姉と弟
感じるのは視線。

生まれ付いての容姿のせいか誰かに見られる事には慣れていた。散々周囲(主に家族と隣人と親切心か嫉妬からか進言してくる誰か)に人の眼を気にしろ、とも言われていた。男女の性差を気にせず駆け回っていた子供時代の感覚が強く、そういった言葉に一応肯きながらも大して気にしていなかったという事もあるのだが、実際数え切れない不特定の誰かの眼を一々気にして生活するなど真っ平ゴメンだ、というのが本当の所だった。

しかしながら、『探偵』というモノを職業として選んだ時に流石にこの習性は正さねばならないと実感したものだ。
既に起こってしまった事件の謎を解くというだけなら、場に潜む必要はそうそうない。だが、隠密に人を調べ、予見される事件を防ごうとする時、その現場において異物であっては、犯人に警戒されてしまう―どころか周囲の人間の気を引いて場に隙を生み出しかねない。
よって、この職業に就いて以来、『自分』が現在どのように人の目に映っているのかを常に気にするようになった。仕事上にあっては、最も望ましいのは風景の一つ。時に場を支配し、難解に絡む謎を紐解く者。仕事場の上司からは使える新人(だと良い)、同僚からは信頼できる仲間として在りたいと考え、そう意識するようになった。だがそれは即ち己自身を押さえ込んで周囲に合わせるということではない。あくまでも自身を捉えなおす計りのようなものとして他者の視線を『視』ていた。

けれども、どうしても上手く『視』ることが出来ない相手もあって、その最たるは一番近くにいる人間の視線だった。
あまりに近くて。
その距離はとても安心でき居心地が良く、余程その視線に怒りや悲しみが満ちているのでもなければ含まれる成分の小さな差異は近すぎて見えにくい。それに『家』に帰れば体と心は自然に寛いでしまうし、そこに彼の視線があるのは余りに当たり前過ぎた。
それでも、視線に―時に触れる手に、違和感のような、妙な心地を感じる機会が増えていって。彼が中学生に上がって季節が一回りする頃には、こちらを視る彼の視線に、以前とは違う何かが紛れ込んでいることに気付かないではいられなかった。

『―姉』という呼称を語尾につけながら、彼がこちらに向けてくるのは、ただ保護者のような年上を慕う子供のソレではない目。

「前はもっと可愛かった気がする」
「他の男子中学生に比べれば、大分可愛いほうだと思うけれど?貴女の弟くんは」
「ナリばっか大きくなってさ、態度もデカくなりやがって」
「生意気って言いたいの?」
「・・・生意気っつーか、大人ぶって?…あとは、妙に色気?出してる感じ」

「男臭くなった、って事かしら?」

「え」

最近の弟の様子について色々納得のいかない思いやイラつきを、なにより今朝方からずっと俺の内心を占めている『あの事』について、隣人兼友人である志保にぽつりぽつりと洩らしたところ、彼女は少し口の端で笑った後「どう気に入らないのかしら?」と聞き返してきた。そして、幾つかの問答を経て。聡明な友人の口からさらりと流れてきた的確な言葉に、俺は目から鱗が落ちる気持ちを味わった。

「物腰が柔らかい上、貴女のような破天荒なお姉さんのフォローが上手いから、見た目より女性的に感じるけれど、れっきとした男の子だったってことでしょう」
「って、そりゃ弟は元々―」
「弟だから男の子なのは当然よ。ただ、貴女の眼には、彼が『弟』だけじゃなくて、『男』としても映っているのではないの?だから、変だと感じるんでしょ」
「・・・・・・」

