姉と弟
―どこだどこだどこだどこだ

焦って縺れそうになる足を、何とか動かす。
急ぎながら、周りを見るのも忘れない。

街や木の陰が色濃くなり、空も宵闇に覆われていく時間。
家々の明りが煌々と灯りだす道で必死の探し物。

「快斗!」

呼びかけた相手はまだ見つからない。






文化祭が近い為居残りがあったので、いつもよりもゆっくりの帰宅になった。

「ただいまー」

玄関を開けると、廊下で母親が誰かと電話をしている声が聞こえた。
一瞬、受話器の通話部分を手元で押さえた母親が顔を出したが、すぐに会話に戻る。
何だ?と不思議に思って、耳を欹てた。


「いえ、上のコでした」

「ええ、習い事もしてませんし、いつもはとっくに・・・」

「・・・そうですか。あ、いえ、お願いします」


「母さん?」

受話器を戻した母が、帰宅してきたばかりの娘に問いかける。

「ねぇ、新ちゃん、快ちゃん見なかった?」
「え・・・帰って無いのか?まだ!?」
「そうなのよー。一回、・・・四時くらいね。いつもならとっくに帰ってる時間なのに、って思って、ウチから小学校まで見に行ったんだけど見当たらなくて。どこか、・・・誰かのお家に遊びに行く、とか聞いてない?」
「いや、聞いてない、けど・・・」

今は五時を半分くらい過ぎた所だ。秋の深まっていくこの季節、日没は早い。
小一の弟は、暗くなる前には必ず帰宅する事、という言いつけをされていて、小学校に上がってから一度も破った事はない。
小学校に上がった事で食べられなくなった10時のオヤツの分もと、帰宅した後の、夕食まえの間に少しだけね、と用意された3時過ぎのオヤツを何よりも楽しみしているような子供なのに。

「あのね、新ちゃん」
「行ってくる」

そう言って、荷物をドサリと投げ出して、そのまま玄関から飛び出した。




「ここも、いない」

小学校から家までの間の、小学生の子供が寄り道しそうな場所を探す。
公園、脇道、顔なじみの犬のいる庭先、ザリガニの取れる小さな堀のある小道、かつて彼女も興味と好奇心に促されるまま面白いものは無いかと遊びながら通った道だったから、無駄なく捜索は続いて、―弟の通う小学校までたどり着いてしまった。

自転車で帰宅を急ぐ弟よりすこし大き目の子供の他は、親と手を繋いで歩く子供の姿ばかりだった。
携帯で一旦自宅に連絡を入れたが、まだ帰っていない、という返事。
母親は、誰かの家にお邪魔しているのかしら、とクラス名簿を頼りに他家と連絡を取っているとの事だった。

「・・・さて」

どうしたものか、と思案する。
既に校門は閉ざされている。
近年、小さき者を狙った犯罪は多く、基本下校させた後に、放課後の遊びの為に校庭が解放される事は殆どないし、学校児童は帰宅済みだと言うのだから、恐らく此処ではない―筈だ。
だが、他に思い当たる場所はない。

弟はこの春に小学校に上がって、ようやく半年を過ぎた程度だ。
通学路に慣らす為の行き帰りには、彼女が付き合って、近道や面白い場所を教えてやったのだし、アレから数ヶ月で新たな遊びスポットが出現しているとは思えず見回って歩いた限りではそんな場所は無さそうだった。

そもそも親や姉の言いつけを破るような子供ではないのだ、本当に。我侭をしないのではなく、最低限のルールを守る意識を持っている、という意味での聞き分けの良さ。遅くならない帰宅厳守の他に、見知らぬ人間に付いて行かない、不審者には大声必須全力抵抗のち、敵わないと悟ったら無抵抗にて隙を窺って逃げろ、と教え込んである。
あの弟ならば、易々と不審者の手に落ちる事はないだろうと、姉は過信ではなく、確信している。
就学前の知能検査で弟が弾き出した結果は、一般の子供の範囲を軽々と越えていたし、理解力も状況判断能力も同い年の子供とは比べ物にならない。何より他者の思惑を慮る情感の豊かさには9つ上の姉でさえ驚かされる事多々。
―帰りが遅いと心配する家族がいる、と言う事を、何よりも気にしている筈だ。
だから、帰ってこないとしたら、それは意識か意志のない状態になっているくらいしか思い浮かばなかった。

父と連絡が取れ次第、あるいは母による電話問い合わせ確認が済めば、早々に警察へ通報する運びになるだろう。現在某ホテルに缶詰めにされている父に連絡をするには少々手間がかかっているようだが。
手の中でチカチカ光る携帯が示す時間に焦りを感じながら、さてどうするかと暗がりに浮かぶ建物に目をやると、不意に手のひらに振動が起こった。



