910さんちの子

推理小説の好きな子供だった。

いや推理モノに限らず、元々読書が好きなようで、家の近くで見かけるあの少年は、大抵近所の図書館の貸し出し袋を一杯にしているか、手提げ鞄に入らないような分厚い辞書のような本を小脇に抱えて歩いてることがままあった。

どんな本を読んでいのかね?と興味本位で尋ねた事が何度かある。
時に「ホームズ」時に「江戸川乱歩」とフムフムと頷くものから「リフォームの基本」「図解・司法と裁判所」と年頃に似合わぬタイトルに些か首を傾げるもの、時として「主婦の友」「催眠療法」といった更に首をひねるような本のタイトルを彼は口にした。
どうやら、最も興味深く読んだ本への理解を深めるために、派生して知りたくなった事柄を片っ端から探求していく性質のようで、ジャンルを問わず読みあさっている風だった。

少年よりも年上の者として、彼の知らぬ知識や、よくよく推理小説のトリックについて本当に可能かどうか意見を求められたことがある。
所詮絵空事だろうと簡単に終わらせてしまうには、彼の瞳はとても真剣であったから、一緒になって頭を悩ませるのが常だった。

どうやら少年は、彼が属する子供の世界では少々浮いた存在らしく、大概一人で本を読んでいるようで。
一人きりでいる子供が気になって、本を話題に話しかけ自ずから話し相手になりにいったようなものである。
時々休日に出掛けて行っても、本を持って帰宅する姿をよく見たから、おそらく一人で図書館や本屋を巡って過ごしているのだと思われた。その姿は過去ー否今の己の姿とも重なる部分があって気になってしまったのだ。
それに、少年の両親とはそこそこ面識があって、隣人の己が騒音を立てても、気にしませんよと笑ってくれる気のよい人だったこともあったから、彼らの子供の相手をするのがちょっとした恩返しにでもなれば、という思いもあった。



「つららで、本当に人が刺せるか、かい?」
「そう。この本だと、つららで犯行をして、そのあと、凶器が溶けて証拠がなくなるって筋書きなのさ」
「そーだな・・・。刺す場所・・・か、もしくは勢いかな」
「でも、つららはこの本の犯行現場だと、保冷庫から取り出されて10分は経過してる。吹雪の夜だと絶対に現場の部屋には暖房がついてるから、つららだって溶けるでしょう?」
「ああ。そうか、最も尖っている部分からー」
「そう」

付箋をした本の頁を見ながら、指を口元に当て、「推理小説」を「推理」する子供。
よくそんな事を考えるものだと呆れることはなかった。
常人にとってバカバカしい事を考える事にかけては、少年に負けていない人間だという自覚が既に己にはあったから。

「もしくは、溶けないつららだった、というのは?」

この言葉に少年はム、と眉をしかめる。

「それじゃ、凶器が消えないじゃないか」
「ある条件下で溶けず、条件を解除する、もしくは別の条件を与えれば溶ける、という物質があればいい」
「あるの?!」
「化学的にはいくつか」

爛々と輝く目が、未知の物質への興味を告げる。しかし、でもダメだよ、と小さな反駁。

「この犯人は衝動的に殺害計画を立てたんだ・・・。雪山に行ってから、そんなの用意するなんて」
「じゃ、まず[普通のつらら」で再現して可能かどうかを調べる。ダメなら、本当に衝動的な犯行だったから本を検証してみる、とかはどうかね?」

もう一度、パッと輝いてこちらに向けられる目。

「いいね!」
「では、実験室で準備するからまた明日」
「うん!僕はもう一度、犯人の思考を追ってみる」
「おいおい、明日も学校だろう?早く寝るんだよ。遅刻したら実験はナシだ」
「ぅ・・・わかった」

話し相手を勤めるうちに、少年が我が家を訪れるようになった。ーというか、学校図書・近所の図書館の本に飽いた彼の次の興味は、工学部門や、化学や科学の分野の本の多い我が家の書棚に移ったようで、この日もいくつかの専門書を借りていくね、と言って鞄に入れる。
本当に知識を求めること、字を追いかける事が好きなようだった。

「じゃ、明日ね、博士!」
「・・・あのなぁ、優作くん。僕はまだ博士じゃないただの研究オタクだから。その呼び方はホント、勘弁してくれないかな」
「なんで?絶対、博士は博士になるよ。だって、なるつもりで、たくさん研究したり実験してるんでしょう」
「そりゃ、そのつもり、だけど」
「うん、だったら、なれる。だって、一杯おもしろい事考えて、夢みたいなこと本当にしようって頑張ってるもん」

だから、博士は博士だよ、と。
言い切った強い眼差しに、まるで予言をされているような妙な心地になる。「博士号」を取るだけなら、院を出さえすればいいのだけれど、彼は己が求める「天才発明家」としての博士になるのは当然だと言っていた。
−とても、嬉しかった。

「ーそうかな」
「そうだよ!」

「・・・ありがとう」

いつだって夢のようないっそ馬鹿馬鹿しい己の発明の案を笑い飛ばさず、実用性や利便度を一緒に考えてくれた少年は、既にこの時から年齢の壁を越えた大切な友人だったのだ。

それから数十年後。

彼は本好きな少年から文学青年となり、推理好きが高じたのか元々の才能か推理作家として(ごく一部では探偵として)著名となった。それから、彼は愛らしい伴侶を得て−そして、「博士!」と己を呼ぶ孫のような年若い友人を与えてくれた。

あの頃、あの少年と話していた「あったら便利な犯人追跡システム」や「犯人を惑わすのに使える変声器」、「免許がなくても体力を使わず犯人を追って移動できる手段」は、それぞれ名前を付けて、あの頃の少年によく似た彼が使用しているのである。







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阿笠さんちと工藤さんはお隣さん!
二人の年齢差がいまいち解らない。
何となく優作さん10歳、博士30前くらいと想定で。


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