幼少の君(しんいち)
■工藤さんちのしんいち君■ の話


『しんいち』
『しんいちクン』

物心ついた頃には、己の名前が男の子の性を指し示す特徴を持っていることに気づいていた。
その違和は本人が世間一般というもの照らし合わせて知るより前に、名を呼ばれ顔を見られたときに両親や近しい者たち以外が見せる言葉や態度で、そういうものなのだと人事のように理解したのだ。

『お名前から、勝手に男の子と思ってしまって・・・』
『とても可愛らしいので男の子とは知らず・・・』

違和の示され方は概ね二通りあって、名前だけを見て男と思い、『娘』と聞きもしくは実物を見て先入観で思い誤っていたことを知るか、姿を見て女と思うものの『名前』を聞いてまさか男だったとは・・・と、なる場合だ。
後者は『娘』に間違いないことを知って、ああ、やはりと思うらしかった。
外見にそぐなわない名前である、ということなのだろう。
とはいえ、しんいちは自分の名前も、両親がそう呼ぶのも好いていた。大好きで人生で初めて『尊敬』という思いを抱いた相手―母親が言ったからだ。
『新しく家族に来てくれた、たった一つの私たちの宝物だよ』と。
世間がもつイメージなどどうでもいい。
母親が女流作家であるにもかかわらず『優作』というペンネームを気に入って、公私に渡って―時に夫でさえもそう呼ぶが、呼ばれたほうは気にせずに―使うだけはある。三人家族である中で唯一の男である父親も、『有希』というどちらかといえば女性めいた名前に、若かりし頃は女形顔負けの女装で「女優」としても活躍したことのある非常な美人であったので、性と名の不一致など工藤家では何一つ問題にはならないのだった。


両親は決してしんいちを男の子として扱いはしていなかったが、庇護すべきわが子としてよりも、たとえ子供といえども一個人として相手の尊厳を重んじる―思いやる態度で接していたし、他者を傷つけるけるような乱暴な、卑俗な言葉をしんいちが用いなければ、多少ぶっきらぼうな口調で話していても気にすることは無かった。むしろ、親の選んだ服や玩具・知育教材にたいして、単なる我侭ではなくそれなりの信念と理屈をもって己の選択を主張する我が子に、生意気結構、なんとも賢しく可愛いものだと両親揃って頬を緩ませていたのだから、どうしようもない。ああ、あの頃、少しでもフリルや淡いピンクの色の素晴らしさに目覚めさせていたら、折角の可愛い盛りにドレスやスカート姿をもっともっと楽しめたのに!などと思ってもそれはもう手遅れだった。
彼らの子供はたいそう早熟に育ち、4歳を過ぎた頃にはいっぱしの自己を確立していたのだ。よってアルバムには三歳前後の時のものにしか、天使のような・ふわふわの・童話のお姫様も顔負けのしんいちは存在しない。


まだ漢字を読むこともままならなかった時分から、しんいちの心をときめかせていたのは子供らしいどんな遊びよりも、沢山のドキドキやハラハラを内包した文字だらけの本だった。わざわざ子供向けに改訂された本は書斎を根城にして過ごす母親が、しんいちの為に書き下ろした(打ち直した)ものだった。普段家族に構うのもソコソコに思索の海に旅立つことが多い母親のせめてもの罪滅ぼしであったのだが、次々と新作を強請られるものだから本来の仕事にまで影響し始め、ついには外部発注をするようにまでなった。しまいには、母親を通すことなく、しんいちが自分で選んだ本を仕事に卸すようになった頃、これではいけないと、母親―ペンネーム工藤優作は、訳が全てひらがなで表記されている英語・フランス語・イタリア語といった各国言語の辞書と、それらの言葉で書かれた我が子が好きそうな原書を数冊与えた。結果―これが思わぬ英才教育となった。