「父さん…え、本当に?今、丁度学校まで来たトコ。じゃあ……ああ、分かった」

閉ざされた学校の門扉ではなく、壁に手をかけ、彼女は校内へ。

―緊急連絡用に持たせている弟の携帯GPS機能によれば、それは学校を示している、と言う事だった。


「職員室・・・行ってみるか」

校門が閉められ体育館も真っ暗とくれば、高学年のクラブ活動や部活も終って、とっくに学校の戸締りもしている時間だ。
校内に児童はいない、と居残っている人間は思っているに違いない。
だが、そうではない可能性が多分に出てきた以上調べないわけにはいかない、と弟を案じる姉は強く思った。

とりあえず手っ取り早く敷地に入り、勝手知ったる母校の廊下を進む。
まず二階の職員室へ行こうとして階段を上る。
―?
登りきった場所から、見える向側。
L字形に折れている校舎の向い側が、一瞬光ったように見えた。
向かい側の廊下突き当たりは広い部屋。

(確か・・・図書室だよな)

見回りだろうか。
もしかしたら、彼女と同じくどこかに児童が隠れていないかと、教師が探しているのだろうか。いや、だとしたら部屋の明りを点ける筈では?懐中電灯のような灯りが動く様子も無い。

廊下の窓から目を凝らすと、カーテンがふわりと揺れたような気がした。
と、すれば―先程の光は、何かに反射でもしたのか。
だが、開いている窓がない、という事に気付く。
見間違いや思い違いにしては、妙に胸がざわついて、彼女は図書室のほうへと歩き出した。







「快斗、快斗」

心地好い声。呼んでいるのは己の名。―嬉しい。

「快斗!」

ほんわりとしそうなまま、再び落ちて行こうとした意識が、強い口調に呼び戻される。
ビクリと身体が震えて、眼が反射的に開いた。

「新ねぇ・・・?」
「バーロ!こんな時間まで、なにしてんだ!?」
「・・・?」

どうやら、怒っている、らしい。声はすれども、姿は暗くて曖昧にしか見えない。
これはおかしいぞ、と軽く首を動かして、現状を把握してみようと試みる。

机に突っ伏した形で寝ていたようだった。
身体は椅子に座っている。
広い机は、自宅に在るモノではない。辺りを見回すと、大きな書棚。
工藤の家の書斎に在るモノは常に背面が壁と接しているのに、ここの棚は、棚と棚の合間に通路があって、書斎とは違う床の感じは、よくよく目を凝らせば見覚えのある―学校の図書室だ、と漸く気がつく。
と、いうことはここは学校で、しかもこんな真っ暗な時間にいる事は殆ど無い―いや、初めてだ。

「大丈夫か?なぁ・・・眠ってたのか・・・?」

混乱している弟を気遣う姉の声は、先程よりも語調が柔らかい。
心配しているのだと容易にわかった。
慌てて、首を横に振った。

「だいじょう、ぶ。・・・うん。ゴメン、新ねぇ。・・・なんか寝てた?みたい」
「覚えてない?」
「っと、待って・・・今日、放課後」
「うん」
「帰る前に、本、借りようと思って、ここに来て・・・」
「誰もいなかった?」
「うん・・・?そう、委員の人も、司書の先生もいなくて、どうしようかなって。そんで、ちょっと待とうと思って、宿題・・」

そうだ、宿題をしていたんだと机を見る。
出していた筈のノートや教科書が無い。
あれ?と再び混乱して、机の下も覗き込む。

「ランドセルなら、ここ」

隣の椅子の背凭れに掛けられていたのを、姉が示す。
そんな所に置いたかな?と首を傾げながら、中を確認すれば、机に出していた文具はちゃんとランドセルに収まっていた。
そして、入れた覚えの無いもの一つ。

「何だ、これ」
「?トランプ・・・学校で貰ったのか?」
「ううん」

そんな記憶はない。
これは一体なんだろう。

四角のプラスチックケースに収まっているカード。
心惹かれるまま、ケースから取り出して、札の束を手のひらに乗せた。

「ん?新品、じゃない?」
「みたい」

新しいカードに特有の固さがない、しっとりした手触り。
指先に馴染むような感触は、まるで自分で使い込んだ品のような。

「友達のか?借りる約束してたのを勝手に入れた、とか」

不思議な顔をして手の中のカードを見つめる弟に、こちらも首をかしげて問いかける姉である。
だが、弟は首を横に振って、それから、そっとカードを動かした。
一番簡単な、下から上へとカードを切る遣り方。
ゆっくり数回カットした後、指の動きが早くなった。