例えば、以前なら風呂上りに下着一枚で脱衣所を出てくる俺に対し、顔を真っ赤にして怒る様子はまるっきり可愛い弟だったのに。いつからか、こちらにタオルを投げつけ素早く回れ右をする後姿を見るようになったとか。
例えば、仕事上仕方なく身につける苦手なスカートやヒールの高い靴を履いた姿を面白がってからかってくる事が減って、無言ではみ出した口紅を拭ってくる仕種をするようになったとか。
例えば、月に一度訪れる『女の事情』発生時に、部屋の布団に毛布が一枚追加されるようになったり、さりげなく痛み止めの薬が目に付きやすいところに置かれてるようになっているとか。

こちらの女性らしさの欠如している部分を声を上げて矯正するのではなく、やんわりと嗜めるような行動でフォローに回る。それらは女性的な行動とも言えなくはない。けれど、自身で否定したように彼は弟で、男だった。彼は、同性ではなく、家族といえども曲がりなりにも女性である相手―『異性』への気遣いをしていたのだ。

―回れ右をした後頭部からはみ出て見える耳が真っ赤だったり。
―親指で赤い色を拭った後、ぺろりと舐めて『マズイ』と言ってみたり。
―下っ腹の痛みと不快感と貧血に倒れそうになれば、おろおろと手を伸ばし『大丈夫?』と心配そうな目を向ける。

「そっか・・・」

居心地が良いのに、悪い。
・・・きまり悪い、ような心地になる理由に漸く気がついた。

「鈍いのねぇ」

呆れた声でそう言う友人に、俺はぐっと言葉に詰まった。

「悪かったな」
「いいえ?身内でも、性別が違う相手なら色々気遣いが必要なんだと自覚できたのなら大した進歩よ?貴女の場合」

酷い言われようである。
だが、そういえば以前この友人から「もう少し弟さんのことを考えなさい。男の子なのよ」と言われたことがある。弟に大声で寝起きや風呂上りのだらしない姿を怒鳴られた日や、こっそりと自分の洗濯物を面倒がって弟のものに紛れ込ませておいた日の後に。
ようやくその意味が理解できた己は、確かに身内へ対しあまりに無頓着だったのかもしれない、と反省した。―今更に。

「それで、どう?」
「?何がだ」
「男っぽいと感じる弟さんを、どう思うの?」
「どうって・・・だから、可愛くない」
「それは、貴女が彼も男だと意識したからでしょう。どうしてそんな風に思ったのかしら?」
「・・・・・・」
「それで、貴女は彼をどんな風に思っているの?」
「どんなって・・・」

軽く腕を組んで口元で笑いながら、視線だけは鋭く真意を追求してくる相手に、俺は落ち着き無く目を泳がせて結局小さく首を振る。

「わからないなんて言わせないわよ?」
「だって・・・」
「気持ち悪い?この際、別に暮らすのも良いのじゃない?」
「は?!なんでだよ。快斗は快斗だし。大体姉弟なんだから別に、意識したって単にそれだけっつぅか」

気持ち悪い、だの。そんな事はあるはずがない。
別々に暮らす、なんて事を、考えた事も無かった。

「姉弟だって、いつかは其々の道へ進むものじゃない。少し、彼の場合早かったというだけ」
「それは、そうだけどさ」
「貴女のは、保護者の庇護欲だけなの?まぁ貴女の側が本当に『それだけ』なのなら、それこそ彼は傍に居られないって考えたのじゃないかしらね」
「・・・・」

わからないなんて―、と囲いこむ言葉の意図は、つまり、志保は漸く俺が気付いた事にとっくに気付いていたといことなのか。
俺はもう一度、俺にとっての揺るがない真実を口にする。

「快斗は、弟だ」
「…でも、今までの弟さんとは違う感じを受けるのでしょう?」
「―志保、何が言いたい」

揶揄する言葉に挟み込まれた恣意的な意図を孕んだ問い掛け。

「にぶにぶな貴女が気付いたのは、今更なあの彼の態度云々からではなくて、」
「今更って!にぶにぶって!」
「貴女の方に彼に対する気持ちの変化があったからじゃないかって思ったのよ」
「は、・・・何が」
「それとも状況の変化に、色々と無視出来なくなったって所かしら?」

