マダミスぱろ
親の七光りだと言われるのが嫌だった。
資産家の息子が父親を真似て道楽を始めた、と影で囁かれていたのは知っていた。
だが否定しきれない父親からの影響があるのを誰よりも自分が感じていたから、そんな声を気にする事は無かった。
けれども、見習い程度の腕も無かった頃さるイベントでの事、そのイベントへの多額出資者の息子だからというだけでステージの上に引っ張り上げられ、ロクな芸を演じられないまま観客の失笑を受けた時、これでは−ここではダメだ、と悟ったのだ。
誰よりも尊敬して、憧れて、いつか越えてやりたい相手が居る。
その相手の庇護の下にいて、どうして超えるなんて事が出来るだろう。
誰の力も借りずに、己の手で、彼を超えたい―。
などと途方もない夢を見て、安穏とした生活から飛び出した。
−のが、10年前の事。
故郷に錦を飾るまでは、何があっても戻るまい…と、そう思っていた広い屋敷の門前に俺は立っていた。
生憎と凱旋パレード付きの帰宅ではない。
それどころか俺が連れて帰ってきたのは、結構な額の借金の督促状。
もちろん、金の無心に来たわけでも、無様な姿を晒したかったわけじゃない。
戻る事になったのは、俺の手と、その手に握り締めてきた一通の手紙が原因だった。
「快斗坊ちゃまですね?」
「…そーだけど、アンタは…」
「この屋敷の執事をしております工藤と申します。この度は、旦那様との最期の挨拶の為、ご帰宅下さりありがとうございます。旦那様も天国で喜んでらっしゃいます、きっと。…ずっと坊ちゃまを待ってらしたから」
「執事…って、若いな。坊ちゃまはやめてくれ、快斗でいい。とにかく、親父に挨拶させて欲しい」
「かしこまりました。どうぞ奥へ」
屋敷から出てきた彼に、聞きたい事は山ほどあった。
あの元気だった父の死因。どんな最期だったのか、とか。
息子が去ってから、この屋敷はどんな風だったのか、とか。
―執事の顔が、俺に似ているのは、単なる偶然なのか、とか。
けれども、それよりも。
俺は何より先にしなければならないことがあって、その為にココに来きたのだ。
だから、無言で歩く。
前を行く彼のすらっとした背中は姿勢正しく、すれ違うメイドから会釈され、時に指示や確認を出す様子は、確かに屋敷を取り仕切る者のそれだった。
顔の造りが似ているせいなのか、何故だか初めて会う相手とも思えない。
資産家だった父の最期に、実の息子と、ソイツによく似た人物の出迎え・・・ときて、コレがミステリー小説なら、何がしかの確執が芽生えそうな状況だよなとどうでもいい事を考えた。廊下を歩きながら、懐かしさと、何かにつけて連絡をくれていたのに、今の今まで敷居を股がないでいた罪悪感を紛らわしたかったのかもしれない。
もしくは、執事を見て―後に続く俺を見て、眼を丸くする屋敷の人間の視線が気に食わず、そんな風に思ったのかもしれなかった。
廊下を曲がるとき、ふと眼前の窓から外を見る。
中庭にある大きな木は、昔木登りをした木だ。
登ったはいいが下りれないと泣く俺に差し出された父親の手が不意によぎった。
強く胸が締め付けられ、ガサリと手にもったままの手紙をも固く握り締めていた。
「ここです」
「…そうか」
案内されたのは屋敷の奥。
いつも父がいた書斎だった。
「出棺は二時間後になります」
「・・・出棺・・・焼くんですか?」
「近年、土葬は禁止されておりますし」
「式は・・・」
「旦那様のご遺志で、形式ばった参列はありません。出棺の後は人を入れず焼き場へ向かい、夕刻に墓地にご案内する流れになっております」
訪れた各自が、故人に告別をし、花を手向ける。
シンプルで、親父らしくて。
