姉と弟
「学校、つまんない」

きっかけは、夕食での会話の一端。
基本、家の中に家族が全員いるのなら、工藤家では家族揃ってご飯を摂る。
大抵、母がきゃわきゃわとその日の出来事を自らよく語り、夫や姉弟に仕事や学校で何があったか話しかけ会話の舵を取り団欒の場を盛り上げるのが常だ。
だが、その日「快ちゃんは、学校どーお?」と聞いた後に返って来た言葉に、食卓を囲んでいた家族は一瞬、俯く小さな頭の上で視線を交し合った。

「あらあら!・・・何かあったの?」
「授業が面白くないのか?」

二年生に上がって、夏休みを目前とした季節。
暑さは日々増していく夏の夜。
工藤一家が囲むのは大皿に盛られた素麺である。

「授業は別に・・・。宿題とテストだけ受けて、プリントしておけば、あとは好きに勉強していいって言われたし」
「・・・おい、それは教師の怠慢ってのじゃ」
「足並みが揃わないんだって。あ、でもT・Tの先生がいちお、見てくれるよ」
「あら、新ちゃんの時と一緒ねー。もっとも新ちゃんはずっと本を読んでます、って通知表に書かれてたわねぇ」
「・・・」

あの当時はT・T(チーム・ティーチング:補助教師)制度も無かったので、それこそ読書してるか寝ているか、といった状態だった記憶が脳をかすめ、人の事を言える身分ではなかった事を思い出した彼女は、大人しくちゅるるると素麺を啜った。

記憶力が良いだけでなく、積み木をしていて因数分解の構造を見抜くような、遊びの延長で『公式』を自ら組み立ててしまう子供は、ただ教科書を諳んじる国語や、数字と記号と等号で「計算」を「暗記」するだけの算数は、つまらないものだ。
他のクラスメイトが何をてこずっているのか、という方がよっぽど難解な謎だったりする。
一年生の算数セットを手に、誰よりも早く正確に問題を解いていた弟。彼が、ある日教師の説諭も聞かず熱心に用具を動かし、ノートに数字を書きつけ―一体なにをしているのかと叱責しようとした教師に逆に高等数学レベルの質問をし、職員室を騒然とさせた事もある。一体どんな教育をしているのですかと、家庭訪問に教頭までもが担任と一緒になって話を聞きに来たくらいだ。

「友達と喧嘩でもしたのか?」

勉強についていけない、という事はありえないし、運動だって出来る小学生が悩むとすれば、あとは人間関係だけだろう。そう当たりを付けて姉が問えば、そうじゃないと弟は首を横に振った。

「仲悪くない」

だが、その言い方に、姉は眉を顰めた。

「・・・上手くやってるってのと、仲良しってのは少し違うぞ?」
「話、合わないから。それなり?楽しいときは楽しいよ。ハブったりは無い」

言いたい事を理解した上で、集団から弾かれて辛い、という訳ではないと伝えてくる弟に、姉は肩を竦めた。それから、うーん・・・と一つ唸って、彼女が越えてきた遣り方を勧めてみる。

「スポーツしてみろよ。結構いいぞ。サッカーとかさ」
「新ねぇはサッカー凄かったって。だからお前もどうだ?ってSCの先生に誘われたけど、あんまり興味ない」

「快斗くんは、何がつまらないのかな?」

姉弟のポツポツした遣り取りを、フム・・・と傍観していた父が割り込む。

「学校」
「それって・・・快ちゃん、学校の何か、じゃなくて学校自体ってことかしら?」
「ん」
「確かに自習とプリントと時々テスト程度なら、自宅でも十分だしなー」
「でも、義務教育は通うことに意義がある?」

最終的に義務教育だから諦めて通うしかない、という結論を見通しての質問だろうか。
さてどう答えたものか、と思ったが、更に快斗は姉へ問う。

「だったらさ、高校は?新ねぇ」
「へ?」
「義務じゃないのに、行かなくても勉強できるのに、行くの?」
「そりゃ・・・まぁ。少なくとも今は高校までが義務教育みたいな流れだし、別に行っておいて損はないぞ」
「楽しい?」
「まぁまぁ」

