「ルージュに想いを重ねて」


息が、苦しかった。酸素不足で胸を塞がれるような圧迫感を覚えながらも、溢れ出る多幸感に視界が潤んだ。まだこの甘さを感じていたい。そう思ってはいても、このまま苦しいままではいられない。息を吸わなくてはならない。私がその意を伝えようと、いつものように彼の胸元をとんとんと軽く叩いても、おそ松はキスを止めようとしなかった。


「…いってえ!ちょ、嘘だろ、キスの途中に肘鉄したよこの子!」

「ずっと合図してたのに止めなかったおそ松が悪い!危うく窒息するところだったわこの馬鹿!」


目の前には左の脇腹を手で押さえながらうずくまるおそ松。そして、そんな彼を怒鳴りつけている私は、乱れた呼吸を落ち着かせようと大きく息を吸い込んだ。


「だってしょうがないだろ〜?」


もう復活したらしい彼は、緩い声を出しながら起き上がった。によによと、だらしのない笑みを浮かべて畳を這うように私に近づいてくる。


「気持ちよかったんだもん」


全く悪びれもしない彼は、私の腰に巻き付いて甘く言った。


「なあ、もう一回しよ」

「苦しいのは嫌だ」

「りょーかい」


おそ松は私の腰から腕をほどいて起き上がると、私を抱き締めるように包みながら、再び唇を重ねた。初めは触れ合うだけ。何度も何度も擦るように優しく触れ合わせる。小さなリップ音に羞恥を感じるが、それも、もどかしい甘さに流された。

時々交わる視線には熱が孕んでいる。こそばしいような快感も手伝って、唇が離れる度に微笑みを交わした。おそ松が私の後頭部を支えるように触れた。もう交わらない。私たちは目を閉じた。

彼の柔らかい舌が優しく私の口をこじ開けて、ゆっくりと口内を撫でる。先程よりも直接的になった気持ちよさに、背筋がぞくりとした。軽快に動き回る彼の舌を追いかけるようにして、自分の舌に絡めながら、舌と舌が触れ合う不思議に思いを馳せた。体の一部であることはもちろんだが、体の内側とも外側ともつかないこの部位は、どこか不思議な位置付けをされているように思う。自分の意思で上下左右に動かせながらも、人と絡ませるには不自由なそれは、不自由であるからこそ、夢中になって相手のそれをも求めてしまうのかもしれない。行き場のなくなった二人分の二酸化炭素は、少しの隙間から漏れて、吐息に変わっていく。


「〜っ!!?」


唐突に与えられた快感に、思わず目を見開く。にやりと笑みを浮かべるように目を細めたおそ松が鼻先にいた。おおよそ、私が舌に関する様々な憶測を立てていたのが気に食わなかったのだろう。“なあに?考え事してる余裕あんの?”とでも言うように、私の上顎を彼の舌が、つーっとなぞったのである。再び目を閉じたおそ松は、私の反応を見て満足したのか、上顎を重点的に、ゆるゆると自由に舌を滑らせた。先程よりも速くなる鼓動。火照る体。吐息に交わった声。与えられる気持ちよさに次第に体から力が抜け、私は完全に受け身になる。胸に迫る圧迫感は、幸福を意味する。息が、苦しい。

目の前の赤いパーカーの胸元を、力なく握った。どうやら学習したらしい彼は、今度は唇をゆっくりと離していった。彼の肩に顎を乗せて大きく息をする。


「ねえねえ」


呼吸が普段のリズムを取り戻した頃、おそ松が私を彼の肩から離し、顔を覗くようにして言った。


「ん?」

「もしかしてさ、リップ?グロスっつーの?変えた?」


彼の丸っこい目に、私が映っている。


「はあ!?今気づいたの!?」

「あ、やっぱ変えたの?俺、そういうの気づいちゃうんだよなあ〜。カリスマレジェンドだから」


そう言って、彼は鼻の下を擦るいつもの癖をした。


「本物のカリレジェなら秒で気がつくわ。今日、一日デートしてたじゃん。何で今頃?」

「いやいやいや、今だからだって」

「え?」


おそ松は、優しく目を細めながら、自分の唇の端をちろりと舐めた。


「いつもと味が違ったんだよ」


その目線と仕草に深い色気を感じて、かっと熱が頬に昇った。かっこいいとは、言ってやらない。


「…味?」

「そ。いつものやつは、もっと甘かった。人工的な甘さっていうの?でも今日のは、あんまり味がしなかったんだよね」


確認するように、彼は自分の唇をぺろっと舐める。彼の唇にも私のルージュが薄く移っている。あんなにもお互いのそれを重ねれば、当たり前だろう。ただ、以前使っていたルージュは、オレンジ系の淡い発色のものだったため、薄くついたそれは彼の唇に映えなかったが、今日は違った。優しいピンクが、彼の唇に鮮やかに乗っている。それがなんだかかわいらしくも、魅惑的でもあり、妙な支配欲が満たされる気がして、胸が少しざわざわとした。


「実はこれね、口に入っても大丈夫な材料でできてるんだよ。だから変な味がしないのかも」

「へえー、そんなのもあんのな」

「グロスとかって、ご飯食べてる時にも口に入っちゃうからね。気にする人も多いし」

「ふーん。●●もそれが気になったの?」


初めてグロスを付けた、少し遠い記憶を遡る。最初は確かに違和感があった。べたべたするし、時間が経つと取れてしまうし、先程から言っているように、ご飯を食べると自然に妙な味が口に入ってきてしまうし。それでも、やはりルージュが与えてくれる高揚に抗えないのは、女としての定めかもしれない。私はもう慣れてしまったけれど、彼は違う。キスをする度に、ほんのりと染まる彼の唇を見ていた。もしかして、口に入るこの人工的な味が、彼は嫌なのではないか。だから。私がルージュを変えたのは、それが理由だった。


その旨を彼に伝えれば、彼はぽかんと口を開け、情けない表情をした。“何だよそれ”と小さく呟いてから、頬を赤くする。


「もう!俺の為に変えちゃうとか、●●かわいすぎない!?何なの!?」


そう言いながら、おそ松は私の頬を勢いよく両手で挟んだ。驚いて“わっ”と声を上げそうになったけれど、また勢いよく押し付けられた彼の唇のせいで、目を見開くことしかできない。


「何?今日はキス魔なの?」

「せっかく●●の想い、舐めとかなきゃ損だろ?」


そう彼は優しく笑って、私の唇をぺろりと舐めた。

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