ある日、父親が家へと連れてきたとあるフランス俳優を迎えたときのことだ。
ゲストと家族の紹介が交わされる場で、彼は母親の足元でジッと己を見上げていた青い瞳の子供に向かって、目線を合わせるために片膝を折って挨拶をした―フランス語で。そして、言葉を向けられた子供は、当たり前のように言葉を返したのだ―フランス語で。しかも挨拶だけではなく、子供は彼の出演した映画について意見を述べ、それを受けた彼と意見交換までしてみせたのだ、勿論会話は全てフランス語だった。
コレには、日常において動じることが少ない母親も珍しく瞠目し、父親は「し、新ちゃん?!」と声を上げて驚いた。


ゲストが去ってからの夜、両親はしんいちが非常に優秀であることを再確認していた。

「新ちゃん、どこで習ったの!?優ちゃん・・・?私は塾に通わせてることなんか聞いてない」
「辞書を与えただけさ、私は」
「辞書って、それで本が読めるのは解るけど、でも、こんなちゃんと話すなんて・・・」
「?とおさん、じしょに、よみかたのってたよ?あと、きょーいくテレビ!」

辞書に記載された発音表記・本に載っている会話文・テレビから流れる日常会話のせいぜい初歩レベルしかない会話モデルを参考に、しんいちは学習したということだった。
フム、と面白そうに目を輝かせた母親は、我が子に与えた辞書と同じ国の言葉でいくらか話をした。

「ほほう・・・英語圏と、ドイツ、フランスあたりなら一人で海外旅行しても大丈夫そうだねぇ」
「ちょ、駄目だよ!?一人でなんて危ないこと!!」

慌てて父親は目を吊り上げる。大丈夫そうだ、と判断したら、この女性は何をするかわかったものではないのだ。たとえ、相手が我が子でも。いや、我が子だからこそ、自分で何とかして見せろと、下手したら最低限の荷物だけ背負わせて空港ゲートをくぐらせかねない。
我が子の能力に感嘆する間もなく、仕事で家を開けがちな父親は自分の居ない間に何かあったらどうしようと心配する羽目になった。だが、そんな彼を他所に、母子は会話をつなぐ。

「英語から始めたんだね」
「うん!だって、ほかのじしょにも、のってたから」
「今のところ、一番多くの国で使われている公用語だからね。見比べてそれに気がつくとはナカナカいい。で、読みが似ているドイツ語ときて、・・・フランス語?」
「えーごとちがう、ヘンな文字が多いのはあとにしたの」
「では、イタリア語は気に入らなかったかい?しんいち」
「読めるよ!でもテレビで、やってなかった。はなすのは、あんま、じしん、・・・ない」
「そういえば、深夜帯にしかなかったか・・・今度録画しておこう」
「ねぇ、かあさん。なんで、ちゅーごくごはないの?」
「私としては、まず日本語としての漢字や語彙から学んで欲しくてね」
「そうだよ!まずはちゃーんと、日本の義務教育を受けてもらいますから!!」

海外は家族旅行でね!と宣言して父親は、じっと伴侶を見つめた。勝手な真似はしてくれるなよ、と懇願を滲ませた視線に、そうとわかっていながらも作家がコテンと首を傾げて見つめかえせば、俳優はポポンッと美しい顔を赤く染めた。何か企んでいる、かも、と思っても、惚れた相手には弱いのだ。

「なんだ。この子が一人旅に出かけたら、有希と二人きりだと思ったのに」
「!!ッ優ちゃん・・・・!」

パアアアァッとまさに花開く満面の笑顔を浮かべた父親は、「じゃ、新ちゃん、オヤスミね!」と言うと母親を攫って夫婦の寝室へと姿を消した。なんだかんだいいながら、両親共に自立心の強い子供には助けられている―色々と。必要以上に手をかけずとも、心をかけている自負があるので、6歳児がこのあと自分の部屋のベッドに潜り込むのを疑っていない。実際は、少しだけベッドサイドの明かりをつけて、本を読んだりしてしまうのだけれど。
仲良きことは良いことである。弟でも妹でもできれば、それはきっと興味深いことだ、としんいちは思って、ポテポテと自室に向かった。


さて、しんいちの部屋には、高級そうな数多のドールやぬいぐるみが所狭しと飾られていたが、それらを用いて『ごっご遊び』に興じるとしても、それはその年頃の子供―特に女児が好む『おままごと』とは全く様相が違っていた。
なにしろ、しんいちが好んで読む本の中の主人公は、拳銃を隠し持った警官や刑事であったり、己の信念や感情以外に武器を持たないのに犯人を追う素人探偵だったりと様々だったが、その大多数は男性であり、子供が情報を吸収する媒体として良くも悪くも最大効果をあげるというTV画面の中でも『犯人はお前だ!』としんいちが憧れずにはいられない決め台詞とともにポーズをとるのはシブいもしくはカッコイイ探偵役の誰かであった。それを真似してヒーローごっこよろしく、ベッドの上でビシィと指差しポーズを取ったことも一度や二度ではない。

小学校に通う少し前に親の紹介で出来た幼友達は、そういったしんいちの遊びに、脚本どおりに動く演劇への興味半分、呆れ半分でつきあってくれた。だが、なにぶん、何度やっても面白さが全く解らない。気持ちがいいのは、犯人当てをする探偵役だけだ。死体は動けないし、犯人はたどたどしく言い逃れのための台詞を吐くしかやることが無い。それでも、時折しんいちに付き合ってくれていたのは、彼らの新しい友達にたいする優しさだった。

しんいちの一番のお気に入りは、書物のなかを飛び出して、イギリスに実際の住所を持つほどの高名な、かのシャーロック・ホームズである。彼は冷静に、そして狡猾に犯人を絡めとり、トリックや犯行動機を仔細に暴いていって、罪から逃れようとする犯人を追い詰めていくのだ。犯人が陥落していくシーンなど、息をするのも忘れて字を追った。
体は動いていないに、血肉沸き踊った読書を終えて興奮さめやらぬ状態で遊ぼうといわれれば、当然ホームズごっこしかしんいちは認めない。
だが、しんいちのホームズ狂いにだけはホトホト参っていた友達は、この状態のしんいちには近づくべからず、という不文律を確立させていて、そそくさと退場するのが常になった。
よって、しんいちがホームズになるとき、助手のワトソンはウサギのぬいぐるみが、被害者は巻き毛のピクスドールが、彼女のお相手を務めることとなった。物言わぬ相手と遊ぶことは、普通の子供であればすぐにつまらなくなって飽きるだろう。しかし、しんいちは、本を手にして無駄に広い我が家に色々な仕掛けを施し、工作に工作を重ねた遺体を設置して、主に父親、時に母親や友達の悲鳴が聞こえるのを、待ち構えて楽しんだのだった。
犯人も探偵も一人でこなす遊びは、観客がいればそれなりに満足できるというわけだ。
もっとも、父親には人形にペンキを塗りたくったことを叱られるし、友達もまたか、と肩を落とすようになってしまうし、母親は笑って瞬時にトリックを見抜いてしまう―どころか、こっそりとトリックを増やして事件を難解にする厄介なライバルになったりしたものだから、しんいちは片手の数ほどで家庭内事件のマッチポンプをやめてしまったが。


しんいちは、そんな一部で非常に優秀に、一部で非常に「らしくない」子供として、育ったのであった。




*** *** ***

父親:工藤有希・女優もしちゃう俳優さん・・・とか。
母親:工藤優(作)・作家。眼鏡っこ、ということか。
父がショートヘア(でもクルクル)でニコニコして、伴侶を姫抱きにしてそうな図は浮かぶのに、母がカワイ子ぶってる図は全く浮かびません。髭はどうしたものか。ハテ。

*ピク支部に1年ほど載せてたコナン全キャラ性転換(まじ快含まず)しようとしてた話再録。
⇒■中二病期■(男装女子新一)
⇒■コナン期■(男児化新一)
⇒■女子高期■(女子新一)
などなど蘭新園新、KコでK新を考えつつも未完。


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