―なんだ、一体

夕飯を食べていた辺り―いや、あの怪盗に起こされてから妙に胸の辺りがムカムカしていた。
別に食事におかしい所があったワケではない、と思う。
食欲の減退を慮ってか、やや酸味を利かせた料理。
俺が作るよりは格段に美味なソレら。
不満といえば、ココで目覚めてから良質な油と蛋白質の取れる魚類を口にしていないことくらいで。(怪盗の様子からすれば、どうやらココでは魚系の食事は諦めたほうが良いらしい。が、まぁそれは気にしないでいられる範囲だ。)
コレと言って、引っ掛かることは無かった―はずだ。

「なんだろな…夢見のせいか…だな」

ちゃぽん、と水滴が湯船に落ちる音。
入れるなら入ったら?無理にとは言わないけどね、と『高木刑事』に促されてから、結構時間が経ってからの入浴になったから、天井には溜まった水蒸気の粒がビッシリと垂れていた。

ぽつり と湯に入っていない肩に落ちてくる水滴の冷たさにムッとしてから、ざぶんと顔半分まで湯の中に浸かった。

そのまま眼を閉じ、頭全部を湯船に沈める。

暖かな水中。
水の揺れる音、換気扇の回る音、己の鼓動。

たゆたって 揺れて 流れる 

心地よさは数分も経たずに息苦しさに変わった。


  **  **  **


何度も夢から近づこうとしても、反応の無かった記憶。
見えなかった影の正体。
無理に触れることを拒んでいるらしい自身は、痛みを恐れてか。
しかし。
それが甦ってきたのは、何度めかの灰原と会話をする一幕の夢―記憶が契機だった。


心配そうな眼差し。
向けられるそれに反発するように、平気だと口にし、そう思い込もうとする頑なな己の心。
手の中の錠剤を視た。―視得た。
そして、唐突に理解したのだ。
いや、記憶が解放された、とでもいうか。

薬への不安。
だが、それを上回った焦燥、苛立ち、闘争心と同列の対抗心、敵対心。
―その理由。

何故?に対する答えを隠しておけなかった自身は、結局自身に対してすら探偵であり、回答者であったのだ。

俺は薬を飲んだ、のだ。
黒の組織を潰して、しかし解毒剤の完成は遠いと言われて、一時は納得して『江戸川コナン』を続けていた。

そんな折に、出遭った相手。
いや、遭いに来たソイツ。

『よぉ』

軽やかに、聞いた事のある声で。



(…苦しい)

肺に溜めた空気を塞き止めている口の端から、こぽり と泡が漏れる。
一つ出て行けば、続けて こぽ こぽぽ… と。
肺は酸素を取れなくなった空気を排出しようと、ドンドンと喉の奥の圧を高め胸を叩いてくる。
不要な空気を出して、新たな空気を求めて。
圧力に逆らわずに、漏れるまま口から気泡を出す。

(駄目、だ)

ぱしゃん

音を立てて、湯船から頭を上げ、大きく息を吸う。
頭はよりクリアになった―ような気がした。



『どうしても、飲むの?』
『大体よ、飲まねーと、わかんねーだろ?』

成功か失敗か、なんて。

『どうしても…?』
『ああ、『アイツ』を放置しておけるほど、俺は俺を捨ててねーよ』

再び、息を吸い込んで、水中へ。

ざぁ ざぁ ざぁ ざぁ

水の流れだろうか。それとも血流だろうか。
鼓膜の奥で響く音。
胎児だった頃に、羊水の中で聞いていた音かもしれない。

―夕暮れ。夏。茜色。伸びた影。その先に。

『コナン?』
『…誰?』
『忘れちまったのかよー?俺だって』
『……』
『工藤新一、だろ』

青い眼を細め、ニッと笑う。嗤う。

かつて、劇場『宇宙』の控え室で、その場にノコノコとやってきた『工藤新一』に向かって、『怪盗キッドだ!』と叫んだ事はある。『偽者』だと大声で指摘した。

しかし、何故かその時、俺は咄嗟に口を閉ざした。

一体何者なのか、全く見えなかったからだ。

その頃、俺によく化けるアイツに関する事件には関わっていなかった。
とはいえ、予告状が出たという話も聞いていなかったし。ついでに鳩を助けた覚えも無い。
―もしくは、もう一人。
しかし、彼が脱獄したという話も聞いていなかった。

新たな『工藤新一』を騙る者。
―偽者。



「はッ…」

今度は、息を吸い込んでも、クリアな気持ちにはなれなかった。
頭がぼうっとした。

少し水を掛けようと思って浴槽傍の蛇口に手を伸ばして―その手がスカッと目的物から逸れてしまって。
そこで漸く、湯あたりを起こしたのだ、と気付いた。


  **  **  **


心配そうな顔で覗き込んでくるのは、『高木刑事』だった。
またも、不快感が胸を突いた。


  **  **  **




2011/03/05 08:42 !
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