HNで呼ばないで16
「あーぁ、こりゃ当分やみそうにないな」
どす黒い空を見上げ、濡れた前髪を掻きあげながら雪哉が溜息混じりに呟く。
突然降り出した雨は、帰宅途中だった俺たちを直撃。
駅が近かったおかげでずぶ濡れになるのだけはなんとか避けられたけど、雨で濡れたコートがずっしりと重く感じる。
「天気予報では雨が降るなんて全然言ってなかったのに」
「最近の予報全然当たらねぇじゃん」
俺が渡したタオルでガシガシッと髪を拭きながら、雪哉がもう一度溜息をつく。
確かにそうだ。今年は暖冬だとか言っておきながら凄く寒い日が続いてるし、雨だと思って準備してたのに全然降らなかったり、今みたいに突然降り出したり。
「ま、天気予報はアテにするなって事だ」
「それもそっか」
サンキュ、と手渡されたタオルをカバンに押し込み、ポケットに突っ込んでいた携帯で時刻を確認する。
次の電車が来るまであと十分。 暖かい飲み物でも飲んで身体を温めるには充分な時間だ。
あったかいお茶でも飲む? と尋ねようとした時、急に雪哉に袖を引っ張られた。
「おい、見てみろよ。あれ」
「?」
顎で指す先には、うちの制服を着た女子生徒が白いワゴン車から降りて来たところだった。
あの車、もしかして。
ここからじゃ運転してる奴が誰なのかわからないけどあれは間違いなくアキラの車だ。
昨日俺が座っていた席に今日は知らない女の子が乗ってる。 何故だかわからないけど胸にモヤモヤしたものが広がっていく。
「アイツ、この間は違う女乗せてたぞ」
「マジ?」
雪哉の言葉に一瞬目の前が暗くなった。
アイツ、やっぱ節操なしだったんだ。
そう言えば「うちの学校は美人が多いから狙ってた」って言ってたし。
もしかしたら、昨日みたいに他の子もプライベートで何処かに連れて行ってるのかもしれない。
俺だけじゃ無かった。
その事実が心に暗い影を落とす。
駅の駐車場からアキラの車が出て行くのが見えて、胸がチクリと痛んだ。
なんだ、この不快感。もしかして俺、ショック受けてる?
アキラが何をしようと俺には関係ないのに、なんでこんなに嫌な気分になるんだろう。
気になるのか? と訊ねられて慌てて首を振った。
「別に、アイツが誰と付き合おうと興味ないし」
そう、俺には関係ないはず。気にする必要なんて何も無い。
「あれ? お前、ああいうのタイプじゃなかったっけ?」
「た、たたた、タイプなわけないだろっ! 何で俺があんな軽いヤツ――むぐっ」
思わず大きな声をあげてしまった俺の口を、何やら慌てた様子で雪哉の手が覆った。
その前を、さっきの彼女が通り過ぎる。
うわっ、確かにすっごい美人さんだ。
チラッと視線だけを向けて彼女が素通りした後で、ゆっくりと口元を覆っていた手が解かれた。
「おい、拓海! あんな大きな声だしたら気付かれるだろ?」
横目で彼女を追いながら、雪哉が声をひそめて「彼女に対して失礼じゃないか」と抗議する。
あれ? 失礼って……。
なんだ、アキラの事言ってたんじゃなかったのか。ちょっと考えればわかりそうなのに、とんでもない勘違いだ。
「まぁあの娘が軽いって言うのは事実だから仕方ないとは思うけどな。結構遊んでるって噂だし」
「……ははっ」
軽いんだ、あの娘。
雪哉はフォローしたつもりだったんだろうけど、勘違いついでに知らなくていい事まで知っちゃって、乾いた笑いしか出てこなかった。
「うちの学校確かに美人は多いけど、遊んでる娘多いからなぁ。お前に変な虫がつかないか心配だ」
「大丈夫だよ。俺、雪哉と違ってモテないから」
雪哉はなんだかんだ言って俺よりモテる。
そりゃ、モデル張りとまではいかないけど、それなりにルックスはいい方だと思うし身長だってソコソコある。
よく、告白されたって話を鷲野から聞くけど、全部断っているらしい。
理由は何故だかわからないんだけど。噂では、好きな子がいるって話。
「なあ、拓海は今好きなヤツいるのか?」
唐突な質問にドキリとした。
好きな……人?
そう言われて咄嗟に思い浮かんだのは――アキラの顔。
うわわわっ! 違うっ! それだけは絶対に違うっ! なんでここでアイツが出てくるんだ。
「い、いないよ」
「本当か?」
「本当だって」
ジッと顔を覗き込まれて息が詰まる。
さっきまで暖かい飲み物が欲しいと思ってたけど、喉の奥がカラカラで逆に冷たいものが飲みたい気分だ。
なんとなく気まずくなって、視線を彷徨わせた。
「な、なぁそろそろ行こうぜ。もうすぐ電車来るみたいだし」
「え? あぁ、そうだな」
かなり苦しい言い訳に雪哉の眉がギュッと寄せられる。
雪哉が疑うような眼差しで俺を見つめていたけど、それは敢えて気付かないフリ。
途中にあった自販機でジュースを買い、逃げるようにホームに向かう。
なんでこんなに胸が痛いのか。なんであの時アキラの顔が浮かんだのか――。
答えは多分、わかってる。だけど、それを認める勇気が俺には無い。
自分がそうだと認めるのが怖くて、手にしたジュースを一気に飲み干した。