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もしかしたらこれは、松野家の長男長女に与えられた性かもしれない。おそ松兄さんも、狙ったのかと疑いたくなるような、絶妙なタイミングで襖を開けることがよくある。

今の私が、まさにそうだった。


だって誰が予想するだろうか。休日、コンビニに季節限定のハーゲンダッツを買いに行って、溶ける前に早く食べようと急いで帰ってきて、居間の襖を開けたら実の兄ふたりがキスをしているだなんて。兄についてそんなことを日常的に想像した上で、自分の行動を考えている妹が、この世のどこかにいるのであれば、どうか今、教えてほしい。

私は、どうすればいいですか?


青いパーカーを着た一人の兄が、ピンクのパーカーを着たもう一人の兄を畳に押し倒し、ついばむような優しいキスを落としていた。額や頬なんてかわいいところじゃない。兄弟の思慕では片付けられない、口に、である。そのキスを与えられている方の兄は、その思いに応えるかのように、相手の首に腕を巻き付けていた。


襖を開けた途端、この光景を目の当たりにして驚いた私は、楽しみにしていたハーゲンダッツを落としてしまった。気がつかない内に後退りをしていたらしく、私の手から滑り落ちたハーゲンダッツは、廊下の床に当たってごとっと音を立てた。その音でようやく私の存在に気がついたらしい。ふたりの兄が、同時にこちらを見た。


「あ、●●……!これは、その…」


その内の一人、カラ松兄さんが顔を真っ青にして言った。まさかこんな、ドラマの修羅場にふさわしい台詞を家で聞くことになるとは思っていなかったと思いながら、私は光の速さで襖を閉めた。


「お邪魔しました!!!」

「ちょ、ま、待ってくれ!!!おそ松兄さんかお前は!」


私が閉めようとした襖に、カラ松兄さんが手をかけて全力で開けようとする。“おそ松兄さんか!”というツッコミの意味がいまいち掴めないが、今の私にはそんなことはどうでもいい。私は早くこの場を去りたい。今見たものをなかったことにしたい。その一心で、私も負けじと襖を閉める手に力を込めた。


「ごめんって!」

「頼む話を聞いてくれ!」

「私、何も見てないから!」

「いいから話をしよう●●!」

「誰にも言わない!」


全くといっていいほど噛み合ってないことをお互いに叫びながら、騒がしく襖を開けたり閉めたりを繰り返す。カラ松兄さんから“だからおそ松兄さんか!”と、またツッコミを受けた。だからよく分からないし、どんだけおそ松兄さんとこの状況になっているんだ!と、こちらからも声を大きくしたいところだが、今の私はそんなことはどうでもいいので、ただひたすら襖を閉めようとした。


「●●」

「何!?見なかったことにするから、いい加減、手離してよ!」

「ちょっとごめんな」

「は?何…」



スパーーンッ!!!!


一瞬、ほんの一瞬だけ、何が起こったのか分からなかった。カラ松兄さんは一言私に謝った後、私の力をものともせず、片手で簡単に襖を全開にしたのだ。今思えば当然のことである。私の六人の兄の中でも、最も力が強いカラ松兄さんが、私、か弱い妹に敵わないわけがない。じゃあさっきまでの両手と片足は何だったんだよ!と、思わないわけではないが、水は差さないであげよう。


「トド松」

「任せてよ」


一瞬で全開した襖に少し唖然としていると、カラ松兄さんがトド松兄さんに呼び掛けた。返事をしたトド松兄さんは、私に近づいて私の肩と膝裏に腕を回す。


「●●、ちょっとごめんねー」

「えっ、な、何!うわっ!!」


トド松兄さんが私を軽々と横抱き、いわゆるお姫様抱っこしたのだ。突然の浮遊感に思わず上ずった声が出る。


「何で!?降ろしてよ!!」

「●●の部屋でいいよね?カラ松兄さん」

「ああ、急ごう」

「ねえ無視!?無視なの!?」


トド松兄さんが、私を抱き上げたまま勢いよく二階への階段を駆け上がると、カラ松兄さんもその後を追ってくる。それほど長い距離ではないとはいえ、あまりの恐怖にトド松兄さんのピンクのパーカーを握り締めた。


「いやあああ走らないでえええ」

「もぅー、大丈夫だよ。ちゃんとジムで鍛えてるから」


ニートがジムに通っていることに聊か疑問を感じなくもないが、余計なことを言って落とされたくないので何も言わずにしがみついた。
二階にある私の部屋に着くと、トド松兄さんは“ていうか、●●軽すぎない?もっと食べた方がいいよ?”なんて言いながら、ゆっくりと私を降ろす。


「こっち来て」


トド松兄さんに手を引かれてベッドに座らされた。私の左隣にはトド松兄さんが、後から部屋に入ったカラ松兄さんは、私の右隣に腰を掛ける。三人の体重が掛かったベッドはいつもより大きく沈んだ。

何この状況。何で私の部屋なの。何で私は今、兄ふたりに挟まれて座っているの。何なの怖い。何が怖いって、この先を想像できないことが怖い。だってホモだよ?ふたりともホモ松だよ??しかも兄弟同士だし、さすがに驚くよ。そして、そのホモ松ふたりに自室に軽く拉致されるってどういうことなの。これから何が始まるの。もしかして見てしまったことを怒ってる?口封じとかされる感じ?でも、むしろ私って被害者だよね?

たくさんのはてなが頭に浮かんでは、消化しきれずにいる。口を開いて何か言おうと思うけれども、何を言っていいか分からなかった。先ほど見てしまったことについてや、ふたりに関係について聞きたい気もするし、聞きたくない気もするのだ。


「●●…聞いてくれるか……?」


そんな私の気持ちを察してくれたのか、静かに話を切り出したのは、カラ松兄さんだった。そんなに大きくなかったはずなのに、その声は重く響いた。私は、次に紡がれる兄の言葉をきちんと受け取ることができるのだろうか。きちんと理解してあげることができるのだろうか。分からなかった。自信がなかった。

嫌いになんてなりたくないよ、兄さんたちのこと。



喉まで出かかった、“待って”という言葉を飲み込んだ。受け取れるかは分からないけれど、ひとつ残らず取り零さないようにしよう。彼らの全てを。それからでも遅くはない。



「いいよ。話して、兄さん」


“兄さん”

私の言葉に、ふたりの目が揺れた気がした。



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