―状況の変化。
一を聞いて十を察する彼女に、隠し事を暴く側にいるはずの俺が易々と内実を暴かれるのは、何時もの事。けれど、ハッキリしない己の中の気持ちを曖昧なまま口にするのは嫌だった。
そんな俺の性格もよくよく把握してくれている志保は、仕方ないわねと言うようにふぅと溜息を吐いた。

「弟になったばっかりの時なんて、貴女のくっつき虫かペットみたいに見えたものよ。ランドセルが学生鞄になったと思ってたら・・・時間はあっと言う間に過ぎるものね」
「・・・そうだな」

その時、不意に窓の外から聞こえてきた車の停止音に、隣の家の住人が帰ってきたのかと目を向けた。
赤く差し込む夕日にも負けぬ赤い車の助手席と後部座席が開いて、弟と父親が降り立つ。車は車庫へと入っていき、その間に二人は玄関に手を掛けて―そして鍵が開いていない事を確認した後、何か言葉を交わしたようだった。
マズイか、と。
さっとカーテンの陰に隠れるのと、弟の方が丁度こちらの窓を見上げてきたのは同時。
志保は、更に深い溜息を吐くと、窓の外に向かって軽く頭を下げた後、さっさとカーテンを引いた。

「・・・喧嘩した様子も無し、みたいね。ご両親は了承済み。不満があるなら、貴女も家族会議に加わってくれば良いのに」
「冗談じゃねぇ。俺が、俺が!一番近くに居たのに、なんで知らされるのが最後なんだよ?!つまり俺には関係ねぇって事なんだろ?それに、勝手にもう、とっくにアイツは決めてるってのに。今更俺が間に入って話すことなんかねーよ」

時が経つに連れて、確実に起こっていた変化。

―あんな風に、人のことを見ていたくせに。

「勝手にすりゃいいんだ」

―単に近くに居たせいだから。勘違いで発症してしまった麻疹の様な一過性の熱だろうから。そう思って、気付いても、知らぬフリをしてやっていたのに。

「貴女は、向こうへは行かないの?」
「行かねぇよ。仕事もあるし、向こうには特に用はない」
「応援してあげないの?」
「してる。・・・してるに決まってるだろ!でも、イキナリあいつが言い出すから、っ」
「そうね。貴女の性格を解ってそうなあの子がギリギリまで黙っていたってことは、ずっと悩んでいたのでしょう」
「だったら、俺が」

大事な悩み事を打ち明ける相手になれなかった事に、出し抜けに同居生活の終わりを告げられた事に、俺は腹を立てていた。






*** ***

ほんの二週間前のことだ。
滅多に無いことをあの弟は聞いてきた。

『新ねぇ、あのさ、優作さん、近々こっち来るって言ってたよね?』
『んー?ああ、そういや出版社のパーティーに呼ばれてるとか言ってたな』

ぴぴ、と固定電話の液晶画面に触れてカレンダー画面を呼び出して確認する。両親からの突発ではない大まかな予定は、電話口で聞いた際にそのまま予定表にチェックを入れることにしていたから、すぐにマークのついた日付が目に入った。再来週の水曜から一週間の日本滞在予定になっていた。

『そっか・・・ちょっと電話しよ』
『ん?何かあるのか?』
『あー、うん』

同じく液晶画面を覗きこんできた弟は、そのまま受話器を取り上げた。
場所を譲って、一応聞き耳を立ててみる。
幼い頃に母の口癖を真似て、父を『優ちゃん』、父の呼び方の一部を採用して母を『有希ちゃん』と呼んでいた弟は、中学に上がった頃に其々を普通に下の名前で呼ぶようになった。一応義理でもれっきとした親なのだし、なんだか他人行儀に聞こえるからと、当初母親は特に嫌がっていたが、『新ねぇだって、さんざん『パパ』『ママ』って二人のこと呼ぶように話しかけられてたけど、一度も聞いたことないよ?むしろ俺のほうが有希ちゃん優ちゃんって影響された呼び方してたけど、流石に人前で呼ぶには変じゃん!』と言われ沈黙した経緯があった。(俺はファーストネーム呼びも『パパ』『ママ』呼びも勘弁願いたくて、敢えて弟の言い分にも母の言い分にも加担せず聞き流した。)