けれども彼の華々しさが欠けていて。
―なんとも言えない空虚な気持ちに苛立ちが湧いた。もっと大勢に悼まれて惜しまれて、彼が居ないことでポッカリ空いた穴を埋めるように、盛大な式をすべきじゃなかったのか?と言いたくなった。しかし、今から息子だからと口を出すのは、親父とともに見送り方を決めた屋敷の人間に失礼になると思いとどまる。
(―そうか・・・)
元より、故人への想いをどう示すかなど、其々の心の分だけ様式があるのだし。―結局俺が、淋しいだけなんだ、と思い知った。
「すでに皆様ご挨拶はお済みになっておりますから・・・どうぞ、ごゆっくり」
***
不肖の息子の、独り言でしかない既に受取る相手の居ない謝罪の言葉が一頻り溢れ、涙とともに流れた頃、コンコンと扉からノック音。
慌てて顔を拭きながら、「はい」と声を上げる。
静かに扉が開き、執事が顔を覗かせた。
「もう、時間ですか?」
「いえ、それはまだ。ただ、旦那様と坊ちゃまがお揃いになりましたら、弁護士先生を呼ぶよう仰せつかっておりましたので。先程連絡したところ、先生から今からお話があるそうです」
お部屋にお通ししても?と聞かれ、俺は眉を顰めた。
資産家の死去―その息子の帰宅、とくればそんな話もあるかもしれない、とは思っていたが早すぎる。
「あのさ、悪いけど。俺は、遺産とかどうでもいいから。挨拶が済んだら帰る」
「と、仰られましても・・・」
困惑した顔に、軽い苛立ちを覚える。
しかし、彼の立場を思って、俺はハッとした。
「あ・・・そっか、アンタ執事だもんな。この屋敷がどーなるかとか聞く義務?いや責任があるのか・・・」
好きにしろよ、と俺が言うと、眼鏡をかけた初老の男が部屋に入ってきた。
「では、お揃いになりましたところで、故・黒羽盗一さまのご遺言を公開したいと思います」
厳かにではなく、淡々と。
「揃うって・・・他に親戚とかは」
「この屋敷は先代黒羽盗一様が一代で築きあげました家。盗一さまも、十数年前に亡くなられた奥様方にも、ご兄弟や他のお子様はおりませんので、これで全員で御座います」
つまり、親父の残した言葉を聞くのは、一粒種の息子である俺と、家のことを任されていた彼しかいないということだった。
血縁一つ。家の縁一つ。
何だか寂しい気がした。
が、弁護士の話が進むにつれ、寂寥は驚愕に取って代わる。
「『故・黒羽盗一の財産は、法に則った正当なる相続権利者が、両名揃って当屋敷で暮らし維持していくことを条件に、平等に分与するものである』以上、全文でございます」
「?権利者って・・・両名?」
「故・黒羽盗一のご子息・黒羽快斗さま。おなじく故・黒羽盗一さまの伴侶である工藤新一さま」
「―は?誰だよ、それ・・・伴侶って!?え、親父再婚してたのかよ!つっか名前、それ女か?!」
「男性ですが、彼は女性の市民権も持ってらして、既に正式に婚姻関係が成立しております状態で遺言状が作成されましたこと私が立会人として確認しております」
「はぁああああ!?男って!え、それ」
「ですから、法律に従いまして・・・財産の半分を伴侶である工藤さま、もう半分をご子息である快斗さまが、『条件を了承した場合に限り』相続できるということです」
頭が真っ白になるようなことを淡々と告げる男を、俺は呆然と見ていた。
「ど、どこだよ、そのクドウって―」
「俺だ」
「へ?」
声の方へ恐る恐る顔を向ける。
いや、この部屋に、弁護士と俺ともう一人しか居ないなんて事は重々承知の上だった。
それでもまさかの思いを捨てきれずに、俺は『彼』を見た。
「工藤新一は俺だ」
「・・・・はい?」
「直接会うのは今日が初めてになるが、話はよく聞いてるぜ、坊ちゃん?いや、快斗、でいいんだっけ?」
