俺の前に現れた『工藤新一』は、『まだ追っている事件があり、俺が動いている事を派手に知られるのは拙いから』とどこかで聞いたような(いや言ったような)事を言って、かなり限定した人間の前にしか姿を見せなかった。 『江戸川コナン』に話しかけてきた次の日、ソイツは帝丹高校の一部の生徒に目撃され、―そして毛利探偵事務所に現れた。 想定していたよりも素早い行動だった。 蘭と共に帰宅してきたソイツを見た瞬間の言いようの無い憤り。 しかし、それでも声高にソイツに向かって『偽者』とは叫べなかった。 もし次に『偽者』が出た場合に第三者―『工藤新一』も『江戸川コナン』も良く知る博士を仲立ちにして、ソイツの虚偽を暴こうと前夜に話し合っていたのに。その場で直ぐに打てる手が無いまま、ソイツの動きを眼で追っていた。 『もう、新一ったら、さっさと授業に出ないと卒業出来なくなっちゃうんだからね!』 『悪ィわりー。もうちょっとで片が付くし、ノートだけ頼む!』 パンと手を合わせて頭を下げて。困ったような笑いを浮かべて。 背筋がゾワリと粟立った。 しかも、相手は更に周到な手を講じてきたのだ。 『そうそう、蘭と―コナンにも携番変ったの、教えておくな!あ、でも他には流すなよ?あと、前の番号にはかけないで消してくれ。どうも、あの携帯、良くない奴らに盗まれたみてーでさ』 事件に巻き込まれでもしたら厄介だから、消して―いや着拒しておけよ。そういいながら、ホラ、とその場で処理をしようとした。 簡単に目の前の男の言い分を信じた蘭は携帯を言われるままに渡して、目の前で消され拒否された『江戸川コナン』を『工藤新一』に変換する機械のナンバー。 何とか話をそらして、己のモノには手は出させずに、再び俺は深夜に毛利宅を抜け出して、俺の家へ―その隣家へと向かった。 ** ** ** 最早ここに居る意味はない、と怪盗に告げた。 怪盗は、暫く俺の顔を見ていた。 敵でもない、味方でもないコイツを、敵でも構わない、けれど味方にもしなければならない。 「じゃあ、まずは俺の―」 「黒羽」 「…ふぅん?では何故その家を訪ねた?」 「成り行きだ。というか、俺はお前が『黒羽』だって事くらいしか知らないな…あー、快斗?だっけ」 「は?」 思いっきり眉を顰める『工藤新一』。 そりゃあそうだろうな、と思う。 「そもそも俺は『中森』さんちに行ったんだよ。そしたら居なくてさ?んで、どこ行ってるか知ってそうなお隣さんに聞いてみようと思ったワケ」 「?!ちょっ」 「んで、何か応対してくれた女性が『快斗に用?』って言ってたけど、まぁ丁度警部が帰ってきたから、じゃあっつって…終わり。そんだけ」 「はぁあああああ!?」 「で?何で、オメーはこんな事を引き受けたんだ?」 放心している怪盗をちょっと憐れだと眺めやって、逆に俺は尋ねた。 暫く沈黙して、いろんな思いを巡らせきったのか、はぁああああぁ…と今度は叫びではなく溜息を吐いた後、怪盗は語りだした。 「俺は、『工藤新一』が来たっつーから、一体何事だと思って。その日の夜にさ、行ったワケよ、工藤さんちに」 「その日っつーと…」 怪盗がジッと俺を見据える。 何処までを思い出し、そしてちゃんと真実を語れるのかを見極めようとしているのか。 「ああ、身体がおかしくなった夜だな。…来てたのか」 「…おどろいたぜ?覚えてるか?」 「…もしかして、灰原を呼んだのは―」 「俺だ」 なるほど、合点がいった。 おそらく、そのまま、こちらの事情に巻き込まれたのか。 ハートフルだの紳士だの言われるだけはある。 馬鹿なお人好しという気がしないでもない。 「オメーが人の腕掴んで『悪ィ…隣の、阿笠博士と灰原を呼んでくれ』って言ったんだ」 「じゃ、見てたのか。つか、掴んだって…不法侵入してんじゃねぇか!」 「緊急対応だろ。見過ごしたら良かったかぁ?」 「いや、…助かった、な。