そっか、となぜか更に元気なく呟く弟に姉は慌てた。

「あー!」

そっかそっか、母は突然ポンと手を叩く。

「快ちゃん、淋しいのね!」

「は?」
「おや?」

「・・・・・・」

「ホラ、中学の頃は新ちゃんも早く帰ってきてたけど、高校に入ったら遅くなったじゃない。快ちゃんのお迎えも全然してないって聞いてるわよー」
「そりゃ、高校ちょっと遠いから仕方ないだろ。それに、快斗だってもう二年生なんだから、お迎え要らないだろー?!」
「お迎えは要らない・・・そういうんじゃなくて」

「学校に時間を取られるのが嫌なんだね」

むぅと口を尖らせていた快斗は、父の問いかけにこくりと肯いた。それを得て、それなら、と父は言葉を繋ぐ。

「向こうの学校に通えば、二人ともスキップして同じ大学に通えそうだがねぇ」
「!本当、同じ学校に!?」

ぱっと顔を上げた快斗の目は輝いていた。

「おい・・・それは無いって決めただろ?快斗だって日本のが良いって」
「新ねぇと同じ学校行けるなら別」
「向こうは9月から新学期だし。どうだい?夏休みに向こうの学校見学というのは!」

乗り気で笑う父の姿に、これは不味い、と長女は眉を顰めた。

工藤家の姉弟がそれぞれ進学・進級して幾許か時間が経過した頃、仕事の都合から工藤夫妻は居をロスに移した。
今は夏休みのスケジュール調整の為に、一家団欒をしに一時帰国しているのだ。
本当なら、両親の移動に付いていくべき未成年の子供達。様々な理由を鑑みて、親子が離れて暮らす道を採ったのだが、最たる一因は弟が異国への移動を嫌がり、住み慣れた場所での生活を望んだ事だから、弟がロスへの転居を快諾すれば、コレ幸いと家族揃って暮らしましょうという話になりかねない。

―姉は、こまごまとした不便はあれど、破天荒な両親と離れて気侭に暮らす今を大変気に入っていた。
ので、そんな話は出来れば回避したかった。
さて、あの家の近くの学校なら・・・と不穏な事を呟きだした父を軽く睨みながら、不満を取り除けないものかと探りを入れる。

「どこの学校行ったって、カリキュラムは別になる。それに快斗くらいの年なら、結局早く家に帰されると思うぞ」
「え・・・」
「うーん、それはセキュリティ上仕方ないかもねぇ」
「なんだ。今と変わらないんなら、行かない」

よし、と姉は心の中でだけガッツポーズをとるものの、やはりしょげている弟が気にかかる。二人暮らしを始めてから、「おかえり!」と笑って出迎えてくれる弟に、安心を貰っていたのは彼女の方だ。しかも段々と家事を覚えてきた彼は、年の差があるとは思えない「共同生活」をしてくれていて、それなのに、こんな顔をさせてしまうのでは、姉としての立場が無い。

「留守番、嫌か?ちゃんと時間守って遊んでくるのは構わないんだぞ?」
「でも」
「連絡ちゃんと携帯に入れればさ。勿論必要なら迎えにも行くし」
「・・・新ねぇが買い出ししてきちゃうのも、つまんねーの。一緒に行きたい」
「一旦帰ってからだと遅くなるんだぞー?」
「でも」
「・・・あ、じゃぁ待ち合わせとかしてみるか?」
「!うんっ」

これはどうやら姉弟の時間が大幅に減ったために顕れた不満らしいと判って、姉は原因判明にホッとしながらもくすぐったい気持ちになった。
まったく異様に頭が良いのに、妙な所で見せる幼さが堪らない。
素直にもっと構って欲しいと言えずに、学校に行く必要がなければ、家族の時間をもっと持てると言ってくる変化球も可愛いものだ。

確かに、高校に上がってから、あまり構えていないなぁと反省した姉は、夏休みまで待たせず次の日曜に弟とお出掛けする約束をしたのだった。








ガタンゴトン・・・

「快斗?」

一定の振動に身体を揺すられているうちに、隣に座っていた弟は眠りの国へと誘われてしまったようだ。
ぐらぐらと頭が揺れだし、身体が隣りに座っている姉の方とは逆側に身体が傾ぐ。

