怪盗キッドといえば。 これまでの記憶にあるイメージというのは、往々にして、空をフラフラ飛んでる白い鳥のようなもので。地に足をつけて、あくせく何かをしている姿というのは、想像の外だ。 いや、犯行を暴こうとする過程において、『舞台』にいない彼が念入りに仕掛けを施し、地を走り、予定通りの時刻に幕を上げるための準備に追われているだろう事程度は理解している。逃げ去る時とて、場合によってはライダースーツや黒布を纏うのだし。 優雅に泳ぐ白鳥が水面下で必死に水を蹴っているのと同じだ。 しかし、それはあくまで舞台=犯行現場というある意味非日常を演出する場における怪盗の話であって、朝起きたら怪盗が朝ごはんを用意して待っていました、というのとは全く別の話だった。 マントくらい脱げばいいのに。 ひらりひらりと、怪盗が動くのに合せてはためく白い布。 カチャカチャと朝食で使った皿だのを片付けている。 邪魔じゃないんだろうか。 シルクハットも。 モノクルも。 ―汚れやすそうな白い服自体も。 しかも手荒れを気にしているのか、白手袋の上に被せているのか、肘までのピンク色のゴム手袋までしている。エプロンといい、微妙だ。いっそ白の割烹着に白のナイロン手袋辺りにすべきではなかろうか。 もっとも、オプションを増やしてでも怪盗の姿をし続ける理由は、どうやら唯一の観客らしい己の為だろうけれど。 覚えのない場所で最初に接した相手が怪盗であったことは、ある意味安心を与えられ、同時にとんでもない不審を抱く出来事だった。 「なー、名探偵。昼ごはん、なにがいい?」 「……ッは?!」 怪盗相手に、ここがドコで、何が目的で、一体どうするつもりか、という事を聞き出すのは、もう少し情報を揃えてからがいいだろうと―なにせ相手が、あの怪盗キッドなのだから、と。とにかく相手を気にしないようにして、部屋―家?中を歩いて廻っていたら、不意に背後から声を掛けられた。 廊下の天井を調べようと、重ねた椅子に乗り上げたトコロだったから、驚いてよろけそうになった。 壁に手をついて、何とか身体を支える。 振り返って、睨んでやれば、怪盗は肩をすくめていた。 「昼飯だよ。朝はご飯だったし、パンとか?」 「…腹減ってねーし、いらねーよ」 「そうか?」 俺にしてみれば、今は飯どころではない。 大体、なんだってそんな呑気そうなんだ?コイツは。 いっそ、最初に見た瞬間に取り乱して問い詰めてやるべきだったのだろうか。毒気を抜かれて唯々諾々と食卓に着いたのは間違いだったのかもしれない。 「でもさ、少し話もあるからよ、お茶くらい飲めよ」 「あ、ああ」 そういや、朝食の片付けのあと、怪盗は何をしていたのだろうか。 ダイニングから出てくる様子はなかった気がするが。 ざっくり見たところ、俺が行動できる範囲というのは、起きた時の部屋・ダイニングキッチン・丁度その向かいの廊下を挟んで、テレビのある居間・あとはトイレと、洗濯機が据え付けられた割と広めの脱衣所のある浴室。 そして、廊下の先に開かない扉が一つ。 ただし玄関ではないようだった。 取っ手もない。 扉と思しき場所の周りを叩くと大分壁の厚さがあるのか、空洞を感じない向こう側。扉の雰囲気といい、少なくとも扉は外ではなく、更に室内へと続いているようだった。 ダイニング・キッチンには窓はなかった。ガステーブルの上に換気扇は付いていたが、怪盗が近くに居たので詳しくは調べていない。 居間にも窓はない。しかし、明りを点ければ、天井から壁際へ柔らかく光が落ちるようになっていて、密室である薄暗さは感じなかった。 トイレ・浴室にも換気扇はあったが、どこも通気管は狭く、子供の身でも入り込むのは不可能だった。 眠らされた部屋に鍵。 外界から遮断された屋内。 ―テレビはあくまでも画面を使用する為だけの物なのだろう、アンテナに続くようなコードは見当たらない。ラジオ機能のあるOA機器でも、と思ったが、そういった類のモノも無い。電話線ですら、だ。 外界との繋がりを持たない室内部。 開かない扉。 天井も、開きそうな場所はないようだ。 ストンと椅子から降りたところで、再び声を掛けられる。 「おーい、こっち来いって」 「わかった」 さて、どういう切り口で、唯一の情報源らしいあの怪盗を問い詰めてやるか。 そう思っていた俺に、奴は、なんとタイムスケジュールを示してきた。 こんな日常生活から切り離された非日常空間で、日常生活を送れ、ということか。 |