約束の日、ちょっと早めに待ち合わせ場所にいくと既に影山がソワソワしながら立っていた。
バス停でウロウロしている姿がなんとなく檻の中にいるクマみたいに見えて、思わず笑ってしまいそうになる。
「悪りぃ! 予定より遅くなった!」
だいぶ待っただろ? と、問えば俺も今来たばかりなので大丈夫です。なんて答えが返ってくる。
まともな受け答えが出来るようになったもんだと、影山の成長が少しうれしい。
「菅原さんのお母さんが許してくれて良かったです」
「あー、それな。意外とすんなりOKが出るもんだから、こっちの方が拍子抜けだべ」
卒業旅行かなんかと勘違いでもしたのか、友達と楽しい思い出を沢山作っておいでと、笑顔で送り出されてしまいかなり罪悪感が残る。
影山は友達じゃない。恋人だなんて知ってたらきっとOKは出なかっただろう。もっとも、そんな事は口が裂けても親には言えないけれど。
「菅原さん?」
「ん? なんでもねーよ。今日は、よろしくな」
「ッス!」
ニコッと笑いかけたら、何故かピシッと背筋を正されてしまった。
相変わらず変な奴だと苦笑しているうちに、直行バスがやって来た。指定された席に座ると、何とも言えないワクワク感が湧いて来る。
「いよいよだな」
「そーっすね」
何処か緊張している様子の影山が少し可笑しくて、バスが動き出したタイミングでそっと手を握ってみた。
途端、影山の肩が大きく震えた。
「す、菅原さんっ」
「手、握るくらいいいだろ?」
バスの中なんだし、少しくらいこうしててもバレないだろう。
「……あまり、俺を煽るような事したらダメです」
「あおる?」
一瞬、何を言われたのかわからなくて首を傾げた。
そのタイミングで突然触れるだけのキスをされて、今度はこっちが固まってしまう。
「ちょっ、お、おおおっ、おまっいきなり何っ」
「しーっ、大きな声を出すと怪しまれます」
チョンと唇に指を押しあてられて言葉に詰まる。お前のせいだろ! と、言いたかったけれどそこはグッと堪えた。
(チクショウ! 涼しい顔しやがって〜〜〜っ)
自分ばかりドキドしているようで、なんとなく悔しい。
忘れていた訳ではないけれど、影山は恐ろしく欲に忠実だ。
油断していると時々突拍子もない事をしだすから困る。
今だって、絶対にキスするタイミングなんかじゃ無かったハズだ。
もしも、この狭い車内で迫られたりしたらどうしよう。
二人きりになれる時間が少ないのは何時もの事だけれど、最近は特に忙しくて話す時間すらあまり取れていなかったような気がする。

これから丸一日影山と二人っきり……つまりは、そう言う事、だよな……。

めくるめく不埒な妄想が頭を過ぎり、自然と頬が熱くなってしまう。
(やっべ、なんか……無駄に緊張してきた)
心臓がドックドックと早鐘を打ち始め、隣にいる影山に伝わってしまうんじゃないかと思うと気が気じゃない。
息をするのも億劫になりながら身を固くしていると、不意に肩にずしりとしたものを感じた。
恐る恐る隣を覗いてみれば、自分の肩に凭れた影山がスースーと小さな寝息を立てて眠っている。
(……なんだ、寝ちまったのかよ)
何もされなかった。
その事に安堵してそろりと息を吐いた。
それと同時に、もしかしたら…………。と、心のどこかで期待してしまっていた自分に気が付いて体温が一気に上昇した。
(べ、別に車内でシて欲しかったとか、そんなんじゃねぇからな! 断じて!)
自分にそう言い聞かせつつ、規則的な寝息を立てている影山をそっと覗き見た。
(睫毛、意外と長げーのな……)
期待のスーパールーキーと言っても、なんだかんだ言って寝顔にはまだあどけなさが残る。
いつも自分より上にある顔を見下ろせる日が来るなんて! なんだか新鮮で、目が離せない。
バスは静かに山道を走り続け、窓の外には徐々に紅葉し始めた木々の美しい景色が広がっている。
目的地までまだ少しかかりそうだ。
すっかり弛緩して重くなった影山の体重を肩に感じながら、仄かにシャンプーの香りが残る黒髪にそっとキスをした。