「おい、またあの客きとんで」
同僚の低い囁きに一瞬手を止めて、『いらっしゃいませー』の声と共に案内されて入店して来た客を見れば、確かにあの男の姿。
ここ一週間ですっかり覚えた特徴。年の頃や背格好が俺に似ていて、同僚いわく顔のパーツも似ているそうだ。心外な。俺はあんな軟派なナリはしていない。
ふわふわしたクセ毛が遊ぶ頭に人懐こそうな顔つきと、カジュアルな服装は女の子に受けそうな感じだ。彼が入店してくると、ちらちらとカウンター席にいる女だけのグループや男連れの女まで、彼に視線を飛ばしていた。
客席案内の店員がこちらへどうぞーと営業スマイルを浮かべ彼を誘導したが、彼は店員の示した席を見て片手を振って、別の空いている座席を指差した。戸惑いながら(店員が案内した席以外を指定してくる客は珍しい)まぁ空いているから構わないだろうと、慌ててそのカウンターの一角を拭いて、どうぞと誘導し直す。
―丁度、俺の持ち場の斜め前に彼は座った。
何故だか、コイツは必ず俺の視界に入る場所に座ってきやがるのだ。
そして、妙に親しげに笑い掛けてくるのが常だった。今日も「小腹が空いちゃってさー」と聞いてもいないのに、明らかに俺を見て話しかけてきた。
「でしたら、本日のオススメは‥ー」
「あ、大丈夫。さっき張り紙してたの見たから。俺アレ苦手なんだよね」
「ふーん」
話を遮られ、つい俺は客商売にあるまじき反応をしてしまった。慌てて、「お決まりになりましたら、声を掛けて下さい」と言い直した。
カウンター席とボックス席が半々の回転寿司屋。
回るレーンの内側で、客の要望に応えて調理をする人間がいるタイプの店だ。とは言え、全皿どれでも○○円!などと定額の安さを売りにしている店ではない。レーンを流れるのは、金額段階によって色の違う皿。そしてレーンの内側にいるのを許されるのは、歴とした調理師免許を持ち、『職人』と呼ばれるべき人間である。
無論仕入れているネタだって、割烹や回らない寿司屋に決して劣らない。大将が夜明け前に買い付けしてきた高級新鮮な品物。そもそもここは、元はかなり広い敷地に座敷や個室も持つ高級寿司屋だった。…時世の流れ、というヤツによって、現在は大衆寄りの店になってはいるけれど。
少しでも客入りのよい形態を採りつつ、しかし品質を落とさない、を売りにしぶとく生き残ろうとしている回転寿司屋が、一人前の板前を目指す俺の現在の職場なのだった。
「ったく、工籐も変なヤツに気に入られたもんやなー」
「…うっせ」
面白がっているようで、同情も混ざった声音に、かえって苛立つ。
何せこの客ときたら、流れてくる寿司皿には目もくれず、俺に向かって注文を飛ばすのだ。
しかも。
来る度来る度。
『かっぱ巻きー』
『たまごー』
『サイド(メニュー)のうどん下さい』
『ね、ね、カルビ巻きもよろしく!』
『アボカド巻きって、入ってるのアボカドだけだよね?』
『あー、ホント最近の回る寿司屋のメニューって豊富』
『あ、から揚げ下さい』
・・・彼は、一度たりとも寿司屋の看板ネタを頼んだ事がない。というか魚を食べる所を見たことがない。いや食べないどころか、目の前に流れてくるつやつやプリプリのイキのいいネタの乗った皿から不自然なほど目を逸らし、決して見ようともしないのだった。
それなのに通い来ること一週間。
魚を食べずに一週間。
これには、呆れるしかない。
寿司屋なのに。
「…今日こそ、魚食わしてやる」
疑問、呆れ、静観を経て、いつしか謎の使命感を抱き始めた俺は、客席に届かないよう小さくそう呟いた。
魚嫌いの板前好き男と、己の腕にかけて魚を食わせたい板前の、恋とプライドをかけた攻防が始まる…!
の?