初夏の爽やかな風が頬を撫でる感覚にうっすらと目を細めた。
GWの充実した合宿もあっという間に終わってしまい、今日からまたいつもどおりの生活がスタート。
退屈で仕方がない授業が全て終わってしまえば、待ちに待った部活の時間だ。
HRが終わるとほぼ同時に影山飛雄は教室を飛び出し部室へと向かっていた。
やりたいこと、やらなくてはいけないこと。課題は山のように残っている。
もっとトスの精度を上げて、日向とのクイックの成功率を上げなければ。
サーブのキレもコントロールも及川には遠く及ばないし、ブロックだって……。
時間はいくらあっても足りそうにない。
そんなことを考えながら部室棟へと差し掛かったその時、
「……話ってなに?」
聞き覚えのある穏やかな声に、思わず足を止めた。ハッとして無意識のうちに身を潜め、建物の陰から声のした方をのぞき込むとよく見知った黒いジャージが見えた。
ふわっと柔らかそうなグレーがかった髪。くりっとした瞳と左の泣きボクロ。爽やかな笑顔が印象的な先輩、菅原孝支だ。
その彼と向かい合うようにして、女子が少し恥ずかしそうに俯いて頬を赤らめている。
これはもしかして、もしかしなくても……。
「……ずっと、好きだったの」
やっぱりか! 
偶然とはいえ、先輩の告白シーンに遭遇するなんて!
タイミングの悪いときに通りかかってしまった。他人の告白なんて隠れて聞くものでは無いだろうし、部の後輩に目撃されていたと知ったら多分菅原も困るだろう。
此処は何事も無かったかのようにそっとこの場を離れるべき__。
(菅原さんはOKするんだろうか?)
プライベートな事だから深入りするべきではないと頭では解っているのに、足が思うように動いてくれない。
女子の名前までは知らないが、何度か見たことはある。派手な感じのしない目立たなくて大人しそうな娘だ。
二人ともどことなく雰囲気が似ているから、もし付き合うことになったらお似合いのカップルになるに違いない。
「……悪いけど俺、君のことあんま知らないからつき合えない」
「友達からでもいいの……」
「ほんとゴメンな。俺は今、インハイの事で頭がいっぱいでさ……それに……」
それに……? 菅原の言葉の続きが気になって、思わず身を乗り出しかけたのをぐっと堪える。
ほんの一瞬、菅原がこちらを見たような気がしたが気付かれてしまっただろうか?
自分は一体何をやっているんだと複雑な思いに駆られながら、様子をうかがう。
「__ほんと、ゴメン」
きっぱりと断られ、女生徒の顔がみるみるうちに涙で歪んでいく。
ショックで言葉が出ないのか、顔を覆って影山の前を走り去っていってしまった。
「……覗き見なんて、いい趣味してるべ? 影山も」
「!!」
去っていった女子に気を取られている間に声を掛けられ、影山はびくりと
体を強ばらせた。
「す、すみません! あのっ、立ち聞きするつもりじゃなかったんです」
「んー、別にいいけど。聞かれて困る事でもないし」
「そうなんっすか?」
こういう事は珍しく無いのだろうか? あっさりと言われて影山は眉を顰めた。
「田中さんが聞いたらすげー怒りそうっすけど」
「あはは、そうかもな」
「でも、友達になるくらいは良かったんじゃないですか?」
部室のドアを開け、自分のスペースに荷物を置きながら訊ねる。
先ほどの娘は、そこそこ可愛い方だったと思う。付き合うとまではいかなくても、友達から始めるくらいなら良かったのではないだろうか?
そしたらそのうち彼女の良さにも気付いてそこから恋に発展する可能性だってあるはずだ。
「……影山は俺に彼女作ってほしいわけ?」
「いや、そう言う訳じゃ」
「絶対に好きになってやれないことが解ってんのに、変に期待させたらあの子が可愛そうだろ」
菅原の言うことはよくわかる。自分も多分今は目の前のインハイで手一杯で彼女を作るとかそんな余裕はきっと無い。
でも、いつかは__。
「絶対に好きにならないって、そんなの解らないじゃないですか」
今は0に等しくても、いつかは好きになれるかもしれないのに。
「解るよ」
「?」
菅原はゆっくりと立ち上がると締め切っていた窓を開けた。途端に春風が吹き込んできて滞っていた空気が動き出す。
「だって俺、好きな人いるし」
「えっ!? マジっすか!?」
初耳だったが、まぁ菅原は3年生だ。好きな人の一人や二人居たっておかしい話ではない。
「まぁ、片思いなんだけどな」
「告白とか、しないんっすか?」
「無理無理! 絶対振り向いて貰えないのわかってるし」
ハハッと笑いながら、菅原が肩を竦める。
「そうなんっすか? 菅原さんみたいな人から告られたら、断る人なんていないんじゃ……」
「そうかな? じゃぁ試してみてもいいか?」
「は? 試すってな……に……」
すとんと自分の隣に腰を下ろした菅原が大きな瞳で真っ直ぐに見つめていた。それだけでも驚いたのに急に腕を掴まれ、肩を引き寄せられる。
「え? はっ? ちょ……っ!?」
わけが解らないまま固まっていると、そのまま唇を塞がれた。
二人の時間がしばし止まる。

「悪い。驚かせて」
「……あ、えっと……?」
「本当は、ずっと黙ってようかと思ったんだけど。イヤ、だったよな」
バツが悪そうに俯く菅原は心なしか頬に赤みがさしている。
コレってつまり……?
「菅原さんが好きなのって、俺って事ですか?」
「そ、それ以外に何があんだよっ」
「それもそーっすね」
確認するように訊ねたら、菅原の白い肌がじわじわと赤くなっていくのが手に取るようにわかった。
そんな顔されたら、なんだか自分まで恥ずかしくなってきてしまう。
「お、おれっ先行くからっ!」
微妙な空気に耐えられなくなったのか、菅原が部室を飛び出して行ってしまう。徐々に遠ざかっていく足音を聞きながら影山はぱったりと床に倒れこんだ。
つられて赤くなってしまった頬が熱い。なんだか胸がドキドキする。
「マジ……っすか」
まさに青天の霹靂の出来事だった。