「へ・・・快斗、なに」
「・・・」

カットから、両手に均等に分けたカードをパラパラと互いに合わせて―リフルシャッフルを。
バシュッと小さな手の中で音がして、両手が軽く触れ合ったかと思えば、綺麗に揃えられたカードの束が何事も無かったかのように、弟の手の中に納まっていた。

「・・・練習したのか?」
「んーん?真似した、だけ・・・うん」
「マジックのテレビなんか見てたっけ?」
「違う」

上の空の返事をして弟はじっと手の中のソレを見ていた。
何となく、声がかけ難いな、と思っていると、唐突に視界が明るくなって、姉弟はハッと顔を上げる。

「何をしてるんだ?!」

叱責する声は、教師のものだった。





すっかり暗くなった空に浮かぶ半分の月。
母親が弟の手を引いて、星座を指差しながら笑って歩いている。
姉はその後ろを、父親と共に歩く。
久しぶりの、家族全員の夜の散歩になっていた。

コロロロ・・・リン・・・リ―・・ン

虫の音がそこかしこから流れ、秋の深まりを奏でていた。

「なぁ・・・父さん、快斗はどこにいたんだと思う?」
「さて。本当は居なかったのか、それとも居たのに見えなかったのか」
「・・・図書室の鍵は、開いてたんだ」
「ほほう。証言の食い違い、か」

―おかしいなぁ、施錠した時は誰も居なかったんだ。
―窓も閉めて、司書室も見ましたよ。
―工藤さんのお母さんから電話が来た時にも、この辺りは見て回ったんだが、本当に中にいたのかい?
―とにかく、見つかって良かった。
―いいかい?下校の時間はちゃんと守ろうね・・・

首を傾げながらも、児童の無事に胸を撫で下ろしていた教師達。
ちょっとばかり頭の良い児童として知れ渡っているらしい快斗は、最初悪戯で校舎に隠れていたのだろうと疑われた。
だが、本人は勿論、姉と、遅れて迎えに来た両親も加わった家族の猛烈な反論に遭い、責任を問われるのも面倒だとでも思ったのか学校側は疑いの矛を収め、ともかく本人が無事ならば、と帰宅と相成ったのだ。

「本人は寝てただけ・・・ふむ」
「―誰かいたんだ」

明るくなった図書室。
弟が寝そべっていた机の、座っていた場所の向かい側に本が一冊置いてあった。
読んでいた本ではないという。そもそも宿題を始めた時には誰も回りには居なかったのだし。
そして、快斗本人も覚えの無いトランプ。―結局、トランプについては教師に告げず、そもままランドセルの中に入れて持ってきてしまった。

何者かの痕跡。

一体、誰が何の目的で?じっと考える娘を面白そうに見つめる父親。
―視線に気付いて、んん?と見返す。

「・・・おい、まさか」
「『偶然が奇跡を齎す』・・・なかなか興味深いチョイスだと思ってね」
「ルブランのだろ?ルパンが探偵社してるシリーズで」
「フランスが舞台だったかな」
「・・・なぁ。知ってるんだな?誰が居たのか」

問いかけはそのまま確信になる。
吐け!と視線で訴えかけるものの、父親は空を見上げて笑っただけだった。
どこか嬉しげな様子。

娘はそれ以上聞こうとはしなかった。聞いた所で、返ってくる言葉は「秘密」だの「そのうち解るさ」だの「では宿題だ」とかはぐらかす類のものだと容易に想像がついたからだ。
弟は無事だし、笑っている。なら、今はそれで良い。
当然若干の気持ち悪さはあるけれど、丁寧に置かれていた弟の文具やランドセル。覚えのない本、見知らぬカードから悪意を感じたりはしなかった。何より、宿題する時に脱いだというパーカーは、優しく弟の肩を覆っていたのだ。

父親に倣って夜空を見上げると、一瞬、三角の月が見えた気がした。
だが、瞬き一つした後には、半分の月が浮かんでいるだけだった。







それから、工藤家長女中学の文化祭でのこと。

体育館を使って行われた一般客飛び入り歓迎イベント【ビックリ!?人間ショウ】に、小一男児がステージに上がって、ワンハンド・シャッフルに、立ったままの大仰なリフル・シャッフル、更にトランプを空中に飛ばして見事なキャッチ、短い腕を精一杯伸ばしてのアーム・スプレッドを披露して観客の目を釘付けにするという一幕があった。
小さいながらに、滑らかな動きと危なげない技の数々、なによりその子の笑顔に、沢山の拍手が贈られた。

驚く姉へ「新ねぇの中学最後のお祭りって言ってたから。俺も混ざりたかったんだ!」と言って弟は笑った。








守られる笑顔は見る者を虜にして


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