「は」
「ヨロシクな、『息子』」
先程までの優美で礼儀正しい『執事』ではなく、面白そうに青い瞳を輝かせる『工藤新一』なる人物がそこにはいた。
「おおお、おま、執事じゃ、」
「執事としてこの屋敷に来た後、オメーの親父に求婚された」
「って、男!・・・だよね?え、親父ってホモだったのか!?嘘だろ、んな」
「眼が悪いのか?俺は男だぞ。オメーの親父の性癖についてはよく知らねぇけど、オメーが生まれてんだから真性とか偽装結婚ではなかったろうよ」
「当たり前だ!母さんの肖像画だって、親父が何より大事に・・っ―!」
「あ、心配するな。あの絵はちゃんと今も書斎の奥に飾ってある」
「いつの間に、んな」
「一年前にちゃんと葉書送っただろーが」
「いちねんまえ・・・あ、ああああ?!」
ハッと脳裏を掠めた悪趣味な悪戯。−だと思った記憶のある、裏面に写真が印刷された、ちょうどエイプリルフールに届いた一枚の葉書。
「嘘じゃなかったのかよ?!」
どこか山奥の教会を背景に、黒いタキシード姿の親父と白いタキシード姿の息子に似た青年。添えられていた[わたしたち結婚しました]の一文の終わりにはご丁寧にハートマーク。悪戯や企み事が好きな親父が、息子が戻ってきましたという嘘を馬鹿馬鹿しく演出したのかと適当に考えたのだ。ワザワザ息子に似たモデルまで用意したのかと呆れ−そんなに寂しいのかと少し心が痛まないわけでもなかったが、どちらかといえば多大にムカついた。
まさかそれが。
「エイプリルフールの悪戯だと…!」
「うわ、日付指定で出したとか言ってたけど、よりによってその日かよ?!どおりで…」
「普通本気にしねーよ!て、マジなの?」
「マジ。つか、息子が葉書見て飛んできて反対したら、俺は止める気だったんだぞ」
「……」
「なのに、オメーは来ねえし、あの人はこのまま独り者で過ごすのは寂しいとか言うし」
絆されて、正式に書類作ったのは三ヶ月前だ、と言われ、俺は頭がくらくらした。
くらくらしながら、永の眠りについているはずの親父に目を向けた。
「…ドッキリ?」
「と、思いたい気持ちは解るが、見たとおりだ」
「どうなさいますか?」
「え、と」
「遺産相続なさいますか?放棄されますなら、そのように書面作成に移りますし、相続なさいますなら、お二方様に誓約書にサインを頂きましてから、遺産分割協議に入りたく思います」
「ぁあ、俺は、」
放棄する、と言う前に、もう一人の相続人の言葉が被せられた。
「相続します。約定通り、この屋敷には僕と彼とで暮らします」
◆◆◆
チチチと窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声と、瞼の向こうの明るさに覚醒を促される。(ああ、まずい。早くバイトに―)夜明けがとっくに過ぎている。眩しさに目を開けられないまま、それでもぐいっと身体を起こして―そこで、腕が沈むくらいスプリングの効いたふかふかのベッドの上だと気が付いた。
ぱちぱち、と瞬きして、襤褸の布切れでない目の前の清潔なシーツを確認。
―はぁぁと大きく溜息を吐いて、もう一度ベッドに沈んだ。
「寝惚けた・・・」
久しぶりの感覚だった。
屋敷へと戻って三ヶ月が経過したが、何とも俺にとって空白を埋めこの環境に慣れるには時間が足りていないらしい。
それもそうだ。
かつては俺が生まれ育った屋敷とはいえ、今現在の屋敷の主は親父の後妻なのである。
俺からすれば義理の母上である。
けれどもその人は、屋敷の主としてではなく、別の役職でもって屋敷を取り仕切る立場にある人物で、俺のことを「坊ちゃま」などと呼んでくる。
