No title
泣き腫らした顔をあまり見られたくなかった為、高尾は妹と行き違いになるようにわざと時間をずらして家を出た。
すると、門の前に見慣れた深緑色の頭を発見し、その場で立ち止まる。
いつもと変わらぬ後姿に、昨日のショックを一瞬忘れて胸をときめかせている自分が嫌になる。
まさか緑間が迎えにやってくるとは露ほども思っていなかった。唐突に出くわし、高尾は動揺して挨拶の言葉すら出てこなかった。
「遅いのだよ」
「……な、なんで……?」
思わず声が上擦ってしまった。今まで一度も迎えに来たことなんて無かったのに、今日に限って何故来たのだろう?
昨日の言いわけでもしに来たのだろうか?
もしそうなら、聞きたくない。
高尾は口を真一文字に引き結び足早に緑間の前を通り過ぎようとした。
だが、いきなり腕を掴まれ彼の胸元へと引き寄せられる。
「なっ、んだよ! 俺はお前と話すことなんかないからな!」
「高尾にはなくても、オレにはあるのだよ」
いつになく真剣な表情で見つめられ、どきりとした。
腕を振り払おうとしたけれど、思いのほか強く掴まれていてビクともしない。
流石に自宅前で騒ぎを起こすのはマズイと思い、高尾は短く息を吐くと抵抗の手を緩めた。
腕を掴んだまま歩き出した緑間は、一言も発しないままズンズンと大通りを進んでいく。
「なぁ、学校はこっちじゃねぇだろ?」
「……」
通学路を大きく外れ、学校とは見当違いの方向へと歩いていく彼に声を掛けたが答えは返って来なかった。
一体何を考えているのかさっぱり掴めず、戸惑いながらも付いていくと緑間は一軒の家の前で足を止めた。
大きな門構えに手入れの行き届いた広い庭。高尾家の二倍はありそうな広い屋敷の前に立ち、緑間は当然のようにそのドアを開ける。
「――なぁ、ここってお前ん家、だよな?」
「あぁ。両親は既に出かけているから安心していいのだよ」
「安心って、そういうこっちゃねぇだろ! なんで、俺がお前ん家に来なきゃいけないんだ! 学校は……」
「五月蠅い黙れ! 学校には遅刻していけばいい」
「ハァっ!?」
意味わかんねぇよと、呟いた言葉ごと強引に中へ押し込まれ困惑する。
「来い」
「来いって、お前なぁ……俺まだ怒ってんだけど」
「それは百も承知なのだよ。色々誤解しているようだから、順を追って話がしたい」
今更なんの話があるというのか。言い訳なんて聞きたくもないのに。
無理やり背中を押され、案内された先にあったのは一台のアップライトピアノ。
こんなところに連れてきて一体緑間は、何がしたいのか。考えていることが全く読めない。
「俺が、何故合唱部の伴奏を引き受けたかわかるか?」
艶のある黒い蓋を開いて、鍵盤を見つめながら緑間が静かにそう尋ねてくる。
「……おしるこ毎日奢るって言葉に吊られたんだろ?」
「フン。だからお前は馬鹿だというのだよ。オレはそんなに安くない」
「だったら、どんな理由があるってんだ」
忌々しげに腕を組んで緑間とピアノを睨みつけた。
昨日の今日でピアノとか、高尾には彼女の存在を思い出させる嫌悪の対象でしかない。