『あ、有希子さん?あのさ、さ来週の帰国の日程で、一つお願いしたいことがあって』
―・・・
『そう。金曜の、日本時間で午後二時に時間取って欲しくて。出来れば優作さんに』
―・・・
『ううん、俺の都合なんだけど。学校に来て欲しいんだ』
―・・・
『三者面談。そ。一応、あとでまた優作さんに連絡する』

ん・・・それじゃ、と言って受話器を置いた快斗に、俺は聞いた。

『三者面談?』
『そーそー、進路の決定に関する家庭の事情や保護者の意向の確認、みたいな』
『保護者印が必要なら、俺でも押せるぞ?勿論学校も行くし。去年一回行ったじゃねぇか』

確かその時は、担任教師に大層レベルの高い頭脳を褒め称えられて、どこぞのハイレベル高校への受験を進められたような記憶があった。

『流石に、三年の最終決定には保護者外せないんだってさー』
『マトモな話し合いにむしろあの親は外した方が良いと思うがな』
『まぁ、それは担任次第?』
『いや、お前次第だろ。決めたのか?』

俺が通っていた中学に通っていた弟だから、何となく俺の通っていた高校あたりに進むのだろかとボンヤリ考えそう言ったのだが、快斗は、ん〜とモゴモゴ言葉を濁し『・・・ま、考え中?』と付け加えて、そそくさと居間から出て行った。進学率を上げるために学校側からアレコレと受験先を勧められているのかもしれないな、とハッキリしない態度に俺は肩を竦め―何しろ身に覚えがあったから―特に追求することはしなかった。

それが、だ。

三日前に帰国してきた両親。
一応普通に出迎えて、その日は夜中からの張り込みの仕事があったから、両親と弟が夕飯を食べに行くと街に出る時に、途中でこれから出勤だからと別れて― 二日経った今朝。特殊な仕事場と、事件に関われば時間を忘れる己の特性は重々承知されているらしく、外泊や朝帰りを責めるでもなくお帰りと待っていた三人と共に食卓についた時だった。時間は六時前。普段なら寝ている快斗を起こさないようにこっそり部屋へ戻るような時間に、既に用意されていた朝食。
不思議に思って母親を見れば、『さっきシャロンから電話があって、今から娘さんを返すわって言われちゃったの』という返事。

『所長・・・』
『もう、どうせなら事前に休暇にしてくれれば良いのに』

職場の上司と母親が知り合いと言うのは、微妙な気分だ。
何か話題を変えようと新聞を見て、その日付けを見て、俺は聞いた。

『そういや、確か今日が三者面談なんだよな。父さんだけ行くのか?』
『ああ、その事だが・・・』
『アタシも付いていくことにしたわー!』
『え?』
『うん、昨日話したら、二人とも来てくれるって事になった』
『面談だぜ、母さん?・・・いいのかー?快斗』

ウキウキと挙手した母親を俺はジトっと見遣って、念のため快斗に聞くと、彼は多少困った笑いを浮かべて肩を竦めた。

『だぁって、可愛い息子の人生問題じゃない!』
『つっても、進学先の選定くらいだろ?』

そう言うと、俺以外の三人が変な顔をして―両親はややキョトンとして、快斗はふっと目を逸らして―妙な空気が流れた。

『あらやだ、快ちゃん?新ちゃんに言ってないの?まさか』
『・・・まさか、だったり』
『これは、・・・通りでやけに普通だと思ったよ』
『あー・・・うん、その、言いにくくて』
『・・・なんだ?おい』

