「溶かすような優しさに包まれていく」


「い、ろ、は、に、ほ……」


本日返却された書物を両腕いっぱいに抱えて、本棚に戻していく。背表紙に書かれた一文字めを小声で呟きながら、指定された位置に入れた。穏やかな静寂に包まれている図書室には珍しく人がおらず、いるのは図書委員の私と、委員長の中在家長次だけだ。それがまた、静かさを増している。


「あっ…!」


何かにつまずいて、体制を崩した。しまったと思ったときはもう遅かった。私の両腕いっぱいの本やら巻物やらが音を立てて落ちていく。あぁ、やってしまった。

乱雑に散らばったそれらを、私はぼうっと眺めた。植物図鑑だろうか、たんぽぽの絵が描かれた頁が開かれている。最近、こんなことばかりだ。頑張れば頑張るほど空回りして。うまくいかないことにいらいらして、気がつけば人に当たっていた。そんな自分が嫌だった、嫌いになった。


「…どうした」


はっとして後ろを向くと、長次が立っていた。落としたものも拾わず、突っ立っていた私を彼は不思議そうに見た。


「あ、ごめんなさいっ」


急いでしゃがみ書物を拾う。彼も隣にしゃがみこみ、それらを拾い始めた。


「もう少し…丁寧に扱え…」


無我夢中で拾っていた私は、彼の声で我に返った。あぁ、私は何をしているんだろう。本は和紙でできている。繊細だ。貴重なものだから優しく扱わなくてはいけないことなんて、1年生でもわかりきったことだ。6年間も図書委員を務めながら、そんなことを忘れるなんて。いや、違う。そんなことにも気が回らないほど、今の私はいっぱいいっぱいになっているのだろう。


「ごめん……長次」


私は思わず頭を抱えた。彼に負けないくらい小さな声で呟いて。もう嫌だった。なんで私は私なんだろう。最近のことも重なって、私の思考は負の連鎖に陥っているのかもしれない。ふと頭に温かい重みを感じた。驚いて横を向けば、彼の手が私の頭に伸びている。


「…何かあったのか」


小さく首を振った。お願い、長次。そんなに優しくしないで。あなたの優しさに、私はきっと甘えてしまうから。


「ごめん、大丈夫」


笑って見せても、彼は頷かなかった。黙ってじっと私を見た。最近の私のすべてを見透かされているようで、思わず目を反らした。長次に汚い自分を見せるのが、嫌だった。嫌われたくなかった。

だって彼は。彼は間違ったことなんてしない。人に優しくて、穏やかで、自分には厳しい。人として完成されている。そんな彼が好きなのに、私は彼に程遠い。


「長次。今の私はひどいの」


泣きそうになる。


「最近、何もかもうまくいかなくて。自分が悪いのに、気づいたら人に当たってた。長次、私は今、嫌な人にしかなれない」


大好きな、長次にすら。

小さく抑えるようにそう言った。優しく腕を引かれる。


「えっ……」


気がつけば彼の腕の中。大きなその空間に私の体はすっぽりとはまった。


「●●」


いつもは静かな声が、彼の胸から少し響いて聞こえる。


「当たったっていい。私はすべて受け止める。だから、1人で泣くな」


その見返りを求めない言葉に、私は胸がつまった。そして熱くなった。ねえ、長次。それは愛と受け取っていい?

溢れる涙を止められなかった。声を出して泣いても、長次は何も言わなかった。ただ、ずっと抱き締めていてくれた。それはどんな慰めよりも、私の心を落ち着かせた。そっと背中を擦る彼の手で、私の汚い思いは浄化されていく。明日から、また笑えそうな気がした。

長次。この嗚咽が止まったら、ありったけのありがとうをあなたに伝えさせて。



[ 5/10 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]