「きらいなものはなんですか」
「喜八郎、何を考えている?」
立花先輩は僕にそう聞くことがたまにある。
「春になったなあ、と」
そう僕は答えた。
そよそよと揺れる桜の枝は、ふっくらと膨らんだ蕾で少し重そうに見えた。もうすぐ開花して、この縁側から見える景色は一面花になるのだろう。そんなことを、ぼんやりと考えた。
「そうだな」
立花先輩は僕の頭を撫でて、そう言った。僕は、縁側に座る立花先輩の膝枕で横になっている。暇なときはよく、こうやって構ってもらっている。
「もうすぐ咲くのだろうな」
「そうですね」
立花先輩の膝から見る先輩は、空の水色が背景になってすごくきれいだ。
「立花先輩」
「ん?何だ?」
呼びかければ、遠くの方に向けていた視線を、膝元の僕に向けてくれる。下を向いた弾みで、肩に流れるようにかかった黒髪が、少し僕の方に垂れた。
「先輩がきらいなものはなんですか」
「きらいなもの?」
“何だ、藪から棒に”と言って、少し考えていた。
「喜八郎は何かきらいなものがあるのか?」
「そうですねえ」
“最近は全部きらいです”と僕が言うと、別に驚きもしないで、先輩は少し笑みを浮かべた。
「そうか」
「はい」
「例えば、何がきらいだ?」
言われた言葉に、僕は縁側の外を指差した。
「あれとか」
「ん?あれは…」
昨夜、僕が掘ったターコちゃん128号に落ちていく善法寺伊作先輩と、保健委員の子たち。少し離れたところで、声と落ちた音が聞こえた。
「僕の穴に毎回落ちていく保健委員、とか」
それを聞いて、立花先輩はため息をついた。僕の発言が不謹慎だと思ったのか、“誰のせいだと思っている”と言って、嗜めるように僕の額に手を置いた。
「他には何がきらいだ?」
「忍者、ですかね」
これは意外だったらしく、先輩は“ほう”と興味深そうに言った。
「それまた、なぜだ」
「矛盾してるからです」
「矛盾か」
「はい」
正しい心ってなんだろう。
心に刃を乗せて、でも心を消さないのは、人間じゃなくなるからだ。人間じゃなくなってしまえば、忍者として楽なのに、“正しい心を忘れてはいけない”などと言う大人が、浅ましく思えた。
忍びは矛盾している。忍びだけじゃない、この乱世は矛盾している。そして、僕も矛盾している。きもちわるいと思った。きもちわるい。無性に穴が掘りたくなった。
立花先輩は、ゆっくりと僕の頭を撫でた。一定の感覚でここちよい。
「喜八郎」
「はい」
「きらいであることを、忘れるな」
「いいんですか?きらいで」
「あぁ、構わん。きらいであることを忘れては……」
立花先輩はその先を言わなかった。先輩は僕の頭を撫でる手をそのままに、ずっと遠くの方を見ていた。どこを見ているのかわからなかった。少し眉を潜めて、難しい顔をしている。
そよそよと風が春の香りを運ぶ。それに僕の髪も先輩の髪も揺れた。僕も同じものが見たくて、遠くの方を見ると、桜の枝も揺れていた。
「立花先輩」
「ん?何だ」
「春になって、いなくなってしまう先輩もきらいですよ」
立花先輩は撫でる手を止めて、僕を見た。驚いた顔をしたあとに、優しく微笑んだ。水色と少しの白を背景に下を向いた先輩は、やっぱりきれいだった。穴を覗かれているようだと思った。僕も立花先輩を見た。
「私もだ」
そっと口づけをされた。さらりと流れ落ちた先輩の黒髪が頬に当たって、くすぐったかった。
(きらいなものはなんですか)
(あ、でも、先輩の膝枕は好きですよ)
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