姉と弟
大学の四回生だというのに、呑気だなーと思う。
いや、だからこその呑気さなのか。
一応、姉は希望就職先から内定(というか彼女の先天性探偵的能力を見込んだスカウトである)を貰っていて、残すところ卒業に足りない単位の穴埋め分の講義と卒論だけだという。
結構時間は空いているのに、知り合いの警察官や就業予定先のちょっと特異な調査事務所から連絡のあった時フラリと出掛ける他は、家にいるか本を求めてぶらつくか、という生活だった。なんとも相変わらずで、色気がないなーと思う。殺人事件の巻き起こる本の世界か現実の事件現場だけが、姉の心を惹きつける全てのようだった。
変わらぬ姿でそばに居る姉に安心するけれど、心配にもなる。

「彼氏、とか・・・まぁ、いねーわな、うん」

まぁ、確実にいない。
何しろ居れば俺が知らないわけがない。
いや、居ない事は問題ではない。それ以前の問題がある気がするのだ。

「・・・男に興味ないのか?」

姉を『女性』として意識して以来、姉に悟られないよう陰に遠目に観察した結果、男っ気はもとより異性に対する興味関心のあまりの希薄さに俺が感じた一つの疑問―いや疑惑。

姉への姉弟の枠を超える気持ちを自覚してからというもの、彼女に並び立てる男なんかそうはいねぇっつか生半可な相手なんか絶対に認めてやらねーむしろ排除絶対排除!と常日頃決意を新たにする俺を他所に、本当にまるっきり微塵も彼女が異性の誰かを意識している姿を見た事がなかった。

出会って10年。
俺が特別な目で『姉』を見始めて少し。
養母が「私の娘なのに色気がないったらないわー!」と嘆いて早5年近く。その発言に同意しつつ安心していた俺でも、流石に、マジで、あまりの恋愛的情緒皆無の様子に不安を抱き始めていた。







一人じゃないお出掛けには大抵の場合、志保さんが一緒だ。

昔から仲がよくて、今も仲はよいままだ。
二人とも綺麗だから、時々お供をさせられる時は、道行く野郎ドモが彼女達に見蕩れる間抜け顔を見ることもあるし、声までかけてくる手合いに遭遇したりもする。
だが、二人とも、そういう誘いに乗った事は俺の知る限り全く無い。
存在ごと無視する事8割で、取り付くシマもなく断るのが1割、残りはしつこい相手を鋭い舌鋒や時に実力行使で排除する場合である。
俺が付き添わないお出掛けの際には、何時に帰るな、と言って、その約束を破った事はないし。いや、帰ってこない日もあるが、俺がその刻限に携帯のアラームをセットして姉を送り出しているお陰で、帰るor帰れないコールを入れてくれるのだ。そして大抵、帰れないときは何かの本か事件に引っ掛かっている。それでも『朝帰り』に一応いらぬ(であろう)心配なんぞして、寝ずに待って姉の帰宅を迎えることもあるが、出掛けたときより綺麗になって帰ってくるなんてのは一度も起こった事はなかった。

「志保さんも恋人とかいねーんだろーな・・・」

しかし隣人の綺麗なお姉さんは、姉とは違い、大学の研究室か自宅の研究室に篭っている人で、出会い自体が無さそうだなァと思う。まぁある意味姉と同じで、自分の興味関心事へ没頭しているのが楽しいタイプなのだろう。
そして、彼女達はバラバラで過ごしているようで、一緒にいる事が多く―しかし一緒にいるのかと思ったら各々好き勝手な事をしている不思議な二人だった。
ごく自然に息が合っている、ような。

「・・・まさかな」

男の影のないいつも一緒にいる美人が二人。
俺はその状態に安心し満足していたが、実際はそこにとんでもない二人の関係が潜んでいるのではないかと最近非常に心配していた。

そして「そう」思って見ていれば、不思議と「そう」見えてきたりするのである。
無論、今も。

志保さんが手にした斜めに白ストライプが入った薄水色のワンピを姉の肩に合わせて、何か言っている。少し眉を上げて笑ってるから、『似合うじゃない』といった所か。対する姉は口先を少し尖らせて首をかしげて自分の身体を見下ろす。胸元のリボンをつついた。そこが可愛いポイントなのに、きっとそこが不満なのだろう。フェミニンなものを可愛いと思いながら、自分からは遠ざけたいのだ。元々スカートも履きたがらないし。しかし、志保さんは肯くと、さっとそのワンピースを手にして店の奥に向かう。姉が慌ててその後を追う。
―多分、お買い上げ。
ウィンドウ越しに見てた俺の眼にも可愛かったから、やっぱり女友達の眼は確かだ。