後妻氏の立場からすれば、俺は生さぬ仲の息子という存在。
・・・いや、生さぬ仲って可笑しいな、と思う。そもそもその後妻氏は生せない―子供を生むように出来ていない。
何しろ、後妻氏は『男』。
つまり俺にとっての義母とは、俺と大して年の変わらない野郎なのであった。
面白ごとの好きな親父だったが、何を考えて野郎と再婚したのは真意は不明だ。いや、面白そうだ、と思ったからかもしれない。我が親ながら、思考回路の繋がりが色々と不可解な人だった。同じように、親父に請われるまま後妻になったというその人―工藤新一という人も実に不可解な人だと、三ヶ月の同居の間で思い知らされていた。
―コンコン
ノック音のすぐ後、ガッと俺の部屋の扉が蹴破られる。俺を起こしに来たらしい人が文字通り扉を蹴りつけたその足で、そのまま部屋へと入ってきた。
ノックの意味が全く無いのは、絶対に気のせいじゃない。
「坊ちゃま、朝だ、起きろ!」
「ぉい・・・」
「朝だ」
「お義母さま・・・俺、夕べはマジックバーで働いてきて、寝たのさっき・・・」
「誰がおかあさまだ、気持ち悪ィ!つーか、起きろって」
「だったら、坊ちゃまヤメロって言ってるじゃん!執事のクセに扉蹴っ飛ばすって、ねぇ、アリなの?!」
「壊してねーから、セーフだろ。俺さ、ちょっと出掛けてくるから、銀食器頼むわ」
「そんなんメイドさんに」
「バーロ、銀食器磨くのは執事って決まってるんだよ。しかし生憎俺は朝から大忙し。と、なれば!忙しい親の手伝いをするのは息子と相場は決まってる」
「・・・えーと。どこ行くの?」
「警部からの協力要請が来た。多分、横丁の無差別殺人だろうな」
全くもって、この後妻氏ときたら、最初に見せた優雅で礼儀正しい姿が嘘っぱちな自由すぎる【執事】だった。
いや、屋敷にいる時は、それはもう立ち居振る舞いは完全に屋敷を取り仕切る人間たる静かな威厳すら纏わす人なのだが、来客や他のメイドやコックといった人の眼のないところでは、極端にだらしない、いやうん、自由な人だった。
そもそも【執事】になったのだって、潜入捜査の一部だったとかいう話をポツリと洩らした事もある。欲しい資料がこの屋敷の蔵書に眠っていたらしい。完璧に執事をこなしながらコッソリと隠密行動を取っていたのが、何故か親父には見抜かれて、そしてそこから、親しくなっていったそうだ。
懐かしむような、愛しい宝物を想う様な目で、少しだけ語ってくれた姿に、何故か胸の辺りが苦しくなったのはちょっと前の出来事。『結婚』という形で結ばれていた親父とこの人が、本当はどんな関係だったのか。当初は絶対に知りたくない、と思っていたそんな事が、最近では気になって仕方なかったりする。
「また事件、ねぇ」
「新聞で情報は取ってたからな。朝のうちに現場検証して、今夜にでも捕まえて、明日には戻るさ」
「え、日ィ跨ぐのか?」
「これまでの犯行時刻が、夜明け近く、夜の人間の帰宅を狙った頃合いだ。確実に日付は変わるだろうな。悪いが、明日も遅くなりそうだったら、仕事頼むわ」
ぽりぽりと幾分か申し訳無さそうに、しかしキッパリと【執事】よりも【探偵】業を優先させようとする相手に、俺は溜息を吐きながら聞いてみた。
「・・・あのさ、本当に執事してて、親父に見初められたんだよな?」
「ん?盗一さんもよく、銀食器を磨いてくれてたぞ」
「当主になにやらせてたのアンタ!」
◆◆◆
終るんだな!
元ネタは、フラワー&ドリーム系『まだむとみすたー』・・・だったんですが。何か色々おかしいのはいつもの事です。
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