うん」 解毒剤を飲んで、自分こそが『工藤新一』であると行動しだした矢先だった。 薬を服用してから2週間近くは、外出許可が出なかった。 今までの短時間しか戻れない薬から格段に効能を補強した解毒剤は、毒を持って毒を制すような薬物だったからだ。 マウスから大型動物への試薬データを採取する段階を飛び越えて、今すぐその薬を使いたいと言った俺に灰原は難色を示し、説得するまでに時間を要した。 一体どの程度身体を冒した毒物を解毒できているかの数値的データの確認、なにより再び子供化する兆しがないかを慎重に調べられた。 なにせ、『工藤新一』を偽者と糾弾するための本物の『工藤新一』として、世間へ回帰せねば為らなかったのだ。一瞬だけ姿を現して消える、という事態は避けたかった。 そして検査を重ねて。 やっと『いいわ』の言葉を貰って。 勿論その間も、偽者の動向を掴もうとしたが、どうして中々尻尾はつかめなかった。相手は、あくまでも工藤新一に身近にありながらも近すぎない(特に血縁を含まない)人間を選んで、自分が『工藤新一』だとアピールすることに終始していたのだ。 少し顕れては、直ぐに姿を晦ませる、という事を間隔を空けて繰り返し、周囲の反応を窺っているようだった。 …そんな相手を探り、捕えようと動き出したばかりだった。 まずは相手の正体を掴むために、その時点で俺の知る俺の『偽者』足りうる人物達の動向を掴み、彼らではない確証を得ようと考えた。 ―屋田は確実に拘置されていた。 ―あとは、『怪盗KID』。 世間に知られずに何か動いて、俺の姿を使おうとしているのかと、最新の動向を知るべく、最も情報を収集し集積しているはずの警部の所へ行ったのだ。 結果は空振り。とはいえ直感的にアレは怪盗ではない気がしていたから、情報漏れを疑うまではしなかった。 ―そもそも、俺の前に現れたアイツは、俺を含めた周りの反応を見逃すまいとしていた、のだ。 それだけに、簡単に『工藤新一』ではないと否定するのは危ない、と思った。 携帯電話を取り出し、本物と会話してみせる、という手も、危険が伴う行為といえた。 それは偽者と二人きりでも―傍に誰かが居ても。 結局は、俺が『江戸川コナン』である限り、本物の『工藤新一』が顕れる事は無いのだから。 「俺が、博士達を連れて戻った時には、『工藤新一』はいなかった」 「……」 「で、『江戸川コナン』もいなかった」 「!」 怪盗の言葉に身体が硬直する。 確かに俺が思い出した記憶の分量は、あの時点から半年近く時が経っているのなら、あまりに少ない。 「副作用かもしれない、ってあのお嬢さんは言ってたな」 「…副作用」 「…結構、酷かったな」 「何が」 「お嬢さんのショックが、さ」 霞掛かった記憶。 零れた涙は、そうか。やはり彼女のものだったか。 「そうか。…まぁ正直、その辺の記憶は曖昧だな。もしかしてオメーは知ってるのか?」 「…戻ったり、消えたり、してたみてーだなコンナは」 「記憶が?」 「身体も」 不完全な強い薬を服用した後遺症か。 はたまた、薬の効能が猛毒と戦い続けていたのか。 俺の身体は『工藤新一』と『江戸川コナン』を行き来していたという。しかも片方の身体に変わると、もう片方だった頃の記憶が危うくなる、という事象付きで。 通りで、記憶が飛び飛びだ。 「まず短期的周期で起こる身体収縮を抑えるために、解毒薬を解毒した」 「…それ、は」 「つまり、まず『江戸川コナン』で安定させようとしたらしい」 「『工藤新一』じゃ駄目だったのかよ…」 「んー毒と解毒の薬効が鬩ぎ在って、解毒が負けてたんだから仕方ねぇんじゃねーか?で、その上で、大脳辺縁系を刺激する薬を投与して、細胞伸縮による萎縮部位を回復させようとした。論理上はそれで記憶の欠落も治まる筈だって」 怪盗は少年の名を出したことで、前言を違えず、それなりに協力的だ。 「国外に出る必要があったのか。