浮かぶ映像は、覚えようと目を凝らそうとする程に、遠くぼやけていくようだった。 自分の部屋の扉を開く。 隣の、ジャンルの違う研究者二人が住む家のリビングに出た。 違和感もなにもないまま、いつも座るソファの定位置に腰を下ろす。 いつものようにコーヒーがソファ前のテーブルに―置かれる。 博士かな、と思ったら「たまにはミルクは要るかの、新一?」と声を掛けられた。 俺は首を振る。 湯気が立つそれに手を伸ばそうとした。 良い香りがする気がする。 俺がコーヒー好きと知っている博士が、時折豆から淹れてくれる、サイフォンで落としたものか。 飲みたい、と思うのに、別の方向から声が聞こえて手が止まる。 「ねぇ、工藤くん」 学校と、家とで『江戸川くん』と『工藤くん』を見事に使い分けてくれる灰原の声だ。 「なんだよ」 「本当に、大丈夫なの?」 「平気だぜ?すこぶる健康だ」 一体何を聞くんだ、と不思議に思って目の前に立つ彼女を見る。 だってオメー、今日だって、同じような運動着を着て体育でマラソンを―・・・ ふっと部屋に強い日差しが差し込んで来て、目を瞬かせる。 意識に意識が上乗せされる。 これは、違う― 「違う」 夢の尻尾を離さない様に、俺は急いで言葉を繋ぐ。 「なんで、その位置にオメーの顔がある?視点が違う」 凭れて座ったソファ。 コーヒーまでの距離。 「大丈夫?って、それは―」 何に対してか。いつも彼女がそう聞くのは例の薬の副作用や、試薬を用いたときの身体を心配して―。 では、あの場面はいつのものだ。 「…クソ」 思い出そうとするのに、ドンドンと消えていく夢の残滓。 自分の頭の中を引っ掻き回したい衝動のままに、グシャグシャと髪の毛を掻き毟ってみた。 完全に目が覚めた。 既に明りの点いた部屋。 一体何時にセットして、つけているのだろうか。 自分はそんなに一定の時間で目を覚ますような、健全な人間だっただろうか。 「いや、光に反応して目覚めてるのか…ったく」 時計が無い代わりに、寝起きの時刻と就寝時刻はライトが時報代わりらしい。 俺は、仕方なく扉に向かった。 「ま、あれだ。例え怪盗がどんな格好でキッチンで立っていようが、どうでもいい話を仕掛けてきても」 「乗らない、相手にしない、俺の質問最優先」 ここに来る前の最後の記憶。 夏の一日。 しかし、居場所が赤道を越えているなら、そこは夏ではないだろう。 それなのに、強い照射を受けていた動物の身体。 「顔引っ張っても完璧に『工藤新一』をやりやがる怪盗なら、ひんむきゃ歳ぐれー確認できっだろ」 おそらく、いつか間近で見た印象が正しければ同世代なのだし。 「だから、とりあえず…仮説の証明の為にも何月か、だな」 半年か、それ以上か。 ** ** ** 「…12月だよ、名探偵」 仮説は正しく、最低でも7月の終わりから―12月までの半年近くの時間が―記憶が無いことを俺は知った。 最長なら、怪盗がマスクをしていたり、実は歳をとらないまさにファントム(幻だのお化けだの)でもない限り、1〜3年の間だろう。 ソレを聞いてどうする?という感じの飄々とした怪盗の顔。 だが、その実、ジッと俺の様子を窺っているのは間違いない。 今度こそ、俺が取り乱すと思ったか。 いい加減、それも良いかも知れない。 ―だが、あの夢が、実際にあったことなら 恐らく答えは俺の中に既にあるのだ。 俺がここに居なければならない理由。 この怪盗はきっとソレを知っている。 思い出した、とでも言ってみようか。 しかし、ならば何故怪盗が居るのか、を聞かれるかもしれない。 監禁者が怪盗キッドである意味。 得られた情報から更に情報を導き出さねば為らないらしい。 謎から謎か。 こんな非日常空間での三回目の目覚めだというのに、早く家に、蘭やおっちゃんの居る事務所に、博士と灰原のいる工藤家の隣家に行きたいとという思いはあまりなかった。多分、俺は無意識でココに居る事を了承ないし、仕方ないと考えているのではないだろうか。何より、変な焦りよりも、焦った醜態をこの相手の前で晒したくない気持ちの方が強いことだし。 俺は、ひとまず、怪盗の朝メシ作りの手伝いをしてみることにした。 |