姉と弟
あ、好きだ

たぶん、そのくらいの感覚だったように思う。
もとより、俺にとってその人はいろんな意味で特別だったから、そう思った一瞬後に、(何を今更)というような気がしないでもなく。それなのに、今更、本当に、この人が、何よりも誰よりも「好き」なのだと意識した瞬間、頭の中は真っ白になってしまった。

「快斗?」

がしがしと無造作に髪を拭く。荒っぽい仕草の似合わない細い腕。
ついでにふるふると頭を振るものだから、髪の先から滴る水があっちこっちに飛び散っていく様に、思わず両手でがっしと跳ねる頭を押さえてしまった。

「ちょ、じっとして!」
「えぇ」
「飛んでる!水!」
「あ、悪い」

水撥ね苦情に大人しくなってくれた姉は、だらんと両手を下げる。拭き手交代、ということで、毛先をくるむようにしてタオルで水気を拭ぐっていった。
洗い晒しで放置されることの多い割に艶やかな髪質は、彼女の受け継いだ遺伝的形質によるものが多分であるが、俺が彼女のために選んだ日常生活用品―キューティクルを保護する作用を唱ったシャンプーやリンスだ―が一役買っていると思う。
肩を覆う程度に伸ばされた黒髪と、白いタオルの合間から覗いた目と、目があった。

あ、好き

やっぱり、胸の内で形作られた言葉はあまりに明確で、誤魔化しようも間違いようもなく、ただ、はっきりと。

「も、いいか?」
「へぁ?ああ!た、多分、だいじょ」
「快斗?」

想いに捕らわれ、疎かになった手の動きに不審げな目を向けられて、俺は慌てて手を離した。小さな頭。濡れた髪は地肌に張り付き形の良さがよく解る。そしてほんの少しだけ目線が低い華奢な身体。確か体重は俺より軽かったはず。雨に濡れた服は髪の毛ほどではないけれども、布地に隠されている部分をくっきりとさせている。
―見慣れているはずの眼の前の人に、その肢体にドキドキと、する。
触れていた手が妙に熱くなっている気がした。

(これ。好き、って。これ、は)

「どうかしたのかよ」
「・・・な、んでもない」

脳裏に浮かんだ言葉をまさかすぐに口に出せるわけもなく、焦った。
逃げたい、と反射的に思った。
それなのに、ジッと見てくる青い視線から目を離すことがなぜか出来なくて、―動けない。凝視する俺を、しばらく眺めた後、タオルを簡単に畳みながら、姉は更に首を傾げて口を開いた。

「なんか、あったか?」
「え・・・ぁ、いや、別に」
「いきなり、ボケんなよ。・・・10円ハゲでも見つけたか」
「は?」
「いや、拭いてる途中でなんか、びっくりしてたみてーだから」
「いやいや、無いってそれは。うん、大丈夫。ちょっと、さ。大体ハゲって、そんなん出来る繊細な人じゃねーじゃん、新ねぇってば」

なんだと!とむぅとわざとらしく渋面を作って「ガラスのハートの持ち主だぞ」なんて言うものだから、やっと俺は身体の力を抜いて笑う事ができた。






花冷えの雨は冷たい。突然の春の嵐に濡れて帰ってきた彼女が冷えた身体を温めるべく浴室へ去っていくと、家の中に運ばれてきた雨の匂いはあっさりと立ち消えた。
代わりに俺の鼻先に残ったのは、湿った空気が含んだ、甘い、甘い。
・・・そんな風に感じてしまう空気の中、俺は思わず玄関の上り框に座り込んだ。靴を履いて、なんとなれば今すぐにでも、ドアを開けて駆け出せるように。

(いっそひとっ走りして、なんかもーこのドキドキを別の意味にすり替えてー)

扉越しの雨音の他はシン…とした玄関で、俺は一人騒がしい己の心音に狼狽する。

「・・・あー・・マジかー・・・」

恋に落ちるのは一瞬なのだという。
しかし、英語でお馴染みの『ふぉーりんらぶ』が、全く、本当にそのままの意味なのだと実感を持って知ることになるのは予想外もいいところだった。

とはいっても、俺が好きだと思った一瞬の前後で果たして彼女に向ける感情に差違が生じたかといわれたら、それは無いと俺は主張したい。うん。

元から好きで、何気なく彼女を見てやっぱり好きだな、と思って。
―その瞬間から、一方的な思慕で構わないと思っていた曖昧な己の中だけの感情を、彼女に向けたい、と。叶うならば同じく想い返して欲しい、と。
明確な指向性を持つ、『恋心』と呼ばれる名前がついただけのことなのだ。

(ああ、でも、恋って。そんなん)

思わず俺は指を折る。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・ここのつ。
そして、もう一つ。

「10年家族してるのに、姉ちゃんだってのに、今更?!ってか、年!きゅうさいも上って!有りなのか?!」

そりゃ、アリに決まってる、と。即そう主張せんばかりの動悸の激しさ。打ち消したくて、ついつい「うわあぁああああ」と、一人叫ぶ。

「快斗?!」
「!」

大声を聞きつけた姉が呼びかけてきた瞬間、「コンビニ行ってくるから!」と怒鳴り返して、俺はびゅうびゅう風の唸る外に飛び出していた。










気付けば落ちているものだとか



13×22:弟は思春期・自覚


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