そして、おずおずと弟が口が開いて告げられたのは。

『俺さ、日本の高校行かないで、留学したいって思ってる』

『やりたい事ができたんだ』

『新ねぇに一人暮らしさせるの、スゴイ心配だし。進路の一つに海外(むこう)を考えたときに、ホントは言おうと思ったンだけど。・・・ごめん』

一旦口火を切ってからは、ほとんど口を挟ませない速さで、弟は突然そんな事を言ったのだった。

『ごめん、その・・・相談しなくて。これ具体的に考えたの最近でさ、俺もまだあやふやに近いんだけど。でも、結構本気』
『・・・向こうで、わざわざ?』
『ハイスクールは別にどこでも良いんだ。むしろ通うかどうかについてはまだ悩んでる』
『?どういうことだよ』
『俺、本気でマジシャンになりたくて。でさ、ある人に弟子入りして修行したいってのが本命の進路』
『ある人って・・・』
『ラスベガスで定演してたり、世界回ってるイリュージニスト。小さい公演が多くてメディア露出の少ない人だから知名度は低いんだけど、俺の中では最高峰!ネットでファンメイル送ったりしてたら、ちょっと話せるようになって。で、その人ロスに居住してるらしくてさ』
『・・・じゃ、ロスに?』
『一旦は、有希子さんと優作さんのトコからハイスクールに通うって形を取って渡米する。でも、向こうで修行に入れるなら、それも休学して・・・』
『お前…まだ15だろ!?』
『だから、結構悩んだ。でもさ、やっぱ自主練だけじゃプロは遠いんだよ』
『プロって』
『なりたいんだ』

真っ直ぐに言い切った目に迷いは無かった。
そして俺は、上手く返答もできず、反射的にテーブルを立ってそのまま隣の家に駆け込んだ。
自宅兼研究室に篭っている志保に出迎えられ、不審がられながら、半日をずっと弟について考えて過ごしたのだった。

逃げているのかもれない。いや、そうなんだろう。
気に入らない事から逃げ出すなんて、まるきり子供の振る舞いだ。
しかし解っていても、今はマトモに弟の顔が見れるとは思えなかった。

―なんで、言わなかった?

きっとそんな言葉から始まって、一番傍に居たのに、アイツの一大事について全く無視されていた事を理不尽に責め立ててしまいそうだった。

―ずっと、一緒にいるって言ったクセに

穏やかそうに父親の隣に立っていた弟の姿を垣間見たことで、俺の腹底に燻っていた思いが、再び煮え立たってくる。
酷い苛立ち。

「進路ねぇ・・・でも、あの子からすれば、当たり前のことかもね」
「何が」
「貴女が行かないでって言ったら、きっと動けなくなるってわかってるんでしょ」
「・・・別に、俺は。アイツの進路の邪魔する気は」
「そうね。言わないかもしれない。でも、だからと言って「行ってこい」って言われるのも耐えられないのじゃない?・・・本当は、貴女の傍に居たい筈だもの」
「・・・それ、は」
「解らないなんて、言わせないわよ?」

にっこり笑う親友の顔。
苛々が一瞬収まって、激しい警戒に切り替わる。
友好的な雰囲気なのに目が全く笑っていない。こんな顔をした彼女から飛び出してくる追求は、大抵ちくちくどころではなくスパスパと素晴しい切れ味をしているものだと長い付き合いの俺にはよく解っていた。

「彼の気持ちを受け容れる気があるなら、そう言ってあげれば、きっと行きやしないわよ?」
「!?」
「多分ね、弟くんよりも勿論貴女よりも、私の方が先に気付いてたから、慌てなくてもいいわよ」
「な、ななな、志保!」
「別にいいじゃない。血が繋がってるワケじゃないし」
「あああ、あのなぁ!・・・ッ、その、いくつ違うと思ってんだ!有り得ねーだろ?!」
「あら、一回り違う位珍しい事じゃないわよ今時」
「・・・気の迷いだろ。ガキの勘違い」
「解ってる、くせにねぇ」

