No title


大きな溜息を吐いて、高尾はゆっくりと顔を上げた。時計を見ると、もうすぐ8時だった。
部活の終わった後の体育館には、同じく自主練をしていた宮地以外誰も居ない。
緑間は、明日のラッキーアイテムを調達するからと先に帰ってしまっていた。
今日もこの後、連中からの呼び出しが待っている。 そろそろ行かなくては何をされるかわかったものじゃない。
あの日以来、高尾はより一層練習に打ち込んでいた。 少しでもぼーっとする時間が出来ると、あの悪夢のような日を思い出してしまうからそれが怖くて仕方が無かった。
何も考えたくなくて、一心不乱に練習を続ける高尾を大坪達は”気合い入ってるな”といい方向に捉えてくれているけれど本当のところはそうじゃない。
今日だって今からまたあの苦痛の時間が待っているのだと思うと、胃の辺りがキリキリと痛み、吐き気が込み上げて来る。
「おい」
不意に、声を掛けられた。慌てて振り返ると宮地が心配そうに覗き込んでいる。
「大丈夫かよ。顔色悪いぞ」
「ハハッ、そーすか? きっと照明のせいじゃないっすかね」
最も、今回の事を気付かれたくない相手に緊張が走る。
笑って誤魔化すと宮地の目がスッと細められひやりとした手が頬に触れた。
そのまま顔がゆっくりと近づいてきて、コツンと互いのデコが当たった。
たったそれだけのことなのに鼓動が一気に跳ね上がり、なんだか気恥ずかしくなって頬が熱くなってしまう。
「……熱は、ねぇみたいだな」
整ったベビーフェイスも、少し高めの声も二人きりの時にだけ見せる優しさも、全てが愛おしくて胸が苦しい。
「最近オマエ、頑張りすぎだろ。無理すんな」
「ハハッ……サーセン」
「それに、少し痩せたんじゃねぇか?」
ちゃんと飯食ってんのか? と、聞かれぎくりと身体が強張る。
「き、気のせいッスよ。つか、宮地さんてかーちゃんみたいなこと言いますね」
ばれないように無理やり作った笑顔を貼りつかせ、動揺が顔に出ないように神経をフル回転させる。
「誰がお前のかーちゃんだアホ! 焼くぞてめぇっ!」
全然痛くないヘッドロックをかまされて、何時もの何気ない日常に胸が詰まる。苦しくて涙が出そうになって慌てて唇を噛みしめた。
このまま時が止まってしまえばいいのに……。いっそ、あの時の事が夢であったらどんなに幸せだろう。
このまま側に居れば、宮地の優しさに甘えて弱い自分が出て来てしまう。
迷惑だけは、絶対に掛けたくない……。絶対――。

「そうだ! 久々にマジバでも行くか?」
「……宮地さん」
自分でも驚くくらい抑揚のない声が出た。
「んだよ。腹でも痛いのか?」
顔を覗き込まれて首を横に振る。
高尾は宮地と向き合うと深呼吸を一つして、ゆっくりと顔を上げた。そして仮面のように貼りつかせた笑顔を見せながら宮地に言った。
「――オレと、別れてくれませんか」
「……は?」
ほんの数秒の事だったけれど二人の間には凄く長い沈黙が訪れたように思えた。
「それ、本気で言ってんのか?」
「……ッ」
本心を探る様に問われ、コクリと頷く。
「宮地さん、オレ……実は、他にすっげー好きなコが出来て。二,三日前にその子から告られちゃったんです。だから……」
「だから、俺に別れろって?」
ギロリと睨まれて反射的に身体が竦んだ。勿論、好きな人が出来たこともなければ告白された事実も無い。
けれど、これ以上宮地の側にいればきっと迷惑をかけてしまう。
「……ハイ。サーセン……」
自分で別れを切り出しておきながら、既に泣きそうだ。ここ最近、感情のコントロールがうまく行かなくて困る。
今、泣いてしまったら全てがバレてしまいかねない。
後ろ手に組んだ拳を強く握りしめ、笑顔を貼りつかせていられるのも限界で、歪んだ表情を見られたくなくて堪らず俯いた。
「……そうかよ。わかった」
「……ッ」
宮地は、多くは聞かなかった。一言だけそう言って、体育館から出て行ってしまう。
少しずつ遠ざかっていく足音を聞いて、全身から力が抜けた。立っていることが出来ずにその場に崩れ落ちる。
今まで堪えて来た色々な感情が一気に堰を切ったように溢れだし、熱くなった目頭からはとめどなく涙が零れた。
心の何処かで、「嫌だ」とか、理由を聞いてくれる事を期待していた自分がいたのかもしれない。
助けてほしいと言う思いと、迷惑を掛けたくないと言う矛盾した気持ちが交錯し高尾を苦しめていた。
事実を知った時の宮地の反応を考えると恐ろしかった。あんな下衆相手に言いなりになってんじゃねぇよ。情けない! と罵られたら今の精神状態ではきっと耐えられない。
だからコレで、良かったんだ……。コレで……。
何度も何度も自分にそう言い聞かせ、唇を強く噛んだ。悪魔たちとの約束の時間がすぐそこに差し迫っていた。


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