嘴が頬に触れたとき、すわ攻撃されるのかと一瞬身体が強張った。 ぎょっとして硬直し―、一瞬後に肩に止まっていた鳩を見れば、なにやら下を向いて小刻みに首を振っている。 「ふッ…」 思わず漏れた、というような小さな声。 発した者に眼を向ければ、彼もまた下を向いていて軽く肩を震わせて―どうも笑っているようだった。 「…なんだよ、テメー」 「いやぁ?名探偵のお弁当は、鳩に食べられてしまったようで!」 「弁当だぁ?」 「ついてたぜ?」 昼飯後からずっとココントコに、と怪盗が白手袋の指先で彼の頬の辺りをちょんちょんと。 つまり、俺の頬に飯粒がついていて? つまり、ぽっぽと囀る鳩は下を向いて咀嚼していた、という事か。 そして、コイツはそれをただ見ていた、と。 「…趣味悪ィな」 「実に子供らしい顔だったんでな?そのまんまでイイかなーって思ってさ」 中身が高校生であると、とっくに理解している上での発言だ。 『子供らしい』にかかるアクセント。 『キッド』なんぞと名乗る相手からの幼稚な遣り口は、苛立ちを超えて呆れしか浮かばない。 じっとりとした目つきになっているのを自覚しながら怪盗を見て、もっとないの?とでも言うように首をぴょこぴょこ振りながら見上げてくる鳩を見やる。 人の手で飼育されている動物は飼い主に似るというが、鳩もだろうか。 隠れんぼだの、気配を消して羽を潜ませる姿(脚には小型のカメラ付きだ)は白い怪盗によく似ているとは思うが。 考えつつジッと見て…、収まっている翼の付け根に滲む赤い色に気がついた。 鳩の乗っていないほうの手を、肩に差し出せば素直に手のひらに乗ってくる。 自由になった片手で、そうっと翼を持ち上げる。 小さな擦り傷があるようだった。 「どーでもいいが、コイツ、怪我してるみてーだぞ」 「え?!」 にやにやしていた顔を引っ込めて、怪盗は慌てたように歩み寄ってきて、その手を伸ばした。 「バーロ、手、出せ」 おいで、と誘う奇術師の指先に翼を震わせて移動しようとした鳩の身を、俺は慌てて両手で包みこんだ。 「あ、うん」 「まぁ、飛んで帰ってきたから、飛ぶのには問題ないだろうけどさ」 きょとんとした顔をした怪盗に、過保護になってしまったかと気恥ずかしさを押し隠して、適当に言い訳めいた事を呟きながら、飼い主の揃えられた白い両手にそっと置いてやる。 受け取った怪盗は、目の高さまで持ち上げて、しばらく傷の具合を確かめていた。 「と、いうことで、午後はワクワク・ハンドクラフト〜」 「…なにが、と、いうことだ?」 問いかけは、そのまま続いた奴の「ドンドンぱふぱふ〜」という言葉とセルフ拍手に遮られた。 「講師はワタクシ怪盗KIDでお送りします」 「……講師」 「本日のテーマは、子供から大人まで楽しめる。夏休みの自由研究工作で大人気の鳥小屋作成〜」 「初耳だ」 場所は台所の向かいにある居間。 テレビと広めのちゃぶ台と座布団のある部屋。 鳩部屋を出た後、一体ドコから取り出してきたのか、次々とちゃぶ台の上に、板切れやら釘やら模造紙を広げた怪盗は、俺を呼んでちょうどちゃぶ台の向かい側に座らせて、突然工作教室を始めたのだった。 「いや、ちょっと鳩が個別で休む場所が欲しいかなーって」 「そうか。ガンバレ」 「頼んだぜ!コナンくん」 「なんで、俺が!」 「いや、怪我してたのさ、アイツともう一羽いてさ」 どうせなら同時進行で二つ作りたいなー、なんて。 俺の作業に合わせて同じくやってくれればいいから。 板組んで、張り合わせるだけなんだから出来っだろ。 しぶる俺に、アレコレと言い募る怪盗だったが、要は手伝え、という事なんだろう。 「…そんなに、傷酷いのか」 「いや、直ぐに治るさ。でも消毒してるし、ゆっくり休ませたいから」 怪盗が手飼いの鳩を大切にしていることは知っているし、俺も鬼ではない。 「家庭科の次は図画工作…」 「小学生をやり直した名探偵なら、楽勝だろ」 言ってからヤベ…と呟くあたり、少なくとも家庭科実習が楽勝でないことは思考外にあったらしい。 機嫌を損ねたかと伺う視線を無視し、俺は軽い感触の板切れを手にとった。 手首の袖から忍び込ませた釘を回収したのは、その日の夕方。 工作で細かい木屑が服に付いたからと、夕飯準備前に着替えた時。 適当にちゃぶ台に広げたようにしていた工作道具−その数量を、あの怪盗は一体どの程度把握しているのだろうか。 夕飯時もその後も、奴は道具の数については何も言わなかった。 |