本日は一日甲斐甲斐しいメイドさんでいようと思ったが、一体何が気に障ったのか昼食を終えた探偵はメイドに向かってしかめっ面。 せっかく片付けの後に摩り下ろしたリンゴを差し入れてやろうとしたのに「要らねー、寝る、邪魔スンナ」と愛想の無い返答。 そのクセ、部屋を出ようとしたら「あ、おい、トイレ連れて行け」とこき使う。 まぁ、部屋の簡易トイレを使いたくない気持ちは理解できたので、特別に俺が抱えて運んでやった。―本来、探偵は自力であの部屋から出てくるべきなのだ。 身体に負担が掛からないよう抱き上げてやろうしたら「勘弁してくれ…」とそれはそれは憐れを誘う声を出されたので、致し方なくおんぶで。 まったく我侭な坊ちゃんである。 更にその際色々と有って―結局、着替えをせねばならなくなった俺は、怪盗ではないとある人物に変装していた。 オリジナルがいるタイプの、だ。 特に何かを狙ったつもりは無かった。 ……あえて言うなら、変装衣装の方が、洗濯がし易い。 ―夕飯、食うかな。いや、その前に声をかけて… 腕時計を確認しながらそんな事を考え出したとき、台所に近づいてくる足音。 予想よりも大分早い回復ぶりだ。 「やぁ、具合はいいのかい?コナンくん」 「…あのよ、開錠パネルが動いたんだが、コッチで何か操作してたのか?」 「?メイドさんはちゃんと鍵を掛けていたと思うよ」 「開けられる時間は9時までだろ?」 「ああ、そうらしいね。ん?でも、まだ9時前じゃないか」 そこで、ようやく探偵は怪訝そうな顔から、凶悪な顔つきをし出した。 おお、コワイ。 「てめ、引っ掛けか!」 「おいおい、午前の9時まで…なんてこと、怪盗キッドが言ったのかい?コナンくん」 「…ケッ!」 ドカッとダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。 すっかり具合は良くなったのか。 熱っぽい感じも無い―いや。 腰を下ろした後、一瞬だけ身体の動きを止め、それからゆっくりと深く背凭れに背を預ける様に、まだダルさが残っている事が見て取れた。乱雑な仕草はシンドイのを誤魔化しているつもりなのか。 寝ていれば良いものを。 「…あ、トイレか」 思わず呟くと、探偵はグッと唇をかみ締めて顔を背けた。おっと、生理現象の失敗を突くなんて真似は小学生以下の無神経さだ。紳士とは言い難い。俺は慌てて、違うんだよコナンくん、と軽く手を振った。 「そろそろ迎えに行こうと思ってたんだよ。起きたかなぁって」 「…もう、歩いて行ける」 「みたいだねー」 顔はそっぽを向けたまま、しかし探偵君は小さな声で「さっきは悪かった…」と言うものだから、逆にコッチが居た堪れなくなった。 そんなつもりは無かったのだが。 プライドの高い少年に、まさに子供の失敗は精神的にキツかったろう。 アレは闇に葬るべきココでの秘密にしてやろう、と思う。 ** ** ** 用を済ませた探偵は再び台所に顔を出した。 喉が渇いていたらしい。 スーツにエプロンは微妙だったので、上着を脱いでワイシャツの袖を捲くってからエプロンを着用した俺は、蛇口を捻る彼に声をかける。 「夕飯の下準備は出来ているよ。これから仕上げに入るけど、出来たら持って行くから、ソレを飲んだら、横になっていると良い」 「…なぁんで、高木刑事なんだよ」 「そうだねぇ…。いち警官や機動隊や鑑識さんくらいじゃインパクトが薄いかなぁと」 「あん時からこっち、変装し放題だな」 「…言ったろう?僕の姿が役に立つかもしれないじゃないか」 「白いスーツの洗濯が面倒になったとばかり思ってたぜ」 「……」 バレていたのか。 いや、決してソレだけでも無い筈だが。 まぁいい。 「コナンくんは本当に鋭いよね。小学生とは思えないくらいだ」 ニコニコと笑って、褒め称えてみる。 「他の人が見逃しちゃうような事に気付いて教えてくれたり…毛利さんに付いて来て、色んなお手伝いをしてくれたり、その上少年探偵団の皆と本当の事件も解決しちゃったり、ホント凄いよ」 「……」 「本当の探偵みたいだ」 「…何が言いたい」 「いや、いつも君のことを、不思議だと思って…」 「で?」 「誰も不審に思わないのか、不思議に思って、ね」 探偵は、『高木刑事』をジッと見つめた。 ―そうしてから、唐突に甲高い声の『江戸川コナン』が喋り始めた。 「高木刑事にそんな風に言われるの、あの事件以来だね!」 「…そう、だっけ?」 「忘れちゃったの?爆弾を一緒に解体した時だよ―」 「……」 「ホラ、東都タワーで」 数年前の秋頃のことだったか。東都タワーを緊急中継したTV放送で、お手柄小学生の姿がお茶の間に流れたのは。 物騒な事件もあるものだと思いながら眺めていたラーメン屋の小型テレビにこの小学生の姿がひょっこり出てきた時には、文字通り口からラーメンが吹き出たものだ。 そうか。確かあの時、刑事と一緒にエレベーターに閉じ込められたと報道されていたが。 「あの時、『君は何者なんだ』って高木さんが聞いたんでしょー?」 「…コナンくんは、なんて答えてくれたんだっけ?」 「えー。思い出してよ、高木刑事が」 これは不味い相手をチョイスしたものか。親愛なる中森警部にしておけば良かったかもしれない。 ―いやいや、収穫かもな この探偵と、一課の刑事の馴染みの深さに関する情報の修正だ。 なるほどこの刑事は―いつも毛利探偵を隠れ蓑にした名探偵の恩恵に肖って、ただ手柄を上げているだけではなかったようだ。 仮初の姿をした名探偵に度々関わる彼らが、この小さな探偵君に何も思わないものなのか疑問を抱いた事がある。 いくら、探偵が演技上手な偉大な女優の血を引いていても、『そんなことがあるわけがない』という先入観―いや、『常識』に捉われていたとしても。 江戸川コナンという少年の奇矯さには気付いて然るべきではないのかと。 工藤新一を警察の救世主とまで呼んだ彼らならば、尚の事。 こんな人間、二人といるはずがないのだから。 「うーん…『江戸川コナン、探偵さ!』…だっけ?」 「…ハッズレー」 可愛げなど一切消えた低い地声で、つまらそうな返答。 俺は高木刑事らしく頭を掻きながら「違ったっけ?」と、困った笑いを浮かべた。 探偵は正解を教えてはくれず、水を一杯飲み干すと台所から姿を消してしまった。 |