一体何を切り付けて来る―と警戒に立てた盾など、まさに卵の殻程度の儚さだった。的確に急所を抑えた切っ先。一刀両断。

「お気に入りのペットか玩具が勝手に居なくなるせいで怒っている訳じゃなくて、炊事洗濯身の回りの世話をしてくれる便利な家政婦が勝手に仕事放棄して出て行くのが嫌なんじゃなくて、純粋に、貴女にとって『彼』が傍を離れる事が耐えられないなら、そう言ってあげれば?」

「・・・・・・・」

―違う
そう咄嗟に言おうとしたのに。
何故か、俺の口元はひくりと震えるだけで、言葉を紡ぐことはなかった。
確かに、もしかしたら弟が俺に向けてくるモノは、志保の言う通りなのかもしれないけれど。
(嘘だ。かも、じゃない。気付いてた。何故ならアイツは気付かせようとしていた。・・・ほんの少し前まで)
(かわし続けて、そうして、全部有耶無耶のままにしたかった。居心地の良い場所を手放したくないって事しか判って無かったから)
(弟、なのに。ずっとそう思って来た筈なのに)

「言わない。言ってなんかやらない」

視線に孕む熱が増すごとに、とてもわかりやすく伝わってきた感情が、ある日を境にそっと布が被せられていた。小さな小さな変化。忙しさにかまけて、気になってはいても、何も言わないでいた。アイツの中で、俺が知らぬフリをしている間に押し殺されてしまう気持ちがあっても、それを救いだそうとは思わなかった。俺は彼の『姉』であるべきだ、と。そう。
だから、もう、何も言わずに見送ってやればいい。
アイツがそれを望むのなら。

「あの貴女べったりな彼が離れ離れになる進路を決めるなんて余程じゃないの。貴女にフラれたヤケクソでってわけでもなさそうだし」
「・・・・っ、フルって・・・いや・・・?」

このままじゃ可哀相かと思うけど―と続く志保の言葉は俺の頭をただ通り過ぎていた。
俺はハッと目を見開いて、志保を見る。
何事かと、彼女も瞠目し、首を傾げた。

「そうだ・・・」

全くもって、探偵に引けをとらぬ観察眼と聡明さを持った友人に、俺は感謝をしなければいけないだろう。

隠し事をされた事に対する苛立ちだけでもない。
遠い日からのずっとの約束を一方的に破られる悲しさでもない。
曖昧なままの自分の感情と相俟って見え難くなっていた弟の態度を、感情が先に立って思考から追い出していたしまっていた自身の感覚を拾い上げながら思い返す。
―釈然としない何かを取り除き、俺自身が視ていたモノを解体していけば・・・『視』えてくるものがある。

『進路』だけではない、『何か』を決めていた眼。自身の大成したい未来を夢見るのではなく、ひたすら示されていた『決意』。まるで彼自身に言い聞かせるような。それだけの決意をして、なのに寸前まで、ほとんど完璧に俺に向かう先を押し隠していた姿。秋以降、部屋に篭ることが多くなっていた弟の生活。そういえば、手慰みに行っていたマジックの練習が日常から消えて、時折、昔何かの折に手に入れた古いトランプが、ケースに入ったまま机の上に置かれていた。そうだ。アレこそが、弟が最初にマジックというものに触れた品。

「志保、前言撤回する」
「え?・・・ちょっと、どうしたの、貴女」

ムクれ顔の恋に奥手な少女から、完璧に探偵になってるじゃない・・・と続く言葉は敢えて聞かなかったことにした。

「この俺に隠し事してトンズラこけるなんて思ってんじゃねぇぞ」

―丁度良いことに、おそらくすべての事情を知る筈の人間が、今、俺の家にいる。











(お姉ちゃんは名探偵!)



15×24:SIDE・S


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