No title
「――ここはですね、こうやると簡単に解けるんですよ」
静かな室内にシャーペンが文字を綴る音が響く。
眼鏡をかけ、真剣な表情で説明をしている菊をアーサーは頬杖を突きながら見ていた。
開けっ放しの窓からは心地よい風が吹いてきて、ジッとしていると眠くなってしまいそうだ。
(菊、睫毛まで黒いんだな……しかも長い……)
何気なく目が行って、感嘆の溜息が洩れた。陶器のように滑らかそうな肌、憂いを帯びた伏せ目がちな瞳。形のいい耳。何処をとっても理想的で思わず触れたくなってしまう。
「アーサーさん?」
「な、なんだ!?」
突然菊が顔を上げたのでつい、どもってしまった。
「さっきからぼーっとしてますがちゃんと私の話、聞いてました?」
「あ、あぁ。勿論聞いてるぜ!」
まさか、菊に見惚れていて何も耳に届いてませんでしたなどとは言えるはずも無なく、愛想笑いを浮かべながら適当に誤魔化すと菊は素直に
「そうですか」
と、呟いて再び教科書の説明を始めた。
危なかった。せっかく勉強という口実をつけて忙しい菊を部屋に連れ込むことに成功したのに、全然聞いていなかったなんて言ったら帰ってしまう所だった。
学校では常にルードヴィッヒやフェリシアーノがぴったりとくっついているし、放課後も、菊は何か大事な用があるとかで直ぐに帰ってしまうから中々二人っきりになれるチャンスが少ない。
今日はたまたま空いている日だと言っていたので、勉強を教えて貰う約束で家に連れてきたのだ。
本当は勉強になど興味は無かったが、菊と二人きりになるためだったら、嫌いな数学だって頑張れる! 筈だ。
「じゃぁ、今説明した所まで自分でやってみてください」
「えっ!?」
「え? じゃ、ないですよ。数学は自分で解いてみないと聞いてるだけじゃ覚えませんから」
「……」
まずい、非常にまずい。全く聞いていなかったなんて言ったら菊はどう思うのだろう?
アーサーの背に冷たい汗が伝う。
「私は本を読んでますから終わったら声を掛けて下さいね」
言いながら、菊はベッドの縁を背もたれ代わりに鞄から取り出した本を読み始めた。
(やっぱ……全然わかんねぇ)
きちんと赤で丁寧に説明書きされているものの、ちんぷんかんぷんでアーサーは思わず頭を抱える。
ちらりと横目で菊の様子を伺えば、直ぐ側に柔らかそうな菊の足が見えた。
そっと太腿に手を乗せると、菊は大袈裟なほど身体を震わせギョッとしたように顔を上げアーサーに困ったような視線を送る。