぐように現れる人影はよく見えません。だから夜を待って、水鉢のまぁるい水面に閉じ込めた月の光の中で泳いでいるソレを彼は見つめました。

その顔には、銀細工を施したフレームに薄く削ったレンズを嵌め込んた片眼鏡が掛けられていました。



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