…それにパスポートだって」 「緊急医療が必要って言ってな?丁度『工藤』だった時に運んだんだ。ま、オメーは寝てたから知らねぇだろうけどさ」 「何故」 「俺は頼まれたわけよ。お嬢さんに」 「灰原に?」 「…お前は、少し安定する度に、偽者を叩こうとしてた。でも、相手が不味かった。アイツらはソレが狙いだったんだからな。出来損ないの薬物を採っても生還したってデータを所持してる工藤がさ」 「薬物、データ…そうか、」 「秘薬を欲しがる人間はどこにでもいる」 黒の組織を潰したときも、潰す側の内部で起こった争いがあった。 奴らの研究していた内容やデータを一体誰が保管するか、と。 俺や元組織にいた者やこの世にあってはならぬ物を拒否する良識ある者は、それらを闇に葬る事を主張した。 しかし、アングラ組織が欲しがるものとは、人間の欲望を刺激して止まない魅惑の品でもあるのだ。―あの時は、ドサクサで焼いてしまったが。 「じゃあアイツ―あの偽者の狙いは…やっぱり俺だったか」 「そういう事だ。…状態が不安定なのに、言う事を聞かない探偵を、狙われている点も考慮して隔離しようとしたら、いっそ日本を出たらどうか、って事になってな。出入国記録が漏れるかどうかで敵さんの力量も判るしつって。でも、そーすっと彼女は一緒には行けない。工藤夫妻と博士は偽者への対処に忙しい。けれど厄介な事情を知る人間は増やしたくない」 「…それで、怪盗がお守かよ」 「なかなか良いキッズシッターだったろ?」 言葉を変えたところで、ベビーシッターと殆ど同義じゃねぇか。 睨みつければ、口の端を上げて笑う『工藤新一』。 確かに、あの薬を服用し生き延びた奇跡を宿す『工藤新一』をおびき出すのに、『工藤新一』ほど有効な手はないだろう。 あの組織との戦いで、死んだはずの『工藤新一』が生きていて、組織潰しに関わっていたことについては厳重な緘口令が敷かれていたが、結局人の口に戸は立てられないものなのだ。しかも灰原には眼もくれず俺を狙いに来ていたと言うのなら、―時にコナンのまま工藤新一としての行動や思考をしていた俺の姿を怪しんでいた誰かがいたのかもしれない。 「今、灰原は、…アイツは」 「お嬢さんはずっとココからのデータを日本で受け取ってる」 「残党狩りはどこまで…って知らねーか、これは」 「ソッチは専門外だな。探偵が自分で調べりゃいいだろ」 「ああ」 言われずともそうしてやろうと思っていたから、当然だと俺は少しだけ笑った。 同じくニヤリと何故か笑った怪盗は、一拍置いて囁くような声を出した。 「―いつ、気がついた」 「?何をだ。ココがオーストラリアあたりってことか?それともオメーが…」 「場所も割れてるのかよ…」 「体感時差が殆ど無い気がしたし、鳩の運んでくる外の空気が暑そう?って思ってな。で、12月ってことなら―」 「ああ、そう。で?俺が何だよ」 「取引の報酬は『怪盗1412号』のファイル辺りか。…それとも、マジでとんでもねーお人好しなのか。実はまだ推理し切れてねぇ」 「俺がキッドなのに、ファイルなんて」 「欲しいんじゃねーの?俺の親父が追ってた方の怪盗の資料ならよ」 「…可愛くねーな!」 「バーロ、テメェは同い年の男子高校生が可愛くて嬉しいのか?」 「……」 「……」 「ねーわ」 「だろ」 ** ** ** 予想よりも大分早いからなー。 向こうもイキナリ日本に戻るって言われても困ると思うぜ? そんな事をブツブツと言いながら、怪盗はサックリと怪盗たる姿に戻った。 行きは、『工藤新一』の痕跡をわざと残したかったから普通に飛行機乗ってきたが、流石に帰りはノーパスポートになるから、諸々の手配に時間がかかるのは仕方ないのだろう。 だが、そんな事は知ったことではない俺は、怪盗に向かって言った。 「いいから、さっさとココを出るぞ」 心底、ウンザリしたような顔が笑えた。 |