「っと、ほら」

小さな頭を己の身体に引き寄せると、少し身じろぎして―すぅと寝息を立て始めた。

「疲れたんだな」

あどけない寝顔にクスリと笑ってしまう。
どれだけ頭が良くて、人心を賢しく察しても、まだまだ子供なのだ。

久しぶりの姉弟のお出掛けに、行きたい場所があるかと聞けば少し離れた森林公園。駅五つ分の距離。早朝に二人でおにぎりを作って、他愛ない会話を沢山交わした。


―朝のこと。

「新ねぇ・・・なに型ってゆーの、それ」
「三・・・いや二角?俵だっけ?」
「いや、・・・うん、味は変わらねーと思う」

「あ、海苔巻くのに水ベタベタすんの駄目だって!」
「え、はがれねー?」
「ちゃんと握ればお米の湿り気でいけるから」

「こっちのが旨そう。あのさ、快斗。同じ包み布で巻いてさ、向こうでどっちが当たるかゲームしようぜ?」
「素直に交換してって言えば」


―公園で。

ボールを蹴っていた子供らを見つけて、混ぜてもらってひと遊び。
あっという間に元ストライカーのキックは子供達を魅了して、即席サッカー教室になった。

「なかなか素質のある奴らだったな!」
「新ねぇ・・・女子高生が本気で小学生負かしに行くなよな!」
「えー、だって生意気だったし?それに、快斗だって上手かった」
「そりゃ、新ねぇのプレー見てますから」
「何でサッカーとか部活やらねーの?保護者会とかちゃんと入るし、協力するぞ」
「・・・遅くまで練習とか、無理。ヤダ」
「んー・・・お前さ、部活とかやんないなら志保ンとこの博士に弟子入りしたら?」
「お隣の?」
「発明が趣味だしさ、博士」
「でも、危ないわよって志保さん言ってた」
「ちょっと危ない薬品とかあるからな。あんまり子供だと研究室に入れないって言われてたんだけど。大丈夫か面接してもらうように言っておく」
「時々爆発音してるもんね」
「そ。志保が掃除が大変だって、学校でよく怒ってる」
「・・・いーな、志保さん」
「?掃除がか」
「ちーがーう!新ねぇと同じ学校なら、俺だって楽しいのに、て思って」
「そりゃ無理だ」

嬉しそうに、けれど時々不満が覗く。
弟のムゥとした顔の出てくるタイミングがわかり易くて、心を寄せられているのが嬉しくて、ほんの少し気恥ずかしい気分にもなった。


―駅への帰り道。

蝉の鳴き声は日々盛りを増していて、それは夕方になってなお一層声高く。日差しが滲んでも和らぐ事無い暑さに、二人で汗だくになって歩いた。

ロスとは違って日本の夏は湿っぽくて纏わり付く感じが駄目なのよねぇ・・・と先日帰国していた母親の言葉を思い出して、気温だけみるなら日本と変わらない向こうの夏が一体どんなものなのか楽しみだな、と姉弟は夏休みの話をした。

「新ねぇは、日本のがいい?」
「そーだなー。新刊がすぐ読める」
「外国書籍はすぐ送ってもらえるし?」
「そうそう」
「でもさ、夜更かしばっかは、駄目だぜ。最近、朝の当番サボってばっかじゃん」
「・・・今日は起きたろ!」
「起こしたんだろ!」
「うんうん、快斗はホントしっかりしてるよなぁ」
「しなきゃいけなくしてるの誰だっての」
「バーロ、しなくても大丈夫だ。イザとなれば、ねーちゃんがやるさ」

帽子の上から頭を軽く叩いて笑う姉に、半眼の弟は溜息をついた。





「ほら、次、降りるぞ」

ポンポンと肩を叩かれて、寝ていた快斗は「ん〜?」と唸りながら目を開ける。
大きな口を開けて欠伸をした。

「も、家?」
「まだ。駅に着くところだ」
「だーるいー」
「おぶってもいいけど。改札出てからな」
「・・・歩ける!」
「そっか?」

強がっているのか。恥ずかしいのか。
ぱっと座席から降りた快斗はドアの前へと移動する。

ゆっくりと流れてくる見慣れた町並みにかかる夕闇は深くなりつつあった。

―改札を出たら、手を繋いで帰ろう と思った。








姉弟の休日


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