姉と弟
「まぁーまぁ…、ままーぁ…」


か細い泣き声に気付いたのは弟が先だった。
キョロキョロと辺りを見回して、神社の参道入り口に建つ鳥居の陰で蹲っている女の子を発見。
同じく、おや?と思って周りを見ながら隣を歩いていた姉の浴衣の袖を引っぱった。

「どした?迷子か?」
「まいごかー?」

えっぇっ・・・と泣きじゃくる幼子は、満足な言葉を伝えられずに嗚咽を洩らすばかり。
とにかく迷子預かり所にもなっている夏祭り本部のテントに連れて行こうと、姉の方が、少女の手を取ろうとした。

「やぁ…、まーまーぁ!」

けれども、怯えた様に伸ばした手の先から身体を捩って逃げようとする少女。
混乱しているのかと、姉は浴衣の裾を捌いてそっと膝を折り、小さな子供の目線に合わせた。弟は、首をかしげて少女を眺め見ている。

「ママ、探してやるから、な?はぐれたんだろ?」
「・・・まま?・・・み、つかる?」
「もちろんだ」

鼻を啜りゴシゴシと顔を―涙を絶えず拭っていた手を少し止めて、少女は真っ直ぐ見つめてくる彼女の顔をじっと見た。
弟も、姉の真摯な顔を見つめて、それから、そっと同じ背丈の少女の手を握った。

「だいじょーぶ。ねぇた、ウソないから、見つけてくれるよ?」
「ほ、んとぅ?」
「うん。オレのねぇた、スゴイんだ。だいじょうぶ。行こう?」
「・・・うん」

こくりと肯いて、ひっくひっくとしゃくり上げていた息が落ち着いてきたのを見計らい、もう片方の手を姉が握った。

トンテントン・・・カンカン・・・

神社の参道の奥から聞こえてくるお囃子。
石畳の敷かれた神様の通り道には結構な人波が行き交い、道の両端には各種多様な出店が軒を連ねている。
両手を握られた安心感からか、躓きそうに歩いていた幼女も段々としっかりした足取りで歩き始める。気分が持ち直したのを察した、その子と同じ年頃の弟はニッコリと笑いかけた。

「おまつり、たのしいね」
「・・・あのね、あのね、りんごアメ買ってくれるって、ままが」
「いいなー!あ、じゃぁもう買いに行ってるのかもな」
「そうかなぁ・・・」
「うん。人いっぱいで、こんでるから、なー」
「ママは、手を繋いでた?」
「・・・うん。でも、いっぱい色々見たくて、走ったの・・・」

おや、と姉と弟は目を少し見開く。

「来てすぐ?」
「うん・・・待って、って言われたのに・・・楽しそうで」

そこまで言って、少女は再び瞳を潤ませた。
弟は、慌ててギュッと繋いでいる手を握りなおす。

「さっきの所で、追いかけてくるの待ってたんだ?」
「神社、行ったらコワイの居て、コワくなって、戻ったの・・・でも、い、居なく、て」
「コワいの?うそだぁ!」

じんわりと声が泣き色を醸した所で、少年が大きな声を上げた。嘘吐き、と言われた少女はムッと顔を顰めて反論しだす。

「いたもん!」
「オレ、さんぽしにココ来た事あるけど、見た事ない」
「ホントだもん!真っ赤で四角くて、光ってて、ヘンなおどりするんだよ!」
「えー?にんげんなのか」
「足はよっつ・・・顔が変で、身体は・・大きくて、」
「よんほんあし。・・・犬?」
「違うよ、もっと大きいの!それでね、歯が大きくて、でも、かじられるとアタマがよくなるよって」
「かじるぅ?」
「うん。きょねん、かまれたんだって」
「・・・きみが?痛かった?」
「覚えてないの。でも、ままが、かんでくれたから、ひらがな読めるようになったのよって」

少年の機転利いた話掛けで、泣こうとしていた少女は気をそがれて、元気よく話し出した。
その合間に、姉はといえば、後ろを振り返り、前方へ目を遣り、それから再び後ろを振り返ると、「そうか」と呟いて一番近くにあった露店へと足を向けた。

「新ねぇた?」
「りんごアメ、買う約束してたんだな?」

こくりと肯く迷子は、繋がった手が引くままに、年長者の彼女に付いて行った。






「本当に、ありがとうございました」

深々と頭を下げる母親に、姉は大したことはしてません、と手を振った。
それから、迷子だった少女に笑いかける。

「今度は、手を放さないようにな?」

少女はりんごアメを持っていない方の手に―母親と繋いだ手にぎゅっと力をこめて、こくんと首を縦に降ろした。

「ばいばい」
「ありがとぉ、ばいばい!」

少女とその母親に倣って、弟もまた姉と手を繋いで、空いているほうの手だけで、少しの間一緒に神社のオバケ―獅子舞踊りを眺めた相手に手を振った。

何度も頭を下げる女性の手には幾つかのりんごアメ。
買いすぎたので御礼にどうぞ、と言われたから、姉の手にも袋に入ったアメがぶらさがっている。


「良かったね、あの子」
「そーだな」
「新ねぇた、スゴかったね」
「そーかぁ?」

神社の入口ではぐれた後、参道の長さと人混みに、おそらく母親は困っただろう。
迷子の放送が流れても、幼子にそれを聞き取れというのは無理な話だし、昨今子供の一人歩きなど何が起こるかわからない。
手を放してしまった失敗への後悔と不安は大きかったはずだ。
迷子を効率よく探し出すには、可能な限り無駄を省いて、周囲の協力を得るのが手っ取り早い。
ならば、子供が立ち寄りそうな場所に声をかけながら、後を追うのではないか、と姉は考えたのだった。
『りんご飴』の露店はそこかしこに出ていたし、欲しい欲しいと言っていた子供なら、一軒くらい立ち寄りそうなものだ。
迷子を報じてくれる祭りの本部が参道奥にあるのなら、それまでに打てる手段として、我が子が現れそうな場所に予め声を掛けているかも知れない、と。
果たしてその読みは見事当たっていて、姉が迷子の手を引いてリンゴ飴の露店に行けば、店主が「あれ?ピンクに黄色帯…もしかしてお嬢さん―」と、迷子の母親が向かった先を教えてくれたのだった。

「獅子舞の事を知ってるって事は、少なくとも去年も来てるわけだからな」
「うん」
「知り合いもソコソコ居て、子どもが欲しそうなモノも知ってるなら、もしかして、って思っただけだ」
「・・・やっぱり、すごい」

迷子の女の子と歩きだして五分と経たずに、母親を探し出したのだ。弟としては、会話の端からそんな事を考え付いた姉がスゴイ、としか思えなかった。
そして、ハタっと思いつく。最近みたテレビ。犬の姿をした人間?がパイプをくわえて、事件を解く―

「新ねぇた、ホームズ、みたい」
「え?」
「すいり、スゴイから!」

にぱっと笑ってそう言うと、姉は瞠目して、それから口元に手を遣って「そうかな・・・?」と囁いた。心なしか頬が赤くなっている。

「めーたんてーホームズ、ねぇた」
「バーロ、おだてたってリンゴ飴しか出ねぇぞ!」

煽てたつもりも無く、思ったまま言っただけの弟の方は首を傾げていたが、照れ笑いを浮かべる姉は大変ご機嫌に見えたので、「はい」と返事をして、リンゴ飴を貰う事にしたのだった。






しばらく二人で露店を冷やかし、時々遊んで、所どころで休んで。それから、少し遅れてやってくると言っていた隣の家に住む友人との待ち合わせ場所に歩いていく。

午後3時から始まって、夜中までイベントのある夏祭りは、夕暮れ間近になり、少しずつ客層が変化していた。
友人同士で歩く中高生や若者の姿が増えて。お年寄りや小さな子どもを連れた親子は、早めに帰宅するか、花火まで一旦休憩を入れるのか、喧騒から離れて行く。
そんな人の流れを見て、姉はなんとなしに口を開いた。

「・・・なあ、快斗は・・その、さっきの…迷子のあの子みて、大丈夫だったか?」
「?」

何個めかのりんご飴。
大きな飴を一気に口に入れるのは難しいので、弟は頑張ってペロペロと舐めている。暑さで飴が溶けやすいのか、濃紺色の甚平の襟元は、神社に着いた時より濃くなっていた。

「ままー、ままーって。・・・快斗もさ、探しに行きたくならなかった?」
「新ねぇた、いるからヘーキ。オレ、泣かないもん。さみしくないよ?それに、ゆーさくちゃんもゆきちゃんも、かぞくでしょう?」
「そうだけど。・・・覚えてないわけ、じゃないよな?」
「うん」
「・・・そっか」

肯きながら、また飴を舐め始める子どもに嘘は見当たらない。
時々首を傾げたくなるほどの、聞き分けの良さ。
ふと空を見上げると、夕暮れの反対側で、月は半分ほどの形で薄白く光っていた。
最近では、明るい月夜の晩に泣く事もないな、と姉は改めて思う。

親と手を繋ぐ同じ年頃の子どもを見ても、弟は羨ましそうにするでもなく、淡々と眺めるだけだった。
思い返してみれば、しくしく泣く夜だって、親を恋う呼びかけをしたことはない。
もしや、親から良くない行いを受けて我が家に来たのか、と疑念を抱いた事もあるが、親の事は好きだと言う。
じゃあ、どんなお母さんとお父さんだった?と聞いた事があるが、−んー?と首を傾げて曖昧に笑うだけ。

弟を連れてきた時の何かを耐えるかのような顔をしていた両親から察するに、彼の年に似合わぬ態度も−その不自然さも、「事情」の一つなのかもしれない。
工藤の家で目覚めた時、弟はたった三つだったのに、本当の親と突然出来た姉とその両親とをきちんと分けて把握していた−その賢しさも。

「ねぇた、ねぇた、」と呼んで懐いてくる弟は大変可愛いし、扱いに困らされる事もない。けれども、聞き分けよく後ろをついて歩いているはずなのに、ふとした瞬間に居なくなってしまいそうな妙な感覚を覚えて、不安になる。


小さな足は、コンパスの差から少し遅れてついてくる。腕の分伸びる距離。
振り返ると小さな少年の頭向こうに伸びる影は長く、行き交う人々に混ざっていた。
夕闇が深まったら花火が上がる予定なので、ますます人は増えていくだろう。
はぐれないよう、姉がギュッと繋いだ手を掴み直す。ん?と無心に舐めていた飴から顔をあげて、弟は、トテテテ、と急ぎ足をして姉に並んだ。







きみはここにいる




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