友達。

「まさかだよなぁ?」

米花駅から都心に向かって数駅先にあるショッピングモールで、彼女達は夏直前のお買い物なのである。俺はお供というか荷物持ち兼姉の監視(主に本屋逃走阻止と事件回避)を仰せつかったのだった。男子が入りにくい店を先に回るからと、ひとまず俺はショップ街が見渡せるオープンテラスで休憩中。
人気のまばらな場所で、口元を隠すようにしてブツブツ呟いていた俺は、すぐ口元にあったストローを啜った。喉を通っていく甘さとは裏腹に、少し離れたところに在る光景に胸の内はしょっぱくなる。苦いほどではないけれど、妙な心地。せっかく荷物番のお駄賃に、姉に奢ってもらったカルピスなのに。
溜息がストローに流れ込んで、氷の浮かんでいる白い水面が揺れる。

掃除の行き届いたショップのウィンドウガラスの奥から、志保さんが姉の手を引っ張って歩いているのが見えた。なんだかそれを見ていられなくて、それなのに凝視してしまいそうで、視線を無理矢理手元に下げ、半分ほど中身の減ったグラスを無心でグルグルかき混ぜた。


―そして、完全に氷を溶かした薄いカルピスを殊更ゆっくり飲んでいると、声をかけられる。
顔を上げれば、当然のことながら目の前には姉とその友人がいた。

「悪い、待たせたな」
「随分真面目な顔でジュース飲んでたわね」
「腹減ったか?」
「んにゃ。別に?あれ、これでココは終わり?夏用ワンピ決まったんだ?さっき見てた水色?」
「そう。このバッグに入ってるわ。こっちは私の。ということでこれ宜しくね、弟さん。さ、次のお店行くわよ」

「ええええええ?!」

眉を寄せて不満の声を上げたのは、待たされていた俺ではなく、姉である。

「もーいーじゃん」
「駄目よ」

ニベもなく言われ、姉は助けを求めるように俺を見た。いや快斗が腹減ってるみてーだし、もう・・・とかぼやくのに、そんなことはないぜと首を横に振ってやる。
動きやすく、小汚くなければそれでいいだろう、という精神(要はめんどくさがり)を貫くこの姉にとって、あれこれ見回り着せ替えさせられる志保さんとのお買い物とはほとんど苦行というものに違いない。気持ちは解らなくもない。
しかし、俺が買い物切り上げの理由に使われては、後々俺の苦行が増えることになるので、肯くわけにも行かないのだ。
この隣人の女性及び博士には多大にお世話になっている―姉弟揃って。

「やっとインナーが少しにトップとワンピースが決まっただけじゃない。キャミにボトム、あとサンダルと帽子も見たいわね」
「・・・夏物なら何か家にあるし、別に買わなくても」
「合うのがなければ買わないわよ」
「だったら、別に」
「講義のノートいらないのね。卒単足りるといいわね」
「・・・お見立て、お願いします…」

ぐっと拳を握り締めて、姉は降参した。
全く持って志保さんの方が何枚も上手なのだった。

俺は苦笑しながら席を立つ。
二人掛けのテラス席のもう一つの椅子に置いていた紙袋の束をよっと片手で持ち上げた。

「俺、靴見たいな。確か向こうの通りにショップあったよね」

本命は姉のサンダル選びだ。
トータルで志保さんの手でコーディネイトされてしまってはつまらない。
女友達の眼の確かさに、少しだけ負けたくない気持ちもある。
履きやすくて動きやすくって、でも可愛くて姉が気に入りそうなもの。ついでに埃や泥で汚れても目立たないか綺麗に拭けて、足首に負担が掛からない頑丈なヤツ……うーん、あるかな。

「そんで、新ねぇのも選んじゃおっと!」
「え・・・何だよ、オメーまで」
「新ねぇに選ぶの楽しそうだし。いい?志保さん」
「そうね。毎日この子の格好に気を配ってるのは貴方のほうだし」
「あ、わかる?」
「でも、最近はかなり大人しめなのよね」

おっと。やはり只者ではない観察眼。
以前は、姉に似合って可愛く見えるものを、だったけれど。
今は異性の眼を引かないものをあえてセレクトしているのがバレているのだろうか。

「えっと、・・・俺なりに『大人の女性』つか、『働く女性』への模索?ってことで」
「ふぅん?」

じっと見てくる志保さんの視線が、俺の本心を探ってるような気がして、タラリと背中に汗が伝う。俺はとにかく曖昧にえへへと笑って誤魔化すことにした。
なんだそりゃ?と姉は首を傾げていたが、こっちにも何でもないよと笑顔で返す。
それから姉と並んで歩きながら、サラッと肩から流れる黒髪を見て、暑くなってきたら髪を上げる機会も増えそうだから、髪留めも見立ててやりたいな、と思った。―でも白く綺麗な項はあんまり出して欲しくないかもしれない。ちょっと複雑な気持ちで見ていると、背後でクスリと笑う声が聞こえた。

「志保?」
「志保さん?」

「いえ、何でもないのよ」

振り返ると、志保さんは、まるで面白いモノを見つけたとでもいうような楽しげな眼を、俺達姉弟に向けていた。













恋にライバルはつきものとか

13×22:弟は思春期・疑惑?


△‖▽
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -